【漢字】芸は身の仇 【読み】げいはみのあだ 【意味】覚えたての芸に夢中になり本業がおろそかになる。 【例文1】芸は身の仇にならないように習い事と勉学を両立させる。 【例文2】副業を始めて芸は身の仇となる。 【例文3】大学生がバイトばかりしていては芸は身の仇となる。 ゴルフレッスンを受けれる学校が駅前に出来たので仕事帰りに通うようになりました。最初のうちは簡単なスイングをするだけでしたが、何度か通ううちに本格的なスイングになってきました。腰を入れてスイングするので元から弱い腰が腰痛となり、芸は身の仇となりそうなことが何度もありました。休日になるとゴルフ場に出て実際にプレイすることになり、同僚と一緒に車で現地まで行きました。レッスンで習った素振りをすると遠くまで飛ばせるので調子に乗っていたら、まさかの腰痛に見舞われてしまいました。仕方なく途中で帰ることになり、その後病院へ行ったらぎっくり腰と診断されました。レッスンを受けてるときに、姿勢が悪いと腰を痛めるとインストラクターに注意されたのが的中してしまった感じです。土曜日にゴルフ練習場に行ったので日曜日はぎっくり腰を治すのに専念していました。芸は身の仇とはよく言われますが、ゴルフレッスンして調子をこいたために、仕事にも影響を及ぼすことになりました。完治するまでに2週間ほどかかり、その間会社を欠勤したり午後から出勤するなどして芸は身の仇の苦い体験をしました。ゴルフに限らず習い事をするときは、仕事に支障が出ない程度に学ぶことが大切で、芸は身の仇になってからでは元も子もありません。 芸は身の仇ということわざがあります。 趣味として始めたことにのめり込んでしまい、本業がおろそかになってしまう状態を指すのですが、 古代ローマの皇帝にこの言葉がぴったりと当てはまる人物がいます。 第17代皇帝コンモドゥスです。 彼は武術に人並み外れた才能を示し、弓や槍の腕前は闘技場の戦士たちさえ凌いだと言われています。 自らを神ヘラクレスに喩え、闘技場で皇帝自ら獣や剣闘士たちと戦うその姿は、民衆や兵士たちから敬愛されていたとも伝えられています。 一方で皇帝の本業である政務・軍務には無頓着で、他人にすべて任せきり。 いざ権力を発揮したかと思えば、やったことは自分に反対する者たちの殺害。 政治家である元老院議員たちからの評判は散々でした。 結局、彼は皇帝不適格を理由に暗殺されてしまいます。 コンモドゥスの死後、元老院議員たちは「存在していたこと自体がローマの恥」として彼の公式記録をことごとく抹消しています。 彼はなまじ武術に長けていたばかりに、自分の存在価値をすべて武術に置いてしまっていたのでしょう。 俺は武術の達人だ。誰よりも華麗に獣や人間を仕留められるのに、政治家どもはこの俺を認めようとしない。 そんな鬱屈した思いが彼の中にあり、自分が唯一輝ける場所である闘技場通いにますますのめり込んでいったのでしょう。 もし彼に武術の才能がなければ、誰よりも人に褒められたい彼は、皇帝として称賛されるために政治に軍事にと頑張っていたことでしょう。 まさに芸は身の仇の見本のような人物です。 「芸は身の仇」ということわざの意味は、習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえだそうです。 自分が興味を持ったことに夢中になるというのは誰にでもあることですが、たいていの人は三日坊主であったり長続きせずに途中で投げ出したりするということになるのではないでしょうか。 中には、諦めるということに関して不器用な人がいます。 普通ならあまりうまくならないとか、その趣味には時間を取られ過ぎたり、その趣味のためにお金がかかり過ぎたりといったことが原因で、熱も冷めていきます。 病気と同じで免疫が働いてそれ以上自分にとってマイナスとならないように、諦めるという気持ちが働きます。 ところが、諦めるということができない不器用な人も中にはいるのです。 諦めないでいて良かったと言っている人は、結果的に成功している人です。 諦められないからといって誰もが成功するとは限りません。 そんな人にとっては、関わってしまったばっかりに時間やお金が無駄につぎ込まれてしまったりすることになるのでしょう。 これはまさに「芸は身の仇」 芸能人でも、活躍している人はほんの一握りで、その他大勢の人はいつか自分も輝かしい舞台に立ってという諦められない気持ちを抱えているのでしょう。
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