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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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下手の道具立て

【漢字】下手の道具立て 【読み】へたのどうぐだて 【意味】下手な者ほど道具に注文や文句をつける。 【例文】使いもしないのに下手の道具立てだ。 「下手の道具立て」とは、 「腕のない職人ほどうるさく道具を選び、注文をつけたがる」 という意味です。 「下手の道具調べ」ともいいます。 ちょっとマイナーな言葉かもしれませんが、 ちょうど逆の意味のことわざで、とても有名なものがあります。 「弘法筆を選ばず」。 弘法大師のような書の名人なら、どんな粗末な筆でも美しい文字が書ける、 一流の人間はどんな道具でも素晴らしい仕事をするものだ、という意味です。 現代に置き換えてみるとわかりやすいかもしれません。 仕事には〆切や予算など、いろいろな制約があるものです。 こうした制約のせいで仕事がうまく進まないとき、わたしたちは、 「納期に余裕がないから…」 「スペースの関係でこれ以上は…」 と言い訳をしたり、 「もっと予算がないと無理です!」 と文句を言ったりしたくなりますよね。 そう言いたくなるのは当然ですし、仕事をしていく上では妥協だって必要です。 ですがもし、その仕事に関して「超一流」の人が同じ状況に立ったら…どうでしょうか。 想像でしかありませんが、 弘法大師が「どんな粗末な筆でも美しい文字が書けた」というのが本当なら、きっと彼は、 「この筆の癖をどう活かそうか」 と考え、それを楽しんでいたのではないかと思うのです。 道を極めたプロフェッショナルには、「制約」が逆に「面白さ」に変わってしまうような、 厳しい条件こそを楽しんでしまえるような、そんな世界が見えているのかもしれません。 道のりは厳しそうだけれど、その境地にたどり着いたら、とても楽しいだろうなと思います。 それまでは「私は弘法じゃないので!」と、道具立てを頑張るのも必要かもしれませんね。

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片鱗を示す

【漢字】片鱗を示す 【読み】へんりんをしめす 【意味】才能の一部を見せる。 【例文1】彼のバッティングは将来大物打者の片鱗を示す。 【例文2】子どもの頃から可愛い彼女はモデルの片鱗を示す。 【例文3】物覚えが早い息子は職人の片鱗を示す。 魚であれば鱗一枚、鳥であれば羽毛一枚でも、およそどの程度の大きさなのか想像がつくことから「片鱗を示す」という言葉が出来たようです。 実際にスズメとカラスの羽根を比べてみれば一目瞭然でしょう。 爪やら髪からどのような人間かを言い当てるようなプロファイリングは凄いですが、ここでは取り上げる話題ではないです。 人間でいうところの鱗一枚は、その人物が持つ才能の一部を意味します。 重要なのは一部を垣間見せることで、全体の大きさを想像にお任せするという辺りでしょう。 試合などで運よく全力を出すことに成功した結果が、実力の片鱗と思われたならば儲けものです。 勝手に過大評価して対戦相手が萎縮してしまうことすら期待したくなります。 実際には片鱗どころか、全体像をまるっと把握された上でいいようにあしらわれるのが普通です。 余程の大人物、大器でなければ片鱗などという言葉が使われることはありません。 そのように才能に恵まれた人間がさらに努力して才覚に磨きをかけるのですから凡俗の及ぶところではないというものです。 偶然の成功を才能の片鱗と見せかけて、ハッタリをかますに終わるのが精一杯です。

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偏旁冠脚

【漢字】偏旁冠脚 【読み】へんぼうかんきゃく 【意味】漢字の部首の総称。 【例文1】偏旁冠脚の四字熟語があるが、実際は偏旁冠脚のほか垂(すい) 構(こう)・繞(にょう)合わせて7つである。 【例文2】偏旁冠脚の成り立ちを調べる。 【例文3】偏旁冠脚を覚える。 偏旁冠脚をテーマにした記事

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ペンは剣よりも強し

【漢字】ペンは剣よりも強し 【読み】ぺんはけんよりもつよし 【意味】サインをするだけで武器よりも大きな権力を表す。 【例文1】署名活動はペンは剣よりも強し。 【例文2】ペンは剣よりも強しなので署名捺印は慎重に。 【例文3】ペンは剣よりも強しというから手書きで熱弁する。 情報化社会と言われさまざまな情報が手に入るようになった現代ですが、SNSの登場などにより個人が手軽に情報を発信できる現代は「ペンは剣よりも強し」という言葉がより強くなっている気がします。 現代人は漢字離れなども叫ばれ、ペンを持つことが少なくなりましたが、そのかわりにスマホやパソコンなどで文章を書くことが可能になりました。 これによりニュースなどもインターネットやSNS上を流れ、テレビや新聞よりもすばやく情報を入手することができる時代になりました。 Twitterではニュースに対する個人の意見を投稿することができ、多くの人が投稿したニュースやつぶやきから今話題の出来事やニュースを知ることができます。 また個人の投稿はときに別の個人に向けられることもあり、多人数が特定の個人やニュースに対して攻撃的な投稿をすることで世論の流れが見えることもあります。 しかしそれはあくまで個人の投稿であるため、情報のソースがあいまいなものや、デマのようなものも見受けられることがありますが匿名の個人の意見が集まって大きな流れができる様は、良くも悪くも強大な力のように思えます。 だからこそ情報の信ぴょう性などを正確に見分けるための目が大切になると感じています。 数多ある情報の中から大切な情報を自分で探し出す時代がもうすでにやってきています。 言葉は世の中を変える大きな力があります。 それは単に力でねじ伏せるやり方よりも強力です。 「ペンは剣よりも強し」と言う言葉は、物書きにとってはとても勇気をもらえる言葉です。 自分の言葉だけで大きく世の中を変えられないかもしれないけれども、そのきっかけを作ることはできると思います。 以前、テレビドラマでこの「ペンは剣よりも強し」という言葉を言っていました。 私は今後も物書きを続けていくつもりですが、やはり世の中のためになるようなことを発信していきたいと思っています。 その為にも自分は今何ができるのかを常に模索しながら、情報収集を行っています。 言葉は言霊があり、それは大きな力を持っています。 言葉次第でマインドが変わり、良くも悪くも変わっていきます。 中には上手い言葉に乗せられて、騙されてしまう人もいるかもしれません。 言葉は使い方によっては薬にもなりますが、毒薬にもなってしまいます。 また、言葉を発信する側だけではなく、受ける側によっても変わってきます。 なるべく良い言葉を使い、自分や世の中のためになるような言葉を受信していきたいです。 「ペンは剣よりも強し」が有効に働き、昔のような国家や世界が武力でねじ伏せられるようなことがないようにしていきたいものです。 ペンは剣よりも強しという言葉があります。国や権力者が使う武器つまり警察や軍隊に対して、作家やジャーナリストはペン、即ち文章の力で対抗することができるということです。その力は武装蜂起やテロルを上回ることがあります。 先日、国の不正行為を元官僚の方が告発するという出来事がありました。驚くべきなのは、告発の前に読売新聞が彼が風俗店に出入りしているとでかでかと報じたということでした。スキャンダル専門の週刊誌でさえ取り上げないような事件でしたし、当の週刊誌のほうは読売新聞がそのような記事を書くことのほうをスクープとしたぐらいです。 情報源は内閣府ということで、読売新聞は内部告発者の信頼度をなくすために意図的に不必要な報道を行ったということでした。読売系列は保守的な論調で有名ではありましたが、ボーダーラインを越えてしまい権力の犬と化してしまったのです。世界一の発行部数を誇るクオリティペーパーであるはずの読売新聞はなぜここまで凋落してしまったのでしょうか? 一つには、社主の渡辺恒雄が強力な権力を握っており、誰も逆らえないという内部事情があるでしょう。渡辺が不偏不党のジャーナリズム精神を欠片でも持った人物であれば今回のようなことは起こりませんでした。そして、社内にジャーナリスト精神を強く持って渡辺に逆らえる気骨の人材が多くいれば今回のような大失態は起こらなかったに違いありません。まさに読売新聞がジャーナリズムとして自らペンを折った瞬間だったのです。

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片言隻語

【漢字】片言隻語 【読み】へんげんせきご 【意味】ほんのちょっとした言葉。 【例文1】片言隻語だったが、父の話が心に染る。 【例文2】片言隻語でも気持ちが伝わる。 【例文3】片言隻語の激励で心が落ち着く。 例えば、「世話をする」と「面倒をみる」は言っている内容はほとんど同じです。 しかし使われた状況によっては片方は相手の逆鱗に触れ、想像だにしない怒号が渦巻くことすら発生します。 面倒という言葉を「不快で煩わしい仕事」という意味でとらえられると収拾が付かない状況に陥ったことがありました。 老人ホームの説明会で使われたのですが、発言者のお偉いさんは謝罪した後に引っ込められ別の人が対応するに至りました。 一つの言葉よりも、元々の信頼関係が希薄で粗雑なものだったことが、このような事態を発生させた主な原因であったと思われます。 あからさまな悪意が表面化されていなくても、隠された真意を敏感に察してしまうこともあるでしょう。 しかし、発言者の真意を明らかにすることは簡単なことではなく、ただそのように受け取れるという事実だけが突っ走ることがままあります。 前後の発言など全く無視して片言隻語から、その人物の人間性にまで問題があるというところまで持っていこうとするのはクレーマー顔負けです。 謝罪しなければ謝罪しないことを咎め、謝罪すれば謝罪したでさらに追及し事を大きくしようとします。 およそ議論の本筋から遠ざかるばかりの脱線旅行に巻き込まれるのは、時間も労力も無駄にする上に問題解決の妨げになるので慎んで欲しいものです。

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変幻自在

【漢字】変幻自在 【読み】へんげんじざい 【意味】思いのままに変化する。自由自在に姿を現しては幻のように消える。 【例文1】変幻自在に変装する。 【例文2】ロングヘアーのアレンジは変幻自在だ。 【例文3】ウイッグも多種多様で変幻自在だ。 僕は、いろんな職歴や資格勉強をして来ましたが、そこでいろんな知識や経験をしてきました。変幻自在なのは、職歴も全然違う職歴でもこなしてきたし、資格も初心者から実技を得て頑張って来たからです。全く何もわからない仕事からのスタートが多かったので何をしても変幻自在にこなしてきました。 最近もパソコンの簿記をはじめクラウドワークス、そのほか料理の資格、有機農業の資格など変幻自在にこなして、今の仕事の影響で頑張っています。料理の方は、オーガニック料理をすることを考え、カレーや鍋など汁物をつくってきました。有機農業は、にんじんやだいこん、キュウリ、トマトの栽培をプランターですることなどを本でみて実際、栽培できなくても材料などをみて土づくりや水のやり方、生育上かかせないものなどの勉強などをしていました。 現在は、料理は認定書をもらっておちついていますが、有機農業はもう少しで認定書がもらえる状態です。現在の仕事は、有機農業や料理の勉強の後きまった仕事なので、パソコン入力が主な仕事なのでしばらく簿記や入力作業で様子をみて、仕事を覚えて、先のことはおちついて考えようと思っています。 女性のメイクは、何よりも大事なアクセサリーです。 可愛いメイク、きれいめメイク、ギャルメイクからナチュラルまで、メイクは人の顔の数だけ存在しますし、きちんとしたメイクの技術を身に着ければ、 女の顔はもう変幻自在といっても過言ではありません。 けれど近年、それをさらに変幻自在にできるアイテムが多数世の中に進出してきました。 それは、スマホなどのカメラアプリサービスです。 メイクをしなくてもメイクしたときの顔、いやそれ以上に美しく写真を撮ることができたり、メイクをした顔をさらに写真に収めて自然に加工すれば女優さんのように 可愛く写ることができたり、もうそれは自撮りというよりは一つのアートのようにすら感じられます。 鼻を高くする、目を大きくする、肌をきれいにする・・など女性なら誰しも憧れた自分の顔がそこにはあるわけですから、これだけSNSなどで流行するのにもうなずけます。 ただ、これに待ったをかけるのが男性たちですね。 SNSや友達の紹介などで予め写真を見ていた彼らからすると、もはや実物を見ても同一人物だとは気づかないほどかけ離れているものに出来上がってしまう、そんなこともざらです。 なので世の中の女性たちに忠告です。「くれぐれも、男性へ見せる写真はナチュラルに!」でお願いしますよ。

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弁慶の泣き所

【漢字】弁慶の泣き所 【読み】べんけいのなきどころ 【意味】弁慶ほどの強者であっても蹴られると痛い所があるように、ただ一つの弱点という意味。 【例文1】彼女は綺麗で勉強もできて言うことなし。弁慶の泣き所は高所恐怖症だけ。 【例文2】大好きな彼女なので弁慶の泣き所でも許す。 【例文3】彼は3高だが、弁慶の泣き所は口下手。 弁慶の泣きどころとは「強いものの一番の弱点のこと」を言います。場所としましては人のスネの前側のことで、正式名称を「向こう脛」と言います。 なぜ弁慶の泣きどころと言うかといいますと、 歴史上の人物に弁慶という豪傑な男がいました。 この弁解でさえも向こう脛を打つとうずくまって泣くほど痛いということからこう言われたとされています。 向こう脛がなぜ痛いのかですが、 人の体は皮膚の下に筋肉があり、その下に骨があります。 しかし、向こう脛にあたる所には筋肉がなく、皮膚の下が骨となっている為、皮膚と骨の間にある神経に衝撃がいきやすいからです。 ちなみに、弁慶の泣きどころというと向こう脛の他にもう一ヶ所あるとされています。 それが中指の第一関節から爪の先です。 これは手を開いた状態から中指の第二関節を曲げると第一関節から爪までは力が入らなくなることから、例え弁慶のような豪傑な男でもどうする事もできないことからこの部位も弁慶の泣きどころとされています。 文脈によっては、向こう脛や中指の第一関節から爪の先に限定せずに、「唯一の弱点」を意味する事もあります。 弁慶のような男でさえ我慢できないほど痛いのですから私達がぶつけると涙が出るほど痛いのも当たり前ですね。 どんなに強い人でも必ず弱点があるということです。 人前では完璧な人に見えても、人はどこか抜けていたり欠点があったりします。 それがあるからこそ人間なんだと思います。 もし、全てが完璧な人がいたら、とても息苦しくて一緒にはいられないでしょう。完璧で理想的な人でも、付き合っていくうちに徐々に欠点が見えてくることがあります。 それが理想の人であればあるこそ、弁慶の泣き所が魅力的に見えてくることがあります。 逆にその欠点が自分の中で許されない時は、一気に魅力から遠ざかってしまいます。 理想的な人は自分が勝手に作った妄想のような人物像なのかもしれません。 理想的だと思う人も本人はいたって普通に過ごしているかもしれません。 弁慶の泣き所を知っておくと、それが敵になった時は、それが有利に働くことがあります。 同時に相手にも自分の弁慶の泣き所を掴まれている可能性があります。 私が完璧な人ではないですし、もしかしたら弁慶の泣き所だらけかもしれません。 最初から隠さずにさらけ出しておいたほうが、生きていくのは楽なような気がします。 しかし、あまり自虐的になり過ぎると、相手の評価が低くなりすぎるので注意が必要です。

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弁慶の立ち往生

【漢字】弁慶の立ち往生 【読み】べんけいのたちおうじょう 【意味】弁慶は無数に矢が突き刺さっても最後まで君主を守り、立ったまま死んだと言われる。現代の意味は進むか退くかどうにもならないことをいう。 【例文1】喧嘩の相手が多すぎて弁慶の立ち往生だ。 【例文2】恐妻家に弁慶の立ち往生だ。 【例文3】後継ぎがおらず弁慶の立ち往生だ。 主君の義経を守るために全身に矢を受けて立ったまま絶命したとされる武蔵坊弁慶。 はたして絶命して尚、立ったままの姿勢をとり続けることなどできるのかという疑問がわきます。 立ったまま居眠りをしている人を見かけることがありますが、あれは完全に眠っている訳ではなく目をつぶっているに過ぎません。 足腰から力が抜ければ自然と崩れ落ちると考えるのが無理の無い思考でしょう。 それでも死んだ状態で倒れないためには何か特殊な条件が必要となりそうです。 武術の達人は全身から無駄な力を取り去った自然体で構えると聞くので、そのような姿勢を取る事ができれば可能性は有りそうです。 よくある立ち往生を表現した人形は胸を反らして片手の薙刀を地についていますが、これはちょっと無理に思えます。 他の方法として、戸板など壁に背中を押し付け、前の方は両手で薙刀を杖とすれば前後に倒れることはなくなりそうです。 左右に倒れないのは、うまくバランスをとれたからということにすれば何とかなりそうです。 物理的な問題は解決できますが、精神的な意味で弁慶の立ち往生に追従・実行することは難しいでしょう。 追い詰められて進退極まった主君の最後に殉ずることなど、忠義の塊みたいな人間でなければ不可能です。 都合が悪くなれば全てを捨てて逃げ、捕まっても悪態をついて責任を他に擦り付けようとする人間の何と多いことか。 実際に立ったまま死んだかは定かではありませんが、その精神的な姿勢に死して尚倒れ伏さない弁慶像を後世の人は見るのでしょう。 「立ち往生」とは本来は立ったまま往生するつまり立ったまま死ぬという意味でした。現在の意味に転じた由来は武蔵坊弁慶にあります。武蔵坊弁慶は京都の五条大橋で当時牛若丸と呼ばれていた源義経と出会い忠実な家臣として最後まで仕えました。牛若丸はのちの源義経、鎌倉幕府を開いた源頼朝の腹違いの弟です。兄・源頼朝に仕えていた源義経は数々の武功を立てますが次第に源頼朝に疎まれ京都を離れて奥州の藤原秀衡の元に身を寄せます。藤原秀衡の死後、息子の藤原泰衡は源頼朝の威を恐れ父の遺言に背いて源義経を襲いました。世に言う衣川の戦いです。多数の敵勢の攻撃を受けた武蔵坊弁慶は源義経をかばって古館屋敷の入口に立ち薙刀をふるって並み居る敵兵を次々と倒しました。しかし多数の敵兵にはかなわず無数の矢を体に受けながらも薙刀を杖に仁王立ちしたまま亡くなったといわれています。これが「弁慶の立ち往生」の由来です。そこから転じて進むことも退くこともできない進退きわまったことのたとえになったそうです。進退きわまるような事態になることはできる限り避けたいものですが、もしそういった事態に陥ってしまったときには武蔵坊弁慶のように逃げずに立ち向かう勇気を持った人でありたいものです。

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減らず口を叩く

【漢字】減らず口を叩く 【読み】へらずぐちをたたく 【意味】負けを自覚しているため、負け惜しみや強がりを言う。 【例文1】彼は負けず嫌いで、減らず口を叩いてばかりだ。 【例文2】減らず口を叩いて反論する。 【例文3】赤点が多かったと減らず口を叩く。 減らず口を叩くとは弱点を突かれ負け惜しみを言うことです。 まさにわたしが減らず口を叩くの性格です。 子どもの頃は、お母さんに宿題はすませたのか?と聞かれれば、今からするとこだったと言い返します。 算数が苦手でテストの点数が悪ければ、みんな同じくらいの点数だよ。難しかったんだよと言い訳します。 初めての彼氏ができて手料理をふるまった時の事です。 あまりおいしくはできなかったようで、 「初めての料理だから~」とごまかしました。 大人になってからでも自分の都合のいいように言い返します。 なぜ素直に認められないのかいくら考えても負けず嫌いな性格なので、仕方ありません。私の会社にも似たような性格の後輩がいて後輩も食い下がりません。私の知り合いが20歳の若さで会社を設立しようとしていると言えばうまくいくとは限りませんよね?後輩が20歳で結婚したといえばすぐ離婚しますよねと何かにつけて言い返してきます。ひがんでいるようにしか聞こえません。私はここまで他人に言うことはありませんが、他人が聞くとみぐるしいものです。少し自分の減らず口を叩く性格を改めていかないと・・と思いました。

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蛇ににらまれた蛙

【漢字】蛇ににらまれた蛙 【読み】へびににらまれたかえる 【意味】蛇ににらまれたら、怖くて動けないたとえから、身がすくんで逃げる事もできず動けない様子。 【例文1】遅くに酔っ払って帰宅した父は、蛇にらまれた蛙のように小さくなっていた。 【例文2】余計な事は言うなと目で合図され、蛇ににらまれた蛙だ。 【例文3】蛇ににらまれた蛙で勇気が出ない。 日本語の慣用句で、「蛇ににらまれた蛙」という言葉があります。 蛙、は「かわず」と読みますが、これはカエルのことです。 蛇は肉食ですので、大型になるとネズミもよく食べます。カエルも例外ではありません。 蛇ににらまれた、つまり狙われてしまうと、カエルは動けなくなり、食べられるのを待つだけになってしまうそうです。 このことから、「蛇ににらまれた蛙」とは、強者ににらまれ(狙われて)恐ろしくて動けなくなってしまうことを意味します。 小説など文章の中では出てくるかもしれない慣用句です。 例えば、「蛇」は恐ろしい鬼女房やクライアント、上司かもしれません。 「蛙」は逆らえない夫や会社、部下かもしれないのです。 何にせよ、この慣用句を使うときには、必ず上下関係が発生します。 「蛇」が上、「蛙」が下です。 自分が蛇ならまだマシですが、蛙ならたまったものではありません。 人間は、本来なら誰しも平等に生まれたはずです。 圧倒的強者に支配されているとき使うこの言葉ですが、こんな状況にはなりたくないものですね。 「蛇ににらまれた蛙」は「天敵に出会ってしまい、すくんでしまった状態」です。今風に言えば、固まった状態です。この言葉から連想するのは歌舞伎の「自来也(児雷也)」です。宋代の中国に実在し、盗みに入った家の壁に「我、来たるなり」と書き記したという盗賊「我来也」を元に歌舞伎や浄瑠璃になりました。そのお話は、肥後の豪族の子・尾形周馬弘行がその正体であり、越後妙高山に棲む仙素道人から教えられた蝦蟇の妖術(大蝦蟇に乗る、または大蝦蟇に変身する術)を使うことができます。彼の妻は蛞蝓の妖術を使う綱手(つなで)、宿敵は青柳池の大蛇から生まれたとされる大蛇丸(おろちまる)であり、児雷也・大蛇丸・綱手による「三すくみ」の人物設定はいろいろな物語、戯曲、歌舞伎などで使われています。1921年の映画『豪傑児雷也』は、日本初の特撮映画であり、主演した尾上松之助の代表作になりました。最近では漫画、アニメの「ナルト疾風伝」でその設定がなされていたり、戦隊シリーズの特撮もの「忍者戦隊カクレンジャー」でもスーパーヒーローとしてニンジャブラックジライヤが出てきて、若いお母さんたちやちびっこたちにも支持されていましたね。三すくみのうちの蛞蝓と蛙、蛙と蛇の関係は理解できますが、蛇が蛞蝓を嫌うのかどうかの真偽は定かではありませんが、その設定が三つ巴であるからこそ、面白いのだと思います。これからもどんな作品に、この設定が使われるか楽しみです。

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屁の河童

【漢字】屁の河童 【読み】へのかっぱ 【意味】たやすい、簡単、問題なくできる。 【例文1】こんな問題すぐ解ける。屁の河童だよ。 【例文2】大丈夫、このくらいの傷は屁の河童だ。 【例文3】屁の河童だと言われ安心する。 「木っ端の火」が訛って「河童の屁」、それを逆さにして「屁の河童」になったと言われます。 木っ端の火は、短時間であっさり燃え尽き火力も少ないものを指し、転じて取るに足らないものという意味で使われていたそうです。 河童は水中で放屁して、その屁に勢いが無いことから出来た言葉という説もあります。 ならば水中でない地上ならばどれ程の凄い勢いで屁を河童はするんだと問い正したいです。 実演してみてくださいなどとは頼んでいませんので誤解の無いように。 ともあれ、頼まれごとや多少の迷惑に対して「そんなの屁の河童だよ」みたいに楽勝ムードを臭わせるために使うようです。 「そんな仕事は、朝飯前のお茶の子さいさい、お安い御用の余裕のよっちゃん、造作もなく他愛もない、ちょちょいのちょいのお手のもの、 猿でもできる児戯に等しい、簡単で容易な頼まれごとだよ」くらい言えば十分でしょう。 軽い怪我などダメージを受けたときに強がって自分は大丈夫ですと伝える場合にも「こんな程度は、屁の河童だよ」のように使用されます。 「こんな傷は、平気の平左、余裕綽々、平気へっちゃら、痛くも痒くも無いし、かえるの面に水のようなもの、何処吹く風で事もなし、 豆腐に鎹、糠に釘、暖簾に腕押し、馬耳東風なので問題ない」 二行目あたりまで言い始めたら既に朦朧としている可能性が高いので治療が必要です。

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下手の横好き

【漢字】下手の横好き 【読み】へたのよこずき 【意味】下手ではあるが、熱中していること。自分に対して言う言葉として用いる。 【例文1】下手の横好きから始めた小物作りが家具を作るまでになった。 【例文2】下手の横好きだが、自己満足だ。 【例文3】お店開けるんじゃない?いえいえ下手の横好きですよ。 下手の横好きとは出来映えはさておき、自分で満足していることです。 誰でもひとつくらいは熱中しているものがあるのではないでしょうか? まわりから何て評価されようが、自分で作り上げた物は愛着あるものですよね。 私は学生の頃からインテリアに興味を持ち、自分の持ちがねでは買えないつらさを知り、ホームセンターで安い木材を買い植木鉢ち置きを作った事がきっかけで日曜大工が好になりました。さらに頑丈にビスで留めればテレビ台が作れるんじゃないかと思い、作りました。ひとつの扉が傾いていますが、なかなかの出来栄えで家族がびっくりしていました。姉の注文を受け今度は小さめの本棚を作ってほしいと言われました。日曜大工のいいところは部屋に合わせて家具のサイズが自由に作れることです。家族からは家具職人になれるんじゃない?とはやしたてられましたが、少々の誤差は気にしない性格でして下手の横好きくらいが丁度いいと思っています。 今でも暇を見つけては子どもたちのために椅子やテーブルを作っています。 皆さんは、好きこそものの上手なれ、という諺を知っていることと思います。取り組んでいる物事が好きであれば、それが趣味や仕事問わず自然と努力をするので伸びしろはありますし、継続すれば結果はついてきます。一方で、下手の横好きというのは、好きで努力はしているけれど結果が伴わないという意味です。私は中学時代に軟式ソフトテニス部に所属していました。誰よりも練習への出席率は良かったし、テニスコート整備も率先して行っていました。「努力は必ず報われる」と心の中で誓いながら。しかし、専用のコーチがマンツーマンで指導してくれても、私のテニスプレーは全く上達せず、中体連(中学生の夏の大会)で一回戦で負けてしまいました。好きで練習を頑張っていたテニスに対して絶望を感じた一瞬でした。勉強よりスポーツの方がセンスを問われます。同じ部活内で、ろくに練習に参加せず、むしろ面倒くさいが口癖の友人が中体連で九州大会の準々決勝まで勝ち進んでいました。その友人に聞くと、特にテニスが好きなわけではなく、テニスをしている女子はモテるイメージがあるからという動機で入部したそうです。私はその時、入部した動機の違いに驚きましたし、一概に好きだから上達するものではないんだなということを痛感しました。テニスが好きで誰よりも練習への参加率が良かった私が一回戦で負けてしまったこの事実は、まさに「下手の横好き」で表現できます。

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下手の長談義

【漢字】下手の長談義 【読み】へたのながだんぎ 【意味】話しが下手な人ほどダラダラ長話しをする。 【例文1】下手の長談義に付き合うほど暇じゃない。 【例文2】下手の長談義すぎて要点がわかりづらい。 【例文3】上司の朝礼が下手の長談義だ。 酔っ払いの戯言であればまだ救いがありますが、一滴も酒が入っていない状態で同じ事を繰り返し長時間にわたって話し続ける人が存在します。 相手に口を挟む間も与えずにクドクドと中身の薄い説法を続けるさまは、呆れるを通り越して残念としか言いようがありません。 そういう人に限って人の話は聞こうともせず、話の途中で止めさせようとすらします。 「話が長いです。用件を簡潔にまとめて下さい」と言えればよいのですが、そういう相手に限って社会的地位が自分より上なので始末に終えません。 思い起こせば、朝の全校集会や催し物の挨拶などで校長先生が長話をすることは、理不尽な社会に対する免疫を付けさせる為だったのではないでしょうか。 学校に通っている間は一般社会とは隔絶した環境におかれます。 ある意味、社会の様々な害悪から保護されている状態といっても過言ではないでしょう。 唯一、学校に存在する大人の社会人は教師たちです。 教師といえども人間なので、教師の自覚や相手が子どもという事を徹頭徹尾に意識し続けるのは無理です。 理性的な指導から懸け離れた、個人の心理が浮き彫りにされた言葉が延々と流れ出る状況も稀に存在します。 人間だもの、愚痴の一つも言いたくなる事がありますよ。 朝の出来事で教師が激怒、延々と同じことを繰り返し追及する説教が昼まで続き一日中正座させられた経験なんて今なら社会的に問題になるでしょうね。 ブラック企業どころか普通に企業でも、長談義ならぬ長説教が普通にありそうで怖いです。

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下手の道具調べ

【漢字】下手の道具調べ 【読み】へたのどうぐしらべ 【意味】下手な人に限って使う道具にこだわりや文句をつけるもの。 【例文1】下手の道具調べで、プロより高い道具を使っている。 【例文2】料理が焦げたのは鍋のせいだと下手の道具調べだ。 【例文3】高級筆だと良い字が書けそうだと下手の道具調べだ。 「下手の道具調べ」ということわざを聞いたことがあるでしょうか。このことわざの意味は《腕の悪い職人に限って、下手なことを道具のせいにし、あれやこれやと文句を言いなが道具ばかり選ぼうとすること》です。下手なことを道具のせいにする人っていますよね。 わたしの身近にいる下手の道具調べな人は、夫です。 夫は多趣味なのでゴルフ・テニス・スノーボード・自転車など、たくさんのものに手を出しています。 しかもどれも特に上手くはないんです。 それなのにゴルフの成績がよくないのはゴルフクラブのせいだーだの、テニスラケットのガットがよくないからもっと良いものに張り直すーだの、自転車をちゃんと乗るには専用の用品がないといけないからこれを買うーだの、何かと理由をつけて物を買い漁ります。 わたしから見ればどれも同じようなもの。そんなものにお金をかけるくらいだったら、ゴルフレッスンに通うとか、テニスクラブに所属して定期的にテニスをしにいくとか、そういうことに時間とお金をかけたほうがいいと思うんです。 わたしは料理がうまくできないことを道具のせいにはしませんよ。包丁が切れないのはちゃんとわたしが研げてないからだし、テフロン加工のフライパンがくっつくのは強火で使いすぎたり擦りすぎたからだし、全部自分の要領の悪さが問題です。 夫もそういうことに気付いて自分の腕を磨くようになってくれたらいいんですけど。お金がもったいない! 下手の道具調べとは、腕の悪い人に限って道具の善し悪しにこだわる、どんなに良い道具を使っても肝心の腕が良くなければ善いものや仕事は出来ないという意味で自分の耳に痛いなあと思う諺です。私は料理に対してこちらの諺が自分の事に当てはまる気がしました。いわゆる形から入るというタイプで必要かどうか確認する前に買ってしまった物があります。ひとつはサラダを作る際に水分を飛ばしてくれる回転式のザルボウルでした。実際は手で水分を切って、多少濡れてても気にならなかったので一度も使わないまま処分するという勿体ない事をしました。またジュースを野菜カスとに分けられるジューサーでカレーとかお菓子に絞りカスを入れたりしてましたが結局数回の使用でお蔵入りにしてしまいました。腕の良い人は道具にこだわらなくても善いものを作れるというのは、身近では祖母がそうではないかと思いました。前に豚の角煮の作り方を教えてもらった際に、圧力鍋を使わずに普通の鍋で時間をかけてコトコトと煮込んでいたり、漬け物も自分の糠床を毎日欠かさず混ぜるのだそうで、同じキュウリでも漬ける日数を変えるだけなのに味が全く違って美味しかったです。料理に限らず善いものを作るのはその人の腕はもちろんですがかけた手間の分だけ表れてくるのだなと感じました。

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下手の考え休むに似たり

【漢字】下手の考え休むに似たり 【読み】へたのかんがえやすむににたり 【意味】良い考えも浮かばないのに長く考え込むのは休んでいるようなもので、時間の無駄ということ。 【例文1】いくら考えても下手の考え休むに似たりだから諦める。 【例文2】下手の考え休むに似たりで今日のところはもう寝る。 【例文3】下手の考え休むに似たりだから明日考えよう。 確かに良い策が思いつかないまま考え迷っていては物事は進みませんが、軽率で猪突猛進して成功するなら苦労しないのです。 この言葉を自分が所属する組織の上司が使い始めた日にはたまったものではありません。 乾坤一擲や一か八かは追い詰められた状態で行き場を失ったものが破れかぶれでとる下策です。 リスクを恐れず実行しようとか、いかにも前向きな行動に思われそうですが「リスク管理能力がありません」と言っているのと大差ありません。 地味な積み重ねを一気に追い抜けるほど世間は甘くなく、賭けに出るような愚者の末路はパチンコ屋などで呆けている方々で十分です。 博打がしたいならば自分の財布だけでやっていただきたいということです。 それでいて失敗すると、良くて連帯責任、最悪の場合は「なぜ止めなかったのか」と糾弾されることすらあります。 暴走する前に良案をひねり出し献策しても、採用した上司の手柄になりほとんど評価されることなどないです。 苦労が報われない絶望的な状況をなげくことは、まさに下手の考えに相当するのかもしれません。 下手の考え休むにしかずという言葉もあるそうで、これも同じような意味らしい。 休むついでに、対義語をつくるとすれば何だろうと考えましたが、「上手な行動は労働」とかガッカリするような文言しか思いつきませんでした。 ちゃんとした休養が必要と思われます(自己分析)。 下手の考え休むに似たり、という言葉が当てはまる方が会社には沢山います。 よい考えが浮かばないのに、ひたすら時間だけを費やしてしまうことを意味しますが、このような方が会社には沢山いらっしゃいませんか。 そして、このような方が仕事のふりをし、残業代を稼いでしまうという、会社にとってはまさに負のスパイラルモデルです。 もしも、考えが浮かばないのであれば、なぜ他の人へ相談しないのか、甚だ疑問に感じる場面があります。 このような、相談もせずに一人で考える方は年代問わずいらっしゃいますが、特に中堅からベテランに多くあります。 その背景としては、仕事のスタイルを変えたくないという考えから、非常に視野が狭いことが災いし、狭い視野で物事を考えてしまうため、結論が出にくいことがしばしばあります。 さらに、上司はこうあるべきという考えで、他の人へ相談することにプライドを許さないという、偏屈な考えもあると思います。 私の場合、部下がいますが、部下は新しい考え方や視野を持っていると考えていますので、部下に相談することが多いです。そしてみんなで考え、成果を出したらみんなで喜ぶというスタイルを貫いています。 さらに考えが浮かばない場合は、その場でケリをつけたり、翌朝にもう一度考えることにしています。 そうすると、寝ている時に頭が整理され、翌朝に妙案が思いつくことは沢山あります。

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下手な鉄砲も数打ちゃ当たる

【漢字】下手な鉄砲も数打ちゃ当たる 【読み】へたなてっぽうもかずうちゃあたる 【意味】いくら射撃が下手でも何回も打てば命中することもある。数が多ければ多いほど当たる確率も高くなるだろうという意味。 【例文1】下手な鉄砲も数打ちゃ当たる行動で婚活する。 【例文2】下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで街中でナンパする。 【例文3】たくさん買えば下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだろう。 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとは射撃が下手でも何回も発砲すれば一回くらいは当たるだろうという考えです。 この気持ちとても共感できます。宝くじを1枚買う人ってあまりいないと思うんですよね。年末初めて1万円分宝くじを買いました。私にとっては夢のまた夢ですが、1億なんて当たる確率は少ないとわかっていてももしかしたら・・という期待も少しはありましたが、結果3000円分当たりました。マイナスですが、少し嬉しかったです。 そんな私も30歳を過ぎて周りがほとんど結婚して家庭を持っている中、彼女さえいません。そろそろお付き合いを真剣に考えて田舎の親を安心させてあげたいと思いました。婚活アプリで好みの女性にたくさんアプローチして下手な鉄砲も数打ちゃ当たる作戦で返事を待ちましたが、ひとつもきません。すこし条件を減らしてもっとたくさんの女性にアピールしました。数日後、2名の女性から返事がきました。嬉しかったですね。毎日連絡を取り合いました。私は話が合う一人の女性に思い切って会ってみたいと打ち明けました。いい返事が来たので来月夜行バスで会いに行く計画を立てています。とても楽しみです。 子どもの頃からラジオ番組を聞くことが好きだった私は、ラジオ番組への投稿を今も続けています。 初めて投稿したのはは中学生のころで携帯電話も持っていなかったため、はがきでラジオ番組に投稿をしていました。 はがきはメールなどに比べると1枚の料金も高いため、ひとつのはがきを慎重に書いていた記憶があります。 その甲斐あってか私の送ったはがきが採用され、お礼にフルーツの盛り合わせが届いたのは良い思い出です。 携帯電話を使うようになってからはメールでも投稿ができるようになったため「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の要領でメールを送ることができるようになりました。 しかしはがきを書いていた頃に培われた「量より質」の精神が染みついているのか、たくさんネタを考えて送るという作業が苦手な私はあまりメールを有効活用することはできていません。 今もなお、はがきのみでネタを募集している番組があり、私はそこにはがきを投稿しているためはがきも書いていますが、やはりひとつのネタの重みはメールよりもはがきの方が重いと感じます。 23年ぶりにはがきの料金が値上がりし経済的にも負担が増すことになるので、下手な鉄砲をなるべく上手に使い、弾数を節約しながらはがきを書いていきたいと思っています。 今の愛しの彼はバンドマン。そんなに人気はないけれど、一目惚れでした。もともとは知り合いから教えてもらった。ライブに誘われたので、とりあえずPVをチェック。なかなかいいかんじ。それからSNSでも探してみると、ありましたねぇーー。ありました。それでSNSでやりとりを少しずつするようになったんだけれども、とにかくそのマメさっていうのに感心。 でもライブで生見てしまうと、ちょっと熱は冷めるかな?と思ってたのに、そんなことはなし。生の彼のが断然素敵。その初々しさがたまらない。こんな歳下に心動かされるなんて、自分でも予想外。飲み屋の姉ちゃんにいれあげるおっちゃんの気持ちと同じようになっちゃいましたよ。ライブ終わってから話しかけようともするけれど、恥ずかしくて出来ない自分。これはアイドルに群がるおじさま達の気持ちと同じなのかな。 それからもSNSでのやりとりあるけれど、こちらが一方的にばかりなってしまった。でも、そこは下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。どれかはたまに彼からの反応もある。もうこれはこちらからの発信をたくさんするしかないんだよね。それに応えてもらえなくても、そんなに気持ちを折れないようにする。どれかは当たってくれるから。

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へそを曲げる

【漢字】へそを曲げる 【読み】へそをまげる 【意味】機嫌を悪くして言うことを素直に聞かない。 【例文1】彼はへそ曲がりだから何を言っても無駄だ。 【例文2】頑固者でへそを曲げる。 【例文3】言い訳をしてへそを曲げる。 『へそを曲げる』ということわざは、 『機嫌が悪くなること』、『意地の悪いことをすること』、『意固地になること』という意味があるようです。 同類のことわざとして、旋毛(つむじ)を曲げる、冠(かんむり)を曲げるというものもあります。 語源について調べました。 「へそまがり」=「臍曲がり」と書くと思うと思いますが、語源を調べてみると、正しくは「綜麻(へそ)曲がり」という漢字を使うそうです。 綜麻とは、織物をおる時に糸を巻き付けておく物で、この綜麻が曲がっていると上手に織物を織ることができないというところから、へそを曲げるということわざができたといわれています。 これは一説なので、ほかにも語源の由来といわれている説明も調べてみました。 ほかには、『真ん中にあるのが普通である「臍」が曲がった』という意味からへそを曲げるということわざになったという説もあります。 真ん中からずれた=意固地になって普通のところから逸脱したという考え方みたいです。

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へそで茶を沸かす

【漢字】へそで茶を沸かす 【読み】へそでちゃをわかす 【意味】そんなバカげた話があるわけないとおかしくてたまらない。 【例文1】君の話しはへそで茶を沸かす。 【例文2】彼女に勝とうだなんてへそで茶を沸かすようなもんだよ。 【例文3】練習もしないでレギュラーになりたいなんてへそで茶を沸かすよ。 『へそで茶を沸かす』という言葉は、あまりにも馬鹿げていて子どもじみているや馬鹿げては可笑しくて仕方がないなどの意味があります。 この言葉の語源は諸説あるため、実際にどの説が正しい語源であるかは定かではありません。大笑いして腹が動く様子が湯が沸き出ているように見えるからという説、へそで茶が沸き出るはずがないというあざけりの意味がある説。江戸時代のお芝居にへそを人前に出している人をバカにして大笑いするという意味で、『へそを茶化す』という言い回しがあったため、こちらを語源とする説などもあります。 このように、言葉の語源は様々な説があることが多いものですが『へそが茶を沸かす』の意味自体に大きな差異はありません。 あんなに少ない人数で大勢に立ち向かうなんて、『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 初めてのスキーでプロに勝とうなんて、『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 素人さんが横綱と相撲をとるのは『へそで茶を沸かす』ようなものだ。 具体的にはこのように無謀な事を行う又は行おうとする人間に対して、あざける意味で使われています。 似ている意味の言葉では笑いが止まらないという漢字を使う『笑止』や笑いすぎて腹が痛くなるという意味で『片腹痛い』などがあります。 「大魔王が倒せない」というラノベは2015年12月に3巻が出たきりで、WEB版の更新も大分先との事ですが面白いので何度も小説家になろうのWEB版を読み返しています。 5章ラストよりも後の番外編の展開についての感想を書きます。そのためまだ読んでいない方にはネタバレになってしまいます。 「魔神連合」という前後編の章ですが 全知全能だと息巻くやたら態度のでかい神が面白い。なぜなのかは理由は不明ですが大魔王パエリアが常連となっている定食屋までやって来て、パエリアを自分達神々の連合に強制加入させるとの事です。パエリアが全知全能が何人もいるのはおかしい、全知全能に意識現象があるのもおかしいと突っ込みます。ここからムキになって宇宙のレベルと階層と神々の序列について語る神が情けなくて私は失笑しました。創作物の全知全能キャラを皮肉ったコメディが上手なのでぜひ読んでほしいです。さらに定食屋の息子に全知全能の不備を指摘されただけでキレ始めて小物っぽさ全開の凄み方と、自称全知全能神の攻撃が通じないのが分かった途端に、「ちょっと待って?」とか威厳もへったくれもない醜態をさらし、自称全知全能神はクトゥルフ神話のヨグ=ソトースを連想させるような能力説明を始め、ものすごい宇宙を超越した神なんだと言い訳めいたキレ芸に、へそで茶を沸かすほど笑えました。

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平々凡々

【漢字】平々凡々 【読み】へいへいぼんぼん 【意味】特に何もなくありふれている事を強調した言い方。 【例文1】平々凡々な毎日がつまらない。 【例文2】恋人もおらず毎日平々凡々な生活を送っている。 【例文3】毎日平々凡々の繰り返し。 私は高校を卒業してから、とある一般的な普通な会社に勤め始めました。 仕事は特にこれと言ってがんばりどころのない、誰にでもできる様な事を毎日繰り返していました。 平々凡々な日常を毎日繰り返し、私は自分の人生に飽き飽きとしていたのです。 しかしある時、平々凡々な日常が終わりを遂げたのです。 勤めていた会社の業績が悪化して、私がリストラの対象となってしまいました。 それで私は会社を解雇されて、急遽再就職先を探す事にしました。 ですが何の取り柄もない私ですから、簡単には再就職先は見つからなかったのです。 その間貯金を取り崩して生活をしていたのですが、しばらく経つとその貯金もついに尽き果て、仕方がないので友人や知人に借金を頼むようになりました。 やっと見つけた再就職先も、勝手が違う仕事に慣れなかったり、人間関係が上手く行かず、結局長続きはしませんでした。 それからまたしばらく再就職先探しに追われ、借金の額も増えて行ったのです。 その後ようやく良い再就職先を見つける事が出来、安定した収入を得る事が出来るようになりました。 ですが借金の返済に追われ、落ち着いた生活は送れなかったのです。 今はようやくその借金も完済して、落ち着いた生活が送れるようになりました。 紆余曲折した人生を送った事で、私は平々凡々な生活がどれほど素晴らしいかを知る事

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平身低頭

【漢字】平身低頭 【読み】へいしんていとう 【意味】頭を低くしてひたすら謝る姿勢。 【例文1】取引先に無礼な発言をして平身低頭で謝るしかない。 【例文2】ビジネスを成功させるには平身低頭な姿勢が重要である。 【例文3】平身低頭でも怒りがおさまらない。 平身低頭とは「身を低くして頭を下げる様子、ぺこぺこすること」です。 ある国で有名な哲学者が土管のような所で昼寝をしていたところ、王様が通りかかり、その様子に気づいて「あの者はなぜ自分に挨拶をしないのだ」と急に怒り出しました。哲学者は王様の前にひった立てられ、挨拶をしますが、王様は許しません。首をはねられそうになりますが、哲学者は王様の足元に平身低頭して許されます。それを見た観衆の一人が哲学者に「あなたは悪くもないのにどうしてあのようなふるまいをしたのですか」と聞くと哲学者は「恥ずべきは足に耳がある王のほうだ」と答えたという話があります。平身低頭は大昔からの謝罪のひとつの形であったのでしょう。 日本でも有名なところで牛若丸(源義経)と弁慶の出会いの時、弁慶は平身低頭しています。京都の五条大橋の上で毎夜、刀狩と称して武士を襲っては刀を巻き上げていた弁慶。ある晩、牛若丸と出会います。身軽な牛若丸は大男の弁慶を橋の上で翻弄し、とうとう弁慶は降参し二度と刀狩などしないことを誓います。そして後々弁慶は義経の家来になります。その後、義経が兄頼朝に追われ奥州に逃げた時、安宅の関で「義経本人ではないか」と関所役人に問いただされて窮地に陥った時、弁慶が機転をきかせて義経を「お前のせいで疑われた」と散々打ちのめします。その様子に家来が主君をそのように打つことはないだろうと判断され無事に通してもらうことに成功します。通り抜けたあと、弁慶は義経に非礼を詫び平身低頭します。義経はそんな弁慶の機転に心から謝意を示します。歌舞伎の「勧進帳」で有名な「平身低頭」です。

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平穏無事

【漢字】平穏無事 【読み】へいおんぶじ 【意味】特に変わった事もなく穏やかな様子。 【例文1】久しぶりに会った友人も平穏無事に過ごしていると聞いて安心した。 【例文2】平穏無事に生活するには思いやりが必要だ。 【例文3】離れて暮らす父母が平穏無事で何より。 人は生きている限りさまざまな障害にであうことがあります。毎日が平穏無事に過ごしていけたらよいですよね。平穏無事とは何事もなく穏やかであるということです。人は社会に出るといろいろなストレスがあります。働いていく上でのストレスはほぼ人間関係でしょう。そこで会社で平穏無事に過ごしている人の特徴を考えてみました。 会社で平穏無事に過ごせる人は世渡り上手な人です。世渡り上手な人はいろいろな人から好かれます。世渡り上手な人は、いつも笑顔を絶やさず、明るく元気で思いやりがありる人。他人をフォローすることができ、他人が落ち込んだときに気の利いたことが言える人などが上げられます。世渡り上手はかなりスキルが必要ですね。スキルのない人は面倒なことに巻き込まれないために、人の悪口は言わない、他人の立場に立って発言するだけでも十分ですね。 会社で平穏無事に過ごすためには素直なことも必要です。仕事ができる人は尊敬されますが、あまり要領が良くない人だったら失敗した場合は素直に謝ってしまいましょう。 またどうしてもストレスがたまって平穏無事に過ごせない方もいると思います。その場合こう考えましょう。今日一日平穏無事に生きていることができて、ご飯を食べれただけで幸せですよね。 皆さんが普段の生活や仕事の中で、何事も無く無事に過ごす事が出来た時に使う言葉として、平穏無事と言う4文字熟語が有ります。この平穏無事の意味ですが、日常の生活や仕事の中で、変わった事も無く穏やかに過ごす事が出来る事を指して使います。「平穏」の意味としては、「穏やか」や「安らか」の意味を持っており、その言葉に変わった事が無い「無事」と言う言葉を添え、言葉としての意味を強調した物になっております。日常的な使い方としては、「平穏無事な日々を送る」や「平穏無事に暮らす」等の使われ方が一般的です。この平穏無事の類義語としては、「安穏無事;あんのんぶじ」「無事息災;ぶじそくさい」「無病息災;むびょうそくさい」等があり、いずれの言葉も日常生活や仕事等の無事を願っている言葉となります。一方平穏無事の反義語としては「波乱万丈」があげられると考えますが、似た言葉としては「難行苦行」「いばらの道」「悪戦苦闘」等の言葉も人によっては使われる場合も有りそうですが、若干意味合いの異なる言葉になりそうです。又、個別の言葉としては平穏の反義語は不穏、無事の反義語は有事等が有り、日常生活の中で波風が立った状態を表しております。

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