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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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損して得取れ

【漢字】損して得取れ 【読み】そんしてとくとれ 【意味】一時的に損はしても後に得になるのであれば、当初の損には意味がある。 【例文1】商品の良さを知ってもらうには、試食で損して得取れ。 【例文2】宣伝カーを購入して損して得取れ商法だ。 【例文3】店の看板にはお金をかけて損して得取れ。 損して得取れとは初めは損 するように思えても、長い目で見れば得することになるという意味です。 商売をしている人にはぴったりの言葉だと思います。 スーパーで買い物すると、鮮魚やお菓子・飲料水など試飲食コーナーがありますよね。私もたまに試食をしておいしかったら実際その商品を買います。 子どもの頃はただただお菓子を食べられる嬉しさがありました。中学生くらいになると、毎日その商品もったいないなと思いました。大人になってお客様の目について気に入れば、以来購入が続く、目につかなければその品はずっと買わないままで店側の損して得取れ作戦を知りました。 街中でも社名と連絡先が入った営業車を見かけることがありますね。デザインやインパクトがある宣伝だと印象に残り、依頼や契約につながるので業者に頼んででも社名を入れて走る価値があるのですね。先日デパートの化粧室にネイルサロンのサンプルが貼り付けてあったのでイメージも湧きやすくすぐにそのネイルサロンに問い合わせをして予約を取りました。まんまと作戦にはまりました。

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算盤を弾く

【漢字】算盤を弾く 【読み】そろばんをはじく 【意味】あらかじめ損得を計算する。 【例文1】彼は算盤で弾いてから行動する。 【例文2】どれくらい儲かるか算盤を弾く。 【例文3】算盤を弾いてみたが、利益が出ない。 「算盤を弾く」というのは「損得を考える」という意味です。昔は電卓などありませんから、商売の勘定は算盤を使って計算していましたから、商売人の習慣からできた言葉といえます。算盤は串に通した珠を上げ下げして足したり引いたりするものですが、中国の宋の時代に発明されたもので、日本へは室町時代に伝来したと言われています。文禄の頃の算盤の記録と実物が現存しています。少し前まで算盤は五つ珠でした。今の算盤の珠は下に四つで、五の数字は上の珠で置きます。昔のは下が五つですから、五を入れる時には下で入れたうえ、上の珠でも置きました。朝の連続ドラマで「あさがきた」の時代は明治初めでしたが、その頃、主人公が手にしていた算盤は五つ珠でしたね。明治政府になって学制が整えられて、武士の子どもたちの手習いから始まった寺子屋では算盤は習わなかったかもしれませんが、明治政府は日本固有の算数の学習である、和算の学習を導入したので、日本中の義務教育の子どもたちが、算盤を勉強することになりました。今でも、街のそろばん塾は数が減ってきているものの、小学校では必ず算盤を習いますし、フラッシュ暗算などパソコンを使って暗算の練習をするような手法も編みだされています。算盤が五つ珠から四つ珠に進化したように、算盤学習も進化してきているのです。

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反りが合わない

【漢字】反りが合わない 【読み】そりがあわない 【意味】刀の反りと鞘が合わないと刀を鞘に収めることができないことから、考え方や性格が合わない者同士をいう。 【例文1】育った環境も性格も違うので、彼とは反りが合わない。 【例文2】反りが合わないので話がまとまらない。 【例文3】先生と反りが合わない。 よく、お互い性格の価値観など合わない相手に対して「反りが合わない」と言いますよね。 反りが合わないとは、互いに性格や考え方や性格が違うので関係を円滑に続ける事ができないという意味なのだそうです。 さて、この言葉の語源ですが、一般的に反りとは刀の峰の部分が反っていることをさします。 この反りが、刀を収める筒の鞘の形に一致しないと、刀をきちんと収める事ができないですよね。 ですので、ここから反りが合わないという言葉が生まれたのです。 また、反りが合わないの類似語で、馬が合わないという言葉もありますよね。 主に馬が合わないは同性同士で使用されることが多く、反りが合わないは異性感で使用されることが多いです。 反りが合わないは例えば、僕と彼女は反りが合わないので別れることになった、など使い方をします。 対して馬が合わないは、僕と誰々さんは馬が合わないのでどうも仕事がやり辛い、といった使われ方をしますよね。 つまり、この2つの大きな違いは、合わないのは相性か性質かといったとこでしょうね。 馬が合わないはお互いの相性が合わないということになるのに対して、 反りが合わないは生まれ持った性質自体が合わないということになります。 どちらも似て非なるものなので、うまく使い分けるようにしましょう。 学校のクラスメイトや職場で「反りが合わない」という人が少なからず存在しますよね。「あーアイツとは仲良くなれないなあ」と不平をこぼすこともあるでしょう。この「反りがあわない」という言葉の意味は皆さんもご存知の通り、「互いの性格や考え方の相違から、気心が合わなかったり、上手くやっていくことが出来ない」という意味を持ちます。この「反りが合わない」という言葉にも語源や由来が隠されています。 「反りが合わない」の「反り」は、刀の峰の反っている所を意味し、その「反り」が刀のさやの形である曲がり具合に合わないと、刀を鞘に収めることが出来ないこの関係性を人間の関係性に当てはめ、「互いの性格や考え方の相違から、気心が合わなかったり、上手くやっていくことが出来ない」という意味なりました。 反りが合わないの類義語として、「馬が合わない」や「波長が合わない」等があります。逆に、反対の意味を持つ言葉は、類義語の言葉の「~が合わない」という言葉を「~が合う」という言葉に変えると逆の意味になります。 普段の暮らしの中で少なからず「反りが合わない」人に出会うことがあると思いますが、それでもその人の良い面や良いところを見ることが出来るようにならないといけませんよね。

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側(傍)杖を食う

【漢字】側(傍)杖を食う 【読み】そばづえをくう 【意味】杖を振り回していた人の傍にいたため杖が反れて当たってしまうことから、自分と関係のない所で思わぬ災難に遭う。 【例文1】事故の影響で会社に遅刻して、側杖を食う。 【例文2】部活の連帯責任で側杖を食う。 【例文3】泥はね運転で側杖を食う。 今、夢中になっている小説の中に側杖を食うという表現が出て来ました。 1番良く使う言葉でとばっちりを受けるという言葉に似ているなと思いました。 漢字を見ると側にある杖、つまり隣の人が持っている杖を意味しているのだと察します。 その杖でとばっちりを受けると考えるとなんだか恐ろしいような気もしますが的確な言葉である様な気がします。 確かに人間関係って言われもない側杖を食う事ってよくあるよなと自分の人生を振り返ってみました。 そうすると学生時代の苦い思い出が蘇って来たり、大人になってからはさらに自分とは関係のない納得行かない事で怒られたりと理不尽な事にぶち当たる事が増えました。 そして最近は生きている限りこの様な事からは逃れて生きていくのはムリで大切な事は側杖を食う場面に出くわした時に自分がどう切り返しどう乗り越えるかが大切なんだと気付きました。 側にある杖はいつ自分に飛んで来るかは分かりません。 予測不能な物ですよね。 もしその杖が自分に飛んで来てもその場で上手く交わせたなら私はそれでいいのではないかと思います。 その為にも沢山の人間関係を経験して自分のヒューマンスキルを身につけるという事も大切な事ですね。

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備えあれば憂(患)いなし

【漢字】備えあれば憂(患)いなし 【読み】そなえあればうれいなし 【意味】普段から準備をしていればいざという時、何も心配はいらない。 【例文1】我が家は地震の教訓から備えあれば憂いなしで非常持ち出し袋を完備している。 【例文2】防災グッズも買ったし備えあれば憂いなし。 【例文2】停電で不憫だったが、備えあれば憂いなしの防災グッズが役に立つ。 ある日テレビを見ていた所、テレビショッピングで防災グッズを紹介していました。 その商品は一台で、LEDライト、ランタン、ラジオ、サイレン、太陽光発電、手回しハンドルに因る発電が出来るというものでした。 一台で何役もこなし、すごいグッズだなと思ったのです。 テレビショッピングの人が、「備えあれば憂いなしの為に、この機会に是非お買い求めください」と締めくくりました。 ここ最近はゲリラ豪雨が発生したり、いつ大きな地震が発生するか分からないし、値段もお手頃だったのでこの商品を買い求めました。 それからしばらく経った頃、すごいゲリラ豪雨が発生して、近くに雷が落ちたのです。 そしたら急に停電してしまい、電化製品が一切使えなくなってしまったのです。 直ぐに復旧するかと思いきや、いつまで経っても電気が復旧しないので、慌てて以前買い求めておいた防災グッズを取り出しました。 丁度スマホのバッテリーが切れそうになっていたので、防災グッズの手回しハンドルを使ってスマホを充電しました。 また辺りが暗くなっていたので、防災グッズのランタンが役に立ってくれたのです。 防災グッズのおかげでスマホが充電できて、今の状況をスマホで調べる事が出来ました。 備えあれば憂いなしと言いますが、この防災グッズが無かったらとても困っていたと思うので、事前に買っておいて本当によかった思いました。 私は物を予備を持っていることが非常に好きです。 私が中学生の時、私は学習塾に通っていました。 その塾はかなりのレベルで、偏差値で言うと70くらいだったと思います。 頭のレベルなどの話はともかく、予備の話なんですが、 当時のカリキュラムは多くの参考書の購入が義務付けられていました。 社会に関しては日本史、世界史、現代社会の3つの参考書に授業に使われる教科書が2冊ずつ。さらにプリント。 毎日全教科やるわけではなかったのですが、それでも全教科の書類をすべて手に持つようにすると全部で10キロほどのものになりました。 私は遠方から通っていたので大型登山バックにそれらすべてを積み込み、学校終わりから終電になる時間まで塾に通う状況だったので、 休み時間や自習の時間にどの科目の勉強をもできるように10キロの書類を持ち歩いていました。 他の賢い子たちは自習の時には1、2教科分のものしか持ってきてませんでしたが、私はすべて持ってきていました。 そのためたまにそういった賢い子たちが時間があまり、ほか強化の勉強をするといったときに私はその子たちに教材を貸すことができたのです。 まさに備えあれば憂いなしですね。 私はそういった経緯もあり歩く図書館というあだ名も拝命していました。今となっては懐かしい思い出です。 そういえば毎日10キロの書類を持っていることで体力も相当ありました。 柔道部にいた誰よりも私の背筋の力が優れていたのです。 これも予備の副産物。 メリットばかりではないかもしれませんがやっぱり予備を持つことはやめられそうにありません。 万一の事があったとしても普段より準備をしておくと心配がないという意味の諺である備えあれば憂いなし。この言葉を聞くと天災等のいつ起こるか分からない事柄に対して使われるのが多い印象があります。私も一時期防災グッズを揃えて常備していた事がありました。やはり震災を報道で観たりすると敏感になり就寝前にはスリッパと携帯を枕元に置いて寝たりしてました。防災グッズにはトイレットペーパーやラップ、食べ物に関しては乾パンを旅行バッグに入れてました。いざという時にとの動機でしたが、普段の生活で買い忘れた時にそのトイレットペーパーで助かる事もありました。また乾パンも、おやつがなくお腹が空いた時に食べたりして本来の目的とは違いましたが備えておいて良かった事に間違いないです。また普段からカバンに入れておいた方が良いものも人によって違いがあると思います。私は定番かもですが、絆創膏にはよくお世話になります。主に靴擦れの際はクッションの役目もしてくれ、その後歩き続けない時に馬鹿になりません。夏は虫刺されスプレーを持ち、刺されたと思ったらすぐ塗る事で痒みが最小限に収まってくれ跡になりにくくもなりました。備えあれば憂いなしは準備をする事で安心出来るのだという事も教えてくれてる感じがします。 先の台風21号は超大型でした。福岡に住んでいますが、だいぶんそれてはいたのですが、結構な暴風状態でした。報道によるとすぐ近くの工事現場で足場を組んでいて、突風で足場がなぎ倒され目を覆うことも出来ないような事故がありました。目を覆うような事故というのは足場が倒れて人が下敷きになっていました。その人は60代の男性で意識はなく救急病院に運ばれましたがそのまま帰らぬ人となったわけです。今度の台風は少し自分の中でも舐めていたようなきがします。このように目を覆うことも出来ないような大惨事になるとは思っても居ませんでした。今年の台風は少しそれると全く雨風もなく平静を保っていましたがやはり自然を舐めてはいけないとあらためてかんじさせるじこでした。最近は台風も大型化して温暖化の原因でしょうか。後は北部九州は豪雨で、目を覆うことも出来ないような洪水を巻き起こしました。これも私の住んでいるところからすぐ近くのところで本当に人ごとではありません。このように最近は異常気象が続きます。二酸化炭素による温暖化の問題は報道をにぎあわせていますが、これを人ごととは思はず備えあれば憂いなしで災害時の用意を十分にしておこうと思いました。

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袖振り合うも多(他)生の縁

【漢字】袖振り合うも多(他)生の縁 【読み】そでふりあうもたしょうのえん 【意味】知らない人と通りすがりに袖が触れ合ったのも、前世からの因縁があるものだ。 【例文1】旅先で隣の席に座ったのが袖振り合うも多生の縁だ。 【例文2】ここで出会ったのも袖振り合うも多生の縁だ。 【例文3】相性が良く袖振り合うも多生の縁だ。 「袖振り合うも多生の縁」とは、「道行く知らない人と袖が触れ合うことですら宿縁による。すなわちちょっとした出来事も全て宿世の因縁によるという意味」です。「振り合う」は「お互いに振り合う、触れ合う」という場面を表しています。昔から別れの挨拶は袖を振ることでした。万葉集にも柿本人麻呂の歌で「岩見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」などと詠まれています。今は「手を振る」ですが、昔は「袖を振る」だったのです。江戸時代になると、ある程度の身分の未婚女性が大振袖を未婚のしるしとして着用するようになります。この大振袖を蝶々のように振ることで、好きな男性へのアピールをしたともいいますし、長い袖は男からの恋文を入れやすいようにするために段々と長くなったという説もあります。よく時代物でも簪を指したり、手柄という可愛らしい布を髷に巻いて飾りにした娘さんが、大振袖を着ていますよね。振袖を振ることでアピールして射止めた男性から受け入れてもらえると、振袖に恋文が入れられて逢引きをし、仲が深まれば結婚へという段取りでしたから、この「袖振り合うも多(他)生の縁」は時代が下ると男女の仲を指すことが増え、「多生(他生)」は「親子の縁は二世(今生と来世、もしくは前世と今生)であり、夫婦の縁は三世(前世、今生、来世)であり、夫婦の縁の方が親子よりも深いものだ」という考えからも、この言葉が結婚へのご縁を指す場面も多いのですが、もともとの言葉の意味としては、男女問わず、「些細な触れ合いであっても因縁なのだ」という意味なのです。

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袖にする

【漢字】袖にする 【読み】そでにする 【意味】着物の袖はさほど目に留まることはなく、舞台の袖も観客から見える所ではなく重要ではないことから、親しくしていた人に冷たい態度をとる。 【例文1】嘘ばかりつく彼を袖にする。 【例文2】お金を借りたまま返さない友人を袖にする。 【例文3】他に好きな人が出来て袖にする。 語源は着物の袖は長く邪魔になることから、邪魔者扱いにする。 舞台の両端は観客席からは見えず重要でないことからきています。 みなさんは他人を袖にした事ありますか? 私はいくつかあります。10代の色恋沙汰でした。好きな男性の話を友達に話しているうち、友達のほうが彼と仲良くなってしまい、私は焼きもちをやいて軽く友達を袖にしました。当時は悔しくてたまりませんでしたが、大人になった今、その友達と今でも会えば普通に喋ります。 あと一つは、社会人になってお金に余裕ができました。貯金も毎月2万しています。 同窓会で同窓会で再会してから近くに住んでいるということもあり、友達づきあいも増えました。ご飯を食べる時はほとんど割り勘でしたが、たまーにおごることもありました。そんな時、バイト代が少なかったので、お金を1万貸してほしいと言われました。まあ1万だけなら・・と思いバイト代が出たらすぐ返してもらうよう約束をして貸しました。翌月、バイト代は出たもののこれからの生活費が厳しくなるからと言って待ってほしいと言われました。なんだかモヤモヤして待っていたけど返済はありません。もう痛い社会勉強だと思い直して別件で連絡取る時、袖にしました。これはこれでよかったと思っています。

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そつがない

【漢字】そつがない 【読み】そつがない 【意味】効率的で無駄がない。 【例文1】彼女はテキパキ動いてそつがない。 【例文2】彼女は頭の回転が速くそつがない。 【例文3】そつがない人材を求む。 企業が人材を欲しいと望むうえで、最近言われているのが「そつがない人」です。 そつがない、というのは、なんでも器用にこなして無駄がなく安心して仕事を任せられるそんな意味なわけですが、昔も今もそつがない人の需要はかなり高いままだといえるでしょう。ただ、昔(昭和)と今の採用で少し違っているのは、集団就職と言われた世代の就職において求められているのは、熱意ややる気、職人気質の真面目さや無骨さだったのに対し、今はそういったものがある人が採用されにくくなってきているという現状です。 もちろん、やる気や熱意はどこでも必要ですが、それ以上にバランス感覚の良い人間が企業向きとされています。 例えば技術職。昔はコミュニケーション能力よりも、真面目にコツコツ自分の腕を磨ける人材も積極的に採用していましたが、最近では技術や研究といった職種であっても ハキハキと自分の意見が言えたり、会社組織の中で円滑に人間関係を育んでいける人材が積極採用されています。 事務職のような縁の下の力持ち業務であっても、自己アピールが出来ないと採用されにくいケースも多いです。 昔は、多少バランスが悪くても何かに特化して能力や情熱がある人を時間をかけて育てていこうというゆとりがありましたが、最近は即戦力になるような何事もバランスよくこなす人間を採りたがる傾向にあるわけですね。 少し寂しい気もしますが、これも時代の流れなのでしょう。何事にも平均的な量産型大学生、と言われるような学生ばかりではなく、これはできないけれどこれをさせたら一番!といったような若い人材にも、企業には目を向けてほしいと願うばかりです。 昔からよく聞く慣用句のひとつに、「そつがない」というものがあります。「そつがない」というのは、何かあるものごとに対して、失敗やほころび、しくじりなどが一切なく、手抜かりが見つからない状態を指す言葉ですね。たとえば、「あの人はどんな仕事に対してもそつがない」「難しいミッションをそつなくこなす」といったように使います。 ですが、そういえば「そつがない」の「そつ」とは、いったい何なのでしょうか?調べてみたところ、「そつ」とは、いわゆる古語にあたり、「ムダ」あるいは「ぬかり」という意味の単語で、現在では「そつがない」という言葉以外ではほぼ使われていないようです。 現代においてわたしたちが使っている感じにも、「そつ」という読みのものはいくつかありますが、この「そつ」は特に該当する漢字もないようで、どんな場合においても、すべてひらがなで表記されます。 言葉というのは時代の流れとともに意味が大きく変わることもよくありますし、その時代でしか使われていない言葉もたくさんあります。だからこそ、古文は同じ日本語であるにもかかわらず、普通の現代人がすらすらと読むことはほとんどできません。それでも残っている言葉ということは、それだけ昔から「そつがない」人が多かったのかもしれませんね。

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俎上の魚

【漢字】俎上の魚 【読み】そじょうのうお 【意味】俎上の魚とはまな板に乗せられた魚のことで、相手の思いのままになるより仕方がない状況をいう。 【例文1】親にお金を借りているので、俎上の魚で言いつけは絶対に従う。 【例文2】友人に借りがあり、俎上の魚。 【例文3】借金返済で俎上の魚から解放される。 「俎上の魚」はまな板の上の魚。死を待つよりほかに途のない運命にあるという意味です。「俎上の魚、江海に移る」とは「危険を免れて安全の域に入る」ことです。映画やドラマなどでは主人公が窮地に陥り、「俎上の魚」状態になることもありますが、実生活では避けて通りたい事態ですよね。話は変わりますが、ペットの美容室などでトリミング用のテーブルが割と高くしつらえているのは何故かご存知ですか?もちろん、トリマーさんが犬の毛をカットしたり、ケアするのにやりやすいこともありますが、本当の理由は犬は高い所が苦手で、高い所にいると認識するとおとなしくなり、逃げ出そうとしなくなるので、作業がはかどるからだそうです。確かに、抱き上げられて高いトリミングテーブルに載せられた犬は、少し表情もこわ張り緊張しているようにも見えます。彼らのためにしてあげることなのですが、彼らは「俎上の魚」だと感じているのかもしれません。とはいえ、はさみを手にしている時に、暴れまわられたら、かえって彼らを危険にさらしますから、このテーブルを考えた人は頭がいいなと思いますね。猫の場合はこうはいかないでしょうから、犬の特性を知り尽くした人の知恵なのでしょう。

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俎上に載せる

【漢字】俎上に載せる 【読み】そじょうにのせる 【意味】出来事や人物を話題に取り上げること。 【例文1】話題作を俎上に載せる。 【例文2】俎上に載せて集客を狙う。 【例文3】俎上に載せて論議する。 「俎上に載せる」とはある人物や物事を取り上げ、色々な面から考察したり議論するという意味です。 俎上に載せるというのは俎板の鯉とは違って、これからその人物や物事の是非を論議しようという感じで、これから考えて行こうといったニュアンスがあります。この俎上に載せるという言葉を聞いて思い出すのがある裁判の判決文です。 それは2014年に関西電力大飯原発3・4号機の運転さし止めを命じた判決文です。「大飯原発再稼働認めず!」再稼働反対を訴えた住民の勝訴となる劇的な裁判でした。この判決を出したのは福井地裁の樋口裁判長の判決文が素晴らしかったです。 「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体法的に許されないことであると考えている。」 原発の再稼働に対するリスクと、原発を動かさなければ電気代が高くなり経済が停滞するといった問題を同じ俎上に載せて論ずるべきではない、そもそも同じ俎上に載せること自体が間違っているのだときっぱりと言い切った判決文でした。 日本の原発がなし崩しに再稼働する中「同じ俎上に載せるべきではないのに」という思いが再びよみがえっています。

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速戦即決

【漢字】速戦即決 【読み】そくせんそっけつ 【意味】長期戦にならないように短時間で決着を付ける。 【例文1】彼女は速戦即決で保険の契約を取る。 【例文2】住民の理解を得るために速戦即決で住民説明会を開く。 【例文3】体力温存のため速戦即決が必要。 私は現在、恋愛ドラマに夢中になっています。 その物語の中で恋愛関係が上手く行かずに彼の方から距離を置こうというのだけど白黒はっきりつけたがる気の強い彼女はイライラが隠せない様子でした。 自分自信も恋愛や物事に対しては速戦即決な思考なので特に恋愛において距離を置く事が苦手です。 距離をおくことももちろん頭を冷やす為には必要な事なのかもしれないけれど、1度相手と離れてしまうともっと気まずくなるんじゃないかと思ってしまいます。 また、喧嘩などをした時に日をまたぐのが嫌いなのも1つの理由です。 過去にこの恋愛で距離をおくという事に関して親友と話した事があるのですが、その際に言われたのが相手が大切だからこそ即決できないって事も沢山あるんじゃないかと言われました。 そして恋愛に速戦即決を求めるのはルール違反だとも言われてハッとさせられました。 これまで生きてきた中で物事を直ぐに決めれるところは自分の長所だとさえ思っていたけれど時には一息おいて考えてみる事も大切だなと思えるようになりました。 物事を決めるのに対して優柔不断な事が悩みな人もいると思いますが、私の場合は冷静さがなく速戦即決な思考こそが悩みの種なのです。

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総領の甚六

【漢字】総領の甚六 【読み】そうりょうのじんろく 【意味】総領とは後を継ぐ長男・長子を言い、最初に生まれた子どもは大事に大事に育てられるので、世間知らずに育つ者が多い。 【例文1】彼は長男なので、世間知らずで総領の甚六だ。 【例文2】君、長男だろ。総領の甚六だもんな。 【例文3】総領の甚六とは相性が悪い。 長男が大事に育てられすぎて平凡より悪い愚鈍な人間になってしまう例えらしいです。 能天気に座を崩す長男と正座する弟妹、いろはカルタでそのような絵札があったような気がします。 総領はともかく、甚六という言葉の意味はよく分からなかったのですが、最近になってようやく知りました。 逆に末っ子のほうが甘やかされて育てられ、手がつけられないろくでもない人間という場合も多々みかけます。 私は弟や妹の後始末をさせられることは日常茶飯事、能天気に甚六をする余裕などありませんでした。 年若く未熟にして繰り返し失敗を騒ぐ弟妹の世話をしなければならないのですから当然でしょう。 親の資産をすべて長男が相続する時代ならば、そのような傾向もあったのかもしれませんが、現代社会の厳しさは一等先に生まれた長男に集中してる気がします。 それとも総領たる長男が人並み程度では十分ではないと言いたいのでしょうか。 どちらにしても損な役回りになりますが「総領の甚六」呼ばわりされるのだけは御免被りたいです。

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そうは問屋が卸さない

【漢字】そうは問屋が卸さない 【読み】そうはとんやがおろさない 【意味】問屋とは製造業者から商品を買い付け、店に卸売りする業者で、そんな安い値段では売る事はできないという場面から、そう簡単に望み通りには応じられないという意味。 【例文1】そうは問屋が卸さないと言わんばかりにオークションの値が上がる。 【例文2】共同経営を持ちかけられたが、そうは問屋が卸さない。 【例文3】掲示された立ち退き料ではそうは問屋が卸さない。 JASRACが音楽教室で演奏される楽曲についても著作権料を徴収すると発表したことに対して、ヤマハが提訴したニュースが話題となっています。 今まで著作権料を徴収していなかったところから新たに著作権料を徴収するという方針にはCDをはじめとした音楽業界全体の売り上げ減少や違法ダウンロードなどの問題があるとされていますが、それによって減った収入を音楽教室で演奏される楽曲の著作権料で補填するようなやり方はどうかと思います。 ミュージシャンの著作権を守るのであれば、違法ダウンロードの撲滅に力を入れることの方が先決ではないかと思うのですが、このようなやり方は音楽の未来を閉ざしているようで自分で自分の首を絞めているような印象も受けます。 日常で音楽が使用される場面は多くありますが、間口を広げてやたらと著作権料を請求するだけでは時代に取り残されるだけなのではないでしょうか。 「そうは問屋が卸さない」とは売値を安くしても問屋が卸してくれるはずもなく、物事はそう上手くはいかないといった世の中の仕組みを例えた言葉です。 今回の音楽教室からの著作権料徴収では著作権を持っているミュージシャンからも異論の声が上がっており、逆転現象のような不思議な構図になっています。 そうは問屋が卸さないとはどいういう意味でしょうか? 言葉そのものから考えると、問屋さんも何かメリットがなければ簡単には品物は卸してはくれない。何かを勝ち取ろうとするのであればそれなりの努力をしなさいといった意味でしょうか?では本来の意味を調べてみます。物事はそう簡単には思い通りにはいかないといった意味のようです。 でも、実際に問屋さんが商社にそうは問屋が卸さないなどとは、あまり使えません。 しかし江戸時代は今の状況とは随分違っていたようです。 卸し価格は問屋が決めていて、店の望む値段では品物をおろしてはくれなかったようです。 江戸時代では商社より圧倒的に問屋さんのほうが権力が上だったということです。 今の時代は物があふれていて、商社が何を仕入れるか数ある中から厳選して、商社の気に入ったものを仕入れるほうが主流だと思います。 もし問屋さんが江戸時代の風流に任せて今の時代で「そうは問屋が卸さないですよ」などと交渉の場面でいったら、商社の方は「ああそうですか。かまいませんよ。どうぞお引き取りください。あなたのところとお取引しなくても他はたくさんいますから。」と言われ、二度と取引をしてもらえなくなり問屋存続の危機になりかねません。 文化庁が発表した平成27年度の「国語に関する世論調査」で「そうは問屋が卸さない」と「そうは問屋が許さない」どちらの言い方を使うか尋ねたところ23.6%の人が「そうは問屋が許さない」と誤った方を使っているそうです。確かに「そうは問屋が許さない」でもなんとなく意味は通じますが正しくは「そうは問屋が卸さない」です。「そうは問屋が卸さない」の語源は江戸時代は問屋〔商品を仕入れて小売店などに卸売りする業者〕が強かったので卸売りの値段は問屋が決めていてこちらの望む値段では商品を卸してくれないことに由来しているそうです。また「そうは問屋が卸さない」のそうは「然う」と書きそのようにという意味でいくら客の要望でも問屋はそのように安い値段では卸さないという意味になり、なかなか思い通りにいかない、身勝手な要求をしても簡単には応じてもらえない、物事はそんなに上手くはいかないなどの意味でそう簡単にはいかない、そんなに甘いものではないのようなニュアンスを含んでいます。ことわざや慣用句はなんとなく意味が分かったつもりでいても意外と誤った使い方や言い方をしている場合も多いことです。正しい意味や語源を知ることでそう言った間違いを正すこともできます。

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相思相愛

【漢字】相思相愛 【読み】そうしそうあい 【意味】お互いを想い、愛し合っている仲をいう。 【例文1】弟と彼女は相思相愛で羨ましい。 【例文2】彼と彼女は相思相愛で理想のカップルだ。 【例文3】相思相愛の仲で熱々だ。 片思い、誰でも一度は経験があると思います。片思いしている間は苦しくもあり、切なくもあり、でも楽しくもありますよね。 だけど片思いだけじゃ物足りない、好きな人と相思相愛になりたいと思うのは自然なことです。 ただ、友達歴が長かったり、緊張でうまく話せなかったり、いろいろな理由でなかなか告白ができずにいる人も多いはず。 だから告白までに「あれ、もしかしたら自分たち両思いかも?」という自信が少しでもつけば、告白の勇気も出てくるのではないでしょうか。 ただ告白せずに相手に自分を意識させて自然と相思相愛になるためには、それなりの努力がいると私は思います。 まず、相手とのコンタクトを増やした上で相手の話をうまく聞ける立場にならなくてはなりません。「この人なら何でも話せる」というポジションに持っていくためには、 聞き上手であることが重要です。相手のもっている情報をうまく引き出して、会話を盛り上げるテクニックです。 相手の好きなものや興味のあるものについて勉強したりするのが効果的ですが、一番は「悩みをきく」ことではないでしょうか。 楽しいことを共有するよりも、つらいことや一人で抱えているものを共有する方が相思相愛になっていく可能性は高まります。 相手を大事に思う気持ちや、苦しい時に支えてくれるかどうかが、男女関係なく恋愛において大きなポイントになることは間違いありません。

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宋襄の仁

【漢字】宋襄の仁 【読み】そうじょうのじん 【意味】 【例文】 「宋襄の仁」と言うことわざ。初めてこの言葉を見た時、意味以前にそもそもこれは何て読むんだ?と思ったものです。 何やら画数の多い難しい字が使われていますよね。これは「そうじょうのじん」と読むらしいです。 意味は古代中国・宋の時代の君主「襄公」のとあるエピソードからきているようで。 宋と楚が戦うことになった際、宋の軍は既に布陣を済ませていたのに対し楚の軍はまだ隊列を組む前でした。 これを勝機と見た宋の公子の目夷は襄公に「楚の軍の準備が終わっていない今のうちに出撃しましょう」と進言します。 しかし襄公は非常に律儀な人で「人の弱みに付け込むなど君主のすることではない」と首を横に振り目夷の言葉を聞き入れませんでした。 そして、楚の軍が万全の状態になるまで待った結果、宋の軍はコテンパンにやられてしまいました。 このことから「宋襄の仁」と言うことわざが生まれました。すごくざっくり言うと「人に余計な情けをかけて痛い目を見た」ってことですかね。 襄公のエピソードは何かやるせないですね。だって彼は良心的な判断を下しただけですもの。でも、戦に負けて結果的には自国の多くの人間を苦しめた。 襄公はいい人だったかもしれないけど、いい君主だったのかどうかは何とも言えないですね。彼の民はどう思ったのでしょうね。 正しいだけじゃ生きていけない。綺麗事だけじゃ世の中渡っていけないと言うことなのかもしれません。人間の世界の悲しさですね。 他者への思いやりも、時と場合とリスクを考えて。「宋襄の仁」はそんなことを我々に教えてくれる言葉なのかもしれませんね。

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相好を崩す

【漢字】相好を崩す 【読み】そうごうをくずす 【意味】それまでの表情とは違いニコやかな表情になる様子。 【例文1】子どもが生まれ相好を崩す。 【例文2】祖父は機嫌が悪かったが、孫の顔を見て相好を崩す。 【例文3】嫌な事があっても子どもの寝顔を見ると相好が崩れる。 相好を崩すの意味は、にっこり笑う・顔をほころばせる・顔をくしゃくしゃにして笑うなどです。 「相好」とは仏教用語で、本来は普通の人間には見られない身体の特徴です。 仏の美しく立派な姿を身体的特徴としてひとつずつ箇条書きにした「三十二相八十種好」の略です。大きく「三十二相」と「八十種好」の2つに分かれ、そこから更に細分化されます。 「相好」は体全体を表す言葉でしたが、いつしか、顔つき・表情・顔の形を指すようになりました。 目を細めて笑えば目元には笑い皺ができ、大きな口を開けて笑えばほうれい線ができ、顔全体で笑えばくしゃくしゃになってしまいます。 お世辞にも美しいとは言えない「崩れた顔」を指す言葉こそが、相好を崩すなのです。

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糟糠の妻

【漢字】糟糠の妻 【読み】そうこうのつま 【意味】糟糠とは米のかすとぬか。つまり粗末な食事。貧しい時代から苦労を共にした妻。 【例文1】糟糠の妻に迷惑をかけてきた。 【例文2】糟糠の妻を大事にする。 【例文3】糟糠の妻で1日1食で過ごす。 「糟糠の妻」という言葉は「後漢書宋弘伝」に出てきます。糟糠は酒かすとぬかのことで粗末な食べ物のことを表しています。「後漢書」には「糟糠の妻は堂より下さず」と記され「貧乏な時代から連れ添い苦労を共にしてきた妻は夫が立身出世した後でも家から追い出してはならない」と説いています。つまり、「糟糠の妻」とは貧乏で食べる物にも困窮し、酒かすや米ぬかを食べるような苦労の中で連れ添い、夫を支えてきた妻」のことなのです。 「後漢」は前漢の景帝の6世の孫が王モを滅ぼして漢を再興、洛陽に都を移して光武帝と称してから献帝に至るまで十三人の帝の治世を指す。東漢ともいいます。「後漢書」二十四史のひとつ。「後漢」の事績を記した歴史書。本紀が十巻、列伝八十巻は南朝の宋の范曄(はんよう)の選でり、志三十巻は「続漢書」の志を代用したものです。ちなみにその中の「東夷伝」には倭(わ)の記述があります。現代、「糟糠の妻」が話題になるのは芸人や役者、歌手など下積み生活が長く、日の目見るまで時間のかかることが多い職業の方が、一躍脚光をあびて人気者になった時に、苦労の中で夫を必死で支えてきた奥さんが取り上げられて、こう称されます。但し、糟糠の妻が苦労に見合う評価を夫にされているかは残念ながら定かではありませんが、苦あれば楽ありで過ごせていることを祈ります。

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創業は易く守成は難し

【漢字】創業は易く守成は難し 【読み】そうぎょうはやすくしゅせいはかたし 【意味】新しく事業を興すことより、前事業を受け継いで守り続けていく方が難しいという教え。 【例文1】曾祖父の代からの会社を引き継ぐのは創業は易く守成は難しでプレッシャーもある。 【例文2】3代目というだけで創業は易く守成は難し。 【例文3】創業は易く守成は難しと言われていたが、海外にも進出するまでに拡張した。 「創業は易く守成は難し」とは「事業を興す創業はたやすいが、その後の事業を保ち守のっていくことは難しい」と文字通りの意味です。これは最近の言葉ではありません。西暦618年に李淵によって唐が建国され、二代目の太宗が国土を拡大し、貞観の治(じょうがんのち)と呼ばれるほどの統治を行いました。中央と地方は緊密に結ばれ行政機関が整備され均田制により農民に租庸調の税金がかけられ、税収も安定した平安な時代です。その頃、唐の呉競という人が編纂した10巻に及ぶ書物、「貞観政要」に載っている言葉なのです。「貞観政要」は太平の世であった貞観時代を作りあげた太宗が群臣と政治をする上での得失にについて問答したものを集録し、政りごとを行うに肝要なことは何かを説いた書物です。その中で魏徴が口にした言葉とされています。そのような政治の道について記した書物を残すほどの人物だからこそ、貞観の治を行うことができたのでしょう。この「創業は易く守成は難し」の言葉が少しも色あせず、今も私たちの言葉の端に上るのは、これが経営の不変の理だからと言えます。日本でもベンチャー企業がもてはやされ、企業の資本金制度が大幅に緩和され、起業することがとても容易くなりましたが、では5年後10年後に、その会社が残っているかというとほんのひとにぎりの会社しか存在しません。それだけ企業間の競争が激しく、時代の流れも速いと言えましょう。まさに「創業は易く守成は難し」なのです。

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創意工夫

【漢字】創意工夫 【読み】そういくふう 【意味】今まで誰も思いつかなかった新しい方法を見つけ出すこと。 【例文1】発明展覧会に生徒たちの創意工夫を凝らした作品が並ぶ。 【例文2】彼は創意工夫の建築家になるのが夢だ。 【例文3】意外にも子どもの発想が創意工夫だ。 今までだれも思いつかなかったことを考え出し、それを行うためのよい方策をあれこれ考えることはとても難しいです。いわゆる「創意工夫」というものですが、教育現場でも職場でもたびたび目にする四字熟語ですね。そもそも一人の人間が思いつくことなど限られていますし、新しいことを思いついた!と喜んだとしてもすでに先人の手によって世に出ているものがほとんどです。それでも「それは思いつかなかった」と誰もがびっくりするような考えを生み出す人がたまに出てきます。彼らと私たちの違いはなんなのでしょうか。気になったアーティストの記事を読んだり作品にふれたりしているうちにふと気が付いたことがあります。それは「かれらも新しい考えを全くのゼロから生み出したわけではない」ということです。模倣とは違いますが、過去の巨匠の作品や大企業家の教え、各宗教や昔からの言い伝え。それらが巨大なお鍋のスープの中に溶け込んでそのなかから結晶のような「新しい考え」が生まれるのです。斬新だ、新しい、といわれるもの中になぜか懐かしさと既視感も混ざりこんでいるのはこういう理由なのかもしれません。 「創意工夫」に必要なものはまず自分の中の巨大なスープに色々な材料を入れ込むことであり、そこから自分の経験という料理方法によって新しいことを生み出し改善を重ねていくことなのではないでしょうか。 私が以前営業部の営業所を任されている時の話です。営業所と言っても支店の出張所みたいな小さい所でした。営業の人数も7人位なので、業績もかなり小さい規模でした。 定期的に社長や部長が見回りにくるのですが、その頃私の営業所が社内でも下の方の成績だったので、社長が来る度に喝を入れられていました。ある日部長が見回りに来て、帰り際にお前は創意工夫が足りないんだと言い残し帰っていきました。その時はしっくりこなかったのですが、暇な時考えていたらなんだか部長の言いたい意味がわかりました。 業績が上がらないのなら、営業の人数を増やしてレベルアップをはかれば良いのかと思いました。今迄は、社長の指示通りの予算に合わせる為に人件費はいじらなかったのですが、会議で社長に業績アップを目的とした営業の底上げをするので、人数を増やして良いか提案しました。却下されると思っていたら、すぐに許可されました。 会議が終わり、本社から帰ろうとしたら部長に呼び止められて、それだよ!そういう発想が大切なんだと言われました。 私の考えた創意工夫の結果は大きく出ませんでしたが、前に出る為の解決手段にはなりました。今でも創意工夫は頭に置いて、日々仕事をしています。

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