tedukurikotoba (2563)

金科玉条

【漢字】金科玉条 【読み】きんかぎょくじょう 【意味】従うべき規律や法律。 【例文1】生徒は金科玉条に従う。 【例文2】金科玉条は守る。 【例文3】金科玉条に反する。 金科玉条をテーマにした記事 金科玉条とは守るべき規則や法律のことです。 会社や学校や地域など人が生活する場所には必ずと言っていいほど規則や法律があります。中には細かい規則があるところもあり、めんどうくさいなと思いますが、この規則がなかったら、人は好き勝手し放題で大変な事になるのでやはり規則は大事です。 私が通っていた高校は田舎の公立校でスカート丈や女子の髪型や色、指定された髪を結うゴム、ピンの色、爪など決まりがあって中学生かと言いたくなるほど厳しかったです。 月一くらいで容疑検査があってました。毎回なんかしらに引っかかってうんざりでした。大学に入ってから髪を染めたり、自由になったのが嬉しくてウソのようでした。 卒業して保険会社に入りました。制服の決まりはなかったものの毎日、暗めのスーツで出勤しています。私の会社の規律はお堅いですが、お客様あっての営業なのできちんと守っています。 社会に出ると時々理不尽な事で言い寄られることがありますが、両者の言い分は譲れません。揉め事が大きくなると法的手段を取らざるを得ません。

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堪忍袋の緒が切れる

【漢字】堪忍袋の緒が切れる 【読み】かんにんぶくろのおがきれる 【意味】もうこれ以上我慢できなくて怒りが爆発する。 【例文1】夫が毎晩飲み歩いてそろそろ堪忍袋の緒が切れそう。 【例文2】浪費癖が直らず堪忍袋の緒が切れる。 通勤で、駅の近くにある有料の駐輪場を利用していますが、ここ最近になって自転車へのイタズラが多発しています。 こないだは私の隣に停めていた人が、サドルを盗まれたりなど、イタズラや盗難が多くなっていました。 私もタイヤの空気を抜かれることがあり、頭にきていましたが、先日は駐輪場に停めている間にパンクしていたので、自転車屋へ修理に出すと針みたいので刺されていると言われました。 こういった悪質なイタズラをする人の気持ちが理解できませんが、その時は仕方ないと諦めていました。 しかし、その2日後にまたパンクしていたので自転車屋へ行くと、今度は針のような物で7箇所刺されていると言われ、チューブごと交換することになり高い修理代がかかりました。 堪忍袋の緒が切れるという言葉がありますが、正にその状態になった私は、そのまま警察へ行き被害届けを出しました。 また、駐輪場の管理会社にもクレームを言って、防犯カメラを付けるなど対策をして欲しいと伝えました。 その後、防犯カメラを設置したり警察が定期的に巡回するなどの対応があり、自転車へのイタズラは無くなっています。 悪質なイタズラに対してはかなり頭に来て、犯人を捕まえたい気持ちになりました。 「堪忍袋の緒が切れる」とは、もうこれ以上我慢できなくなり怒りが爆発してしまうことを意味します。ただ怒っているだけでなく、許容量を超えることから相当の怒りをを表すときに用いられます。 堪忍袋とは堪忍する度量を袋にたとえていますので実在する袋ではありません。どれだけ腹が立つことがあっても怒りを袋に入れ袋の口を紐で縛ると漏らすことはありませんがさすがに詰め込みすぎると堪忍袋がいっぱいになってしまい縛っていた紐が切れて外に飛び出してしまいます。この紐が緒になります。 使い方としては「同僚の雑な対応についに堪忍袋の緒が切れてしまった。」「父の堪忍袋の緒が切れる前に謝りに行こう」などと言った使い方をします。 私は普段怒りを前に出さない方ですが、同僚が仕事に対して不真面目でその分私に仕事が回ってきてしまうことがよくあり、最終的には堪忍袋の緒が切れてしまい、怒りを外に出してしまったことがありました。堪忍袋の緒が切れてしまうと自分でもよくわからなくなるほど怒りが飛び出してしまい結局同僚もそれから仕事に真面目になりました。 堪忍袋の緒が切れてしまうと周りが見えなくなることもありますので、なるべく緒が切れない程度に堪忍袋に詰めていくようにしましょう。

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威風堂々

【漢字】威風堂々 【読み】いふうどうどう 【意味】態度に威厳があって満ち溢れている様子。 【例文1】我が子の入場姿は威風堂々たるものだった。 【例文2】威風堂々たる新郎スピーチだ。 「威風堂々」というクラシックの名曲があります。 有名な曲で知らない人はほとんどいないかもしれません。 また、BGMなどいろいろな場面でこの曲が使われることがあります。 威風堂々という局名に相応しく、堂々たる雰囲気が曲に表れていると思います。 このように有名なクラシックの音楽は、何かのBGMなどがきっかけで知ることも多いような気がします。 また、クラシック音楽を題材にした、ドラマや映画、またはアニメなどの影響で、興味を持つこともあります。 特に子どもの時にアニメなどを通して、その世界の素晴らしさを知り、将来その道に進む人もいます。 私が知っている人の中でも、その頻度はかなり高いかもしれません。 何かきっかけがなければ、その世界を知ることができませんが、子どもの場合はやはり漫画やアニメかが大きく影響しているようです。 私の場合は学生時代に、友人が好きだった映画を一緒に見に行ったことがきっかけで今の道に進んでいます。 自分の進み道を知る手がかりはどこにあるかわかりません。 その為、興味があることに、とりあえず首を突っ込んでみるのも良いかもしれません。 「威風堂々」という名曲を聴いて、音楽の道を目指す人もきっといると思います。 自分のアンテナにキャッチできるものがあれば、それを大切にしていきたいものです。 まず、威風堂々とは態度や雰囲気に威厳が満ちあふれて立派なさま。周囲を圧するような威厳があって、おかしがたいさま。気勢が非常に盛んな形容。とgoo辞書にあります。 最近威風堂々とした人っていないな?と思います。 態度や雰囲気に威厳が満ち溢れた人なんていませんよ。 でも昭和にはたくさんいた気がします。 それはわたしが子供だったからそう見えただけなのか・・・ 政治家では田中角栄なんかは威風堂々そのものだと思います。今の安倍さんも素晴らしい政治家だけど、威風堂々とは違います。 威風堂々って良くも悪くも雰囲気ですよね。貫禄とかそういうもの、努力してどうこうなるものでもないんでしょうね。 とはいえ、威風堂々が正義かというとそれも違います。 ただ、今の日本にMr.威風堂々がいないというのは今の日本という時代そのものに反映しているような気もします。 角栄がいた頃の日本にはやっぱり勢いがあったのかなと思います。 芸能界では、石原裕次郎さんなんかが威風堂々という表現にふさわしい気がします。 ちょっと体型なんかも影響するのかもしれませんね。 カリスマ性と似ているけど、カリスマ性は痩せ気味の方には感じても威風堂々さは感じません。 今の時代を角栄が目の当たりにしたらどう感じるでしょうね。 威風堂々とした人間には憧れますし、またそういうになれるのが理想的です。 ただ、そのためにはそれなりの実績も必要です。 これといった事をしてないのに大きな顔をしてても空威張りだし、自分では威風堂々としてるつもりでも周りからみると反対に小さく見える可能性もあります。 それだと威厳もないですし、本当に強い人は気持ちに余裕があるので物事にもゆったりと構えてます。 そういったことを考えてみると威風堂々とした人間を目指すのであれば自分で評価するのではなくて、他人から自然にそう思われるのがベストですね。 そしたら、見せかけだけの空威張りをするよりも実績を積む事の方にも目が行くことでしょう。 例えば、オリンピック選手なども素晴らしいですよね。 確かにメダルを取った時も輝いではいますが、その舞台に出場した選手も威風堂々として見えるのです。 その理由は今までにかなりの練習量をこなしてる自信から、後はチャレンジするだけという姿勢がうかがえるからと思います。 結果はどうあれ、その選手の姿は格好いいし多くの人が感想したり、また憧れて自分も同じような目標を持ちたい気持ちにさせるのには納得できます。 威風堂々とした人間になるためには、長い時間をかけて実績を積みそれを他人から認めてもらうことで実現するので自分も少しずつでもそれに近づいていきたいです。

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新進気鋭

【漢字】新進気鋭 【読み】しんしんきえい 【意味】新しい分野で鋭い意気込みがあって将来期待される人。 【例文1】新人の発想は新進気鋭で即戦力になる。 【例文2】新進気鋭の人材を求む。 年齢不問で実はそんなに経験重視でもない私の務める会社の求人には、30代の求職者の方々からの連絡を日々、受け付けています。 求人サイトからの応募となっているため、人事担当や担当部署の事務担当がざっと応募者のレジュメを見て面接に来ていただくか決めるため、ついレジュメの文章力や経歴で書類選考の合格者が大量に発生するのです。 実際に会ってみないと分からないというのがどの求人募集にも言えることかもしれないのですが、小規模で本業の他にweb制作の部署がある程度のわが社では、実際に仕事をしてもらわないと分かりません。 実際の業務がほぼ広告関係の契約をしているクライアントのサイト管理と広告の出稿をしているので、そんなにweb制作の経験が無くても良いというのが、応募しやすい条件になり、かなりレジュメを誇張して記載される方が多いのです。 そのため、経験豊富ではないものの、新進気鋭の新人のような記載が多々見受けられ、面接に来ていただいてもとても好感触なため、入社していただくと、web制作での必須アイテムであるソフトすら、事務員の私達レベルの方ばかり。 最初に会ったときには、芸大出身でデザインを学んでいました、写真関係の勉強をしていた、大手のデザイン会社に勤めていました等、素晴らしい経歴と新進気鋭の新人となりうるような上から目線の発言が目立っていたのに、アイコンひとつ作ってもらえず、画像の加工はうんちくが凄く、とても凝り過ぎるのか、納期に間に合いません。 事務員の雑用を減らすために来てもらいたかったのに、言い訳ばかりがとてもレベルの高い話しをされて、ソフトの操作方法からお伝えしなければならず、担当者以外の仕事は増える一方なので、結局、試用期間以内で彼等から去っていかれます。 キャリアコンサルティングにより素晴らしく精製される彼等のレジュメには、実力以上の記載と、実務経験もないのにデザイン会社に少し他の職種で働いたことがある経験を、いかにもweb制作に携わっていたと思われるような修飾された文面に、また新進気鋭の新人が来るぞという現象が、今日も繰り広げられているのです。 活きが良く若さ溢れる人で、大器であると期待の持てる人を「新進気鋭」と言います。「新進気鋭の若武者」や「新進気鋭の候補者」など、内側から溢れるエネルギーを皆が感じ取り、きっとその人物は将来とんでもない大物に化けると予感させる人を指します。特にスポーツの世界だとそういう存在が常に現れているチームは、常勝思考の強いチームと言えます。有望な若手が毎年出てくれば、それまでチームの主力としてやって来た人達もいつ取って代わられるか判った者ではありませんし、だからこそ抜かされない様に影で努力を怠らず、そんな先輩をいつか追い抜こうと若手も発奮しますから相乗効果は絶大だと思います。切磋琢磨する事はそのままチームの強さとなり、何処までも上を目指す気持ちを持って練習に望むのです。それ程新進気鋭の存在は貴重であり、時にはその存在自身がチームの柱に納まってしまい優勝を狙えるチームへと変貌を遂げる事すらあるのです。嘗ての男子サッカー・アルゼンチン代表のマラドーナ氏然り、プロ野球選手である大谷翔平投手然りと、その存在がチームの顔となり自身の潜在能力を以ってして勝ちを手にするのです。逆に中々そういう存在が現れてくれないチーム或いは団体では、活気も少なくどこかさめざめとした雰囲気が漂います。新進気鋭のとはそんな停滞した空気を変える、ある種の起爆剤にもなってくれるのです。 結婚前までしていた仕事の関係で毎月のように新しいお客様と出会い、それきりの場合もあれば、その後も仕事の関係が続き、それが友人関係に発展する事も多々ありました。普段は知り合い得ないような人たちと知り合う事も多く、それが新鮮で仕事を続ける事が出来たのもあります。ある日仕事で知り合った方は趣味のレベルで旅行先の絵を描いて時々個展を開いてる方でした。私からするとおじいちゃんの年齢で話題も豊富、温和な楽しい方だったので時々個展にもお邪魔していましたが、その方が「新進気鋭の画家の個展に一緒に行きましょう」と言われたので行く事に。新進気鋭の触れ込みにちょっと懸念はあったのですが、行ってみると予想的中で、一言でいうと難解。芸術に答えはないにしても、あまりにも斬新すぎて殴り書きにしか見えない絵を見た時には思わず絶句してしまいました。友人画家さんは、同じアーティストだからなのか、じっくりと見ていましたが、私は10分で無理、すぐに退散したくなってしまいました。新進気鋭というニュアンスには、将来有望という意味合いもあるそうですが、きっと個展を開けるくらいなので、ファンもいるし、才能のあるのでしょうが、私のような素人には本当に難解、それ以来、ちょっと新進気鋭のという言葉には構えてしまうようになりました。

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気を許す

【漢字】気を許す 【読み】きをゆるす 【意味】相手に警戒心がなく信用している。 【例文1】気を許す友達と酒を飲む。 【例文2】地元の友達は気を許す仲間だ。 初対面の人に対しては、誰でも壁を作ります。もし、初対面でもものすごくフレンドリーな人がいたら、それはもともとその人が作る壁がとても低いかとても薄いかのどちらかで、壁がないわけではありません。よく知らない人に、気を許してなんでもさらけ出すというのは怖いことです。特に、異性に対しては簡単に気を許すとトラブルの原因になりかねません。なぜなら、この先どうしたいかという気持ちにずれがある場合が多いからです。 もし、初対面で相手に好意を持った場合、いわゆるひとめぼれをしたとき、どのような行動を起こせばいいでしょうか。気を許しているということを行動や態度で伝えることで、相手に親しみやすさを感じさせることが大切です。その塩梅を間違えると、チャラ男だとか尻軽女と思われて、その後の関係がいいものにはなりにくいので要注意です。気を許していると伝えながらも、相手の気持ちを読むように、出方を見ながら次の行動を考えるのです。少しずつ相手の心に入り込み、距離を縮めていく。この掛け合いが、恋愛に発展する前の楽しみでもあります。 時々、気を許すという行動から簡単に身体を許すという方向に行ってしまう人がいますが、その後大切にしてもらえなくなることがほとんどですから、おすすめできません。許すのはあくまでも「気」だけにしておきましょう。 5年前までラブラドールを長年飼っていましたが、老衰で亡くなって以来犬を飼うのは控えていました。 理由は、別れが辛いという点が1番ですが、子供がどうしても犬を飼いたいというので、実家で生まれた雑種犬の子供を貰い飼うことになりました。 気性が荒いところがある犬だったので、家に来た時はしばらく警戒していて誰にもなつきませんでし。 1ヶ月くらいすると子供や妻と一緒にいる時間が長いこともあり、私以外には気を許すようになりました。 私が家にいても犬は近づいてこないので、私からちょっかいを出すと逃げてしまう状態でした。そんな関係がしばらく続きましたが、私が散歩に連れて行く機会があり子供や妻より長めの散歩をしたら、その日以来気を許すようになりました。 なついてくると可愛さが増すもので、おやつや散歩など色々手をかけていたら、私が自宅にいる間は常に隣の席をキープするようになり、完全に気を許しているようです。 ただ、散歩に行ってくれる人になびく傾向が強く、その日散歩へ行った人の隣にいるようになりました。 思い返すと、以前飼っていたラブラドールも散歩が好きで、散歩へ連れて行く人になついていたので、犬の気を許す基準は散歩の割合が高いのかなと思いました。

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