tedukurikotoba (2563)

意を決する

【漢字】意を決する 【読み】いをけっする 【意味】思い切って決心する。 【例文1】今夜、彼女にプロポーズすると意を決した。 【例文2】意を決っして転職する。 意を決するとは思いきった決断をすることです。 わたしは性格上、人に流されるタイプでAさんがこれにしようといえばいいよ。 Bさんがこっちの方が似合うよと言えばそういう風に見えてきて周りの意見が重視でした。 さすがに結婚相手は自分が決めましたが、結婚生活で親になって今度はわたしがこうした方がいい。こっちの方がうまくいくと主導権は私が握っていました。 可愛いわが子ですもの。可愛いわが子には旅をさせよと言いますが、失敗するようなことはさせたくないというのが本音でした。 大事に育ててきた息子たちは病気やケガもなくプライベートでも順風満帆に過ごしました。社会人になって2年目。二つお隣の市街地に勤務場所が変更になりました。実家からは車で1時間40分かかります。長男は交通時間を考え、職場に近いアパートで一人くらいを考えていると意を決する思いを聞かされました。大学は地元の私大でしたので実家通いでした。料理はたまに目玉焼きや肉を焼くくらいはします。(皿洗いは一切しません)出張先で洗濯もしていて家事は不便なさそうですが、これを仕事帰りに全部一人でこなすとなるとコンビニ弁当ばかりになるし体が心配でした。結婚資金も貯めたいと言っていたのでとりあえずしばらく実家通いを進めましたが、意思は固いようでしたので、私も夫もしまいには意を決する想いで承諾しました。

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修羅場

【漢字】修羅場 【読み】しゅらば 【意味】激しい争いの場面。 【例文1】夫婦喧嘩の修羅場に遭う。 【例文2】遺産相続の修羅場に遭う。 修羅場という言葉の意味はどのようなものでしょうか。 意味は、血みどろの激しい戦いや争いが行われる場所のことを言います。 「修羅場をくぐり抜ける」という言葉もよく聞かれると思います。 私は大学生の時に、少し修羅場をくぐり抜けたことがあります。 当時、付き合っていた女性がいましたが、たまたま部活の女性の後輩が遊びに来る約束をしました。 その付き合っていた彼女には、自分は体調が悪いので、遊びに来ないように行っていたのですが、自分の体調の悪さの心配してか、部活の後輩は遊びに来ているときに、その彼女が玄関まで来てしまいました。 特に、私は部活の後輩と浮気をしていてわけではありませんし、そういう関係もありません。 一緒に食事を作って、その後映画をみていたのですが、ここで玄関のドアを開けると、変に誤解をされて、どうにもならないと思った私は、居留守を使いました。 何度も、何度も、呼び鈴が押されましたが、10分くらいして諦めて帰ったようです。 この10分間はとても恐怖に感じたことを今でも思い出します。 このことがきっかけに彼女と私の仲が悪くなり、結果、別れることになりました。 結局、彼女は私のことを信用してくれていなかったということですが、この10分間の恐怖は修羅場のような感じをうけました。 「修羅場」とは、激しい血みどろの闘争が行われている場所や、またはそのような場所を連想させる状況のことを言い、語源はインド神話で「修羅」は悪神である「阿修羅」を略であり、善神である帝釈天の激しい血みどろの戦いが行われる場所のことを「修羅場」というようになりました。日本では痴情のもつれが原因の争いの時に用いられることが多いです。 使い方としては「数々の修羅場をくぐり抜けた経験が今の自信となっている。」「旦那の浮気が原因で夫婦間で修羅場が繰り広げられている。」などの使い方をします。 私自身は修羅場に出会ったことはありませんが、友人は友達とショッピングモールに出かけた時、当時の彼氏が知らない女性と歩いていてその場で問い詰め小さな修羅場になり結局そのまま別れてしまったと話していました。 そのように日本では浮気などが原因で修羅場に発展すると言った場合が多いようです。もちろん友達同士でのいざこざでも修羅場になることもあります。大なり小なり修羅場を体験したことでそれがのちの経験となるのであれば無駄ではありませんが、修羅場になるとそのまま疎遠となる場合の方が多いので、出来れば修羅場には出会わないような生活を送るに越したことはありませんね。 今や人の親になった私にも、それなりに若い頃がありました。当時私は19歳、あと2カ月で20才の誕生日を迎える冬に、人生初の彼氏ができました。ルックスのよくない私でも彼氏が作れたのは、当時はやっていた出会い系サイトのおかげでした。正直恥ずかしいのであまり人には言えませんでしたが、相手のことが大好きというよりも、彼氏ができたことのうれしさと、当時学生立ったけど学業がうまくいかず留年することになっていたので、半分自暴自棄なこともあり、恋愛する事で逃げていたのかもしれません。 彼は22才の大学生でしたが、私の寮から少し離れた街でひとりぐらしをしていて、雪ふる寒い中毎日のように、電車にのって遊びに行ったり、車で迎えにきてもらい、初めてのお付き合いは順調に思えました。 しかし、1ヶ月を過ぎて、何だか彼がいつも携帯電話を肌身離さないのに、違和感を感じました。 そしてバレンタインの翌日、ショックな出来事があったのです。 彼が眠っているすきに、彼の携帯電話(ガラケー)をこっそり、覗いてみたところ、彼が別の女性に「別れたくない、俺には〇〇が必要なんだよ」などとメールしてるではありませんか。一通でなく何通もありました。ただ、2人はもめていて、さらに悲しいことに、そこにある内容によると、どうやら私が浮気相手らしい。 もうそこからは修羅場でした。彼をたたき起こして「これってどういうこと?!私をだましてたの?」と怒り狂い、彼はゲッ!という顔をしてましたが、あまりの私の変貌ぶりに全く話さなくなってしまい、私は怒りのあまり相手の女にメールか電話しなさいよ!などと話しましたが取り合ってもらえず。 夜中だったのでその日は何とか彼の家を出て、友達に泣きついて泊めてもらいました。 もちろんその後お別れしました。ある意味今ではいい思い出ですが、娘たちにはあんな男性に気をつけてほしいです。

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言わぬが花

【漢字】言わぬが花 【読み】いわぬがはな 【意味】言わない方がいいときもある。 【例文1】その話の先は言わぬが花だ。 【例文2】ガン告知は言わぬが花だ。 私は昔から余計な事を一言言って空気が大変な事になったり喧嘩になったり、というのを高確率でやらかしがちでした。 まあなんていうか、とても面白い事を言おう言おうと普段から考えている物だからそれでヒットする事も珍しくないです。 狙い通りの笑いが取れた時などにその気分は最高潮になりますが、そこまで行かなくともその場の雰囲気の盛り上がりの一助になれればまあ成功したという達成感はあります。 で、それが最悪のファンブルと言う形で失敗したのが冒頭に挙げたような例です。 普通の会話を歩いたり小走りとしたら、面白い事や変わったジョークというのは捻りを加えたアクロバットとかそういうものです。 それだけに失敗した時のケガも致命的なものになりやすくなる道理です。 そんなわけで、学生を卒業したあたりにはいい加減こういった性質を収めるべく「言わぬが花」を座右の銘に据えることにしたんです。 その甲斐あってか失言を原因とした大事件と言うのはその発生頻度が相当に抑えられました。 が、ゼロにはなりません。 この場で絶対に言ってはいけないと分かっている事ほど言うのを我慢するのが難しいんですよね。 まあそんなわけで、これからもより一層壁の色紙に自筆で書いた「言わぬが花」を肝に銘じていこうと思います。 たとえば友人と何かの作品について語り合っているとしましょう。話題の映画やドラマについての感想を述べる、といったことですね。「どのようにすれば自分の考えが相手に上手く伝わるか」を重視すれば、論理的に説明するのがベストだと考えられます。ですがだからといって、ずっと論理的に説明していると、相手は退屈してしまうかもしれません。考察や論文を書いているわけでないのですから、多少は穴のある説明でも良いでしょう。感想というのは自分の感じたままを、たとえ上手く言葉にできなくても伝えるというのが良いのではないでしょうか。むしろその方が人間味があって、聞き手側としても感情移入しやすいと思われます。 何事もとは言いませんが、自分の考えていることはなるべく言葉にした方が、余計な誤解を生むことも減るかもしれません。しかしあえて言葉にしないことで風情が出ることもあります。特に日本は「感情を省くこと」を楽しむ文化が発達している国です。川柳や俳句が『世界で最も短い詩』と言われているように、言葉を省くことで作品を仕立て上げます。言わぬが花ともいうように、自分の考えを明確な言葉に残すのではなくあえて口には出さないことで、相手に面白味を感じさせるのも良いかもしれません。

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弱冠

【漢字】弱冠 【読み】じゃっかん 【意味】20歳の男性を指す。近年は20歳前後の男性にも言うようになった。若干と多く間違われる。 【例文1】弱冠20歳の若さで結婚した。 【例文2】弱冠20歳の若さで起業する。 弱冠20歳でという言葉は聞いたことがありますが、必ずしも20歳が限定ではないようです。 言葉は時代とともに言葉は変化していくので、以前は20歳限定で弱冠と言っていたのかもしれません。 おおむね20代までのことを弱冠といっても良いのではないかという気がします。 とは言え、職種や業界などにより、若年層が変わってくるので、中には20代で既にベテランという場合もあるかもしれません。 将棋や囲碁の世界では、中学生の頃からすでにタイトルを取り、プロになる人もいます。 まさに弱冠と言える年齢です。 一般の社会人とは違い、特殊な世界では、実力のあるものが上に登っていきます。 そのため、社会的な経験や常識が優れているというようなことで測れない部分があります。 とは言え、やはりその世界での早咲きで、弱冠と呼ばれる人たちには、やはり類まれな才能があるのだと思います。 もちろん努力もたくさんしてきているとは思いますが、やはり才能がなければ、早いうちから目を出すことは難しいかもしれません。 周りの環境にも恵まれていたかもしれません。 その道でそれがネイティブのように育ってきたならば、やはり早くから開花していくのでしょう。 今後もいろいろな世界で弱冠デビューする人が出てくることを期待したいです。

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鰯の頭も信心から

【漢字】鰯の頭も信心から 【読み】いわしのあたまもしんじんから 【意味】イワシの頭のお供え物でも信ずる気持ちがあれば尊いものである。 【例文1】初めて彼女が作った手料理は決して美味しいとは言える物ではなかったが、鰯の頭も信心から愛情がこもっている。 【例文2】子ども達からの募金は鰯の頭も信心からで真心がある。 鰯の頭も信心からとういう言葉があるそうです。 私は知らなかったのですが、意味はイワシの頭のようなつまらないものでも信仰をすれば尊いものになるということで、信仰心の不思議さをたとえているらしいです。 世の中には色々な人がいるので、いろいろな宗教や信仰があり、また神なんていないと思う人もいます。 今の日本では信仰心というのは比較的少ないように感じますが、どんな人でもここぞというときは神さまや仏さまというものに救いを求めることはありますよね。 とくに受験だったり、日ごろは神社に行かない人でも合格祈願のお守りをいただいたり、安産祈願など命に係わる時もお祈りしたりしますよね。 やっぱり、人って強い時もあるけど弱い部分はありますよね。 なので、最後は神という存在を求めるんですよね。 それがいけないというわけではないし、むしろ私は人智を超えた存在に敬意や畏れは大事なように思います。 そうすることで、傲慢さを持たずに人間なんてしょせん動物の一種で自然にはかなわないということを感じられると思うのです。 昔から、日本では八百万の神と言って、身近なものから山や海などたくさんのものに命が宿っているという考えはとても素敵ですよね。 人というのは不思議なもので、信じる気持ちがあればどんなものでも尊く見えてくる生き物です。歴史の中に出てくる有名な偉人であっても、占い師からの助言で奇妙なものを信仰していた、という人だってたくさんいます。学生時代に日本史や世界史を勉強していて「どうして昔の人はこんなものを神と崇めていたのだろう」と疑問に思ったことがある人もいるかもしれません。ですが現代の人だって、様々なものに信仰を寄せているのではないでしょうか。 信仰を寄せるというと仰々しいかもしれませんが、意外と些細なものに信仰を寄せているように思えます。たとえば受験のシーズンになると、食品会社が合格祈願とかけあわせた商品を発売しますよね。そしてそれらの商品は毎年、売り出されています。毎年売り出されているということは、つまり毎年需要があるということです。ではどんな人に需要があるのかといえば『合格したいと願っている人』ではないでしょうか。その商品を買ったからといって、必ずしも合格するわけではありません。それでも買うということは、その商品に信仰を寄せているということに他ならないでしょう。鰯の頭も信心からともいいますが、このようなことは多々あることだと見受けられます。何かに気持ちを寄せることで少しでも楽になるのなら、小さなものに少しだけ頼ってみたって良いかもしれませんね。

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