(11)

tedukurikotoba

手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

Continue reading...
tedukurikotoba

来者は追うべし

【漢字】来者は追うべし 【読み】らいしゃはおうべし 【意味】過去は変えられないが、未来は変える事ができる。 【例文】まだ間に合う、来者は追うべしだ。 「来者は追うべし」とは、『論語』に由来する故事成語です。その意味は、過去は変えることはできないが、未来のことはこれから変えることができる、ということです。歳をとればとるほど人間は過去のことばかりにこだわってしまいます。また、自分の狭い経験から考えて、未来を変えることなどできないと決めつけてしまいがちです。そういった、大人世代の人こそ、「来者は追うべし」の言葉を思い出すべきではないでしょうか。世の中も、自分も、変わり続けています。過去とは違います。昔、うまくいかなかったやりかたでも、現在ではうまくいくかもしれません。全く新しいやり方を思いつくかもしれません。経験にとらわれず、なんでもやってみることが大切です。行動してみて失敗したとしても、それも新しい経験であり、成長するための気づきなのです。だから、過去の失敗や成功のことは忘れて、新鮮な気持ちで今この瞬間を生きることこそが大事です。歳をとると自分の経験則でなんでも判断してしまいがちで、実際それでうまくいくことも多いです。しかし、それでは毎日が退屈でつまらなく、生きている喜びや幸せを実感することが出来ません。常に新しい考えを取り入れたり新しい体験をしたり、知らない人に出会うことが生活の質を上げることにつながります。

Continue reading...
tedukurikotoba

乱世の英雄

【漢字】乱世の英雄 【読み】らんせいのえいゆう 【意味】乱れた世の中で活躍して事業を成し遂げること。 【例文1】後漢末期の武将・曹操は乱世の英雄と呼ばれたが、今の時代は誰が相当するのだろうか? 【例文2】政治家には乱世の英雄はいないのか? 【例文3】乱世の英雄に匹敵する。 「乱世の英雄」は「世の中が乱れた時に現れるスーパーヒーロー」のことであり、思い浮かべる人は、それこそ人それぞれだと思います。フランスの百年戦争の時のジャンヌダルクを挙げる人もいるでしょうし、源平合戦の時の源義経を挙げる人もいるでしょう。三国志を思い浮かべて答える人もいるでしょうし、江戸時代から明治にかけての動乱を思い浮かべて答える人もいるでしょう。どの国にも乱世と呼ばれた時代があり、それを取り上げられた書物があり、人それぞれの背景があってピックアップされた英雄なのです。十人十色なのは仕方ありません。 友人は親鸞上人を挙げました。親鸞上人は鎌倉時代前期から中期の僧で浄土真宗の開祖です。彼の言葉を記した唯円作の「歎異抄」は有名です。確かに彼の時代、飢饉や乱があり、乱世と言えば乱世でした。その中で親鸞上人は流刑に処されたり、冷遇されたりしながらも、寺院を構えずに布教するスタイルで阿弥陀仏の称名念仏による信仰の力によって人心を大いに救ったというのが友人の根拠です。知人の葬儀で蓮如上人の「白骨の御文」に触れ「今日は生きても明日はわからない儚い身の私たち。今日を憂うのではなく明日のために生きていきましょう。阿弥陀仏の御力にすがるため称名念仏に邁進しましょう」という趣旨のお手紙に感銘を受けたそうなのです。その教義を提唱された親鸞上人は自分にとっての「乱世の英雄」だそうです。あなたにとっての「乱世の英雄」はどなたでしょうか。 みなさんは「乱世の英雄」という言葉をご存知でしょうか。これは、平和なときならただの犯罪者だが、世の中が乱れているときは英雄となる人物を指す言葉で、かつての中国で魏という国を創った曹操を表した言葉なのです。 それは、日本でも人気の高い三国志の時代の話です。曹操は、若くして機知に富み、文武に才能があったのですが、放蕩を好み、自由奔放に生きていました。そんなある日、人物評に定評のある許劭(きょしょう)という人が曹操に評価を下します。 「君は、平和な世では賊だが、乱世では英雄となるだろう」 そして時代は乱れに乱れます。そのとき中国を支配していた漢という国は崩壊に向かい、各地の有力者たちが自ら覇を競い、群雄割拠の乱世の到来です。そして、みなさんご存知の通り、この後、中国は魏、呉、蜀の三国に分かれて、争っていくわけですが、その魏を創ったのが曹操なのです。 魏の曹操は、日本人の間ではあまりいい印象を持っていない人が多いかもしれません。それは、三国志が蜀の劉備を主人公に描かれることが多いこと、そして曹操は劉備のライバルとして描かれることが多いことが原因です。確かに、曹操は冷徹で非情な人物だったそうです。しかし、合理主義者でもあり、様々な悪習を改め、合理的な軍事制度や政治体制を築いたことでも有名です。 このように、曹操はその強すぎる力がゆえに、平和な時代では恐れられ、乱世では大活躍をする人物だったのです。

Continue reading...
tedukurikotoba

らっぱを吹く

【漢字】らっぱを吹く 【読み】らっぱをふく 【意味】大げさに言う。 【例文1】彼はらっぱ吹きだから、期待しない。 【例文2】合コンではらっぱを吹く。 【例文3】モテたいとらっぱを吹く。 らっぱを吹くとはそのままの意味で捉えると、楽器のらっぱを演奏すると想像しがちになりますが、言葉の比喩としても捉えることができます。らっぱの吹くの意味としてより大げさに話すことを言い、普通の出来事なのに脚色を加え、リアクションを取りながら相手に伝えることを指します。本当に起きた話には勿論、起こってもいない嘘として相手に伝える時にも使うことがあり、らっぱを吹く人はどちらかというと万人受けされにくいです。ですがらっぱを吹く人は見方を変えると発想豊かで目を引きやすい天才肌でもあります。芸能人もスター性があったり話の仕方を上手かったりするのでらっぱを吹いている性格の人も多数見受けられます。 ですが、あまりにも話を誇張しすぎると話している最中に相手が不審に思うことがあるので、ある程度制御することが大切です。面白おかしく誰も不快にならず話を大きくするらっぱ吹きは、好まれる傾向にあり、このような素質を持っている人は芸能界向きとして優遇されます。ですが嘘を主にらっぱを吹くことを続けていると、人からの信頼を失い一人ぼっちになりかねないのである程度場をわきまえて行動するのに限ります。らっぱを吹く事は話を誇張するので実際の出来事とはかけ離れた部分がありますが場が盛り上がりやすいです。

Continue reading...
tedukurikotoba

落花狼藉

【漢字】落花狼藉 【読み】らっかろうぜき 【意味】花びらが散る、狼がいた跡は草が乱れていることから、女性や子どもに乱暴をふるうこと。 【例文1】あそこのご主人、落花狼藉で妻子が出て行ったみたいよ。 【例文2】落花狼藉の被害に逢う。 【例文3】落花狼藉で逮捕される。 「落花狼藉」の落花は文字通り花が落ちること、またその花であり、狼藉とは「狼の寝床」ので乱暴な様子を例えたものです。つまり「花をわざと散らすような乱暴をすること、また、ものの入り乱れて取り散らかっているようす」のことです。能の「雲林院(うりんいん)」に「あら落花狼藉の人やそこ退き給え」と使われているように古くからある言葉です。「雲林院」は京都市北区紫野にあった天台宗の寺院のことですが、能では在原業平が二条の后を誘い出し都を脱出したという話を脚色した艶物です。在原業平は平安時代の人ですが、容姿端麗、情熱的な和歌の名手にして色好みの伝説的美男という、今風にいえばスーパーアイドルです。それが帝の二の后との不倫、能になって現代まで継がれていても不思議はありませんね。 現代の落花狼藉で記憶に新しいのは富山県の花時計です。開花時期に合わせて植えてあったチューリップ。名物のチューリップ花時計のために育てられていたものを何者かに、チューリップの上部、花の部分だけが夜の間に鋭利な刃物で次々と切り取られていたという事件でした。担当者の落胆ぶりはニュース映像からも伝わり、「間にあうように用意したい」と答えておられるのが、お気の毒でした。犯人はわからずじまいと記憶しています。去年の初夏、うちでも落花狼藉かという事態がありました。ある朝、かきつばたの花の部分が全部なくなり、丈の高い茎だけが並んでいる有り様。よくよく観察すると近くに鹿の足跡が。かきつばたの花が野生の鹿に食べられていたのです。狼ではなく犯人は鹿でした。花見の桜が荒らされるという事件もたまにありますが、落花狼藉は、やはりいけませんね。

Continue reading...
tedukurikotoba

埒もない

【漢字】埒もない 【読み】らちもない 【意味】くだらない。だらしがない。 【例文1】彼は埒もない生活を送っている。 【例文2】注意してくれる人がいなくなると埒もない。 【例文3】埒もないギャグを言う。 埒もないとは筋が通らない、だらしがない、くだらないという意味です。 私の住んでいる近所に埒もないおじさんがいます。 40歳から45歳くらです。開けっ放しにした窓から見えますが、部屋は散らかっていて片付けが苦手なようで庭に空き缶や段ボールやカップラーメンの容器が散乱しています。奥さんも子どもいましたが、2年くらい前から見かけなくなりました。日中はいる時が多く、仕事はしているのかしていないのかわかりません。 私が仕事を終えて保育園に迎えに行く頃たまに出くわします。 あいさつをすると、かわいい坊ちゃんだねと言います。5歳の息子はなんかこわいと口に出しました。そうです。ひげが仙人みたいに伸びているのです。洋服もボロボロだしホームレスに見えてもおかしくない格好です。前はこんな姿じゃなかったのに一人になって自堕落な生活になってしまったのだと思います。 でもどこかで区切りをつけて一からやり直さなければこれから高齢になっていく中、生活が困難になっていくと思います。何かのきっかけで変わることを願っています。 埒もないとはとりとめがない、決まりがないことでくだらないという意味を指すこともあります。例文として埒もない予定で一人旅をするのが好きだ、甥っ子は埒もない発想をよくする、など様々な場面において使えます。一見マイペースな言葉として受け取れますが見方を変えると自由ということがわかり澄んだ言葉として印象付けられます。整理されてない状況としても捉えられるので、掃除、頭の中、意見、目標など様々な単語と共に文章を作り上げられます。埒もないと似ている言葉として埒があかないとよく使われることが多いです。決まらないという意味で、ケンカをして使うことも多い言葉です。とりとめがないということは、これから作ることができる、まっさらな状態から完成まで向かえる、無制限な未来が待っているという事なので、夢いっぱいの文章が使用状況によっては向かえます。ですが否定的な意味、場合によっては悪口となってしまうので文章の脈絡を意識して、使用する際には気をつける必要があります。人の噂とはぼんやりしていることが多く埒もないという言葉がぴったりです。埒もないうわさは自由に尾ひれを変えますが、埒もないからこそ惑わされるなど自由にもいろんな受け取り方が見受けられます。

Continue reading...
tedukurikotoba

埒が明かない

【漢字】埒が明かない 【読み】らちがあかない 【意味】事態の決着がつかない。問題が解決しない。 【例文1】彼は頑固だからいくら話しても埒が明かない。 【例文2】彼と言い争っても強情で埒が明かない。 【例文3】ルーズな彼をいくら待っていても埒が明かないので先に行く。 人によって考え方は違うと思いますが、人の考え方を2つに分けるとポジティブがネガティブのどちらかだと思います。 その違いが分かるのが、現状が凄く辛い時、自分の意思ではどうしようもない時だと思います。 悩んだ時、壁にぶつかった時に人はどうすればいいかと考えます。 ネガティブな人は終わった事を、あの時こうしていれば良かった、こうしたいが自分1人でどうこうできる事ではなかった…でも自分はこうしたかった、何でこうなったんだろうと延々と埒の明かない考え方を繰り返します。終わった事にずっと悩み、変えられない現状を悔やみ続けます。 ではポジティブな人はその悩みにどう立ち向かっていくのか、と考えると楽観的だか終わった事はどうしようもない、と割り切るのだと思います。 楽観的といっても失敗した事を忘れるのではなく、そこで悩んでいても前に進めない、同じ失敗を繰り返さない為に自分には何ができるだろうか、と考えます。 終わった事をクヨクヨと考えていても埒が明かない、できる事はできるし、自分1人でできない事はできない、ならどうすればできるのか、と次の一手を考えて動こうとする、また動けるのだと思います。 反省した上で失敗にとらわれる事なく、今の自分にできる最善の方法を探し、気持ちを前に向ける事ができるのがポジティブな考え方だと思います。 埒が明かないという言葉は良くきくと思います。 意味合いとしては、物事がなかなか思うように進まず、途中で止まっているような状態のことをいいます。 いわゆる小康状態ですね。 埒とは、神輿の周りにつけた柵のようなものですが、お祭りの前には神輿はこの埒によって守られています。 埒により誰からも手がつけられない状況になります。これは神輿が神聖なるものであり、近寄らせないようにするために埒で神輿を囲います。それまでは人々は神輿を担ぐまでは止まった状況となり、その人々が何もできずに待つ状態の様を埒が明かないといいます。 埒が明かないの反対の意味で、物事がすすむようになる様を埒が明くといいます。 仕事においてはなかなか思うように物事が進まないときはありますね。話す相手が間違っていた場合においては、物事が全く進まずに途方に暮れる場合も多々あります。 このような時には、じっくりと待つしかないと思います。 じっくりと待つことにより、ある日突然に事がうまくいくようになることもしばしばです。 埒が明かないという表現についても、神輿という神聖なるものは人々がどうあがいても、それが動くまでは仕方なく、待つというのが大事であることを言っているかもしれませんね。 スマートフォンのあるアプリにハマっています。そのアプリがものすごく電池を消費するのでハマって以来、常に二つもモバイルバッテリーを持ち歩くようになりました。 そこでよくやってしまくのがモバイルバッテリーのケーブルを家に忘れてきてしまうこと。モバイルバッテリー自体を忘れたんならもう充電ができないから仕方ない、とゲームをやるのを諦めます。でもバッテリーが目の前にあるのに充電できないのはとても悔しいです。そのアプリが外に出ないとできないものなので遠出した日にケーブルを忘れると泣きそうになるぐらい悔しいです。 ゲームのために遠出しているようなものなのに充電ができなくてゲームができないなんて本末転倒です。このままでは埒が明かないとケーブルをコンビニで買うこと3回……。 スマートフォンの本体を購入した時についてきたケーブルもあるのでケーブルを4本も持っています。壊れた時の予備にしようとは思ってるんですが、ケーブルって意外に頑丈で全く壊れる気配はありません。 なんだか本当にもったいない買い物をしたなあと思います。ケーブルの規格が変わる前になんとか4本使い切れるといいなと思います。

Continue reading...
tedukurikotoba

洛陽の紙価を高からしむ

【漢字】洛陽の紙価を高からしむ 【読み】らくようのしかをたかからしむ 【意味】著書の評判が良く、本が売れること。 【例文1】賞を取ったので、洛陽の紙価を高からしむ。 【例文2】人気芸人の著書が洛陽の紙価を高からしむ。 【例文3】有名人が出版する本は洛陽の紙価を高からしむ。 故事ことわざは分かりやすいものから読み方が難しいものまで様々なものがあります。 「洛陽の紙価を高からしむ」という故事を聞いたことがある方はあまりいないのではないでしょうか。 まず、正しく読むことが難しい故事ですよね。「らくようのしかをたかからしむ」と読みます。意味は、著者の評判が高くて、発売された本が飛ぶように売れることです。店頭に並んで購入される本やベストセラー作家の本などが当てはまるのではないでしょうか。 語源は265年~420年の中国晋王朝の時代までさかのぼります。今から1600年ほど前の事柄が元になっています。晋王朝の時代、斉という国の詩人である左思が魏・呉・蜀三国を元にした詩歌を作成しました。いわゆる三国時代です。三国志の物語で三国を知っているという方も多いのではないでしょうか。この書物は初めは注目されなかったのですが、張華という人物が賞賛して以来、晋の首都では人気が高くなり人々が争ってこの書物を書き写しました。そのため紙の値段が高騰したことから「洛陽の紙価を高からしむ」という故事がうまれたと言われています。 テレビや雑誌で話題になった本が飛ぶように売れているのを見たら、「洛陽の紙価を高からしむ」という故事を使ってみてはいかがでしょうか。あなたの評価がワンランクアップするかもしれませんよ。

Continue reading...
tedukurikotoba

楽は苦の種、苦は楽の種

【漢字】楽は苦の種、苦は楽の種 【読み】らくはくのたねくはらくのたね 【意味】楽をすればあとで苦労する。逆に苦労したらあとで楽になる。 【例文1】早くに結婚して楽は苦の種、苦は楽の種だったけど子育てが終わり楽だ。 【例文2】大学受験勉強楽は苦の種、苦は楽の種だったけど、そのおかげで今の彼女は成功した。 【例文3】家のローンが負担で楽は苦の種、苦は楽の種で老後は安心だ。 私は21歳のときニートでした。大学に通う友達は就活に勤しみ、社会人の友達はバリバリ働いていました。 それなのに私は毎日ゲームをしたり、貯金を崩して旅行に行ったり、呑気に暮らしていました。 当然、生活リズムは狂ういっぽうで朝寝て夜起きる怠惰きわまりない生活でした。 貯金が底を尽きた私に待っていたのは地獄でした。携帯代が払えなくなるばかりか、その日の食事に困るほど困窮しました。 とりあえず始めた派遣のバイトで食いつなぐ毎日でした。 ふと周りを見てみると、就活を頑張っていた友達は大手企業に就職しています。バリバリ働いていた社会人の友達は出世しています。 私だけがその日暮らしの派遣アルバイターです。 思いだしたのは、おばあちゃんが昔話してくれた言葉で 「楽は苦の種、苦は楽の種」 水戸黄門として有名な徳川光圀の名言だそうで、苦と楽は表裏一体の存在であるということです。 楽の後には苦がある。ニート生活をダラダラ楽しんでいた私に貧乏地獄が待っていたのは当然の末路なのです。 頑張っていた友達が報われたのも、苦は楽の種ということです。 自分の愚かさを反省し、必死に働いきました。その甲斐あって派遣先の企業に正社員として登用されました。 やっと生活が安定し、明るい未来が見えてきました。でも、油断してはいけない。楽は苦の種、苦は楽の種なのだから。 きっといつかまた私に苦は降りかかるだろう。気を引き締め、人生を歩みたいです。

Continue reading...
tedukurikotoba

烙印を押される

【漢字】烙印を押される 【読み】らくいんをおされる 【意味】烙印とは鉄製の焼印のことでその昔、動物や罪人に押されていた。いつまでも消す事ができない汚名を受ける。また周囲からそうだと決めつけられる。 【例文1】たった一度のミスで役立たずと烙印を押される。 【例文2】酒癖の噂が広がりいつまでも烙印を押される。 【例文3】バツ3の烙印を押されて婚活に影響が出る。 烙印を押されるの「烙印」は、家畜などの体に印をつける焼き印のことです。またその押された印のことも言います。烙印(焼き印)が一度押されるとなかなか消えないように、烙印を押されるとは、いつまでも消し去ることができない汚名を受けるという意味です。または、そう決めつけられることも言います。 「たった一度のミスで役立たずの烙印を押された」とか「正義の告発をしたのに裏切り者の烙印を押された」などと使われます。この場合「烙印」が本人に不当なものであり、その人物の再挑戦や社会復帰のチャンスを奪ってしまう場合に用いられることが多いのです。 しかし、実際にやってはいけないことを行い、「烙印」を押される場合もあります。遺跡発掘の現場で、捏造を行った歴史学者がいましたが、彼などはまさに、捏造者としての「烙印」を押されたのです。この場合は、本人にとって不当なものという考え方は当てはまりません。 また、「烙印」は犯罪者に直接押されたりもしました。時代によって変わりますが、額に「罰」という文字を押したという事例もあったようです。これからも、犯罪者の烙印を押されたという言葉が生まれたのかも知れません。 「烙印」という言葉余り良い意味を持っていません。できれば、生活する上で押されたくはないものです。

Continue reading...
tedukurikotoba

来年の事を言えば鬼が笑う

【漢字】来年の事を言えば鬼が笑う 【読み】らいねんのことをいえばおにがわらう 【意味】先の事をあれこれ言っても未来はわからない。何の意味もないと小馬鹿にする。 【例文1】恋人もいないのに結婚だなんて来年の事を言えば鬼が笑う。 【例文2】今から老後の心配をしたって来年の事を言えば鬼が笑うよ。 【例文3】来年の事を言えば鬼が笑うから今を楽しむだけ。 「来年の事を言えば鬼が笑う」というのは、比較的よく使われることわざの一つです。多くの人が耳にしたことがあるに違いありません。また、自分で使ったことのある人もあるでしょう。 けれど、「どうして、来年の事を言えば鬼が笑うの?」とあらためて問われると、答えに窮してしまう人も少なくないのではないでしょうか。意味は、むずかしくありません。「将来何が起こるか、どうなるかはわからないのだから、先の話をしてもしかたがない」というような意味です。 けれど、なぜ「鬼」が登場し、しかも笑うのか。考えてみると不思議なことわざです。 その由来、解釈には諸説あります。「明日のことさえわからないのに来年のことを口にするなんて、あまりおかしくて、あのこわい鬼でさえ思わず笑ってしまう」というように解釈する説もありますが、ここでは、一つ興味深い説を紹介しましょう。 それは「鬼は人の寿命を司っていて、すべての人の寿命を知っている」という解釈です。 来年のことを口にしている人の寿命が、今年中に尽きるとしましょう。それを知っている鬼は、「来年にはお前はこの世に存在しない。にもかかわらず、自分のいない来年のことを口にするなんて、おかしくてたまらない」と感じ、嘲笑するのです。 ちょっとこわいような解釈ではありますが、人間には自分の寿命がわかりません。ですから、遠い先のことをあれこれ考えるより、今を充実させたほうがいいという意味に受け取ることもできるでしょう。 諸説ありますが、鬼とは悪い神のことで天界から人間界を常に覗いていて、誰も知ることのないはずの将来について大口たたいている人間に対して、そうさせまいと見下される事。調子の良いことを言っていると、それを聞いた鬼が先回りしてそうならないように仕掛けられてしまう事。鬼に聞かれてしまってはなるものもならなくなってしまう。先の事をあれこれ話していても、意味もなくただただむだであると、相手をバカにしたことわざである。 また、地方によっては、 とても強い相撲とりの男が突然の事故であの世に送られ、そこであの世に送られた大男はえんまさまの命令であの世にいる鬼たちと相撲をとって日々えんまさまを喜ばせていたが、一番強い鬼との取り組みで、大男が鬼を投げ飛ばした際、石に頭をぶつけ大事な鬼の角が折れてしまい、挙げ句に鬼はえんえん大泣きし始めた。いっこうに泣き止む事のない鬼に見かねたえんまさまが一番強いであろう鬼が泣くなんて気の毒だと同情し、その鬼に「来年になったら新しい立派な角が生えてくるようにしてあげよう。」と約束したことで、その鬼がようやく泣き止み、笑顔が戻った事から、来年の事を言えば鬼が笑うと言われるようになった。と言う由来もある。 「来年の事を言えば鬼が笑う」というのは、比較的よく使われることわざの一つです。多くの人が耳にしたことがあるに違いありません。また、自分で使ったことのある人もあるでしょう。 けれど、「どうして、来年の事を言えば鬼が笑うの?」とあらためて問われると、答えに窮してしまう人も少なくないのではないでしょうか。意味は、むずかしくありません。「将来何が起こるか、どうなるかはわからないのだから、先の話をしてもしかたがない」というような意味です。 けれど、なぜ「鬼」が登場し、しかも笑うのか。考えてみると不思議なことわざです。 その由来、解釈には諸説あります。「明日のことさえわからないのに来年のことを口にするなんて、あまりおかしくて、あのこわい鬼でさえ思わず笑ってしまう」というように解釈する説もありますが、ここでは、一つ興味深い説を紹介しましょう。 それは「鬼は人の寿命を司っていて、すべての人の寿命を知っている」という解釈です。 来年のことを口にしている人の寿命が、今年中に尽きるとしましょう。それを知っている鬼は、「来年にはお前はこの世に存在しない。にもかかわらず、自分のいない来年のことを口にするなんて、おかしくてたまらない」と感じ、嘲笑するのです。 ちょっとこわいような解釈ではありますが、人間には自分の寿命がわかりません。ですから、遠い先のことをあれこれ考えるより、今を充実させたほうがいいという意味に受け取ることもできるでしょう。 鬼に嘲笑されないように。

Continue reading...