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揚げ足を取る

【漢字】揚げ足を取る 【読み】あげあしをとる 【意味】人の失敗に付け込んでからかう。 【例文1】揚げ足を取る人との付き合い方に悩む。 【例文2】揚げ足を取ってあざ笑う。 【例文3】揚げ足を取って責める。 やけに嫌味っぽく斜めに構えていて、人生に卑屈になっている人間というのは大体、人の揚げ足を取ることに一種の愉楽を感じているものです。些細な間違いや仕草にケチをつけるというか、やられた方はどうにも腹が立ちます。私自身の話をすると、どうも挙動不審な節があるというのです。自分ではそう思わないのだが、周りはオロオロとしている私を面白そうに笑ったりするので、正直、いい気分ではありません。道徳的な話になるが、人は譲り合って生きるべきだと思います。歩く速度が皆違うように、生き方にもペースがあるのです。自分のものさしで他人を測り切れるわけがないのに、ちょっと変わっている人や自分とは違う考えを持つ人に対してそれぞれが排他的であるように思います。普通のことが当たり前にできる、というのは案外難しいことであす。例えば、言語。私の父は外国人で、日本語はある程度話せるが「日本語は難しい」と言っています。反対に日本人は、やれ英語は苦手だのフランス語は特異だの口にしているが、実は日本語はあらゆる言語の中でも高等な部類に入るのだといいます。自分が高等な言語を操れる人間だということに誇りを持ち、他人に対しても少しゆとりある心で接することが出来れば完璧だ、と思います。

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胡坐をかく

【漢字】胡坐をかく 【読み】あぐらをかく 【意味】社会的地位を利用してごう慢な態度を取る。 【例文1】社長の御子息だと言って胡坐をかく。 【例文2】社長とは名だけで偉そうに胡坐をかく。 【例文3】男性は胡坐をかいて座る。 胡坐をかくをテーマにした記事 正座をしていると、「楽にしてください」と胡坐をかくことを薦められますが、私の場合は正座のほうが楽なのです。 高校時代に陸上競技部に所属していて冬季練習の際に低体温症から腰を痛めたことも原因の一つですが、日常的に正座していたので胡坐をかくことが苦痛ですらあります。 世のお父さんや男性は座ってあぐらをかくイメージですね。女性はヨガ以外であぐらをかくとマイナスイメージです。実際お座敷に案内されて酒の席で正座して飲んでる姿はほとんどないでしょう。上司や大事な取引気でもない限り。それでも場が終わると足を楽にしてくださいと言います。 そもそも和室や畳部屋が少なくなっている現在ではソファに座る事が多いので、正座する機会すらありません。座敷の場で使用する正座用の椅子が置かれているくらいですから、長い時間正座する必要もありません。

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悪銭身に付かず

【漢字】悪銭身に付かず 【読み】あくせんみにつかず 【意味】盗みや賭け事で得たお金がすぐになくなるもの。 【例文1】パチンコで勝ったお金は悪銭身に付かず。 【例文2】所詮、悪銭身に付かず。 【例文3】どうせ悪銭身に付かずだったし。 以前私は、趣味でよくパチンコ屋に通っていました。 最初はただの暇潰し兼、夏場のクーラー目当てだったが、一度大当たりの連チャンを経験すると例え負けが込んでいても「もしかしたら」「今日こそは」と思ってしまったあたり、あれがギャンブル依存症への入り口だったのだろうと思います。 悪銭身に付かずと言う諺があります。 楽をして稼いだお金はすぐに使ってしまって後に残らないと言うような意味の諺です。 実際私も、パチンコで儲けたお金は下らないことに使ってしまって全く手元に残っていません。 だがこれは私自身が「どうせ泡銭だし」と承知の上で使った結果であります。 その一方で、パチンコで儲けた金だけで高級外車を買った人もいた辺り、悪銭は身に付かないわけではなく結局は使う人次第なのではないかと思っています。つい先日、統合型リゾート法案(別名カジノ法案)が可決成立しました。 平たく言えば日本にプチラスベガスを再現しようと言うものらしいです。 政府はカジノを作ることで雇用が生まれると公言しているようだが、物事がそう簡単に行くとは思えません。 なぜならば、お隣の国韓国がカジノ運営に手をだして派手に爆死しているのを知っているからです。 お隣さんでも確かに雇用は創出したが、代わりにギャンブル依存症も大量に創出しています。日本にカジノを作ること自体はまぁ良いとして、付随してくるギャンブル依存の問題から目を背けて良いことばかりを夢想するのはなんとかやめていただきたいものです。 パチンコで勝った金は大抵がパチンコで負けて失われます。 苦も無くと表現するにはあまりに波乱を含んだ金なのですが、所詮は労働によらないあぶく銭なので虚しく泡と消えるのは道理なのでしょう。 パチンコ店は常に利益を得るための算段をしているプロの商売人、適当な運任せに近い推測程度しかできない遊び人に勝ち目などもとからないのです。 それでも懲りもせず足しげくパチンコ店に通うのは、まごうことなく重度のギャンブル依存症といえるでしょう。 行政もいい加減にギャンブル依存症という困った存在が巷にあふれていることを看過できず対策に出るようです。 具体的には、一度の大当たりで大勝が出来ないようにする予定らしいですが果たして成果は出るでしょうか。 そもそも三店方式だか何だか知りませんが、法の網目を潜るような真似がこれまでまかり通ってきたことが不思議でなりません。 パチンコ以外の遊戯としてルーレットを三店方式で営業したなら間違いなく捕まるでしょう。 でもパチンコ店が処罰を受ける事案などほとんど発生しません。 そして、悪銭身に付かずというなら最終的にはその金はどこに流れていくのでしょう。 大体にしてパチンコで勝った金が悪銭なら、パチンコ店が客から日々回収している金だって悪銭のはずです。 悪の栄えた例なしとは言いますが、パチンコ店が滅びることなど全く想像がつきません。 客である私の財布は何度も滅びているのに、ちょっとずるくないですか。

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悪戦苦闘

【漢字】悪戦苦闘 【読み】あくせんくとう 【意味】非常に苦しい戦い。困難の中努力する。 【例文1】今日の試合は悪戦苦闘だったが、どうにか勝てた。 【例文2】赤ちゃんの面倒を見るのは悪戦苦闘だ。 【例文3】ログハウス作りは悪戦苦闘の毎日だった。 毎年年末になると、かなり忙しくなっていました。 特に大掃除を何度もやらなければならずに、それが毎年恒例のことでした。 最初に職場の大掃除を終えて、無事に年末年始の休暇に入ります。 しかし、そのあと家の大掃除を行い、さらに実家に帰ってからも、一番大変な大掃除が待っています。 実家では私が大掃除をするのを待っているようで、毎年大晦日に帰省しても、まずは大掃除をしなければなりません。 1年掃除をしていな場所を掃除するのはかなり大変な作業です。 汚れはこまめに落とせば、すぐに落ちますが、さすがに1年も溜めていると、力を入れてもなかなか落ちません。 特にキッチンや洗面所、トイレ、そして浴室の掃除をしなければならないので、次から次へと息つく暇もなく掃除を行います。 終わった頃には夕方、もしくは夜になってしまっています。 持病の腰痛もかなりひどくなり、しばらく動けない状態です。 1時間程度休んだ後で、ようやく大晦日の夕食をごちそうになります。 毎年のことでしたが、さすがに年末に立て続けに3か所の大掃除は大変でした。 特に実家の大掃除は水周りだけではなく、部屋も掃除しなければならずに、毎年悪戦苦闘していました。 年末の大掃除があまりにも大変なこともあり、他の時に実家に帰省した時も、少しずつ掃除をするようになりました。 家にはパソコンはあるのですが、パソコンに記録してある文章や写真を印刷するプリンターがありませんでした。 プリンターは高い物ででしたが、最近大分安くなったので、購入する事にしました。 ネットで探してみたら、スキャナーとコピー機能が付いた複合機が何と6000円台で売られていたのです。 これはお買い得だと思い、直ぐにこの機種を買い求めました。 購入してしばらくの間は、問題なく印刷が行えていました。 ある時紙詰まりが発生してしまい、その後から歪んで印刷されたり、縞模様が印刷されるようになってきました。 ネットで調べてみた所、プリンターの内部にあるエンコーダーフィルムの汚れで、このような症状が出る事があると書いてありました。 それでもしやと思いプリンターの内部を見て見ると、そのエンコーダーフィルムが汚れていたのです。 原因が分かったので早速、悪戦苦闘しながら綿棒を使ってこのエンコーダーフィルムを掃除してみました。 すると症状はなくなり、以前と同じきれいな印刷が出来るようになりました。 一生懸命、夜を日に継ぐとまでいかなくても残業までして仕事をしていると、ふと疑問に思うことがあります。 これだけ苦労しているなら相応の儲けや報酬があってしかるべきだが、最終的に会社や自分は働きに見合った成功報酬を手に出来るのだろうか。 結構したっぱな身分にも拘らず会社の損得までも無駄に気に掛けるあたり、なんとも自身の器が小さいような気がします。 実際のところ、説明や説得に終始していて仕事を始める前段階で悪戦苦闘しているだけのように思えてきます。 大体にして会社や私が儲かったところでそれが何だと言うのでしょう。 社会に貢献するとか法令順守とか御立派な社訓を掲げていますが、実際にはホワイトどころかブラックに近いグレーな職場です。 法令順守が怪しいことは、定時に帰れず連日の残業をしている労働者がここにいることで証明されています。 となれば社会への貢献についても本気かどうか察しがつくというものです。 もっと人間ひとりひとりが、行政や福祉や国際平和について深く考えるべきなのではないでしょうか。 と、十分に逃避的な思考を終えたところで、目前に積み上げられた仕事に意識が戻ってきます。 長時間仕事に集中していたのだから、少しくらい益体のない事に考えを巡らせてもいいじゃないか、と自分自身に言い訳をしておきます。 胃があれない程度に濃いコーヒーをちびちびと舐めるように飲みつつ、結局は仕事を再開する位置につきました。

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悪事千里を走る

【漢字】悪事千里を走る 【読み】あくじせんりをはしる 【意味】悪い噂ほどすぐに広まるもの。 【例文1】芸能人のスキャンダルは悪事千里を走る。 【例文2】田舎ほど悪事千里を走るもの。 【例文3】ネットの拡散で悪事千里を走る。 悪い行い、評判や噂はたちまちに広がりまた長く尾を引いてしまう意味で、善行は世間には伝わりづらくすぐに消えていってしまうという何とも悲しいなぁと感じてしまう悪事千里を走るという言葉です。主に日頃流れるテレビニュースやネットでも悪事というのを目にする機会が日常化してるのは否めません。私は特に芸能人の方の立場というのは本当に大変なんだなと思います。姿を出しての職業であり何年も前の事をずっと言われてたりする事に対して臨機応変に対応してる姿を見ると人格の高さを感じる位です。と言いつつ自分もゴシップ系を見てしまう傾向があり、その中に真実ではないものがあったとしても一度伝わってしまうと記憶に残りますから怖い事なんだと思います。良い事が伝わらないと言うのも善意よりも悪意の方が強いというか、人の不幸が蜜の味というように暗い方に関心がいきやすいのかもしれないと感じました。ただ現在そういう情報が多い中に時々、救助映像や芸能人の結婚、動物の赤ちゃん誕生の報道を見ると直接自分に関係がないのに、良心に触れられたような幸せをお裾分けしてもらったようでホッとなります。悪事より良い事が千里を走る位の言葉が残るようになったら素敵だなと思います。

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灰汁が抜ける

【漢字】灰汁が抜ける 【読み】あくがぬける 【意味】前に比べて穏やかになる。 【例文1】厳格だった父は年を取って灰汁が抜ける。 【例文2】結婚して子どもが出来ると灰汁が抜ける。 【例文3】母性本能が出て灰汁が抜ける。 仕事の勤務態度について今まで厳しかった女性や、友人に対してたまに厳しい一言を放つような女性が、いつの間にか穏やかになっていたという経験はありませんか。その女性が変わってしまったのは、何かしらの切っ掛けがあったはずです。では何が切っ掛けなのかというと大小色々あると思いますが、女性の場合ですと特に『結婚』や『出産』が切っ掛けであることが考えられます。このようなライフイベントによって、灰汁が抜ける女性がいると見受けられます。 なぜ結婚や出産が切っ掛けになりやすいのかと言うと、大半の女性にとって『結婚』と『出産』は夢であるからだと思われます。その夢が叶ったがために、穏やかになりやすい傾向があると見えます。結婚であれば結婚式で着るウェディングドレスのことで頭の中がいっぱいになるでしょうし、出産ともなれば自分のお腹から子どもが産まれるわけですので、その幸せ具合はなかなかのものではないでしょうか。 もちろん他にも、結婚や出産以外のことが要因となって、灰汁が抜ける女性だっていると思います。ですが女性が穏やかになりやすい切っ掛けとして『結婚』と『出産』が抜きんでていると言えるのではないでしょうか。女性にとってそのくらい、『結婚』と『出産』は大きなライフイベントだと思えます。

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秋の日は釣瓶落とし

【漢字】秋の日は釣瓶落とし 【読み】あきのひはつるべおとし 【意味】釣瓶とは桶に縄をつけて井戸の水汲みをする。手を離すと、井戸の中にすぐ落ちる仕組みから、秋は日が暮れるのが早いものである。 【例文1】秋の日は釣瓶落としだから、早めに用事を済まして帰ろう。 【例文2】秋の日は釣瓶落としで夕暮れから車のライトを付ける。 【例文3】もうこんな時間か。秋の日は釣瓶落としだ。 秋の日は釣瓶落としとは、秋は他の季節に比べて急に日が暮れるのが早くなることをさします。 ではなぜそのように呼ばれるようになったのか、その由来について見ていきたいと思います。 釣瓶落としとは、急速に落ちることを例えた語句で、秋の釣瓶落としは秋の日の入りの速さを上手く言い表していますね。 四季の移り変わりを見ていると、日没時刻が夏から秋に向かって早くなっているのが分かりますよね。 特に夏から秋はにかけての日照時間が短さは体感的にも本当に早く感じると思います。 これは夏に比べて秋は薄明継続が短くなるのです。そこで急激に暗くなったと感じるんですね。 また、秋は日中時間が減るのはもちろんのこと、日没時刻も早まります。 そこも夏に比べて早く暗くなったと感じさせる要因です。 夕方になると一気に西日がに沈んで、あっという間に日没になりますよね。 実は春と秋は条件的によく似ているのです。 しかし夏から秋、冬から春という季節の並びがよりそう感じさせているのだと思います。 まさに井戸に釣瓶が真っ逆さまに落ちていくように、日があっという間に沈む様子を上手く例えていますよね。 このような例えを踏まえたうえで、秋の空の変化を楽しんでみるのもいいのではないでしょうか。

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秋茄子は嫁に食わすな

【漢字】秋茄子は嫁に食わすな 【読み】あきなすはよめにくわすな 【意味】旬の秋茄子を嫁に食わすのはもったいないと嫁いびりの意味と、茄子は体を冷やす効果もあるため大切に想う気持ち。だいたい前者で用いられることが多い。 【例文1】秋茄子は嫁に食わすなになんか負けない! 【例文2】秋茄子は嫁に食わすなにも我慢の限界がある。 【例文3】炊事をしない嫁に秋茄子は嫁に食わすな。 「秋茄子は嫁に食わすな」は良い意味と悪い意味があるようです。 この言葉をそのまま素直に解釈すれば、嫁には食べさせたくないという意味合いが強いような気がします。 確かに日本の家族は嫁の位が低く、しかも血縁関係もない他人ということで、姑などに苛められていた時代もあったようです。 今でもこうしたことはあるのかもしれませんが、姑の意識も変わってきているようです。 おそらく苛める姑も若い頃はお姑さんに同じようなことをされていたのでしょう。 少し前になりますが、昔の日本の写真を見る機会がありました。 そこに移っている昔ながらの農家の家族写真を見た時、家族全員笑って移っているのに対して、お嫁さんだけは無表情のままでした。 私はこの写真1枚で、昔の家族の現実を垣間見たような気がしました。 もう一つの解釈は茄子が体を冷やす野菜なので、食べ過ぎない方が良いというものです。 しかし、茄子以外でも体を冷やす野菜はたくさんあります。 それを考えると前者のほうが、このことわざの意味に合っているような気がします。 嫁姑の関係は時代が変わっても続いていきます。 今でもたまに嫁の悪口を言っている姑の話を聞くことがあります。 また、そのような問題を題材にしたドラマも流行りました。 反面教師としてそうならないように気をつけたいものです。 「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉の意味は悪い意味と良い意味があります。悪い意味として、美味しい秋茄子を憎らしい嫁には食べさせるのはもったいないという意味で、姑の嫁いびりの言葉です。とても怖い話ですよね。昔はそういう事が常識的に行われたり、考えられていたのでしょうか。とても興味深いですよね。ちなみに秋茄子とは9月ごろ収穫される茄子のことであり、寒暖差や日照量の関係等から旨みが凝縮されていて、とても美味しい茄子のことです。 逆に、良い意味として使われる意が二つあります。一つ目は、秋茄子は体を冷やしやすいので、大事な嫁には食べさせてはいけないという嫁に対する気遣いの意味です。二つ目は、茄子の種が少ないので、子どもが出来ないといけないから嫁には食べさせてはいけないというゲン担ぎを表す意味です。こちらは愛する嫁に対する気遣いの気持ちが溢れていますよね。 一つの言葉で、こんなにも良い意味と悪い意味の真逆を表す言葉があるのは不思議です。しかし、一般的な意味として使用されるのは、悪い意味である姑による嫁いびりを表した方の意味だそうです。嫁に食べさせたくないほど秋茄子が美味しいのが悪いということになるのでしょうか。 茄子といえば夏野菜をイメージしがちですが、秋にもとても美味しくいただけます。 茄子には強い抗酸化力があることや、ガンや生活習慣病のもとになる活性酸素を抑えるパワーを持ち、また嬉しい作用としてコレステロールの吸収を抑えるという面もあります。これはありがたいですね。 まれに栄養価が低いとも耳にすることはありますが嘘八百であり、様々な栄養素が詰まっています。 よく「秋茄子は嫁に食わすな」という事を聞きますが、茄子が嫁に食わすには勿体ない位美味しいからという、意地悪な説の他に、ナスには身体を冷やす効果があるから、嫁の身体を思って冷やさないように食べさせるなという説もあるといわれています。 だからと言って人によってどちらに受け止められるかわからない言葉の1つでもありますので、意気揚々と使うのは避けたほうがいいでしょう。 焼いても蒸しても美味しい茄子、旬で美味しい時期にたくさん頂きたいですね。身体を冷やす作用を用いて、夏バテしない身体作りにも貢献してくれそうです。お肉とも相性がいいのでさサッと炒め物に1本でも使うだけでごはんが進むおかずになること間違いなしです。 値段も他の野菜に比べると比較的、安価なほうなので家計も助かりますね。

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空き樽は音が高い

【漢字】空き樽は音が高い 【読み】あきだるはおとがたかい 【意味】中身が入った樽を叩くと重々しい音がするが、空っぽの樽を叩くと甲高い音がすることから、中身のない人ほどよく喋る。 【例文1】噂好きの人こそ空き樽は音が高い。 【例文2】井戸端会議の内容は空き樽は音が高い。 【例文3】次から次に話題を持ち出し空き樽は音が高い。 空き樽は音が高いとは、中身のない人ほど良く喋るという例えを言いますが、私はこの言葉の例えを知ったとき、本当にその通りだなと思いました。 私の周りにいる人でやはり良く喋る人が何人かいるのですが、みんな語っている自分に酔っているというか、口ではいかにもな発言をしていても行動が伴っていないような人ばかりなのです。 みんながみんな同じようなケースではありませんが、ある人は、いかに自分が物知りであるかのように、自分なりの考えをもっともらしく語り、先生のように周りにアドバイスをしているのですが、実際は言うことと行動が伴っておらず、「あんなに偉そうに語っていたのに、実は間違った考え方だった」ということが何度もあるのです。 また、もう一人は、まるで占い師であるかのように、相手が悩んでいる苦しんでいると勝手に決めつけ、これからの生き方をアドバイスしたり、「なにかあったら私が助けてあげるから!」などと頼もしいことを言っておきながら、いざとなると知らないフリをするといった薄情な人もいました。 そのほかにも、やはりおしゃべりな人を思い浮かべると、中身がなく信用に欠ける人ばかりだなと感じます。 話のネタに困った時には、このようにおしゃべりな人がいることで、その場の雰囲気も盛り上がり助かることもあるのですが、中身がないと深く付き合えないのでもったいないですね。

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赤の他人

【漢字】赤の他人 【読み】あかのたにん 【意味】まったく縁のない他人をいう。 【例文1】夫婦と言えど元々は赤の他人だ。 【例文2】見て見ぬフリなんて所詮赤の他人だ。 【例文3】似ているが、赤の他人だ。 昔は結婚適齢期と呼ばれる年齢が男女にあり、その年齢になるとほとんどの人が、結婚を果たしていました。 ですが今の時代は、結婚適齢期と言う言葉が死語となりつつあり、かつて結婚をしていた年齢になっても、独身のままでいる人が増えています。 結婚よりも独身でいた方が、色々と自由が利くので、結婚をしない人が増えているのだと思われます。 にもかかわらずここ最近は、結婚相談所などの結婚をサポートする業界がにぎわっているのです。 若い内は結婚しなくても良いと思っていても、それ相応の年ともなると、心に焦りが生じたり、周りにせかされたりして、結婚を考える人が増えているようです。 携帯電話の普及により、人と直接コミュニケーションを取る事を苦手としている人が増えています。 それで自力では結婚相手を見つける事が出来ず、結婚相談所などの力を借りているようです。 しかし結婚相談所と言えども、相手は赤の他人と同じです。 ですからコミュニケーションが苦手では、結婚相談所を利用しても、結婚へと至る事は難しいと言えます。 そこで結婚を考えたらまず、コミュニケーション力を鍛える必要があります。 コミュニケーション力を鍛えさえすれば、何も結婚相談所など利用しなくても、そこら辺の赤の他人とでさえ結婚へと至る事は可能です。 安に人の力を借りるのではなく、自分を変えていくように努力する事が大切です。 赤の他人とは、血のつながりのない、全くの他人のことをあらわします。 「自分とは全然関係ない」といった、ちょっと冷たいニュアンスを感じますよね。 ところが、そんな赤の他人と一緒に一つ屋根の下で暮らすのが、結婚生活なのです。 結婚して一緒に暮らしてみて初めて気づく色々な違い。 食事をするときにテレビをつけるかつけないか、食事中に飲み物を飲むか食後に飲み物を飲むか、洋服を脱ぐときは裏返すかそのままにするか、などなど。 細かいことですが、家の中での行動における自分の常識=育ってきた家庭の常識、なので、育ってきた環境が違えば当然常識も違ってきます。 「自分の中では当たり前のことでわざわざ注意するまでもない家の中のルール」が赤の他人の配偶者によってことごとく破られていくのです。 なんで食事中にテレビを見るの?そんなの行儀が悪いじゃない!食事中はテレビを見ないのが常識!と言っても、食事中はテレビを見ながら食べていた家庭で育った人にとっては真逆。なんで食事中にテレビを見たらいけないの??となりますよね。 家庭内での常識が一人一人違うので、「そんなの常識じゃない!」は通用しないのです。新婚のうちは、これを何度も繰り返すことになります。なかなかストレスがたまりますね。 一緒に暮らして何度も何度も衝突をして、時間をかけて新しくその夫婦の家のルールができあがっていくのですね。 縁もゆかりもない全くの他人に対して言う表現が「赤の他人」です。「二人は瓜二つの顔だが、実は赤の他人同士である」という具合に、素性が関係がないことを強調している表現であります。それまで旧知の仲だった間柄だった同士が仲違いをしてしまい、関係が修復不能に陥った時「あいつとは最早赤の他人だ」と決別の意を表すつもりで言ってしまう場合がある様です。お互いに感情が先に立ち冷静さを失ってしまい、勢いで言ってしまい後で後悔する事もままあります。全くの初対面に赤の他人というと少し希薄な印象を持たれ易く、意図的に使用を避ける時もあります。「赤」というのが仏前にお供えする浄水「閼伽(あか)」というのが語源になっているのも、そう連想させる要因になっているのでしょう。冷たい態度を連想させてしまうのが「赤の他人」という表現であり、身内からもしそんな言葉を浴びせられたら相当相手を怒らせたと思った方が良いと思います。それ位厳しい表現であり、身内や知り合いには出来れば使用したくない表現と言えます。自分にとって何の支障もない他人であれば、どうという事もないかもしれませんが、やはり少しでも見知った相手には言われたくないし使いたくない言葉なのです。

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赤子の手をひねる

【漢字】赤子の手をひねる 【読み】あかごのてをひねる 【意味】無力の者を相手にしてたやすく負かす。力の差が大きい時に用いる。 【例文1】小学生と高校生の試合だなんて、赤子の手をひねるようなもんだろ。 【例文2】ライセンスを持つので赤子の手をひねる事はしない。 【例文3】体を鍛えているので一般人との勝負は赤子の手をひねる。 私はオンラインゲームであるMMORPG「ArcheAge」というゲームをしています。 農業あり、盗賊あり、殺人あり、貿易あり、戦争あり、のなんでもありといってもいいくらいの幅の広いゲームになっています。 その中のコンテンツの1つに「麦端をゆるがす戦い」というコンテンツがあります。 2キロほど離れた陣営に敵と味方にわかれ、木の柵で囲まれた陣営をまもり、相手の陣営を攻める戦争になります。 攻城戦とは異なり、城はなく、陣地を責めるための兵器などもありません。 純粋に人による武力のみで制圧する戦争になります。 陣営の中にはクリスタルと陣地を守る少し強めのNPCと3問の強力な大砲、一定時間ごとに発生する相手陣地へと突っ込む兵士がこのコンテンツで発生するものです。 そして私はこのゲームをすることで初めて知ることができました。 数は力ということを。 私の見方の陣営の数は200人前後、相手の陣営の数は100人たらずといったところ。 この状況で戦争がはじまりました。 もちろん相手の数は戦争がはじまる前にはわからず戦争を行っている最中にあたってみた感じで把握した大体の数です。 正面衝突がおきました。 200人対100人 あまり数の差がないように思えると思いますが、これはもう圧倒的な差でした。 ものの2,3分で相手は蹴散らされ、5分前後で戦争は終結してしまったのです。 まさに赤子の手をひねるがごとく簡単な戦争でした。 昔の戦争は3倍の戦力差を圧倒する戦略とかもあったそうですが、実際に数の力を感じてみるとそのすごさがわかります。 現代の戦争とはまた違うとは思いますがね。

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青は藍より出でて藍より青し

【漢字】青は藍より出でて藍より青し 【読み】あおはあいよりいでてあいよりあおし 【意味】藍という原料から採れる青の染料は藍より濃く鮮やかなものである。弟子が師匠の元で学んだのち、師匠を超えてより素晴らしい作品を造ること。 【例文1】君は上達が早かったので、青は藍より出でて藍より青しだと思ったよ。 【例文2】青は藍より出でて藍より青しを目指す。 【例文3】努力の結果、青は藍より出でて藍より青し。 青は藍より出でて藍より青しの言葉の意味ですが、弟子が師匠を超え様々な学識や技術、知識等を習得した様を表現した言葉です。藍は、その昔から染料として使われてきた藍草の事ですが、藍草で染めた布などは藍草よりもより鮮明な青が出る事から、この言葉が生まれた物です。人に例えた場合、藍は師匠や先輩を、青は弟子であったり後輩部下を意味しており、弟子や後輩はその師匠や先輩の指導があるお陰で厳しい修行に耐え、勉強になる事も多々あり、その長年に渡る努力の結果としていつの日か師匠や先輩を超えて行くものですし、師匠や先輩はその事を望んでおります。具体的な使われ方としては「彼もいつの間にか師匠を超えた作品を作れる様になった物だ。まさしく青は藍より出でて藍より青しだね」等と使います。類似の言葉としては、トンビがタカをうむ、出藍のほまれ、氷は水より出でて水よりも寒し等が有り、言葉の意味合いは同じ様な意味合いとして使われます。又、この様な考え方を持てる師匠や上司は、気持ちを大きく持て、しかも弟子や部下の成長を心から喜べる人間です。弟子や部下が巣立って行く姿を心から喜び祝福出来る人間だからこそ、この言葉がぴったり合う物と考えます。 青は藍より出でて藍より青しとは文字通り藍から出た青がより精錬されているという意味です。一般的に弟子が師匠を超えることの例えとして使われます。この言葉は人間という生き物においてとても重要なポイントを抑えていると私は考えています。 人間は学ぶ生き物であり、常に先人の知恵を多く借りています。例えば学問ならば、現代では学校という形で多くの人が先人の知識を教えられています。これの目的とすることは結局藍より青くなることなのです。現代技術がどのように発展しているか、その最先端を知ることで、より先に進むことが出来るからです。学校など数多くの学びの場が仮になかったとすると、私たちは今でも古代の生活をしなければなりません。知識の伝達という物は進化のためにそれだけ重要なことなのです。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」というビスマルクの言葉があります。これはよく誤解されるのですが、正確には愚者は経験に「のみ」学ぶという意味が正確です。上に書いたことからわかるかと思いますが、経験にのみ学ぶということはとても危うい行為なのです。自分の経験で一から積み上げる行為は原始人と同列になってしまいます。歴史は繰り返す、というのも歴史を顧みない人々が起こす愚であるのです。人類がより深い青色に染まる為にも、先人の話はしっかりと聞き入れるようにするべきです。 「青は藍より出でて藍より青し」(あおはあいよりいでてあいよりあおし)は有名なことわざですよね。意味としては。弟子が師匠の技術や学識を超えるという意味です。同義語や類義語は、「氷は水より出でて水より寒し」(こおりはみずよりいでてみずよりさむし)や「出藍の誉れ」(しゅつれんのほまれ)等があります。「藍」とは、染料時に使用する藍草のことであり、その藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となる。このことから、その関係性を師匠と弟子にあてはめ、弟子が師匠の技術や学識を超えるという意味のことわざ「青は藍より出でて藍より青し」が出来たそうです。実際にこの関係性は、タレントで元テニスプレーヤー松岡修造さんとプロテニスプレーヤー錦織圭選手に当てはまると思います。錦織圭選手はまだ小さい時に、松岡修造さんのテニス塾生で松岡修造さんからテニスの熱い指導を受けていたことは有名ですよね。そして、今ではランキングトップテンに入るくらいの超一流プレーヤーになりました。タレントの松岡修造さんもウインブルトン選手権男子シングルグランドスラムベスト8に進出した実績がありますが、錦織圭選手は四大会の決勝進出するくらいのレベルの選手になったために、まさに「青は藍より出でて藍より青し」ですよね。でも、松岡修造さんの存在が無ければ今の錦織圭選手の勇姿を見ることが出来なかったかもしれませんね。

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青菜に塩

【漢字】青菜に塩 【読み】あおなにしお 【意味】青野菜に塩をふるとしおれてしまうことから、それまで威勢がよかった人が急に元気がなくなる。 【例文1】彼は自信満々だったが、試験に落ちて青菜に塩状態だ。 【例文2】フラれるとは思ってなかったので青菜に塩だ。 【例文3】事業拡張に失敗して青菜に塩だ。 塩分の摂取量も重要なチェック項目なので、一回の食事・一日の総摂取量にまで気を回す人もいるくらいです。 そんな中でわざわざ青菜に塩をふりかけることがあるでしょうか。 せいぜいホウレン草を茹でるときに一つまみ鍋に入れる程度のものです。 冬場でも青々とした野菜が購入できるので、ことさら保存用にするため青菜の漬物を作る人もいるとは思えません。 味が薄ければ、酢やコショウ、ドレッシングなどでいくらでも調整がききます。 とりたてて青菜に塩をかける必要はないでしょう。 抽象的な意味での青菜に塩な状況は、実生活においてはそれほど珍しいものでもありません。 健康に気をつけ平穏無事を願っても、時として突然に塩のような待遇や事件は巡ってきます。 突然に襲ってくるのですから避けるのも難しく覚悟も足りていないのが普通です。 そのような状況で頑張れという言葉はきつ過ぎるので、気を落とさないようにと慰めるのが精々です。 一緒になって落ち込むとさらに鬱状態になるので、場か騒ぎする人もいますがこれも違うような気がします。 塩漬けの野菜を水で戻すように、時間をかけなければ元通りの精神状態に回復するのは難しいものです。 それでも野菜と違って人間はいつか立ち直らなければならないのですから人生は厳しいと言えます。

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青田買い

【漢字】青田買い 【読み】あおたがい 【意味】まだ稲が青い田んぼの収穫量を見越して米を買い取ることから、将来性に期待して卒業前の優秀な人物と採用契約を結ぶこと。 【例文1】大手企業から青田買いの話がきた。 【例文2】在学中に青田買いが決まった。 【例文3】青田買いに期待する。 「青田買い」とは、優秀な人材を早期に確保することを表す慣用句です。主に、企業などが優秀な学生を早い段階から囲い込むことを表すのに用います。では、この「青田」とな何なのでしょうか。 「青田」とは、まだ稲が実っていない状態の田んぼのことなのです。まだ稲が実っていないので、青々としているから「青い田んぼ」で「青田」と言います。そして、その状態の田んぼから、その年の収穫量を見積り、先行投資をするということで、「青田買い」となったのです。 また、よく混同される言葉として「青田刈り」というものがあります。こちらは、戦国時代の戦法の一つで、敵が籠城した際に、敵地の青田を刈り取ってしまい、食糧不足にしてしまう兵糧攻めのことです。そのため、企業などが学生に早く内定を出して確保してしまうことに対して、「青田刈り」というのは誤っています。ただ、適性も分からないままで入る企業が決まってしまい、自己分析や就職活動をしっかりやらないで内定が出てしまうことによって、若い才能が刈り取られてしまうという皮肉を込めて「青田買い」を「青田刈り」と言っているのであれば、あながち間違っているとも言い切れません。 何にせよ、先を見据えた先行投資というのは、この社会で成功する一つの手段であるのは間違いありません。みなさんも「青田」を見つけたら買ってみるといいかもしれません。 最近は若干ピークを過ぎてきた感のあるアイドル界隈。 AKBが目立って売れてきたあたりからいろんなアイドル、主にグループ活動される方がたくさん出てきた感があります。 こうして登場したアイドルの方に認知してもらおうと握手会やミニライブ等のイベントに足繁く通うファンは 青田買いしてるようです。活動開始、デビューした早くから目をつけ、推しの子を見つけて 握手券を大量に入手し何度も列に並んでループしたり、ライブがあれば早くから会場に入り 最前部を確保してイベント中に推しの子にアピール。 ファンが増え、活動が盛り上がっていけば古くからのファンは鼻高々に周りの知人にこう話すんです。 「俺、デビューの頃からファンだった」 この瞬間がたまらないんです。 かなり人気のタレントのファンを長くやっていて、しかも足繁く通っていたので認知されている、 この“武勇伝”を語るのが最高のひとときなんです。 よく、何度も同じイベントに行くのはどうなのか、とか言われる方や 逆に出待ち入り待ちまでならまだ許されるところもありますが、 タクシーで自宅まで追いかけちゃったりと度を超えた行動をとられてしまう方がいますが、 そういった部分に食い込むことなく正統派のファンとして、ある種誇りを持ってファン活動を行ってほしいと、 最近のイベント会場を荒らすだけに成り下がってしまっている“自称”ファンの方に言いたいと思います。

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青筋を立てる

【漢字】青筋を立てる 【読み】あおすじをたてる 【意味】静脈が浮き出るほどひどく怒る。 【例文1】毎回デートに遅れる彼氏に青筋を立てる。 【例文2】毎晩飲み歩く夫に青筋を立てる。 【例文3】行列に割り込む者に青筋を立てる。 昨日旦那から日中にラインが届いき何事なのかと思って、ドキドキしながら開いたら、一昨日夜に子どもを連れてライブへ行ったことに対する苦情でした。ライブへ連れて行くのはいいけど、耳栓させろ、と。それを読んだ自分は電車の中で青筋立てる。そんなこと、ずっと前から分かってる、ということをどうして分からないんだろう。そんなに私はそこまで子どものことに無頓着なわけではないのに。耳栓はドラッグストアで買ってつけさせようとしたけど、子ども達はつける気なくてはずしちゃうんです。と返信したかったけれども、そこはグッとこらえました。 その次の朝には、また夕御飯が残っていたので、朝から青筋立てるはめになりました。歯の治療をしてるから食べれなかったのかと旦那様に尋ねたところ、もう歯の治療で痛いわけではないけれども、食べたカスが治療のところに入るのが痛いということです。それなら、何なら食べれるのかを聞いたら、柔らかいものなら大丈夫という返事でした。そういう話はもっと早めにして欲しいものです。どうしてそういう伝えて欲しいことを伝えてくれないのに、どうでもいいようなことは伝えてくるのか?というこの気持ちのスレ違いがどうしようもない。

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青色吐息

【漢字】青色吐息 【読み】あおいきといき 【意味】ため息が出るくらい弱々しい息で、元気がない様子。 【例文1】また試験に落ちて青息吐息状態だ。 【例文2】お見合い相手に断られて青色吐息みたいだ。 【例文3】恋人にフラれ青色吐息だ。 子どもと休みの日を利用して、地方にある神社に行きました。その神社は山頂に本堂があり、参拝するには約1時間かけて階段を登る必要があります。 そこは観光スポットにもなっているので、沢山の家族連れが来ていました。私は体力には少し自信があったので、階段を登りながら小学生の子どもを心配していました。 登り始めて10分経過すると、私の体力はすでに無くなりそうで引き返そうかと思いした。ところが、子どもは楽しそうに先に早足で階段を登っていたので、引き返そうにも引き返えせず、私も登り続け30分経過したあたりで休憩をとりました。 私は既に足が棒になり、喉が乾くので持参していた飲み物を全部飲んでしまい、子どもの水筒しかなくなってしまいました。その水筒は子どもに全部飲ませたかったので、気合いを入れて早く山頂に行き水分を補給しようと思い、それを希望に階段を登り続けました。 山頂まで残り10分位の地点で、私は歩けなくなり階段に座りこんでしまいました。もう声も出ない位に疲れ、足に激痛が走り階段をそれ以上登れなくなり、困り果てた私は青色吐息しかでませんでした。 結局山頂には子どもだけ行って、水筒に水を補給して戻ってきました。階段で子どもの帰りを待ち、水筒の水を飲ませてもらいなんとか下山しました。情けなく大変な一日となり、辛い思い出になりました。

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阿吽の呼吸

【漢字】阿吽の呼吸 【読み】あうんのこきゅう 【意味】両者の動作がぴったり合っている。 【例文1】ペアの競技は阿吽の呼吸が大事。 【例文2】長年の付き合いがある友人とは阿吽の呼吸だ。 【例文3】阿吽の呼吸で作業する。 阿吽の呼吸の阿吽は、阿は吐く息を意味して吽は吸う息を意味していると言われます。 吐く息と吸う息がぴったり合っている、息が合っている、とてもいいバランスを保っているという意味でよく「阿吽の呼吸」は使われます。 「阿吽の呼吸」の相手がいる事は素晴らしいことです。 でもこれは、経験上長く一緒にいればいいというものでもありません。 我が家は食事をした後は夫婦で洗い物をすることがルールになっています。 もう長く続いた我が家のルールです。 主人が食器を洗って私がすすぐ、ポジションも決まっています。 もう何十年と続いていることなので、「阿吽の呼吸」で言葉など発しなくてもスムーズに進んでもいいはずなんですが 「ちょっと、もう少し離れてくれない?肘が当たってやりづらい!」 「もっと水道の水抑えろよ!水が飛び散るだろ!」 「ちょっと、大きなものから洗うとか工夫してよ!すすぎにくいじゃん!」 「早くすすげよ!洗った皿置くスペースがない!」 「ちゃんと洗ってよ!汚れが残ってるでしょ!洗いなおして!」 「そんなのちゃんとすすげば落ちるだろ!」 「洗剤使い過ぎ!もったいないでしょ!」 「いちいちうるせいな!姑ババアみてーだ!」 阿吽の呼吸どころか、毎回言い争いの毎日です。 阿吽の呼吸で洗い物が終わる日はいつ来るのでしょうか? 「阿吽の呼吸」とはよく言いますが、では「阿吽」ってなんなんだろう?と思ったこと、ありますよね。 そもそも「阿吽の呼吸」とは、「とある二人(たまに二人以上のこともありますが)について、ぴったりと息が合っているようす」を指した言葉です。そのため、わたしはてっきり「阿」さんと「吽」さんがいるのだろうと思っていたのですが、最近調べてみて、勘違いだったと気づいてしまいました。 「阿」とは、口を開けて最初に出る音、「吽」とは、口を閉じたとき最後に出る音を指した言葉なのだそうです。それが転じて、宇宙のはじまりと終わり、人生のはじまりから終わりまでを指す宗教上での言葉になったんだとか。でも、その意味と「阿吽の呼吸」という言葉は、なんとなくまだぴったり合わないような気がしますよね。 実は、その「阿吽」が仏教用語として使われるようになってから、狛犬や金剛力士像など、対になって神社仏閣に置かれる像について、片方を「阿形(あぎょう)」もう片方を「吽形(うんぎょう)」と呼ぶようになったんだそうです。そこから「阿」と「吽」を人や動物のペアに対して使用するようになり、その結果息が合った二者に対して「阿吽の呼吸」という言葉を使うようになったみたいです。

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会うは別れの始め

【漢字】会うは別れの始め 【読み】あうはわかれのはじめ 【意味】出会いがあれば必ず別れる時がある。 【例文1】転勤族なので、会うは別れの始めが多い。 【例文2】会うは別れの始めの出会いを大切にする。 【例文3】会うは別れの始めだけど、SNSでどこにいても連絡が取り合える。 「会うは別れの始め」は仏教の経典に書かれている「会者定離(えしゃじょうり)」から生まれた言葉で永遠に変わらず続く世界はなく変化は必ず訪れるという人生の無常観を表した言葉です。無常観とは世界がひとときも止まることなく常に変化しているということ、「会者定離」とは会う者は離れる定めにあるという意味です。仲の良かった友人とふとした行き違いから疎遠になったり、大好きだった恋人と心変わりから別れてしまったり、おしどり夫婦と言われるほど仲の良い夫婦にも出来心からの不貞などで離婚してしまうこともあるものです。行き違いからの別れは防ぐことができるかもしれませんし、またどこかで再会し関係を築ける日が来るかもしれませんが、誰にでも訪れる死からは誰も逃れることはできません。病気である程度覚悟して迎えられる死もあればある日突然訪れる死もあります。覚悟していても突然に訪れても永遠に別れることは辛く悲しいものです。今日笑いあって楽しく過ごしている相手と明日も同じように過ごせるとは限らないのです。出会った瞬間から別れへのカウントダウンは始まっているのです。だからこそ会っている時間の一瞬一瞬を大切に相手を思いやって過ごす事を忘れてはならないのです。 私は学校の卒業式などの場でも泣くことのない子どもでした。 そもそも卒業式であまり悲しいと思ったこともなく、なぜ周りの人間が泣いているのか分かりませんでした。 今にして思えば友達との別れに対して鈍感な人間だったのだと思います。 私は幼い頃からたびたび引っ越しをしており、そのたびに友達との別れを経験してきました。 幼い頃は別れというものがどういうものなのかがあまり理解できず、また理解できたとしてもその別れは当時の自分にはどうすることもできないものであるため、なりゆきに身を任せるほかに手段がありませんでした。 友達との別れの経験が人よりも多かったため、いつからか人と初めて会った段階から「会うは別れの始め」といった感覚が自然と身に付くようになったのかもしれません。 両親から引っ越しを告げられ、ずっと一緒にいられると思っていた友達と別れなければならない経験をくり返すと、別れが当たり前のように思えてくるため「別れ」という ものが気にならなくなります。 別れは感覚的にドラマチックなもののように思えるので、みな「別れ」に焦点を当てがちですが、その後に待っている「出会い」に焦点を当てて考えることで前途が開けてくるような気がしています。

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曖昧模糊

【漢字】曖昧模糊 【読み】あいまいもこ 【意味】曖昧も模糊も同じ意味なので、はっきりせず、ぼんやりした様子をより強調した言葉。 【例文1】曖昧模糊だから彼女にフラれるんだよ。 【例文2】彼の話は曖昧模糊で信ぴょう性がない。 【例文3】曖昧模糊なんだから!はっきりしてよ。 曖昧模糊とは、本質や実態がぼんやりしていてはっきりわからない事を言います。聞き慣れない、曖昧という意味は現代風に言えば、ピンぼけ状態の事です。模糊は液体と固体の要素を両方持ち合わせていて、どちらにも決められないような状態を言います。これも現代風に言えばゲル状です。 例えば、このように使います。あなたの説明では曖昧模糊としていて、私たちはどのような対応を取ったら良いかわかりませんというような言い方をします。 この言葉は、政治の問題を考えると、ぴたりと当て余るような状態を想像できるのではないでしょうか。とかくオブラートに包み、はっきりさせずになんとなく終わらせてしまうという事が時々あります。 また、言葉ではいろいろと理想を掲げていても、良く聞いてみると何が言いたいのか解らないという場合にも、曖昧模糊という言葉が当てはまります。 日本人ははっきり物を言わずに、霞が掛かったような言い方をするのが良いとされていた時代があります。しかし、グローバルな現代では通用しません。はっきり、イエス、ノーを言い、自分の意見を単純明快に述べることが重要になってきます。今や曖昧模糊では、仕事はできません。余り良い意味ではありませんが、日本人のちょっと気を使った言い方ととらえるのが良いのでしょう。

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愛別離苦

【漢字】愛別離苦 【読み】あいべつりく 【意味】愛する親子、兄弟、夫婦間に起こる別れの辛さや悲しみ。 【例文1】独身の君には愛別離苦なんかわかるまい。 【例文2】愛別離苦でさぞ悲しんでいる事でしょう。 【例文3】愛別離苦こそつらい事はない。 愛別離苦とは肉親の間での別れや悲しい出来事です。 できれば味わいたくないものです。 おなかを痛めて産んだ愛しい我が子がある日突然、不慮の事故や病気などで この世からいなくなったとしたらどうでしょうか? 同じ母親としての気持ちは痛いほどわかっているつもりです。 半年前、息子の同級生が交通事故に巻き込まれ意識重体で病院に運ばれたと聞いて、息子と駆けつけました。2日間意識が戻りません。一睡もせず、わが子に付き添っているお母さんや親族のお顔を見るとなんて言葉をかけたらいいかわかりませんでした。ただただ涙が溢れ出るばかりでした。お通夜、葬儀でもお母さんは気丈に挨拶をしていました。私はすごいなと思いました。おそらく私だったら、泣き叫んでいるでしょう。人様の前にも立てないくらい憔悴しきっているかもしれません。 女手ひとつで育てた愛する者との別れはあまりにも寂しいものだと強く思いました。後から聞いた話ですが、葬儀が終わった後丸2日間、眠りに就いたそうです。

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合いの手を入れる

【漢字】合いの手を入れる 【読み】あいのてをいれる 【意味】音楽や踊りに合わせて楽器で盛り上げたり、掛け声を加える。 【例文1】カラオケで合いの手を入れ盛り上げる。 【例文2】ホストクラブで合いの手を入れてシャンパンコールする。 【例文3】合いの手を入れる声が揃う。 合いの手を入れるはよく聞く言葉ですが、実際はどのような意味なのでしょうか。 歌にタイミングよく入れる調子のいい相槌のようなものです。 歌や踊りに合わせて手拍子を打ったり、掛け声をかけること。人との会話で、相手の話を促したり、うまく話題を展開したりするために、言葉を挟むことです。 そういえば80年代のアイドル歌手のカラオケにも合いの手を入れていました。有名なのは中森明菜さんのDESIRE。 色々なパターンがありましたが、「まっさかさまに 堕ちてDESIRE ~」と歌うと合いの手軍団が(落ちたら早いよ水商売!)などと合いの手を入れていました。 年代がバレますね。今の若い子はわかりますかね~? 今時のカラオケでは合いの手はしないと聞きますが、邪魔されたくないという思いからでしょうね。 反対に夜の世界はだんだんと派手に合いの手をいれて盛り上げますね。 主役はいい気分でしょうが、周りは競争心をあおられているようにも思いますがね。

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相槌を打つ

【漢字】相槌を打つ 【読み】あいづちをうつ 【意味】相手の話に合わせて受け答えする。 【例文1】彼女はいつも相槌を打つだけで聞き上手だ。 【例文2】うまく相槌を打って契約を取る。 【例文3】つまらない話に相槌だけを打つ。 人との会話の中で「相槌をうつこと」は実はとても重要な項目です。 意識はしていないかもしれませんが、相槌をきちんとうつことで相手は「わかってくれているんだな」と感じて、安心して会話することができるのです。 でも相槌の打ち方で更に相手に安心感を与えて話を盛り上げたり、相手の話を引き出しやすいテクニックもあります。 まずは相手の目を見ることです。当たり前、と思うかもしれませんが、案外人は(特に日本人は)話すときに相手の目を見るのが苦手な人も多いんですよね。 だけど相手の目をみながら相槌をうつことで、相手は「自分の話を興味をもって聞いてくれている」と強く感じます。 気になる異性へのアプローチとしても使えるので、会話を盛り上げることばかり考えるのではなく、相手の話を引き出す第一歩と考えて目を見て会話をするようにしましょう。 また、相手に「私はあなたの意見に同意していますよ」というアピールを入れていくのも一つのテクニック。 例えば会話の山場や相手の伝えたい本質が見えたときなどに「なるほど!」や「すごく共感できます」などのワードを入れると相槌だけで会話を盛り上げることができるんです。相槌は人と話す上ではかかせないコミュニケーションですが、いわゆる「聞き上手」と言われている人たちというのは、相槌を打つプロ、でもあるんですよね。

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開いた口が塞がらない

【漢字】開いた口が塞がらない 【読み】あいたくちがふさがらない 【意味】口がポカーンと開いた様子から、驚きと呆れで言葉が出ない様子。 【例文1】財布を5回も落とすなんて・・まったく開いた口が塞がらない。 【例文2】大人になっても屁理屈ばかりでホント開いた口が塞がらない。 【例文3】万引きしても違うと言い張る容疑に開いた口が塞がらない。 私が住んでいるマンションは、建設当時は結構高い金額で販売しており、近所からは「バブルマンション」と呼ばれていました。 私たちが購入したのはバブルがはじけてから数年後。販売元にも「これ以上の底値はない」と言われ購入しましたが・・・その後も下がるわ下がるわでもう大変!住民たちは売るに売れず、築25年を過ぎた今は購入時の5分の1以下まで下がっています。 そんな状況でも、色々な理由で手放さざるを得ない住民が売り始め、安い金額で購入した「新住民」たちが入ってきました。 どこのマンションでもある話かもしれませんが、我がマンションも「旧住民」と「新住民」の二極化が進んできました。 「新住民」はまだお子さんが小さい若い世代の方が多いです。私たちが購入したときもまだ若かったのですが、購入金額が倍の倍の倍くらい違う・・・。 先日仕事から帰宅し、マンションのエントランスドアを開けた際、ぷーんと何かの匂いがしました。 集合ポストの前に来ると、店屋物の器・・・しかも洗って無く「つゆ」が入ったまま! 頭の中で勝手に「新住民の仕業」だと決めつけていました。「全くもう!今の若い世代は!お里が知れるわ!」と思いながら玄関を開け、リビングに行くと電話台に近所の蕎麦屋のメニュが・・! 犯人は我が息子でした。開いた口が塞がらないとはまさにこのことでした!

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愛想を尽かす

【漢字】愛想を尽かす 【読み】あいそをつかす 【意味】呆れて見放す。 【例文1】何事にも頑固な彼だから周囲から愛想尽かされる。 【例文2】愛想を尽かして家を出る。 【例文3】愛想尽かされてフラれる。 「愛想を尽かす」の愛想は「人に示す好意、愛らしい様子。好意のあらわれとしてもてなす茶菓子やお世辞。飲食店などでのお勘定、勘定書き」の三つがその意味です。「愛想を尽かす」で「嫌になって取り合わないようにすること」です。飲食店などで年配の方が連れの人におごる時に「お愛想」と言うのを聞いたことがありますが、「お勘定」とか「お支払い」と言うより粋ですよね。歌舞伎や落語で「愛想を尽かす」という場面では大概、男女の縁切りを迫る時ですね。怪談の「四谷怪談」もそうですし、「牡丹灯籠」もそうです。無理に縁切りを迫り殺してしまったり、死んでしまったりすることが仇となり、幽霊がという怖いお話です。落語の名作「芝浜」では年の暮れだというのに酒を飲んでばかりの魚やの夫が芝の砂浜でお財布を拾い、大金が入っているのを見て遊んで暮らすからと妻に宣言し、酒を呑んで寝てしまい、起きてみると財布を拾ったことは夢だと妻が言い張ります。亭主はさっき呑んだ酒の代金すら払えない事態に真っ青になり、もう酒は呑まず仕事に励むことを妻に約束し、仕事に行きます。それから十年、番所に届けた落とし主不明で戻ってきたのを機に、妻が「愛想を尽かされる」ことを覚悟のうえで真実を打ち明けます。夫は妻の機転に感謝し、これからも真面目に働くことを約束するという話です。江戸時代は夫側から「愛想を尽かし」離縁するのは「三下り半」、つまり三行半の文章で離縁を申し渡すだけで済んだのにも関わらず、妻側からは縁切寺に駆け込むなどしないと難しかったようです。女性には大変な時代でした。

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合縁奇縁

【漢字】合縁奇縁 【読み】あいえんきえん 【意味】人と人との結びつきは気が合う縁と不思議な縁の巡り合わせによるもの。主に男女間で用いられる。 【例文1】彼女と再会できたのも合縁奇縁で運命を感じる。 【例文2】旅先での合縁奇縁がきっかけで付き合うようになった。 【例文3】家族を持てたのも合縁奇縁に感謝する。 ぱっと見て、分かるような分からないような言葉。読み方は「あいえんきえん」人と人との繋がりは、見えない縁に依るもの、という意味です。 夫婦など男女の繋がりによく使います。 合縁は相縁とも書き、気心がよく合う間柄のことで愛縁と書くと、より男女の間柄を指す言葉になります。奇縁は字の通り、不思議な巡り合わせによる縁のことでこの二つの熟語が合わさり合縁奇縁となるのです。 見えない赤い糸に結ばれて、などと結婚式のスピーチでよく聞くが、まさにそれこそが合縁奇縁。 いつの世も、若者達が思い描く将来の伴侶は美しい理想像だけれども実際に出会う相手は、たいてい理想とはかけ離れた人物だったりするものです。 心の片隅ではこんなはずじゃなかったと否定してみるものの、どう抗ってもその理想とは間逆とも言える相手に惹かれてしまいがちです。そのうち、側にいるとなぜだかしっくり落ち着いてくるようになるものです。 そして共に過ごす時間が当たり前となり、長い年月が経過したならば、これで良かったのだと思えるようになるから不思議なものですね。。 宗教家ならば、それこそが合縁奇縁、前世からの縁なのだと説くのでしょうか。 まあ、前世からの縁で相手が決められているというのはつまらなくもあります。繋がれた赤い糸ならぬ合縁奇縁の相手を探す楽しみがあると思えばそれもまた良しとします。

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ああ言えばこう言う

【漢字】ああ言えばこう言う 【読み】ああいえばこういう 【意味】相手の言うことにそのつど理屈をつけて逆らう。 【例文1】子どもが反抗期に入ったようだ。何でもああ言えばこう言う状態で、子育ては難しい。 【例文2】ああ言えばこう言ってばかり反抗して困ったもんだ。 【例文3】ああ言えばこう言うので無視する。 うちの息子は小さい時からおしゃべりで、男の子なのに珍しいわねと言われる事が多い子でした。大きくなれば親に反抗したりして話をしなくなるだろうと思っていたのですが、全然静かになる事はありません。私が知らんぷりしていると、聞いてる?ねえ、無視してる?とこちらが何か答えるまでしつこく聞いてくるほどです。 そんな息子は、誤ったり自分が悪いと認めるのも苦手です。私が注意すると、ああ言えばこう言うで言い返してきて全く引きません。こちらもカッとなって言い返したらどんどんエスカレートしていくので、少し冷静になって話を進めるのですが、正論を言ってる事も多いので何でもかんでも言い訳をしているようでもないみたいです。 先日、主人と息子が話をしていてバトルになりました。息子はいつもの調子でどんどん言い返していたのですが、普段おとなしい主人に最後に怒鳴られたのでびっくりして黙ってしまいました。私もびっくりしましたが、息子がいい返さなくなったのにもびっくり!いつも私は色々言いすぎて、免疫ができちゃったのかなと思ったらちょっとおかしくなってしまいました。たまにガツン!と言った方が効き目があるんでしょうかね。 そんな息子ですが、後で話を聞くと自分が悪い事も分かっていて素直に謝れない事も反省はしているみたいです。意地っ張りな所は私に似たのかも。。なんて思いますが、話すことばかりじゃなくて聞き上手にも少しだけなってくれればいいなぁと思っています。

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