弁慶の立ち往生

【漢字】弁慶の立ち往生
【読み】べんけいのたちおうじょう
【意味】弁慶は無数に矢が突き刺さっても最後まで君主を守り、立ったまま死んだと言われる。現代の意味は進むか退くかどうにもならないことをいう。
【例文1】喧嘩の相手が多すぎて弁慶の立ち往生だ。
【例文2】恐妻家に弁慶の立ち往生だ。
【例文3】後継ぎがおらず弁慶の立ち往生だ。

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弁慶の立ち往生に思うこと

主君の義経を守るために全身に矢を受けて立ったまま絶命したとされる武蔵坊弁慶。
はたして絶命して尚、立ったままの姿勢をとり続けることなどできるのかという疑問がわきます。
立ったまま居眠りをしている人を見かけることがありますが、あれは完全に眠っている訳ではなく目をつぶっているに過ぎません。
足腰から力が抜ければ自然と崩れ落ちると考えるのが無理の無い思考でしょう。
それでも死んだ状態で倒れないためには何か特殊な条件が必要となりそうです。
武術の達人は全身から無駄な力を取り去った自然体で構えると聞くので、そのような姿勢を取る事ができれば可能性は有りそうです。
よくある立ち往生を表現した人形は胸を反らして片手の薙刀を地についていますが、これはちょっと無理に思えます。
他の方法として、戸板など壁に背中を押し付け、前の方は両手で薙刀を杖とすれば前後に倒れることはなくなりそうです。
左右に倒れないのは、うまくバランスをとれたからということにすれば何とかなりそうです。
物理的な問題は解決できますが、精神的な意味で弁慶の立ち往生に追従・実行することは難しいでしょう。
追い詰められて進退極まった主君の最後に殉ずることなど、忠義の塊みたいな人間でなければ不可能です。
都合が悪くなれば全てを捨てて逃げ、捕まっても悪態をついて責任を他に擦り付けようとする人間の何と多いことか。
実際に立ったまま死んだかは定かではありませんが、その精神的な姿勢に死して尚倒れ伏さない弁慶像を後世の人は見るのでしょう。

「弁慶の立ち往生」進退きわまったときの勇気

「立ち往生」とは本来は立ったまま往生するつまり立ったまま死ぬという意味でした。現在の意味に転じた由来は武蔵坊弁慶にあります。武蔵坊弁慶は京都の五条大橋で当時牛若丸と呼ばれていた源義経と出会い忠実な家臣として最後まで仕えました。牛若丸はのちの源義経、鎌倉幕府を開いた源頼朝の腹違いの弟です。兄・源頼朝に仕えていた源義経は数々の武功を立てますが次第に源頼朝に疎まれ京都を離れて奥州の藤原秀衡の元に身を寄せます。藤原秀衡の死後、息子の藤原泰衡は源頼朝の威を恐れ父の遺言に背いて源義経を襲いました。世に言う衣川の戦いです。多数の敵勢の攻撃を受けた武蔵坊弁慶は源義経をかばって古館屋敷の入口に立ち薙刀をふるって並み居る敵兵を次々と倒しました。しかし多数の敵兵にはかなわず無数の矢を体に受けながらも薙刀を杖に仁王立ちしたまま亡くなったといわれています。これが「弁慶の立ち往生」の由来です。そこから転じて進むことも退くこともできない進退きわまったことのたとえになったそうです。進退きわまるような事態になることはできる限り避けたいものですが、もしそういった事態に陥ってしまったときには武蔵坊弁慶のように逃げずに立ち向かう勇気を持った人でありたいものです。