【漢字】遠慮会釈もない 【読み】えんりょえしゃくもない 【意味】相手の事も考えず、強引に進めること。 【例文1】彼の遠慮会釈もない態度に愛想尽かす。 【例文2】遠慮会釈もない者とは取引きはしない。 【例文3】遠慮会釈もない客。 親族でレストランへに食事会に行った時のことです。私たち家族、主人の親夫婦、主人の姉家族と10人以上の大所帯となりましたが、伺う時間を連絡し予約を取っていたため、混雑する時間帯にも関わらず並ぶことなく席に着くことができました。人も大勢いる中で一目も気にせず大声で喧嘩する舅と姑。別に耳が悪いわけではないのにメニューを決めるのにも一悶着。姉家族の子ども達も店内を走り回り、親も注意をするわけでもなく好き放題にさせています。 そして空気のように振る舞う主人。注文しても届くのが遅いやら、届いた商品がぬるい、味が濃くて口に合わないなど毎度のことながら傍若無人な振る舞いに辟易です。その字の如く、本当に傍に誰も居なければ良かったのですが、お昼時で満席になっていたため申し訳なさ過ぎてそのお店はもう利用できません。傍若無人の反対の意味になる遠慮会釈という言葉があり、遠慮会釈もなくとなると傍若無人と同意語になるわけですね。遠慮会釈とだけ聞くと日本人としてとても落ち着く字面です。主人の親や姉に私が何かを言うと経験上罵詈雑言が飛んでくるのはわかっているのでこちらとしては反面教師とし慎ましく控えめに他人を思いやる心を忘れずにいたいものです。 「遠慮会釈もない」という慣用句がありますが、ときどきこの慣用句を間違った読みで覚えてしまっている人がいるようです。この慣用句は、「えんりょえしゃくもない」と読みます。 ちなみに「遠慮会釈もない」とは、「相手に対して遠慮をしたり、会釈(あいさつの意味を込めてお辞儀をするという意味の言葉で、えしゃくと読みます)をすることもなく、強引にものごとを進めていく様子のことを指している言葉です。 実は、わたし、以前はこの言葉の読みを間違っていました。「かいしゃく」という言葉については、切腹をする人の横に立って、長く傷みで苦しまなくてよいようにしっかりと切ってあげる「介錯(かいしゃく)」だと勘違いをしていたのです。しかも、そのためにわたしは「遠慮会釈もない」の意味も間違ったまま理解していて、「切腹をするときに隣にいてもらうぐらい仲のいい二人で、もちろん遠慮をする必要もないような、親しい間がら」のことを指しているのだとばかり思っていました。幸か不幸か、日常会話でわざわざ「遠慮会釈もない」という慣用句をとっさに使うこともなかったので、気づいたとき一人で恥ずかしくなっただけで済みました。 遠慮会釈もないとは、相手に対する思いやりがなく、自分の思い通りに物事を勧めることをいいます。一言で言えば、ワンマンという事でしょうか。 このようなリーダーは確かに成功はするでしょうが、長続きはしないはずです。がむしゃらに頂点を目指しているときには、ぐいぐい引っ張って行く人は必要でしょう。しかし、ある程度の場所まで来たときも、同じように自分の思い通りに運ぼうとしても、誰も付いてはきません。もう、誰もが考えて行動ができるようになっているからです。 時代劇を見ていると、何でも自分の言うとおりにしないと気が済まない殿様が出て来ます。しかし、いつか謀反が起き、失脚してしまいます。もちろん、物語の中のことですから、勧善懲悪なのでしょうが、実社会においても同じです。 現代では、このようなリーダーはまず通用しません。一時代前なら、通用したかもしれませんが、誰もが多くの情報を入手でき、考え意見を述べられるのですから、心ない人は排除されていくしかありません。 半世紀前の親も子どもに対して、遠慮会釈が無かったものですが、そのように育てられた人たちは、自分の子どもにそのような仕打ちはしないようになりました。押しつける事は例え親であっても間違っているのですから。
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