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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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桂馬の高上り

【漢字】桂馬の高上り 【読み】けいまのたかあがり 【意味】 【例文】 将棋をご存知の方には釈迦に説法ですが、桂馬の進み方は左右どちらかの斜め目前に一つ、そして前へ一つ、という少々変則な進み方です。若人よ、「桂馬の高上り」たれ! 将棋をご存知の方には釈迦に説法ですが、桂馬の進み方は左右どちらかの斜め目前に一つ、そして前へ一つ、という少々変則な進み方です。そして進路上の他の駒を飛び越えて進める代わりに、後ろへは下がれません。 この様な桂馬独特の進み方から、桂馬の高上りとは、深慮なく飛び出して失敗する事、実力のない人間が不相応な地位について苦労・失敗する事を表現しています。ですから前向きな諺ではなく猪突猛進や無暗に突出し過ぎる事への戒めで、この手の失敗は元来は若い人に多々あるものではないでしょうか。 しかし昨今の若い人には金銭欲、物欲、出世欲、果ては性欲に至るまでその欲求が少なく、適当に、程ほどに、生きて行くのに必要最低限あればそれで良いとする若者が増えているそうです。 これらの欲望が強いからこそ、若者には桂馬の高上がり的な行動が多かった筈なのです。そしてその事は良い勉強や経験になり、将来への素晴らしい財産となったに違いありません。 その意味では、桂馬の高上りが許される事が若者の特権であり、逆に成長の為には通過するべき道なのではないでしょうか。それでこそ、桂馬の高上りの本当の意味や怖さを知る事が出来るのです。 若人よ、桂馬の高上りに向かってまっしぐらに走りましょう。そうでなければ日本の将来は真っ暗です。

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下馬評

【漢字】下馬評 【読み】げばひょう 【意味】下馬とはその昔、馬から下りる場所を言い、主人の噂話をしながら帰りを待っていた。現在の停車場所みたいなものである。噂話しや意見を言い合うことである。 【例文1】女子が集まると下馬評が始まる。 【例文2】上司の下馬評をネタ話する。 【例文3】近所の奥様方と下馬評で盛り上がる。 今まで何人ものプロ野球のドラフトで上位指名を何人も見てきました。下馬評はプロ野球で即戦力になるなどの高評価を受けていたわけですが、いざ蓋を空けてみると例えばピッチャーならば1勝どころか一軍で一回も投げないままユニホームを脱いだ選手がどれだけいるかわかりません。ある選手はバッターでした契約金一億円で下馬評は抜群に良かったのですが、プロ野球はそんなに甘いものではありません。私自身もこの選手はホームラン40本以上は打つだろうと予測していましたが、結果入団してからは下馬評どおり打ちまくると思っていたのですが、プロ野球のピッチャーは一枚も二枚も上でした。 彼はプロ野球を5年で去って行きました。特別な活躍はしていません。彼は「プロ野球の世界がこんなに厳しいものとは思いませんでした」との言葉を残し引退したのです。下馬評というのは分かりません。ときに下馬評は全くよくなくドラフトでも下位指名ですが、その後は彼の涙を流すくらいの努力でプロの世界で活躍する選手もいます。年俸にしても300万円そこそこから何千万円ももらう選手に成長することもあるのです。プロ野球と言うと所は下剋上の厳しいところです。どんな選手がどんな活躍をするかはわかりません。

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けんもほろろ

【漢字】けんもほろろ 【読み】けんもほろろ 【意味】人の頼み事を断る。 【例文1】友人が多額のお金を借りに来たが、けんもほろろに断る。 【例文2】時と場合にもよりけんもほろろだ。 【例文3】無理なお願いでけんもほろろ。 「けんもほろろ」という言葉は学生時代に経験しました。 私は大学1年生の時に教養学部で授業を受けていて、順調に単位を獲得していました。2年生の前期に入ってから専門学部の授業が4科目あり、その日が火曜日でした。 火曜日はアルバイトをお昼から入れていたこともあり、2科目しか受けることができませんでした。そして前期の試験が終わって、その専門学部の授業のひとつは単位が取れましたが、もう一つは取ることができませんでした。教養学部の単位はすべて取っていたのでその時は進級ができると思っていました。しかし現実は専門学部の4科目のうち、2科目の単位を取得しないと進級ができないという決まりがあったのです。 そして慌てた私は落とした科目の教授の部屋に直談判に行きました。しかしそこでは教授の部屋に入ることすら許されませんでした。進級できないということは1年間の留年を意味します。せっかく大学に浪人せずに入学できたのに、留年すると親からの仕送りもストップする可能性があります。 再度、教授の部屋に行きました。 そして教授は「駄目なものは駄目!」の一言でした。 「けんもほろろ」という言葉を実感した瞬間でした。 今から思えばあのことがあるから、社会で働きだして「けんもほろろ」な出来事に打ち勝つことができたかもしれません。 でも本当は経験したくない言葉ですね。 人から頼みごとをされた際、けんもほろろな態度をとってしまうことも、ときにはあるでしょう。イライラしているときや焦っているときに他人から頼みごとをされても、快く引き受けるのは難しいと思います。 ですが相手の頼みごとを冷たい姿勢で断ると、あとあと冷静になったときに思い返して、相手に悪いことをしたと後悔する人も多いことでしょう。とは言えどんな頼みごとに対しても、いつも快く引き受けた方が良いとは決して思えません。なぜならいつも何でもかんでも頼みごとを引き受けていると、それがストレスとなって、心身に悪影響を及ぼす可能性があるからです。こうなってしまうと、頼みごとを引き受け過ぎた過去の自分を叱咤したくなるかもしれませんし、周りの人だって頼みごとをしすぎてしまったと後悔することになるかもしれません。ですからどうしても無理なときは、たとえ冷たい態度になってしまっても、相手の頼みごとを断る勇気が必要と考えられます。 しかし相手の頼みごとを冷たい態度で断った後は、きちんと相手の気持ちをフォローすることも大事です。でなければ相手との関係が悪くなってしまう恐れがありますからね。頼みごとをしてきた相手に、断った理由を述べて詫びを入れれば、相手も理解してくれるでしょう。

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捲土重来

【漢字】捲土重来 【読み】けんどちょうらい 【意味】土を巻き上げる勢いが再び来るということから、一度は失敗したが、再び巻き返す体制に入る。 【例文1】会社が捲土重来で軌道に乗り出す。 【例文2】捲土重来の見込みがない。 【例文3】二代目が継いで捲土重来。 そもそも「捲土重来」ってなんて読むのでしょう。答えは「けんどちょうらい(またはけんどじゅうらい)」です。これは杜牧という唐の時代の詩人が書いた詩から発生した故事成語です。 「勝敗は兵家も事を期せず、羞(はじ)を包み恥を忍ぶは是れ男児、江東の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し、土を巻き重ねて来たらば未だ知るべからず」。少々長いですが、「戦の勝敗は兵法家であっても完全に予測することは不可能だ。戦闘の末敗れてしまっても、羞恥心を包み隠し堪え忍ぶことが出来るものこそ男の中の男というものだ。江東の若者達はみな才能があるのだから、土埃を上げて闘いに舞い戻れば再び勢いを取り戻して天下分け目の大合戦を繰り広げることが出来ただろうになあ(そうしなかったのは残念だ)」という意味で、かの有名な項羽と劉邦の戦いに思いを馳せた詩になっています。 歴史の中で劉邦に敗れた項羽は敗北により傷付いたプライドを捨てきれず、戦うことを諦めて自害してしまいますが、実際の所その劉邦の方はといえば項羽に打ち負かされてもしぶとく立ち上がって何度も何度も挑戦した末に大勝利を収めているのです。一回の失敗でくじけてしまう武将と、何度失敗してもくじけずに立ち向かう武将であれば後者の方が結果を残すのは当然でしょう。そういった故事から、捲土重来には「一度失敗したものが勢いで盛り返すこと」という意味の成語になりました。 現代人はとかく打たれ弱いと評されることが多い生き物です。我々も、捲土重来、一度の失敗で諦めずに恥を忍んで腕を磨いてさらなる飛躍を目指して生きていきたいものです。

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言質を取る

【漢字】言質を取る 【読み】げんちをとる 【意味】あとで証拠となる言葉。 【例文1】取り立て屋が言質を取って追い込む。 【例文2】タクシーのドライブレコーダーが言質を取る。 【例文3】トラブル回避のため言質を取る。 そもそも「言質」って、どうやって読むかご存じでしょうか。私は学生時代テストで読み方が分からず「げんしつ」と書いてバツをくらったことがありました。正しくは、「げんち」と読みます。 言質とは、後から証拠となる言葉のことで、特に約束を取り付ける時に使われる言葉です。恋人や友人と喧嘩をした時に「あのときああいう風に言ったじゃないか」と相手の過去の発言を引き合いに出して喧嘩を有利に進めた経験は誰にでもあるのではないでしょうか。「言質を取る」とは、まさにそのようにして、物事を交渉する時に後で証拠となるような言葉を相手から引き出すことを意味します。 言質を取ることはよく政治やビジネスの世界で使われますね。うっかり口にしたことを言質に取られてメディアや敵対政党から猛攻撃を受ける政治家などは毎日のように報道番組に登場します。要は、「言葉」の「人質」といったところでしょう。政治家やビジネスマンはうかつなことを言わないように、つまり言質を取られないように慎重に言葉を選びます。ですから、そうした相手から巧みに自分の有利に働く言葉を引き出すためのハウツー本などが数多く売り出されているほどです。 まあ、そこまで大げさにしないまでも、お母さんが子どもに「今、これやったら勉強するって言ったよね?」と言うことも言質を取った内に入りますので、この行動は多かれ少なかれ私たちが日常的に行っていることだと言えるでしょう。後から「あのとき勉強するって言ったじゃん!」と怒ると「言った」「言ってない」の水掛け論になりかねません。先回りして「これから勉強するって言ったんだから必ず実行してね」と先制した方が効果的ですから、世の中のお母さん方には是非試してみていただきたい手法です。

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言語に絶する

【漢字】言語に絶する 【読み】げんごにぜっする 【意味】言葉では言い表せない程の状況。 【例文1】空き巣に金品を盗まれ言語に絶する。 【例文2】災害地は想像よりも遥かに言語に絶する。 【例文3】ストーカーにつけ回され言語に絶する。 大規模な災害や事件はインパクトのある映像をもって言語に絶すると報じられます。 心情に訴えるにあたり、言葉にならないほどのという表現は使われることが多いですが、結局は言葉以外に正確な表現方法はありません。 表情にしろ仕草にしろ見る側の印象にかなり左右されますし、あっさりスルーされてしまうことすら有り得ます。 言葉や活字などの文章にしてしまえば、それは発信者の主張としてそのままの形で正確に残ります。 悪徳商売などをしている業者などが、ことさら文書を残したがないのはこのためでしょう。 百聞は一見にしかずとも言いますが、それをもって映像だけに頼る報道には何も期待できそうにありません。 災害であれば映像が捉えきれるのは極一部の範囲だけで、全体像を把握するには統計的な資料が必要です。 事件であれば原因から始まり状況の経過と関係機関の対応などの情報が事細かに求められます。 映像はとどのつまり、最初の印象付けに留めるだけの役に徹するべきです。 正確な状況を知るためには、分りやすい文言で速やかに伝えられるべきだと思うのですが昨今の報道にはそれがすこし欠けている様に思えます。 視聴率を取りたいのは理解できますが、繰り返し同じ映像を流し続けるのは手抜き言われてもしようがないでしょう。

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牽強付(附)会

【漢字】牽強付(附)会 【読み】けんきょうふかい 【意味】牛にひもを付けて強引に引っ張ることから、自分都合のいいように強引に理屈をつける。 【例文1】彼の牽強付会な言動はいつもの事だ。 【例文2】上司の発言は牽強付会だ。 【例文3】牽強付会な意見に不満を抱く。 牽強付会とは四字熟語の一つです。「けんきょうふかい」と読みます。 「牽強」とは、本来ウシは荷車を運んだり、畑を耕するのが主流でしたが、その役割を果たさず、道端で動かない牛を人間が強引に動かすさまの事をいいます。「付会」とはまとまりのないものを強引に1つにしてしまう事を言うようです。 この4つの文字をもじって「何か都合が悪い時に、むりやりに名目を立てたり、事を収めていく事」を意味します。 例文としては、「今日の会議での君の発言は、少し牽強付会だったと思う」や「あなたの意見は牽強付会だった」としようします。普段聞きなれない言葉なので、調べてみるととても楽しいです。4つの文字から伝わる、歴史的背景や、使い方による言い回し方を考えるのはとても面白いです。特に「牽強」は牛が畑作業をしていた光景を考えると当時の時代を感じさせられます。普段の生活でも話を強引にこじつけて、まとめようとする場合がある時には、この言葉を思い出して使ってみるといいと思います。4字熟語の意味を知りながら使うと言葉が楽しくなるでしょう。 皆様は牽強付会という四字熟語を聞いたことがありますか? 漢検準一級レベルの難読四字熟語ではあるものの、 道理に合わないことを自らの都合の良いように理屈をこじつけるという、意味は至ってシンプルなものです。 似たような意味で我田引水という四字熟語も存在しますが、こちらは自分勝手に利益を得ようというニュアンスが強いため、 政治家などが自身の不祥事を訴求された際に無理がある言い訳を指す際の四字熟語は牽強付会が適していると言えます。 何よりも牽強付会な事案には普段生活する上で大半の皆さんが遭遇しているはずです。 例えば、会社の業績発表に際し不都合なデータは隠蔽していたということが発覚した時に、 記者会見で苦し紛れに責任逃れを繰り返す企業の社長に対してはまさに「牽強付会な社長である」と言えます。 更に身近な例を挙げれば、猫型ロボットが活躍する某人気アニメに出てくるガキ大将が主人公らに対して相手の都合も考えず、 草野球への参加を押しつけるというのは、上記に挙げた不祥事の事案よりもインパクトは弱いですが、れっきとした牽強付会の一例であると言えます。 最後にまとめると、利益を享受するというよりは責任逃れをするために理屈をごたごた並べているという場面にふさわしい四字熟語が牽強付会と言えます。 今後、皆さんが不都合な場面に遭遇した際には、相手が牽強付会を押しつけてきてはいないか疑ってみるのはいかがでしょうか? 「牽強付会(牽強附会とも書く)」は「けんきょうふかい」と読み、自分にとって都合がいいように無理やり理屈をこじつけることを意味します。 牽強附会の牽は、牽引の牽でもあり、「ひっぱる」という意味があります。そこから、「牽強」は強く無理に引っ張ること、つまり道理に合わないことを無理矢理ねじまげることを意味するようになりました。 用例ですが、意味からも取って分かる通り、ネガティブな意味、または謙遜する場面で使われることが多いようです。「牽強付会のようで恐縮だが…」「推理が全体的に牽強付会であるのはいただけないが…」「こんな解釈は牽強付会と言っていいだろう」「それにしても今回の案ほど牽強付会なものは今まで見たことがない」といった具合です。もし相手の言っていることが屁理屈だな、こじつけに過ぎないな、と感じた時には、「牽強付会な意見だな」と言うことができますし、逆に相手の意見に角を立てないよう違う解釈を提案したい時には「牽強付会かもしれませんが、手前はこう考えておりまして…」と切り出すのもいいかもしれません。フォーマルな文書で使用すると文章のレベルが上がって見えるかもしれませんね。 ただ、あまり相手をけなす意味でこの言葉を使うと印象が悪くなってしまい、逆に「そういう貴方の方が牽強付会だ!」と思われてしまうかもしれません。使用する時と場合はしっかり見極めて行きたいものです。

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喧嘩両成敗

【漢字】喧嘩両成敗 【読み】けんかりょうせいばい 【意味】理由に関係なく、喧嘩した両者に罰を与える。 【例文1】先に手を出したのはあいつだ。喧嘩両成敗は納得いかない。 【例文2】殴り合いに喧嘩両成敗は通用しない。 【例文3】酒に酔って喧嘩両成敗の扱いを受ける。 ある日居酒屋で、私は一人お酒を飲んでいました。 すると隣りの席の酔っ払いが私に目を付け絡んできました。 私は一人静かにお酒を飲みたかったので、無視していました。 それも気に入らなかったらしく、「何シカトしてんだよっ」と強い口調で怒鳴ったのです。 私はそれでも関わりたくなかったので、他の空いている席に移動しました。 するとこの酔っ払いが付いて来て、私のテーブルをドンドンたたき始めました。 私は店を出ようと思い、「逃げるのか?」と酔っ払いが腕を掴んできました。振り払ったところ酔っ払いがよろめいて倒れました。酔っ払いはますます怒りだし「痛い傷害罪だ警察を呼べ!」とまで叫ぶ始末です。 スタッフも警察を呼ばざるを得ない状況になり、数分後、到着した警察に事情を聞かれました。 運が悪い事に警察を呼ばれてしまい、私は事情を聞かれる事になりました。 スタッフや周囲の客の証言もあり、故意ではなかったことが分かり厳重注意で済みました。 喧嘩両成敗とは言いますが、納得がいきませんでその晩はイライラが収まりませんでした。

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犬猿の仲

【漢字】犬猿の仲 【読み】けんえんのなか 【意味】犬と猿のように非常に仲が悪いこと。 【例文1】あの2人は犬猿の仲だから、同じグループにしたらまとまらないよ。 【例文2】気の強い者同士で犬猿の仲だ。 【例文3】昔から犬猿の仲だ。 「地震雷火事兄ちゃん」私の幼い頃の名言です。 私には5つ離れた兄がおり、その事を伝えると「さぞかしお兄ちゃんに可愛がってもらったでしょ」と言われる事があります。 私と兄は幼い頃から真逆の性格でした。インドアで秀才、人と関わるより漫画やゲームが好きな兄と、アウトドアで運動大好き、勉強そこそこの妹。 兄はいつも私の思考・行動に納得がいかない様子で、喧嘩にならないくらい仲が悪く、絵に描いたような犬猿の仲でした。 兄に睨みつけられるのが怖く、冷蔵庫に置いてあった兄のコカコーラをこっそり飲んだことがバレてしまった日にはこの世が終わるかと思いました。 そんな犬猿の仲だった兄妹も兄は34才、私は29才となり、偶然にも今年お互い入籍をしました。 離れて暮らしている為顔をあわせるのは年に1、2回ですが、大人になった今家族で昔を振り返ると犬猿の仲エピソードさえ懐かしく感じます。 兄の言い分は二つ。「俺が厳しかったからお前はハートが強く社会に通用する人間になれたのだ」「5才になって母に甘えたい時期に妹が出来てお母さんを取られた気分になり意地悪になってしまったのがきっかけだ(と思う・・・)」 確かに、兄にチヤホヤされることなく生きてきた為、”女性だからニコニコしてたら許される”という考えには至らず、少々嫌なことがあっても兄の恐怖からするとへっちゃらでした。 30才近くなり、妻になった私。今振り返ると兄との犬猿の仲だった幼い頃の関係性が今日の私を形成しているのだと思うとちょっとだけ、感謝の念が湧いてきます。 私も周りでも犬猿の仲のような人がいます。 一見、まったく違う性格のように見えるのですが、実は共通する点がたくさんあるように思います。 社内食堂でいつも一緒にお昼ご飯を食べる仲間が3人います。私を除いて2人が犬猿の仲で口を開けば喧嘩になってきます。彼女らは仕事はできるのですが、お嬢様育ちゆえに一般人の常識が理解しがたいようです。どちらも負けず嫌いで一人っ子です。家庭で大事に育てられ、争う相手もいないので常に自分が一番だと思っています。普段言い合いにならなければ趣味が3人同じなので楽しく過ごせているのですが、ひとたまずれが生じると2人言い合いをします。 これを止めるのが私の役目です。 私が止めに入らなかったらこの二人どうなるんだろ?と思うことがあります。 社会人になっても犬猿の仲というのは、存在するわけですが、 年を取るとともに、人はこんなことで言い合いになるのかと反省することもあります。一度相手の立場になって物を言うことをこの二人には言っています。そして相手の言い分をよく聞くことができれば犬猿の仲にならずに済むと思います。 うちの母方の祖父母は田舎というか山で生活をしている人で、もう高齢になりますがまだまだ元気。そんな二人を支えているのが犬達の存在です。三匹ほど飼っているのですが、荷物を運んだりと祖父母のお手伝いもしてくれているみたい。私達もそこまでしょっちゅうは行けませんので、ありがたい存在です。 面白いのが、山に住んでいる猿達との関係性ですね。どうも猿の家族が住んでいるらしく、度々祖父母の家へとやってきます。野菜くずなどを置いておくとそれを持って行くそうで。よく、餌付けをすると人を襲うようになると言いますが、野菜くず以外の物を持っていこうとすると犬が吠えるんです。そのため、猿もそれを理解して野菜くずだけを持って行くようになりました。 このように、最初はちょっとギスギスした関係でしたが数年経ってとても仲良しに。同じ場所で一緒に遊んでいる光景を目にしたこともあります。最近は置いておいた野菜くずを少し山寄りのところまで犬が運んで取りやすいようにしてあげたりと、本当にご近所さんのようなお付き合いが続いています。特に子どもの頃から犬に慣れている猿は家の方まで普通に入ってきたりと、かなり人にも慣れています。なかなか珍しい光景ではあるのですが、犬猿の仲というのは元々猟でのことが語源になっているわけですから日常生活ではこうやって仲良くなれるのでしょうね。

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けりを付ける

【漢字】けりを付ける 【読み】けりをつける 【意味】ようやくもめ事に決着が付く。 【例文1】離婚問題にけりを付ける。 【例文2】未解決事件にけりを付ける。 【例文3】財産分与にけりを付ける。 言うまでもありませんが、けりを付けるの「けり」は「蹴り」ではありません。 これは古文の助動詞「けり」で、短歌や和歌の結びに使われることが多かったため、決着がつく・解決するという意味になるのです。 大体にして蹴り飛ばして解決するような物事などほとんどありません。 蹴り飛ばして一時的に遠ざけたとして、問題は依然として解決することなく残り続けます。 下手をすれば蹴り付けたこと自体が新たに問題になる可能性すらあるくらいです。 キック一発で全てが解決するなどサッカーぐらいしか思いつきませんが、それとて失敗シーンのほうが連発されています。 バスケットボールと比較しみれば蹴りで得点しづらいことはよく分かるでしょう。 ゴールポストが大きいにも拘らず得点が少ないサッカーに対して、プロのバスケットボールはシュートが外れる方が少ないくらいです。 足は手よりも力は強いですが、それほど器用に物事を処理できるものではないということです。 大雑把な力任せの解決方法では問題が綺麗に片付くことなどありません。 鶴の一声で問題を封じて見せても全員が納得する至らなければ後の禍根になることすらあります。 一撃の下に問題が片付いたように見えても、細かい後片付けに苦労している誰かがいるのば何時の世にも言えることです。 「けりを付ける」(けりをつける)の意味はどの方も知っていらっしゃいますよね。容易では無かった物事に対して結論を出して終わりにするという意味です。同義語として、「終止符を打つ」(しゅうしふをうつ)や「幕を引く」(まくをひく)があります。しかし、意味を知っている方は多いですが、語源や由来までは知っている方はあまりいらっしゃらないかもしれません。「けりを付ける」の語源や由来は、和歌や俳句などの古典文章から来ています。和歌や俳句は文末に助動詞の「けり」を付け、過去「~だった」というようにすることが多く、けりを付けるということは結末を迎えるということから、物事に対して結論を出して終わりにするという意味の「けりを付ける」が使われ始めました。「けりを付ける」の語源や由来を知らなかった方は多かったのではないでしょうか。慣用句やことわざのような言葉の語源や由来は面白いものが多いですよね。普段使っている慣用句やことわざの語源や由来について調べてみることも楽しいかもしれませんね。「けりを付ける」といえば、長い間片付かない問題や長年抱え込んでいる不安など沢山ある方が多いと思いますが、少しでも早くけりを付けたいものですね。 「けりを付ける」の「けり」とは和歌や語り物が助動詞ケリで終わることが多いことから、「物事の終わり、結末」をあらわす言葉です。ですから「けりを付ける」は「結着をつける、終結させる」という意味です。そう言われてみれば、伊勢物語も「昔、男ありけり」で始まる物語が多く、この助動詞「けり」が効果的に多用されることで、場面の緊迫感や喪失感などを演出していますね。伊勢物語はその作者すらはっきりしないという物語です。在原業平をモデルにした男の一代記であり、和歌が随所に出てくる歌物語とも評されていて、高校生の古典の教科書には必ずといっていいほど取り上げられている作品です。作者は在原業平だという説、業平の作に次男滋春が加筆したものという説、業平の作に、女流歌人の伊勢が補筆したという説、紀貫之の作という説まで多種あり、これだという根拠がないために未詳ということで通っています。「誰かタイムマシンで誰が書いているか見てきて欲しい」と夢想するほど、この物語は魅力的です。内容的には男女間の恋愛小説なのですが、一流歌人がモデルだけあって、みやびな世界が繰り広げられていて、高校の教科書で出会って終わりというには、惜しい。大人になってからのほうが楽しめる物語ですが、内容が宮廷の恋愛物という性質上、隠れてこっそり楽しむのが、平安時代から受け継がれた伊勢物語の正当な楽しみ方だと思う今日この頃です。

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煙に巻く

【漢字】煙に巻く 【読み】けむにまく 【意味】相手の質問などうまくかわしたり、曖昧にごまかす。 【例文1】セールスマンがしつこかったので、嘘ついて煙に巻いて逃げる。 【例文2】スキャンダル報道人を煙に巻く。 【例文3】パパラッチを煙に巻く。 とんでもなく女の子からモテるけれども、誰とも付き合っていない後輩がいます。当たり前のように校内で月に2回以上は告白をされるのですが、女の子同士でそれをきっかけにケンカが発生したことも一度や二度ではありません。ところが、そのたびに彼は女の子を煙に巻くというか、いつの間にか女の子同士まで友達にして、みんなで仲良く遊びに行くのです。 一度どうしてそんなにうまく女の子を納得させられるのか聞いて見たことがあります。すると、彼は「みんなで遊んでる方が楽しくない?って言ってる」と言いました。 彼は、女の子同士のいざこざが発生すると、その翌日双方の女の子に話をしに行きます。双方の女の子に、はっきり「あなたと付き合うことはできない」と伝えるのですが、その直後に「でも一緒に遊びたいとは思う」「お菓子を食べたり、おしゃべりしたり、楽しく過ごした方がいい」と力説し、いつの間にか論点を「ケンカせず、女の子同士で楽しく遊ぶための方法論」にすりかえるのです。そして当事者両方と友達として仲良くなり、自分はいつの間にか恋愛対象から外れてしまいます。煙に巻かれるってこんな感じなのかなと、見ていて思います。

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月下氷人

【漢字】月下氷人 【読み】げっかひょうじん 【意味】結婚の仲立ちをする人。媒酌人。 【例文1】近年、結婚式は月下氷人を立てないスタイルだ。 【例文2】今どき、月下氷人は要らない。 【例文3】月下氷人を立てない略式が主流。 「月下氷人」とは二つの故事が重なってできた言葉です。その元の故事「月下老人」と「氷人」について説明します。「月下老人」は「続幽怪録」に載っている話で、「唐のイゴが月夜に出会った老人から将来の妻について予言され、その通りの人が妻になる」という故事です。「氷人」は「晋書芸術伝」に載っている話で「氷の上に立って氷の下に現れた人と話をしたというコサクの夢を占った晋のタンサクが氷が解けるころに媒酌があると解き、その通りになった」という故事です。そのどちらもが男女の仲を取り持つ人をあらわしているので、「月下氷人」と一緒に括られても「男女の仲を取り持つ人、仲人」という意味で使われています。 近年は見合い結婚が減り、結婚に関する儀式も簡略化されて、結納を身内だけで簡単に済ませることも増えてきました。結納という儀式がなければその場を取り仕切る、媒酌人の仲人が必要なくなります。ひと昔、ふた昔前は「夫婦も人様の仲人をやって一人前」と言われたとのに、などと話しても今の若者にはピンときませんよね。

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下駄を預ける

【漢字】下駄を預ける 【読み】げたをあずける 【意味】下駄を預けると動けなくなることから、相手に物事の処理や責任を任せるという意味。 【例文1】下駄を預けたばかりに、行き違いが生じた。 【例文2】この企画は君に下駄を預けた。 【例文3】部下に下駄を預ける。 履物を預けてしまったら何処へも行くことができなくなるので、下駄を預けるとは処理方法や責任も含めて仕事を完全に任せるという意味です。 下駄を預けられた方は、独自の裁量で仕事が出来ると同時に、責任など後の始末までも見る必要があります。 丸投げのようにも受け取られそうですが、大抵の場合は下駄を預ける相手は上司であったり上部組織なので適当な扱いはされないはずです。 適当な扱いはされないはずですが、絶対に大丈夫とは限りません。 扱いが面倒で処遇に困る案件だからこそ預けられる場合があるからです。 人事異動、配置換え、リストラなどがその代表格で、反論が許されない権力者からの処断が下されることになるでしょう。 リストラ対象者からすれば、自分の処遇についての下駄が預けられたことで梯子をはずされた絶望感はより深まりそうです。 下駄を預けられた人が情に厚く慈悲深ければ一縷の望みはありますが、機械的に即断即決の情け容赦の無い人では期待は無いです。 人によっては預けられた下駄で好き勝手に歩き回った挙句に下駄キックまで飛び出しそうです。 下駄を預けるの逆の使い方として、会社に下駄を預けるという使い方をする人もいます。 この場合、預けられた下駄が返却されるとは思えません。 使えなくなるまで管理され、不要になったとたんに放り投げられそうです。 下駄を預けるというともう私は決めれないので、一任しますからどうぞ宜しくお願いします。のような一任したほうが楽になるから任せてしまおうと安易さも入った軽い意味合いだと思っていました。語源は、履いている下駄を預けるのですから、自分の行動や意思までも封じることだと知った時にどう思いますか。どんなに自分に不利、不利益なことがあったとしてもその決定に逆らうことが出来ない状況というのは耐えられないの一言です。自分で苦しみながらでも考えて導き出した決断なら後悔もないと思うのですが、他人に身動きできない状態をあえて自ら預けるなんて、それも信頼できる相手とは限らないのですから。昔は他人に対する信頼度が高かったから生まれたのか、階級格差が大きかったことから有無を言わさずなのか分かりませんが。それと、他人との心の距離がより近かったせいもあったのでしょうか。現代で下駄を預けるなんてどんな場面でもしたくないです。知識があり地位が高い人であったとしても、上下関係の立場にあったとしても、反映されるされないに係わらず自分の意見や思いを述べてからの一任にしたいものです。精神世界を覗いてみたい思いから江戸時代にタイムワープして、どんな場面で下駄を預けるをしていたのか見てみたいと思うのでした。

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檄を飛ばす

【漢字】檄を飛ばす 【読み】げきをとばす 【意味】活気づけの言葉に多用されがちだが、本来の意味は自分の主張を多くの人に知らせて、同意を求める意味。 【例文1】檄を飛ばして権利を得る。 【例文2】強引に住民の檄を飛ばす。 【例文3】地位を利用して檄を飛ばす。 昔々、木札に文字を書いていた時代に出来た言葉です。 細長い木の板に文字を書き、紐で板の両端同士をつなげて長文が書けるようにします。 木で出来た巻物のようなものですが、紙がなかった時代にはこれが一般的だったようです。 「檄を飛ばす」の「檄」も、部首の木編が示すとおり木で出来た文書です。 自分の主張を檄に記して広く兵を募ったり地方の領主の賛同を求める行動が、この言い回しの語源です。 野次を飛ばすという言葉に呼応してか、応援で憤激させる意味で使ってしまう人も多く存在します。 檄という文字が一般的でない上に、さんずいと木編が違うだけで字も似ているのでこのような誤用が広まったのでしょう。 とりあえず強く激しく自分の主張を伝え奮起を促すという点だけをみれば大きな違いはないとも言えます。 檄どころか手紙すら廃れてきた現代においては、メールの一斉送信で情報伝達は済んでしまいます。 必要なのはいつの時代であっても情報の中身です。 受け取る側の情に訴え、利を説き、多くの賛同を一時でも得るのは至難の業です。 メールであれば件名を見た瞬間に削除される運命が決定付けられるものすらあります。 それどころか広告・迷惑メール扱いでゴミ箱一直線まで有り得ます。 メールを使って檄文を飛ばしても、面識のない相手に主文が読まれることは結構難易度が高そうです。 地道に人間関係を前もって築くことの大切さは、問題に直面して気がつくことが多いのは何とも泥縄なことです。

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逆鱗に触れる

【漢字】逆鱗に触れる 【読み】げきりんにふれる 【意味】龍のあごの下には逆さにはえた鱗があり、それを人が触れると激しく怒り、殺してしまうという伝説から、年長者からひどく怒られること。 【例文1】部活をサボって監督の逆鱗に触れる。 【例文2】連絡もしないで深夜帰宅して嫁の逆鱗に触れる。 【例文3】大御所に失言を発して逆鱗に触れる。 語源は、龍のあごの下に一枚だけ逆さに生えているうろこを逆鱗と呼び、通常は人に危害を加えない龍も、このうろこに触れられると一変、激高して、触れたものを殺してしまう、という故事に基づいたものです。 転じて、目上の人物に対して、ある出来事がきっかけで激しい怒りを買う行為をさすようになります。目下の人に対しては使いません。 人の性格は、もともと怒りっぽい人や穏やかな人など様々で、怒りの沸点も人それぞれです。その人にとって、何が逆鱗なのか、過去の経験や情報からしかわかりません。大事な交渉事を行う場合、事前にリサーチする場合もあるでしょう。 特に、相手が非常に強い立場の人で、大事な商談が成立するかどうかは、その人の決断ひとつにかかっている、などの緊迫した場合は、逆鱗に触れることは絶対に回避しなければなりません。事前に情報が皆無の場合は、至難の業です。 その逆鱗が、人によっては傍からみれば、例えば背が低いことを気にしているとか、髪の毛が薄いとか、家族のことであるとか、他愛もないことであったりするのです。 ただ、先程述べたように怒りの沸点は、個人個人で違うので、何故そんなことで怒るのか?と理解できない場合でも、逆鱗に触れないようにうまく避けていかなければならないのです。 「逆鱗に触れる」怖そうな言葉ですが逆鱗とは伝説上の神獣・龍の全身には81枚の鱗があるとされ鱗のうち顎の下に1枚だけ逆さに生える鱗のことです。龍は普段はおとなしく人に危害を加えることはないのですが逆鱗に触れられると激しく怒り逆鱗に触れた者はその場で殺されるといわれていたため逆鱗は触れてはならない物を表す言葉になりました。「逆鱗に触れる」とは触れてはならない物に触れて怒りを買うことを意味します。また中国では龍は皇帝の象徴として用いられていたことから皇帝の怒りを買うような行為を指して「逆鱗に触れる」と言われるようになりました。「逆鱗に触れる」という表現は中国の思想家・韓非は「韓非子」の中に登場し皇帝にも龍の逆鱗のように触れられたくない事柄がありそこに触れてしまうと激しい怒りを買うと説いています。現代には皇帝はいないので皇帝が目上の人という意味に転じ目上の人を激しく怒らせるという意味で使われます。同僚や部下・後輩または友人の怒りを買ったときに「逆鱗に触れる」を使うのは間違った使い方で「逆鱗に触れる」とはあくまで目上の人のを怒らせたときに使います。また「癇に障る」と混同されている場合もありますが「癇に障る」は神経を逆なでしていら立たせる、気に入らなくて腹立たしく思うことです。「逆鱗に触れる」は自分が目上の人を怒らせてしまう行為で「癇に障る」は相手が自分をいら立たす行為のことです。

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怪我の功名

【漢字】怪我の功名 【読み】けがのこうみょう 【意味】失敗や間違いが意外にも良い結果になる。 【例文1】彼氏にフラれて落ち込んだけど、もっと良い人に巡り会えて怪我の功名に感謝。 【例文2】バイク事故で入院して素敵な看護師と出会った。まさに怪我の功名だ。 【例文3】クレーム品は品質改良の怪我の功名だ。 怪我の功名という言葉の意味は、間違えてやったことが結果的には期待していた成果、もしくは期待以上のものが産出されることを言います。 ただ、この怪我の功名については、リスクを伴うものであるという事を考えねばなりません。 たとえば、株式投資のオンライン取引です。 私の実例を挙げてみます。 本来投資する会社に対して、誤った同業他社へ投資をしてしまったことがあります。 その誤った投資により、案の定、株価が下がってしまい、投資の損益がマイナスになりました。 しかしながら、本来投資予定だった会社もさらに株価が下がる事態に陥っていました。 つまり、本来投資予定の会社の株式を購入していた場合、大暴落により、大変なマイナス幅の損益になっていたことがわかり、冷や汗がでました。 このように、怪我の功名という事柄は、リスクが付き物であることや、誤った対応によって結果が悪くなる事は多々あります。 よく武勇伝という形で、怪我の功名を語る方がいらっしゃいます。 怪我の功名は決して自慢できるものではありません。 仮に怪我の功名とならない場合にどうしようとしていたのか、例えばそれが企業のトップであった場合にどのように責任を取ろうとしていたのかを知っておきたいですね。 怪我の功名とは、失敗や過失、災難などなにげなくしたことが偶然にも良い結果をもたらすことのたとえとされています。 「怪我」は不測の結果、過ち「功名」は手柄を立てて名をあげることからこういうことわざができたと言われています。昔は「怪我の高名」と書かれていました。 災難からの成功というと、「不幸中の幸い」ということわざとも思い浮かべます。ではどう違うのかですが、 不幸中の幸いは不幸な出来事の中でせめてもの救いとなったこと。とされています。 つまり「怪我の功名」は例文として、「飛行機が遅れたおかげで空港であの有名人と会うことができた。まさに怪我の功名である。」や「あの娘に振られちゃったけど、こんな素敵な人に出会うことができた。怪我の功名だね。」というように、簡単にいうと災難はあったけど、良いことがあったね、よかった。という意味です。 それに対し「不幸中の幸い」の例文は、「あの大事故の中、死者が出なかったことが不幸中の幸いだよ。」などと出来ればない方が良かったけど、まだマシだね。という意味です。 こうやって似たようなことわざも全く違うんですね。 間違えて使うと全然違ってきますので、しっかり覚えておかないといけないですね。

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芸は身を助ける

【漢字】芸は身を助ける 【読み】げいはみをたすける 【意味】身に付けた知識や芸が生活に困った時の収入源になること。 【例文1】小学生の頃から10年間ピアノを習っていた。結婚して専業主婦になっていたが、ピアノ教室を開いて芸は身を助ける。 【例文2】習い事を多くしていたためあらゆる場で芸は身を助ける。 子どもの頃からさまざまな習い事をさせられる人がいます。 裕福な家庭に生まれた子どもなどは、幼いころからいろいろな習い事をさせられたりなんかしてもう大変です。 ただこの習い事と言われるものはただ闇雲に取り組ませているわけではなく、幼い頃からいろいろな経験を積ませることで将来に役立てているのではとも思います。 代々お金持ちの家柄の人は、今後も一族の繁栄が続いていくために、お金に困らないようなノウハウを持っていると言います。 習い事をさせるというのは教育におけるそのノウハウのひとつなのではないかと感じました。 「芸は身を助ける」という言葉のとおり、幼い頃に培った経験や特技は直接役に立たないとしても、どこかで役に立つ可能性もあります。 たとえばスイミングにしても幼い頃に泳ぎ方を教わっていると、その後何年経っても泳ぎ方を忘れることはありません。 もしも水難事故に遭遇した際に、泳げるか泳げないかの違いは生存率に大きくかかわってくるはずです。 お金持ちの家柄の人間は、若いうちから怒られたり、努力をした方がその後の人生においてプラスになるということ、またそれがさまざまな可能性に繋がるということを脈々と語り継がれる伝統を通じて自然と理解しているようにも感じられました。 私は幼少期の頃から芸は身を助けると祖母に言われて育ちました。 そして様々な習い事にもチャレンジし中でも日本舞踊と声楽は10年近く習っていました。 この2つの習い事には発表会やお披露目の場が多く与えられた事もあり昔から人前に出る事が苦じゃありませんでした。 お陰様でその経験は大人になってからも活かされる場面が多くありました。 例えば面接などでも自信を持って人とお話しする事が出来たり声楽で鍛えた声を武器に社会人になってからスピーチや声を活かすお仕事に就く事が出来ました。 昔は芸は身を助けると祖母に言われてもピンとこなかったけれど大人になった今となっては将来に役立つ習い事や芸を身につけておいて良かったなと心から感謝しています。 人にはそれぞれに得意分野がある為に一概にはどの習い事がいいとは言い切れませんが幼少期の習い事はいつかきっと役立つ日がやって来ます。 もし将来、我が子に何か習い事をさせる時には英才教育の一環で始めた事だったとしても、もし本人にとってそれが夢中になれる事であったら嬉しい事だなと思います。 そして大人になってからだってまだまだ芸は磨けたり身につける事は出来ます。 私は大人になってからも声楽の延長でボイストレーニングを習うようになりました。 これも芸は身を助けるを信じて始めた習い事の1つです。 芸は身を助けるという意味を辞書で調べてみますと、道楽で覚えた芸が落ちぶれた時などに、生計を立てるのに役立つという意味です。 これは現代において良くあるパターンがあります。 例えば、企業からのリストラにより、生計が立てられずに困っている中で、自分の趣味や芸によってやがて本業になり、生計を立てられるようになるという、一瞬の感動秘話もあったりします。 私はまだリストラの経験はありませんが、年齢が進むにつれ、また経済の状態が悪化することにより、リストラの可能性がないとはいえません。ただ、会社を辞めざるを得ない場合、辞めた後の生計をどのように立てるべきかについては、まだ考えたことがありません。 やはり仕事に没頭するだけではなく、自分の趣味や興味、関心があれば、それにチャレンジして、身につけていくような試みが必要かもしれません。 例えば、あるとすれば、カメラです。 SNSへの写真投稿も始めていますが、他の方の素晴らしい写真を観ると、まだまだ未熟さを感じますそ、少し腕を磨いていきたいとも思っています。 カメラに興味があると、身の回りの小さな出来事にも自然と反応できるようになります。 芸は身を助けるという状況にはなりたくはありませんが、不測の事態に備える必要も現代にはあるかもしれません。

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芸は身の仇

【漢字】芸は身の仇 【読み】げいはみのあだ 【意味】覚えたての芸に夢中になり本業がおろそかになる。 【例文1】芸は身の仇にならないように習い事と勉学を両立させる。 【例文2】副業を始めて芸は身の仇となる。 【例文3】大学生がバイトばかりしていては芸は身の仇となる。 ゴルフレッスンを受けれる学校が駅前に出来たので仕事帰りに通うようになりました。最初のうちは簡単なスイングをするだけでしたが、何度か通ううちに本格的なスイングになってきました。腰を入れてスイングするので元から弱い腰が腰痛となり、芸は身の仇となりそうなことが何度もありました。休日になるとゴルフ場に出て実際にプレイすることになり、同僚と一緒に車で現地まで行きました。レッスンで習った素振りをすると遠くまで飛ばせるので調子に乗っていたら、まさかの腰痛に見舞われてしまいました。仕方なく途中で帰ることになり、その後病院へ行ったらぎっくり腰と診断されました。レッスンを受けてるときに、姿勢が悪いと腰を痛めるとインストラクターに注意されたのが的中してしまった感じです。土曜日にゴルフ練習場に行ったので日曜日はぎっくり腰を治すのに専念していました。芸は身の仇とはよく言われますが、ゴルフレッスンして調子をこいたために、仕事にも影響を及ぼすことになりました。完治するまでに2週間ほどかかり、その間会社を欠勤したり午後から出勤するなどして芸は身の仇の苦い体験をしました。ゴルフに限らず習い事をするときは、仕事に支障が出ない程度に学ぶことが大切で、芸は身の仇になってからでは元も子もありません。 芸は身の仇ということわざがあります。 趣味として始めたことにのめり込んでしまい、本業がおろそかになってしまう状態を指すのですが、 古代ローマの皇帝にこの言葉がぴったりと当てはまる人物がいます。 第17代皇帝コンモドゥスです。 彼は武術に人並み外れた才能を示し、弓や槍の腕前は闘技場の戦士たちさえ凌いだと言われています。 自らを神ヘラクレスに喩え、闘技場で皇帝自ら獣や剣闘士たちと戦うその姿は、民衆や兵士たちから敬愛されていたとも伝えられています。 一方で皇帝の本業である政務・軍務には無頓着で、他人にすべて任せきり。 いざ権力を発揮したかと思えば、やったことは自分に反対する者たちの殺害。 政治家である元老院議員たちからの評判は散々でした。 結局、彼は皇帝不適格を理由に暗殺されてしまいます。 コンモドゥスの死後、元老院議員たちは「存在していたこと自体がローマの恥」として彼の公式記録をことごとく抹消しています。 彼はなまじ武術に長けていたばかりに、自分の存在価値をすべて武術に置いてしまっていたのでしょう。 俺は武術の達人だ。誰よりも華麗に獣や人間を仕留められるのに、政治家どもはこの俺を認めようとしない。 そんな鬱屈した思いが彼の中にあり、自分が唯一輝ける場所である闘技場通いにますますのめり込んでいったのでしょう。 もし彼に武術の才能がなければ、誰よりも人に褒められたい彼は、皇帝として称賛されるために政治に軍事にと頑張っていたことでしょう。 まさに芸は身の仇の見本のような人物です。 「芸は身の仇」ということわざの意味は、習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえだそうです。 自分が興味を持ったことに夢中になるというのは誰にでもあることですが、たいていの人は三日坊主であったり長続きせずに途中で投げ出したりするということになるのではないでしょうか。 中には、諦めるということに関して不器用な人がいます。 普通ならあまりうまくならないとか、その趣味には時間を取られ過ぎたり、その趣味のためにお金がかかり過ぎたりといったことが原因で、熱も冷めていきます。 病気と同じで免疫が働いてそれ以上自分にとってマイナスとならないように、諦めるという気持ちが働きます。 ところが、諦めるということができない不器用な人も中にはいるのです。 諦めないでいて良かったと言っている人は、結果的に成功している人です。 諦められないからといって誰もが成功するとは限りません。 そんな人にとっては、関わってしまったばっかりに時間やお金が無駄につぎ込まれてしまったりすることになるのでしょう。 これはまさに「芸は身の仇」 芸能人でも、活躍している人はほんの一握りで、その他大勢の人はいつか自分も輝かしい舞台に立ってという諦められない気持ちを抱えているのでしょう。

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敬して遠ざける

【漢字】敬して遠ざける 【読み】けいしてとおざける 【意味】尊敬しているような態度はとるが、実は疎ましく遠ざかりたい気持ちをいう。 【例文1】課長はいつも自慢話しかしないので敬して遠ざける。 【例文2】上司の孫の自慢話に敬して遠ざける。 【例文3】そうですねと軽く敬して遠ざける。 敬して遠ざける、とは本来は読んで字の如し、尊敬してなれなれしくしないという意味で使われていたようですが、現在ではもっぱら、「表面上は尊敬しているふりをしながら、内心では疎ましく思っていて遠ざける」こととして使うようです。「敬遠」は同義語になります。 この、敬して遠ざける。私は多用しているほうだと思います。どのような人を敬して遠ざけるか、そこに共通点を発見しました。 まず、自分語りが多い人。特に自分の信条やあらゆる物事に自分なりの見解を示すのが好きな人は、敬して遠ざけずにはおれません。正直、煙たい存在です。立派そうなことを言うのが好きなタイプでもあるので、こちらとしても実に自然に敬意は表せるのですが、敬意を見せてきた相手を近くに置きたがる人もこのタイプには多く、「遠ざける」がスムーズにいかない場合もよくあります。 もう一つは、徹底的に自分をいじらせない人。プライドの高さがありありと見える人です。どんなにツッコミどころがあろうとも、本気で怒ってきそうで怖いのでいじれません。とにかく疲れます。このタイプはこれと言って尊敬すべきところがなくても、「あなたはちゃんとした人だから」「真面目だね」などと言って敬して遠ざけています。

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鶏口となるも牛後となるなかれ

【漢字】鶏口となるも牛後となるなかれ 【読み】けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ 【意味】大きい団体の下で使われるより小さい団体で1番になるのがいい。 【例文1】35歳で鶏口となるも牛後となるなかれという転職の決断をした。 【例文2】人付き合いが出来ないので鶏口となるも牛後となるなかれ。 【例文3】就職先は鶏口となるも牛後となるなかれ。 あまり日常的に多く使われる言葉ではありませんが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という表現を耳目にしたことのある人も少なくないでしょう。 「鶏口(けいこう)」というのは、鶏のような小さな集団のトップ、「牛後(ぎゅうご)」というのは、牛のような大きな集団のしっぽを意味しています。 つまり、「弱小集団のトップになった方が、巨大組織の下っ端になるよりも良い」とうのが、その意味するところです。 「鶏口となるも牛後となるなかれというから、就職先は規模の小さな会社を選んで、そこで出世することを考えよう」というような使われ方をします。 これは確かに一つの生き方ではありますが、「お山の大将」のように、小さな組織のトップで満足することを良しとしない考え方もあるでしょう。ですから、鶏口を目指すか、牛後でいる人生を選ぶかは、人それぞれの人生観によるものと考えたほうがいいのかもしれません。 同じ意味を持つ表現には、「鯛の尾より鰯の頭」や、「芋頭でも頭は頭」というものもあります。 おもしろいのは、英語にも大変よく似た表現があること。「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じ意味をあらわす英語のことわざは、「Better be the head of a dog than the tail of a lion.」。つまり、英語では「ライオンのしっぽになるよりも、犬の頭になった方が良い」と表現するのです。

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軽挙妄動

【漢字】軽挙妄動 【読み】けいきょもうどう 【意味】軽はずみで深く考えない行動。 【例文1】バスツアーでの遅刻など軽挙妄動は他の乗客にも迷惑がかかる。 【例文2】彼の軽挙妄動の言動を正す。 【例文3】軽挙妄動が遅延の原因だ。 軽挙妄動とは、事の是非を考えずに、でたらめな感じで軽々しく行動することです。 物事に対して深く考えることをしないで、思い付きで動こうとするので周りにいる人物は迷惑を被ることが多いです。困ったことにこういった人物は無駄に行動力があったりするので放っておくと気が付いた時には大変なことになっていることがあります。またその場での思い付きで行動しているので、後になって不具合が生じることが少なくありません。そしてその責任を他者に押し付けることもよくあることです。 これは当然、言葉にも当てはまります。その場に相応しくない言葉を用いてしまっていたり、言葉を選んで話さなくてはならないような相手に対しても普段と変わらない言葉を口にしてしまっていたりなどです。そして、思い付いたことをそのまま口にしていることがあるので話している本人がそのことを記憶していないことがあるのです。だから大事なことなどであっても確認してみると、知らない、言っていない、覚えていないなど無責任な答えが返ってくることになります。 思い付きでの言動なので、本人の記憶に残っていないことがありそのおかげで同じようなことを繰り返すことがあります。人に指示を出す立場の人でこのような人がいると下に付く人は苦労しますね。

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芸がない

【漢字】芸がない 【読み】げいがない 【意味】人と同じで面白みがない。つまらない。 【例文1】係長の忘年会の余興は毎回ワンパターンで芸がない。 【例文2】芸がないからいつまでもブレイクできない。 【例文3】ネタが似すぎて芸がない。 毎年年末になると会社全体で希望者のみ、忘年会旅行に行きます。希望者と言ってもパートさんや女性社員以外は、ほとんど行く事になります。1泊2日で行く場所は毎年伊豆と決まっていて、費用は会社が一部負担してくれるので、毎年私は楽しみにしています。 宴会中は各支店毎に、一芸がある人や目立ちたい人、無理矢理抜てきされた人がステージに上がり余興をやります。この制度が始まった頃は、面白くてかなり盛り上がっていました。 年々みんなが飽きを感じ出している頃に、社長があの余興芸がないからなんとかしろと会議で言いました。部長の指示で宴会係が選出され、緊急で忘年会の時に、やる事を考えるのが指令でした。その宴会係に選出されたのが、一番年下で役職が下だった私でした。 指令から忘年会まで2ヶ月ありましたが、どうしたら良いのかさっぱりわかりませんでした。 今迄の余興は、芸がないと言われたので芸があるようにすれば良いと思いました。 そこで、支店毎に一人ではなく支店毎全員が参加した形の余興という事を提案しました。 伝達を受けた各支店は、色々なアイデアを出して練習に励みました。 宴会当日になり余興の時間になり、各支店の出し物が始まりました。サンバをやる支店や、流行りの女性グループの踊りをやる支店など様々あり、楽しく忘年会ができました。

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