tedukurikotoba (2563)

来者は追うべし

【漢字】来者は追うべし 【読み】らいしゃはおうべし 【意味】過去は変えられないが、未来は変える事ができる。 【例文】まだ間に合う、来者は追うべしだ。 「来者は追うべし」とは、『論語』に由来する故事成語です。その意味は、過去は変えることはできないが、未来のことはこれから変えることができる、ということです。歳をとればとるほど人間は過去のことばかりにこだわってしまいます。また、自分の狭い経験から考えて、未来を変えることなどできないと決めつけてしまいがちです。そういった、大人世代の人こそ、「来者は追うべし」の言葉を思い出すべきではないでしょうか。世の中も、自分も、変わり続けています。過去とは違います。昔、うまくいかなかったやりかたでも、現在ではうまくいくかもしれません。全く新しいやり方を思いつくかもしれません。経験にとらわれず、なんでもやってみることが大切です。行動してみて失敗したとしても、それも新しい経験であり、成長するための気づきなのです。だから、過去の失敗や成功のことは忘れて、新鮮な気持ちで今この瞬間を生きることこそが大事です。歳をとると自分の経験則でなんでも判断してしまいがちで、実際それでうまくいくことも多いです。しかし、それでは毎日が退屈でつまらなく、生きている喜びや幸せを実感することが出来ません。常に新しい考えを取り入れたり新しい体験をしたり、知らない人に出会うことが生活の質を上げることにつながります。

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雪や氷も元は水

【漢字】雪や氷も元は水 【読み】ゆきやこおおりももとはみず 【意味】原料は同じでも条件が違えば異なったものになる。環境や教育によって異なるという意味。 【例文】雪や氷も元は水で子は父母の教育次第だ。 雪や氷も元は水という言葉があります。これは環境次第で違ってくると言う意味になります。雪も氷も同じ水であるわけですが、状況、環境によってその姿形を変える、ということから環境こそがその人となりを作る、という意味であるわけです。様々なことにそれはいえることになります。氏より育ち、といった言葉と類似しているものであるといえるでしょう。そんなに難しい言葉ではなく、意味としてもそれなりにわかりやすいものであるといえるでしょう。良いのか悪いのか、ということなのですが雪も氷も良し悪しがあるわけではありませんから、この場合は良い悪いをいっているのではなく、あくまで環境などによって同じ物でも違ってくることがある、という意味的には良し悪しという観点はない、といっても過言ではないといえるでしょう。氷も雪も冷たい存在であるからこそ、そうした言い方をされている、という側面がないわけではないのでしょうが、同じ物で状態としてかなりの違いがある、というように昔の人は見ていたわけです。但し、実際には雪はある意味では一種の氷であるといえます。ほぼ凍った状態であるといえますから、実際には物そのものに違いは本当にないといえます。 綺麗な雪も氷も、両方とも元は、同じで水からできています。 元が同じであっても、その後の環境などの影響で、それぞれ違った形や物になるということを意味しています。 分かりやすく例えて話をすると、自分が産んだ子供が2人、または3人でもそれ以上でもいいのですが、複数人の子供がいるとします。 元と言うのは、自分つまり母親で、同じ母親から生まれたけれども、成長するにあたってそれぞれ、性格や個性が違ってきます。 全く同じ環境で同じ接し方で育てると言う事は、ほとんどの場合、まずないでしょう。 最初の子供でしたら、育児も初めてで、何も分からず、気持ちにも余裕が持てず必死に子育てをします。 ちょっとしたこと、例えば、少し風邪を引いた、少し怪我をしたなどの場合でも、神経質になりがちで、すぐに慌てて病院へ連れて行ったりすることがよくあります。 2番目の子供の場合は、最初の子供の時の経験もあるので、多少、子育てに対して気持ちにも余裕が出できます。 上の子供の時は、こうやったけど、下の子が同じような場面になった時は、別の方法をしたとか、違いが出てきます。 どちらにせよ、愛情を持って一生懸命に子育てをしてきたのには間違いないのですが、育っていく環境や状況で、同じ母親から生まれた子供であっても、それぞれ違ってくるということです。

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求めよさらば与えられん

【漢字】求めよさらば与えられん 【読み】もとめよさらばあたえられん 【意味】与えられるのをまっているのではなく自ら求めることが大事。 【例文】自分から動け。求めよさらば与えられんだ。 日本大学のアメフト部員による悪質タックル問題が、少しずづ日大内のいろいろな部分にまで影響を及ぼしています。タックルをしてしまった選手本人は、自ら会見を開き、歯切れの良い言葉で彼なりの真実を伝えました。その数日後、反則を指示したとされる監督とコーチが、歯切れの悪い言葉ながら会見を行いました。「新約聖書」に「求めよさらば与えられん」、ということわざがあります。現代では、起源の意味から転じて、自ら積極的に努めれば、自身にとって良い結果を得られる、という意味を持ちます。ここにおいて、積極的に行動を起こして良い結果・相手チームからの納得を得たのは、タックルをしてしまった選手だけであると思います。世間からの評価も同様であると感じます。また、監督とコーチの会見中にあった「相手(関西学院)からの書面での連絡を待っていた」というのも、このことわざの真理からはかけ離れてしまっているようです。待つだけではダメで、自らが動いていかないと得るべきものも得られません。 余談ですが、関西学院大学アメフト部では、数年前から、シーズンインの前に顧問が「新約聖書」を読み上げ、選手がそれに耳をし、心を落ち着かせるというルーティンを取り入れているらしいです。ミッション系の大学特有の習慣、という訳ではなく、選手たちが自ら進んで取り入れようとして始まったことです。

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明鏡も裏を照らさず

【漢字】明鏡も裏を照らさず 【読み】めいきょうもうらをてらさず 【意味】磨かれたか鏡でも物の裏までは映せない。どんなに賢明な人でも行き届かない時もあるという意味。 【例文】初対面では明鏡も裏を照らさず。 「明鏡も裏を照らさず」という言葉があります。どんなに曇りのない鏡でも、裏側を映すことができないように、どんなに賢い人でも、全てを見通すことなどできないという意味です。この言葉の通り、とても有能な人だとしても、見落とすことやうっかりすること、ミスすることはあります。人間のすることに完璧はないのです。そのため、特に仕事の場では、人間がミスをしても重大な事故にならないような仕組みを作ること、また、ミスを予防するような仕組みを作ることはとても重要といえます。しかし、現実的には、失敗してから上司などに注意・叱責などをされ、謝罪して終わりではないでしょうか。良くて失敗の原因を考え、文書にしたり、次から同じ失敗をしないように気を付ける、という対症療法的なことしか行われません。すべてのミスをなくすことなどできないのだから、ミスしてもすぐに気づくことができて、修正できるような仕組みを工夫することこそが、人の上に立ちまとめる人間の役割です。ただ頭ごなしに怒鳴りつけ、威圧する上司の多いことは残念です。それは、上司の役割を放棄しており、マネージメント力が不足していると言われても仕方がないのではないでしょうか。そのような上司の下では、叱責を恐れミスが報告されず、さらに大きな事故が起こるのです。

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病上手に死に下手

【漢字】病上手に死に下手 【読み】やまいじょうずにしにべた 【意味】軽い病気でもすぐに医者にかかるような人こそかえって長生きをする。 【例文】病上手に死に下手というから風邪を甘く見てはいけない。 ちょっと風邪をひいた位で医師の診察を受けに行く人と、風邪をひいても無理して仕事などを頑張る人がいます。若い内は影響がないようですが、病気に敏感な人とそうでない人は勿論、個人差はありますが、長い人生の後半では何かしらの影響はあるかもわかりません。自分自身が人生の後半になり、そう思う日々です。それと言うのも慢性疾患を抱えてから余計、そう思うようになりました。特に高血圧や糖尿病、腎疾患など自覚症状が現れにくい疾患は、なおさらであり、症状が何かしら出た段階で気が付く場合が多いようです。まさに健康寿命は、場合によっては、そこで終わります。問題は、その時点から死までの寿命を、どう延長させるかが問題です。病気の悪化を予防するべく定期的に受診して検査値の変動に気を配り薬剤の服用を怠らず、注意するのか、或いは、「病は癒ゆるに怠る」の格言があるように、治りかけで油断して却って再発を招く場合もあるかと思えば、いやいや、まだまだ自分は若いから無理が効くので大丈夫と甘く見て、健康診断、受診や薬剤の服用を怠り、生活習慣の改善を怠る場合では、結果的に健康や病気に敏感で医者通いをしている人の方が人生が長くなる可能性があるかと思います。

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