【漢字】勇断を下す 【読み】ゆうだんをくだす 【意味】勇気を出して決断する。 【例文1】同僚に不正を持ちかけられたが、きっぱり勇断を下す。 【例文2】勇断を下す想いで店をたたむ。 【例文3】転職の勇断を下す。 勇断とは、勇気をもって決断すること、勇気のある決断のことを言います。 会社の経営において、ターニングポイントで経営者が勇断を下す場合があると思います。 特に民事再生法の適用有無については、将来の会社を再生していく手段をどのようにするか、大変な勇断を迫られることとなります。 一方で、登山の経験をしている方にとっては、勇断を下す局面が多いと思います。 例えば、富士山の登山です。 最近は富士山ブームと登山ブームとが重なり、毎年富士山にたくさんの方が登山されます。 富士山に登山する場合、気をつけなければならないのは低酸素による過呼吸です。 富士山の7合目以降は、酸素も薄くなりますので、ゆっくりと呼吸を整えながら登山をしていくことになりますが、それでも過呼吸の状態になることもあります。 私も妻と富士山登山をしていましたが、8合目の山小屋で妻が体調を崩してしまいました。 せっかく8合目まで登ってきたこともなり、なんとか頂上に行けるように模索をしました。 しかし、下山ができなくなるリスクや過呼吸が続くことにより、さらに体調が悪化することもあるため、下山するという勇断を下しました。 あれから10年経過しますが、子どもたちもいますので、そろそろ富士登山のリベンジをしたいところです。 勇断や英断は凡俗の人間に出来ないことは、その判断が高すぎるリスクを含むように見えるためです。 普通に考えれは高確率で失敗する策を、英雄と呼ばれる人間は当然のように選択して成功しています。 成功すれば勇気ある果敢な選択と評価され、失敗すれば欲に目がくらんで道を誤ったと貶されるでしょう。 大きな勝利は細かな失敗を一掃してしまうほどの栄達を約束し、その分岐点となった勇断は高く評されてしかるべきものです。 勇断を下した本人は、リスク承知の選択で際どく博打に勝ったことを密かに安堵しているかもしれません。 全ての状況を俯瞰的に眺めることが出来る後世の歴史研究者と違い、限られた情報からその場で判断を下す立場の苦悩は推して知るべしです。 分岐を間違えれば、一敗地に塗れ情け容赦の無い落ち武者狩りを受ける憂き目に遭う運命が待っています。 負け犬にかける慈悲など無く、ここぞとばかりに追撃がかけられるのは何時の時代になっても変わりありません。 運よく逃れても、敗北の原因となった判断を下した責任からは決して逃れることは出来ないことも同じです。 勤め先の組織が巨大、高い地位で要となる判断を求められ、扱う案件は広く周囲まで巻き込む、となれば加算どころか乗算で責任が膨れ上がります。 傍から見れば泰然自若とした姿も、内心は責任という大荷物を抱えて崩れ落ちそうになっているかもしれません。 とりあえず自信満々に失敗するまで走り続けるワンマントップより、慎重に状況を見据えて堅実に進む指導者の方についたほうが気が楽でしょう。 才覚なきトップが蛮勇としか表現しようが無い勇断を下さぬことを、雇われている身としてはお願いしたいです。 勇断を下すとは文字通り、勇気ある決断を下すということです。私はこの考えはコミュニティを代表する人間において必須の能力であり、またそれは誰しもが持つべき、そして理解すべきものだと思います。何事にも決断という物には多かれ少なかれ責任が発生するものです。家族旅行の行き先一つを決めるにも皆が楽しめるような選択をする必要があり、また裁判は客観的に公平な形で結果を出さなければその信用は大きく損なわれます。この責任はやっかいなもので、皆がそれを背負いたくないばかりに「どこでもいいよ」や「まかせる」などといった他人任せのスタイルに甘えてしまいます。昨今は政治家批判も多くなりましたがこれもその一つとも言え、国民は現状の不満を政治家の決断から生じた責任として追及しています。もちろんそれが仕事、役割といえばその通りです。責任を逃れることは何より社会人としてあってはなりません。しかし、責任を持たない立場からの発言ほど気楽なものはないということは意識すべきです。よく話題にされる通り、批判という物は本筋を作り上げることに比べればとても簡単なものです。旅行の行き先を決めるにも、皆が楽しめるところを考え尽してそのルートを考えた後に、ここは行きたくないと言われれば批判者に腹が立つでしょう。誰しも「じゃああなたがやって」と感じてしまうのではないでしょうか。立場が平等なら或いはそう言えるかもしれません。ですが上司など、上に立つものには立場上の責任が絶対に存在してしまいます。部下の批判を甘んじて受け入れなければならないこともあるでしょう。その上で、上司が大事な事象について勇断を下すとき、部下は他人事ではいけないと私は考えるのです。流れてきた不利益に文句を垂らすだけのような無責任な発想をやめ、上の人の勇断に対する敬意と信頼をもって共に歩むべきだと思います。
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