tedukurikotoba (2563)

完膚なきまでに

【漢字】完膚なきまでに 【読み】かんぷなきまでに 【意味】全身傷だらけで徹底的に打ちのめされる。 【例文1】言い訳する奴を完膚なきまでに叩きのめしてやった。 【例文2】ライバルチームを完膚なきまでに叩き潰す。 私にはあまり人には言えないようなストレス解消法があります。 それはテレビゲームにおいての戦い方なんですが、コンピューターの設定を最弱にして、完膚なきまでにとにかく叩きのめすというものなのです。 恐らく真顔になってひたすら無防備な敵を倒していくので、一見、「なんて性格の悪い!」と思われがちですが、自分がとても地位の高い存在に思えて、優越感に浸ることができます。 特にアクションゲームに関してはそれが顕著で、自分が完全無欠の存在になったようです。 元々ゲームは好きなんですが、友人相手だと可哀想になってくるので、つい手加減してしまい、完膚なきまでに倒すことはできません。 その点コンピューターだと、その遠慮がいらないので、私にとってストレス発散としてもってこいなのです。 そもそもこの言葉は、「完膚」は傷のない完全な皮膚のことで、無傷な所、つまり完膚がないくらい徹底的にやり込められるということが転じて、今の意味になったと言われています。 元々は中国の故事から基づいた言葉ですが、今では日常の中でも使用されるくらい定着している印象です。 実際、完膚なきままに完全にやられると、負けた側も力の差を痛感するために、ある意味仕方ないと諦めもつくものなんですよね。

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芋の子を洗うよう

【漢字】芋の子を洗うよう 【読み】いものこをあらうよう 【意味】大勢の人が集まって込み合っている様子。 【例文1】夏休みで海水浴場が芋の子を洗うようだ。 【例文2】バーゲンセールで芋の子を洗うように賑わう。 芋の子を洗うようとは大混雑している様子を言います。 夏の風物詩として、プールで泳ぐ時は人、人、人で込み合い、浮かんでいる様子は、まさしく芋の子を洗うような光景です。 私も毎年夏になると、日焼けをしたくないので、屋根がある近くの市営プールに子ども2人連れて同級生のまま友とその子ども達と行ってました。平日でも夏休みとなると芋の子を洗うように込み合っています。二男から目を離さないように浮き輪にしがみついて泳ぎを楽しんでいました。長い滑り台やスライダーは上級生のお兄ちゃんお姉ちゃんが行列に並んでいます。滑り台はできるのですが、スライダーは身長制限がありできない事に長男が悔しがって今年こそはと意気込んで初めてのスライダーを楽しみました。 夏休みの最後の週に毎年地元で花火大会があります。 プールより芋の子を洗うような光景ですので、早くから陣取りして出店を回り、花火が上がるのを待ちます。この盛大な花火大会が終わると夏休みの終わりを告げます。また夏休みの思い出が増えました。

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新陳代謝

【漢字】新陳代謝 【読み】しんちんたいしゃ 【意味】古いものが新しいものに次々と入れ替わること。 【例文1】新陳代謝が上がって肌の調子が良い。 【例文2】新陳代謝が良くてダイエットに効果的。 私は年齢を重ねるとともに、健康について考えることが多くなりました。 健康に関する情報を調べていくと、必ずと言っていいほど、新陳代謝という言葉が出てきます。 新陳代謝が良いと、体内循環が上手く周り、健康な心身を維持できると思います。 新陳代謝が悪くなる大きな原因は運動不足だと思っています。 現代社会では便利なものが増え、運動不足になりやすい環境だと思います。 そのため、意識して運動習慣を身につけないと、新陳代謝も低下してしまいます。 昔の人は全て自分が動かないと用事が足りないような時代でした。 中には誰かに全てやってもらう人もいたかもしれませんが、ごくわずかです。 そのため、今よりも運動不足で悩む人はかなり少なかったと思います。 現代では移動手段として、車や公共機関を使います。 しかし、昔は移動するのに歩くことも多く、今では考えられないくらいの遠い場所へも歩いて行きました。 何日もかけて歩き続けるということは、今では登山などの何らかの目的がある以外は、ほとんどないと思います。 ですが、運動不足を解消するためには、多少は不便な生活のほうが良いのかもしれません。 嫌でも体を動かさなければいけない環境ならば、わざわざ運動しなくても新陳代謝は良くなると思います。

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琴線に触れる

【漢字】琴線に触れる 【読み】きんせんにふれる 【意味】感銘を与える。 【例文1】自分が親になって初めて親の愛情が琴線に触れる。 【例文2】両親の言葉が琴線に触れる。 子どもが生まれるまでは、結構ドライなタイプで、音楽を聴いても映画を見ても、ましてやテレビドラマを見ても感動したり、涙するなんていう事はありませんでした。ドライなタイプと言っても人間味のある言葉や、親からの愛情に感動する事などはありましたが、とにかく人が作った物、音楽、映画、番組などに感動する人の気が知れない、なんて思っていたものです。ところが超高齢出産で息子を授かってからはちょっと気持ちの変化が起きてきました。もちろん、これみよがしに 子どもや動物を使ったお涙頂戴的な番組や映画を見てもどうってことはないのですが、今まで感じなかった作者や演者の意図のような物を感じるようになり、特に子どもに関する事になると、すぐに自分の子どもに投影してしまうようになったのです。琴線に触れる、といいますが、まさに心の奥にある感情に触れられると、もうダメで涙腺崩壊する事もしばしばです。息子を出産した病院は母子同室を推奨していて、フラフラの状態で授乳をしていたのですが、なかなかうまくできず看護師さんに指導して貰える授乳室がありました。そこで流れていたのがオルゴールの「星に願いを」なのですが、当時の大変さ、子どもの可愛さ、うまくいかない授乳の焦りなどがこの音楽とリンクしてしまったようで、今でもどこかで「星に願いを」が流れるとダメ、私の琴線に触れる一番の音楽になっています。

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看板に偽りなし

【漢字】看板に偽りなし 【読み】かんばんにいつわりなし 【意味】外見と実物が一致していること。 【例文1】ネットで予約した宿泊ホテルは看板に偽りなし。 【例文2】ネットショッピングの品が看板に偽りなし。 看板に偽りなしとは、看板や広告、見本と変わらない商品やサービスを提供するという意味の言葉です。宣伝通りの物を提供するというのは、至極当たり前のことと考える人も多いでしょう。しかし、宣伝や広告は華やかでも、実際に商品を購入してみると、イメージと違うということは珍しくありません。 看板や広告は、人の目に止まらないのであれば意味がありません。それだけに、写真などを使う場合はより華やかに、宣伝文句も分かりやすくするということは珍しくありません。料理の写真の場合は照りを強調したり、具材がしっかりと見えるように整えたりして撮影をすることになります。ビールなどは水滴をつけて、美味しそうに見せるというテクニックもあります。そのため、写真と実物に多少の差があることは仕方ありません。ただ、こうしたテクニック分を差し引いても、写真と明らかに異なる料理が提供されることは少なくありません。商品の場合は、機能性が異なると感じることも多々あります。 こうしたことが何度もあったため、看板や写真通りの料理や商品、サービスの提供を受けると感動をするようになってきています。そして、看板に偽りなしというのは、最高の賞賛の言葉だと思っています。

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