会うは別れの始め

【漢字】会うは別れの始め
【読み】あうはわかれのはじめ
【意味】出会いがあれば必ず別れる時がある。
【例文1】転勤族なので、会うは別れの始めが多い。
【例文2】会うは別れの始めの出会いを大切にする。
【例文3】会うは別れの始めだけど、SNSでどこにいても連絡が取り合える。

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いつか別れが来るからこそ今を大切に

「会うは別れの始め」は仏教の経典に書かれている「会者定離(えしゃじょうり)」から生まれた言葉で永遠に変わらず続く世界はなく変化は必ず訪れるという人生の無常観を表した言葉です。無常観とは世界がひとときも止まることなく常に変化しているということ、「会者定離」とは会う者は離れる定めにあるという意味です。仲の良かった友人とふとした行き違いから疎遠になったり、大好きだった恋人と心変わりから別れてしまったり、おしどり夫婦と言われるほど仲の良い夫婦にも出来心からの不貞などで離婚してしまうこともあるものです。行き違いからの別れは防ぐことができるかもしれませんし、またどこかで再会し関係を築ける日が来るかもしれませんが、誰にでも訪れる死からは誰も逃れることはできません。病気である程度覚悟して迎えられる死もあればある日突然訪れる死もあります。覚悟していても突然に訪れても永遠に別れることは辛く悲しいものです。今日笑いあって楽しく過ごしている相手と明日も同じように過ごせるとは限らないのです。出会った瞬間から別れへのカウントダウンは始まっているのです。だからこそ会っている時間の一瞬一瞬を大切に相手を思いやって過ごす事を忘れてはならないのです。

「会うは別れの始め」を自然と知った子ども時代

私は学校の卒業式などの場でも泣くことのない子どもでした。
そもそも卒業式であまり悲しいと思ったこともなく、なぜ周りの人間が泣いているのか分かりませんでした。
今にして思えば友達との別れに対して鈍感な人間だったのだと思います。
私は幼い頃からたびたび引っ越しをしており、そのたびに友達との別れを経験してきました。
幼い頃は別れというものがどういうものなのかがあまり理解できず、また理解できたとしてもその別れは当時の自分にはどうすることもできないものであるため、なりゆきに身を任せるほかに手段がありませんでした。
友達との別れの経験が人よりも多かったため、いつからか人と初めて会った段階から「会うは別れの始め」といった感覚が自然と身に付くようになったのかもしれません。
両親から引っ越しを告げられ、ずっと一緒にいられると思っていた友達と別れなければならない経験をくり返すと、別れが当たり前のように思えてくるため「別れ」という
ものが気にならなくなります。
別れは感覚的にドラマチックなもののように思えるので、みな「別れ」に焦点を当てがちですが、その後に待っている「出会い」に焦点を当てて考えることで前途が開けてくるような気がしています。