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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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腸がちぎれる

【漢字】腸がちぎれる 【読み】はらわたがちぎれる 【意味】腸が裂けるくらい辛い思い。 【例文1】恩師の危篤の知らせに腸がちぎれる。 【例文2】恋人にフラれて腸がちぎれる。 【例文3】50になる独身の息子の将来が腸がちぎれる思いだ。 叔母との別れを思い出すと、腸がちぎれるように辛くなります。叔母は派手なうちの母とは違い静かで穏やかなタイプの女性でした。生涯独身のままで、うちの母親はシングルマザーだったのでよく私達の面倒を見に来てくれたものです。手作りの絵本をくれたり、習い事には専用のバッグを縫ってくれたりと母親としてはすごく理想的な人だったと思います。私も他の兄弟姉妹も、みんな叔母がすごく大好きでした。 しかし、私が高校生の時に叔母は交通事故で亡くなりました。私達にとってはすごく大切な人だったのですが、地味で静かな性格だった叔母は派手なうちの親戚の中ではかなり浮いていたみたいです。お葬式の時に笑っている人もいました。特に親しくもない人間が死んだ、程度に思っていたのだと思います。これが本当にショックでした。 一番ショックだったのは、そういう叔母のことを何もわかっていなかったことです。高校生になったのに、人の痛みはわかるようになっているはずなのに、叔母の立場や痛みなんて何も気にせず、ただずっと甘えていました。このことに気付いていたら、何かが変わっていたのかもしれません。こうして思う度に、ずっと私は腸がちぎれるように辛くなるのです。 腸がちぎれる。腸と書いて「はらわた」と読むのですね。耐えがたい悲しみを例えた言葉です。ただ悲しいと言うより、怒りながら泣き叫んでいる姿を想像しました。似たような言葉に「断腸の思い」があります。子どもの頃に絵本で知りました。 船で旅をしている男達が、とある島に上陸します。そこには多種多様の動物が暮らしていました。男達は子猿をペットにしようと船に乗せます。年配の人は「可哀想だから返してやりなさい」と注意するのですが、若者達は聞く耳を持ちません。 船が出ると、我が子が居なくなった事に気づいた母猿が追いかけて来ました。それを見て爆笑する男達。やがて、母猿が船に飛び込んで来ます。しかし、ピクリとも動きません。 見ると母猿の腹はやぶけ、腸が飛び出していました。年配者が言います。「おまえ達が遊び半分でやった事は母親にとって、とても辛い事だったんだよ」と。若者達は自分達の愚かさを反省して母猿を手厚く弔いました。 いきなり我が子をさらわれたら、それはショックでしょう。例え冗談のつもりでも、さらわれた側からすれば許せません。イジメにも同じ事が言えます。例え虐める側からすれば遊びのつもりでも、虐められている側からすれば苦しいものです。

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長者の万灯より貧者の一灯

【漢字】長者の万灯より貧者の一灯 【読み】ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう 【意味】金持ちが神仏に多くお供えした灯りより、貧しくても心のこもった一つの灯りは長持ちしたという故事から、義理で多くの寄付をするより心のこもった寄付の方が嬉しいものである。 【例文1】一度きりの大金より、毎年子ども達のお小遣いでくれる募金が長者の万灯より貧者の一灯は嬉しいもの。 【例文2】近所付き合いの助けは長者の万灯より貧者の一灯を感じる。 【例文3】隣のおばあちゃんがおかずを分けてくれて長者の万灯より貧者の一灯だ。 長者の万灯より貧者の一灯とは、金持ちが捧げる多くの灯明より貧しい者が真心を込めて供える一つの灯明の方が仏は喜ぶという意味から大事なのは量や金額ではなく誠意の有無だという教えだそうです。 確かに、そうだなと思います。 誠意は大事ですよね。 やっぱり、人って顔や行動に本心が出る一瞬があって、やましさとかあるとどうしてそれが見えちゃうときありますよね。 だけど、昔話とかでお金持ちを悪く描かれていることがあるのですが、私はそれってちょっと違うよねって思います。貧乏イコール清らかみたいな図って変だと思うんです。なんだか、皆がお金持ちになるのを望まないように洗脳している感じがしますよね。 だってお金持ちでも純粋な人はいますし、貧乏でも心根が腐っているような人っていると思います。 それにお金持ちはケチとかいう人がいますが、ケチだから貧乏になっている人もいるし、それならお金持ちのほうが税金とか沢山払ってくれているわけだから、ケチな貧乏のほうが質が悪いよねって思うときはあります。 そうは言っても、貧乏とかお金持ちって枠でくくるからよくわからなくなるんですよね。 そんなの、あてにならないんですよね。 だって、お金持ちが貧乏になることもあるし、貧乏だった人がお金持ちになることだってあるので、すごく流動的なので人を見るときの条件としては頼り無いですよね。 私は大きな仕事は出来ませんが、毎朝、7時過ぎの電車に乗って会社にはだいたい一時間前に到着しています。会社の鍵をあけてまずはみんなが仕事が気持ち良くできるように、掃除機で隅から隅まで掃除機をかけます。ゴミは昨日からだいぶん溜まっていますので、一人一人の社員のゴミ箱のゴミをゴミ袋に移してゴミ置き場まで持っていきます。これは入社以来ずっとしています。ありがとうと言ってくれる人もいれば、何も声さえかけてくれない人もいますが、これは感謝されるためにやっているのではありません。みんなが仕事が気持ち良くできるようにやっているのです。とても大事なことだと思います。大きな、大事な仕事をやって退けるよりも貧者の一灯だと思っています。確かに仕事で結果をだして会社に貢献するという大きな仕事は大切だと思いますが、私がこんな地味な掃除を一生懸命するのは、仕事は小さな事でも大きな事でも大事だからです。こんな小さな事、掃除を馬鹿にする人は決して大きな仕事も出来ないと思っています。小さなことも一生懸命やっていくことが私のモットーです。偉人と呼ばれる人をだいたい見ていますと、みんな小さなことからコツコツとやっています。今からも毎日の掃除を続けていきます。

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茶番

【漢字】茶番 【読み】ちゃばん 【意味】見えすいたくだらない演技。 【例文1】謝罪会見は茶番劇で誠意もみられない。 【例文2】政治家の茶番会見だ。 【例文3】茶番劇に腹が立つ。 政治家の動きなどをさげすんで表現するときに、よく「とんだ茶番だよ」という言い方をします。裏の駆け引きが見え透いていて、ばかばかしくくだらないようすのことをそう呼ぶわけですが、考えてみると、どうしてそれが「茶番」なのか、よくわかりません。 「そもそも茶番って何?」と首をかしげる人は少なくないでしょう。私もその一人。この言葉の「茶番」とは何か、わからないで使っていました。 この言葉のルーツは、江戸時代の歌舞伎にあるのだそうです。「とんだ茶番劇」という言い方をすることもありますよね。「劇」が付くことがあるのは、歌舞伎がルーツだからなのでしょう。 江戸時代、歌舞伎の下っ端の役者、いわゆる大部屋にいる「その他大勢」の役者たちの楽屋内の仕事の一つに、お茶汲みがあったそうです。そういう雑用を、下っ端役者がやらされていたわけですね。 そのお茶汲みは当番制で、当番になった役者が、楽屋内で余興として寸劇を披露したのだそうです。ちゃんとかつらや衣装を着けることもあれば、そうでないこともあったようですが、いずれにしても、お茶汲み当番の見せる寸劇であるところから、「茶番狂言」と称しました。ここでの「狂言」は芝居という意味でしょう。 それが、吉原や一般の人にも広まっていって、「くだらないこと、ばかばかしいこと」を「茶番」というようになったわけですね。 今でもけっこうよく使われるのですから、寿命の長い言葉と言っていいでしょう。

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知音

【漢字】知音 【読み】ちいん 【意味】中国の琴の名人・伯牙は親友の鍾子期が亡くなると琴の音色の一番の理解者はもういないと嘆き、愛用していた琴の糸を切って二度と弾く事はなかったという故事より。お互いに心が通い合った人を大切に思う気持ち。 【例文1】知音に相談する。 【例文2】知音の存在に感謝する。 【例文3】私にはたくさんの知音がいて幸せ。 知音という意味は親友とか自分のことをよく知っている人のことを指し「ちいん」と読みます。元々は中国から来ている話で琴の弦を切ったところに由来している言葉です。現代に置き換えるなら、バンド仲間がいたとしてボーカルのことならなんでも知っているギターを担当している人が脱退して、その人のギターを聞かなくなった例えに近いのではないでしょうか。知っている人の音を聞かなくなった。知音に例えられると思います。困ったことがあるとき親友に相談すると、自分のことのように悩んでくれて解決策を見出してくれます。親友がいないと誰にも相談できず一人で悩んでしまいなかなか解決しません。ツイッターならフォロワーに質問すれば答えてくれたりますが、やはり知音がそばにいないことには解決しません。昔は今のように核家族ではなかったので、家族に悩みを相談することもできました。今は家族ですら相談できないことが多いので、知音がいない人はやはりネットに頼る以外ないのでしょう。もっと発達してくると知音が人工知能になってきたりします。AIが搭載されている機械なら知音のように相談に応じてくれます。それでもまだ人間とはほど遠いので、もし知音がいなくて悩み事を解決するなら、ヤフーだったら知恵袋、gooだったら教えてgooのような所で相談するのが解決への近道ではないかと思いました。

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沈黙は金、雄弁は銀

【漢字】沈黙は金、雄弁は銀 【読み】ちんもくはきん、ゆうべんはぎん 【意味】何も語らず黙っている事は優れた雄弁より大切である。 【例文1】結婚式のスピーチでは過去の話題は沈黙は金、雄弁は銀。 【例文2】男らしく言い訳をせず沈黙は金、雄弁は銀だ。 【例文3】クレーム処理は沈黙は金、雄弁は銀だ。 沈黙は金、雄弁は銀とは時には黙っていたほうが利口な時もあるという意味です。 身近な例で言えば、買わないと言っているのに子どもがあれ買って買ってーと泣いてわめいています。 かたやもう一人はダメだと言われ黙って何も言わず目に涙をためて諦めた様子です。あなたならどちらがグッときますか?たいていの親御さんが後者の聞き分けのいい子どもの感情が心痛みませんか?実際私もそれをされて子どもの涙には勝てませんでした。数日後、買ってやった事もありました。もちろん何かお手伝いや良い事をした時に渡しました。 クレーム処理対応なんかもあれこれ言い訳してますます相手を怒らせるよりも 沈黙は金、雄弁は銀で手短に終わらせるのがよろしいのではないでしょうか。 先月私は後輩の結婚式に参列しました。友人代表の方が新郎の生い立ちなんかをスピーチしますよね。新郎の女性遍歴を面白おかしくスピーチされてましたが、両家の親御さんもいるわけですし、事実だとしても沈黙は金、雄弁は銀だと思いました。

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沈思黙考

【漢字】沈思黙考 【読み】ちんしもっこう 【意味】黙って考え込む。 【例文1】沈思黙考すること1時間。ようやく答えを出した。 【例文2】小説のネタを沈思黙考する。 【例文3】書斎にこもり沈思黙考する。 生物の中で人だけが持っている言葉と言うのは、自分の意思を正しく相手に伝える事が出来るので、とても便利であると言えます。 ですが言葉と言うのは、自分が発した意味とは違う捉え方を、聞き手側がしてしまう事があります。 それによって、トラブルになってしまうことがよくある物です。 ですから安易に言葉を発するのではなく、沈思黙考してから言葉を発するようにすることが大事です。 この言葉をもっとも突き付けてあげたいのが、昨今の政治家たちと言えます。 今の政治家たちはとにかく口が軽く、聞き手側の事をよく考えもせずに、簡単に発言をしてしまいます。 そんな発言が問題となり、マスコミで大きく取り上げられるようになり。終には辞任へと追い込まれている政治家がたくさんいるのです。 政治家と言うのはどこにいようと公人であり、発言には注意を払わなければいけません。 たとえプライベートで居酒屋で友人たちとおしゃべりをしていたとしても、それを誰かが聞いて公にしないとも限りませんから、プライベートと言えども気を抜くような事をしてはいけません。 政治家は沈思黙考した言葉だけを発するようにしなければ、失言を失くす事は出来ないのです。 新しく就任した大臣たちには、この沈思黙考と言う言葉をプレゼントしたいです。

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血沸き肉躍る

【漢字】血沸き肉躍る 【読み】ちわきにくおどる 【意味】活力がみなぎって興奮する。 【例文1】祭りの時期になると血沸き肉躍る。 【例文2】ライヴで血沸き肉躍る。 【例文3】地元の凱旋パレードで血沸き肉躍る。 ユーチューブって本当にありがたいとつくづく思います。40代の私にとっては大好きな音楽のPVをこうやってユーチューブで簡単に見ることが出来るのが夢のようでもあります。音楽に最高に感動した中学生時代はカセットテープの時代でした。何か新しい曲をカセットテープに録音したければどの曲かを消さなければなりません。 それが今となっては電波にのって音楽がやってくる時代です。音源が電波にのってそれをダウンロード出来るのです。技術の進歩はすごいなと思います。 ユーチューブを見ていると下の方にお薦めのユーチューブが出てきます。本当に私の好みを知った上で選んでいるとしか思えない選曲をしてきます。東日本大震災の復興チャリティーコンサートで布袋寅泰さんと吉川晃司さんのコンプレックスのユーチューブを見ていました。そしたらその数日前には氷室京介さんも同じ場所を使ってチャリティーコンサートをやって全曲ボウイの歌を歌っていました。ボウイ時代は氷室さんもメイクをしていたからそのイメージが強かったのですが 、その復興ライフの時には素顔に近いメイクだったと思います。そのコンサートのユーチューブの氷室京介さんがかっこよすぎてまさに血沸き肉躍る興奮状態になっています。

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塵も積もれば山となる

【漢字】塵も積もれば山となる 【読み】ちりもつもればやまとなる 【意味】どんな小さな事でも時間をかけると大きなものになる。 【例文1】1日500円貯金でも塵も積もれば山となる。 【例文2】塵も積もれば山となるは募金がいい例だ。 【例文3】長年の散歩が健康を保つ。塵も積もれば山となるのだ。 少しのものでも積もり積もっていくと大きくなるという意味の塵も積もれば山となる。小さい事でも疎かにしないという日々の努力の積み重ねの大事さだったり、倹約のすすめ等、多方面で用いられ良い意味としても悪い意味にも用いれる言葉だなと感じます。私の場合は大晦日の大掃除に当てはまります。例年師走の残り3日位で家の全部を綺麗にしようとしてきましたが、普段手の届かない所までやるには足りずに中途半端で年を越していました。そこで短気集中で一気にやるのではなく、師走に入ってから一日一部ずつ分割して掃除をする方向に切り替えました。今までは年越しの時にはおせちの準備と年越しソバを含めて時間がないと思いながらの作業で、除夜の鐘の鳴る頃には疲れて睡魔との戦いが襲ってたのですが、期間を設けて分散した作業になった為、少しばかり穏やかに過ごせました。まさに日々の小さな掃除を積み重ねて家をスッキリさせてお正月を迎えられたのでこの言葉の意味が沁みます。そして今度はお正月太りした体型を戻す為に体に蓄積した脂肪という塵を毎日の運動で少しずつ標準体重という山の頂きを目指して減らして行く作業に移行します。体重が減るのは塵のように僅かなのに増えるのは一気になのが努力を試されてる気がしますね。 ちりも積もれば山となるのちりってなんだろう?掃除用具入れには塵取りってあるけれどこれって結構なネーミングだと思うのです。ちりっていうのは部屋の片隅に溜まっているホコリとか目に見えるサイズではありません。空気中に漂っているほとんど目に見えないサイズのごみだからです。これを積もらせて山とするには相当な労力と時間がかかりそうです。壮大なプロジェクトだと思います。 でもこのちりも積もれば山となるという言葉の意味は本当に深いと思います。この言葉を逆にたどって考えると、山も元をただせばちりであるということです。大きなものもよくみて見れば小さいものの積み重ねだという事。大きなものがドーンと一つ存在しているのではないという事です。 大晦日に1年の終わりをしみじみ感じながら除夜の鐘をきく。1年という長い時が終わろうとしているけれど、それは1月から12月の積み重ねであり1ヶ月は一日一日の積み重ね、、そうやって考えていくと最終的には1秒の積み重ねで1年が出来ていることになります。 1秒たりとも無駄に出来ないと言いますがこの積み重ねが1年になるのなら1秒を無駄にしている場合ではないかもしれません。年末年始はしみじみとこういったことを考えてしまいます。毎日の努力、ちりも積もれば山となるを実感できるような結果を来年こそは出したいと思います。

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猪突猛進

【漢字】猪突猛進 【読み】ちょとつもうしん 【意味】周りの状況を考えずに、一つの事に向かって猛烈な勢いで突き進む。 【例文1】猪突猛進な性格。 【例文2】猪突猛進で女性に猛アタックする。 【例文3】猪突猛進に根負けする。 「猪突猛進」とは「周囲の人のことや状況を考えずにひとつのことに向かって猛烈な勢いで突き進むこと」です。中国の歴史書、司馬遷の「史記」の中で対照的に描かれている項羽と劉邦ですが、この二人のうちの項羽は「猪突猛進型」です。秦の始皇帝の僥倖の様子を見た項羽は「俺はいつかあいつにとって代わる!」と言いますが、劉邦は「権力にある人というのはあのように立派なのだな」と感心します。その時点で二人の性格の違いがよくわかります。その後、秦への反乱軍があちこちで挙兵しますが、その頭領となった項羽と劉邦。兵の数の多い項羽は正面から秦の軍隊を攻めて勝ち進んでいきましたが、そのやり方は自分の力を恃んでの強引な方法でした。一方の兵の数の少ない劉邦は部下の意見をよく聞き取り入れながら進軍しました。結果的に劉邦が秦の都咸陽を先に陥落させます。それに激怒した項羽は劉邦と対決しようとします。それを悟った劉邦は謝罪のため、項羽のもとへ出向きます。「鴻門の会」です。そこで劉邦は暗殺されそうになりますが、その危機を脱します。その4年後、項羽への反対勢力を結集した劉邦が項羽を攻め上り追い詰め、項羽は虞美人に別れを告げて自害するのです。項羽は「猪突猛進」型で失敗した代表例ですね。

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直情径行

【漢字】直情径行 【読み】ちょくじょうけいこう 【意味】相手の立場など考えもぜず、自分の思うままに行動する者。礼儀知らず。 【例文1】彼は直情径行で叩き直さないといけない。 【例文2】直情径行で無礼者だ。 【例文3】直情径行の厄介者。 私は周りの人を傷つけてはいけない、自分が傷つきたくないと言う理由から、自分が思った通りに行動する事が出来ません。 自分の言動に因って、周りの人がどう反応するのか気になってしまい、中々自分の思いを素直に表現する事が出来ません。 直情径行タイプの人は、自分の感情を素直に表現しますから、時に粗暴になる事があります。 なので直情径行タイプの人を、人によっては敬遠すると思います。 確かに粗暴になるのは困りものですが、内に隠している物が無いので、ある意味付き合い易い人ではないかと私は思うのです。 いつも冷静にしている人で、言葉を選んで話をする人は、腹の中で何を考えているか想像がつきません。 変に冷静でいる人よりも、喜怒哀楽を素直に表現する直情径行タイプの人の方が、安心して付き合えるような気がするのです。 直情径行タイプなら、自分の思った通りに行動が出来ますから、本人はストレスが溜まらなくて良さそうですが、協調性が欠けていますから、敵を作り易く、社会の中で生きにくそうとも思っています。

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朝令暮改

【漢字】朝令暮改 【読み】ちょうれいぼかい 【意味】朝命令が出たのに夕方には違う命令に改まることから、方針や規律がコロコロ変わって当てにならない。 【例文1】また当てにならない朝令暮改か。 【例文2】朝令暮改で信用を失う。 【例文3】朝令暮改で困惑する。 何らかの組織の代表が朝令暮改だと、その下で動く人たちにとっては、かなり困惑してしまいます。 また、個人でも考えに一貫性がないと信用を失いやすくなってしまいます。 私が今まで接してきた人の中では、朝令暮改のような人はあまりいなかったように思います。 たいていの人が自分というものを持っていて、それに一貫性があるためブレない人がほとんどでした。 しかし、中にはそうでない人もたまにいました。 そのような人と一緒にいると、当然ですがかなり疲れてしまいます。 わざわざそういう人に合わせる必要もありませんが、場合によってはそうせざるを得ない場合があります。 一貫性のない朝令暮改のような人は、あまりリーダーには向いていないような気がします。 時には二枚舌のような感じになり、ますます人からの信用性を失ってしまうでしょう。 しかし、本人はその時々で、思ったことや感じたことを素直に話しているだけです。 そのため、そういう意味では正直者で嘘がないとも言えるのかもしれません。 しかし、やはり周りの人からすれば、非常に扱いにくい人だと思います。 それがビジネスでは上手くいかなくなるでしょうし、プライベートな関係でも自分勝手と捉えられてしまうかもしれません。 朝令暮改のような人でも、広い心で受け止められるような人であれば別なのかもしれません。

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蝶よ花よ

【漢字】蝶よ花よ 【読み】ちょうよはなよ 【意味】親が子どもを非常に可愛がる様子。特に女の子に用いる。 【例文1】娘は蝶よ花よと大事に育てられた。 【例文2】女の子が生まれ蝶よ花よで可愛がられる。 【例文3】蝶よ花よでお嬢様扱いだ。 わが子は、どの親御さんにしても可愛くて仕方がないはずです。 ようやく授かった子どもや高齢で授かった子どもだとすると、特に蝶よ花よ的にお子さんを育てていると思います。 我が家も実際3番目にしてようやく女の子が誕生しました。目の中に入れてもいたくないかわいがりようです。大事にしたい気持ちが高じて、子どもの内は蝶よ花よ的な育て方でしょうな。 だからと言って上二人の男の子は蝶よ花よで育てていないわけではありません。 生まれたての頃は蝶よ花よで育てました。幼稚園に入る頃は自我もはっきり出て良い事をしたら思い切り褒めて、悪い事をしたら話しを聞いてやりやってはいけないと説明もしてきました。おかげで小学生になり、集団生活での最低限のルールはきっちり守れています。中学生になるとやはりどんなに大事に育てても多少は反抗期を迎えますね。友人に相談すると「上等上等。反抗期は誰にでもある事。否定ばかりしない事」とアドバイスされました。卒業する頃には反省と感謝の手紙をもらい立派になったなと号泣したものでした。かわいがると甘やかすは違います。親の育て方で子どもの人生がおかしくならないようにかわいがりつつ、正当な道をひいてやりたいと思います。

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提灯を持つ

【漢字】提灯を持つ 【読み】ちょうちんをもつ 【意味】江戸時代、夜道を歩く時は提灯を持って身分の高い者の先頭に立って歩いた。転じて人の手先となり頼まれもしないのに動き回る人をいう。 【例文1】女性に気に入られようと提灯を持つ。 【例文2】会長の手先となりに提灯を持つ。 【例文3】コネを考えて提灯を持つ。 「提灯を持つ」といつ慣用句をご存知でしょうか。意味としては、「他人の手先となって必要以上にその人のことを讃えて回る」ことを指しており、所謂「太鼓持ち」と似たような言葉です。 語源は江戸時代まで遡ります。当時は街灯といったものは当然整備されておらず、夜道を歩く時は灯りをともすことが必須でした。一般的な町民の場合は自ら提灯を持って歩くことがほとんどだったのですが、身分の高い人になると、その提灯を持って夜道を照らすための人がいました。この「位の高い人のために夜道を照らす」ことが転じて、「他人の手先となって必要以上にその人のことを讃えて回る」という意味になり、こな慣用句が生まれたと言われています。 使い方としては「彼はあの人の提灯を持っているようだ」、「そこまで提灯を持つ必要はないだろうに」というようにネガティヴなイメージで使うことが多くなります。必要以上に他人を褒めるということは、何か裏に事情があるのではと勘ぐってしまいがちで、現代では使われているのです。 実際、提灯を持っている状態になると本人は周りには伝わっていないと考えがちですが、本人の想像以上に周囲は気づいているものです。言葉の意味を知って、自分自身が提灯を持っているような状態にならないようにしたいですね。

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提灯に釣り鐘

【漢字】提灯に釣り鐘 【読み】ちょうちんにつりがね 【意味】どちらも吊り下げてあり形は似ているが、重さが比較にならず釣り合わない事をいう。 【例文1】彼女に対する想いが提灯に釣り鐘で実らない。 【例文2】彼とは生活基準からして提灯に釣り鐘だ。 【例文3】君とでは育ちからして提灯に釣り鐘だ。 形は似通っているが比較にならないほど別物という意味です。 提灯の下の部分を切り落とせば何とか似いてると言えなくもないですが、そのままでは無理があるように思えます。 ただ単に円筒形というならば、他にも茶筒や湯のみ茶碗などいくらでもありそうです。 なんでだろうなぁと考えたのですが、提灯と釣鐘には共通点がありました。 それは、どちらもぶら下がってるという点です。 円筒形で吊り下げられている物で他に考えられそうなのはマニシャくらいでしょうか。 提灯と釣り鐘は似ているといっても間違えようがないので大きな問題はありませんが、世の中には見分けがつかないくらい似ていて問題になるものがあります。 特に困るのは英語の小文字です。 「 l 」( Lの小文字)と「1」( 数字のイチ)は、フォントによっては全く見分けがつきません。 「 I 」( i の大文字)も、この二つと似通った形をしていたりするので困ります。 あまり頻繁ではありませんが、「rn 」( RNの小文字)と「m 」( Mの小文字)も混同しやすいように思えます。 少し離れて見たならば、視力の良し悪しによっては取り違えてしまいそうです。

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丁丁(打打)発止

【漢字】丁丁(打打)発止 【読み】ちょうちょうはっし 【意味】激しく討論する様子。 【例文1】彼も負けじと丁丁発止で反論してくる。 【例文2】政治家が丁丁発止で議論する。 【例文3】一歩も引かず丁丁発止。 政治は分かりやすくなければならないし、正しくなければならないのですが、アメリカや中国などの大国であっても、なかなかそうした正しさがうまく包み隠されて大衆に伝えられることが多いようです。 翻って、では日本の国では政治に求められる正しさがきちんと守られているのかというと、最近の安倍政権ではさまざまな問題が表出してきました。 長期政権のおごりが、正しさや真面目さという本来「基本の基」という部分をないがしろにするような、タガのゆるみとなって出てきたのです。 それでも安倍政権の要として立つ菅義偉官房長官は、記者会見の席でも守りの姿勢を保とうとしましたが、森友学園問題や加計学園問題などについてはタジタジになっていました。 中でもインターネットのニュースなどに取り上げられるほど、丁丁(打打)発止の応酬があったのが、東京新聞の女性記者とのやりとりです。 並み居る記者たちの中で、問題点について問いただしていたのが女性記者だったという点だけでなく、いつも冷静な菅義偉官房長官がその記者とのやりとりに表情を変えていました。 こういったジャーナリストの忖度を抜きにした姿勢こそ国民のためのマスコミの姿でしょう。 他社の記者も、本当に伝えるべきことを、なれあいというぬるま湯から出て伝える姿勢を見せてほしいものです。

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長蛇の列

【漢字】長蛇の列 【読み】ちょうだのれつ 【意味】とても長い行列をいう。 【例文1】ケーキ屋さんのオープンに長蛇の列ができる。 【例文2】長蛇の列に並ぶ。 【例文3】連休中はどこも長蛇の列。 長期休暇に入ると普段以上に目にするのが、「長蛇の列」だ。昼食をとるのにも、わずかな時間のアトラクションをこなすのにも一苦労です。熱中症など考えれば、それこそ命懸けの行為かもしれません。 人々はそのような行列でなにを思って並んでいるのでしょう。古人はどれほどのものをみて、「長蛇の列」と表現したのであろうかと猛暑の中、並ぶ行列をみて思いを馳せます。 「蛇」それだけであっても、とても長いものの喩えであることがわかります。 現在いたるところで見られる「長蛇の列」は富の集中の象徴であるかもしれない。消費者をゆっくりと締め上げている賢い蛇です。並んでいる彼らは経験を消費し、インスタグラムなどで仲間内の賞賛を得ていると満足しているのかもしれないが、最終的に得をするのは行列を作らせ、じんわりと搾取している蛇です。勝手に宣伝をばらまいてくれる行列を生かさず殺さずに締め上げ行列ができるということは、一箇所に消費の集中が生じるということでもあります。つまり、それだけ我々の思考や行動が制限されているのです。 必要なのは「長蛇の列」の外にも世界が広がっていると知ることなのかもしれません。 ジャンボ宝くじの発売日には、新聞、テレビ等のマスコミが大挙し、多数の人々が各窓口に行列を作るシーンが大きく報道される西銀座チャンスセンター。この売り場は日本一有名な宝くじ売り場ではないでしょうか。 そんな人気の売り場ではありますが、なかでも一番窓口がだんとつの人気。なんでも25年ほど前に、ジャンボ宝くじ発売初日に一番窓口で購入した人が一等に当選したことがテレビ番組で放送されたのをきっかけに徐々に購入者の行列が長くなっていったとのことです。 そしてこの西銀座チャンスセンター、当選実績も強烈なもの。なんと平成に入ってからの一億円以上の当選者が479人、その当選金が752億円(平成元年ドリームジャンボ~平成28年年末ジャンボ)にもなるのです。 発売枚数が多ければそれだけその売り場での当選本数は増えるという突っ込みや、「宝くじは貧乏人の税金だ」などと揶揄する声があるのももっともではありますが、先の実績を聞く人々が高額当選の夢を追い、西銀座チャンスセンターに多数集まることを云々するのはやぼであると言わざるを得ません。そして、そのようにあれこれ言う外野の声にかかわらず、西銀座チャンスセンターに集まる人の中でも更に験をかつぐ人々は、たとえ数時間余分に行列に並ぶことになったとしても、一番窓口に長蛇の列をなすのです。 数年前近所にラーメン屋が開店して、豚骨スープ主体の太麺ラーメンは私の好みで、定期的に利用していました。 多い時だと、週に3回は通い同じメニューを食べていました。美味しいわりにいつも店内は空いていて、そんなのんびりした雰囲気も好きな部分でした。 ある日、グルメ系の情報誌にそのお店が掲載され、それ以降来店するお客の数が日増しに増えていきました。私が行くと店内が満席になっている事が多くなり、行く頻度が減り始めました。それ以降、ラーメン屋の人気はどんどん高くなり、ついに長蛇の列になる程で毎日繁盛店になりました。 好きなラーメン屋だったので、評判が良くなるのは嬉しいですが、あの空いている店内でのんびり食べるラーメンも美味しかったなと思い、少し寂しい気持ちもあります。 ただ、近所に住んでいるので、ラーメン屋の混雑具合をリサーチ出来て、比較的空いている時間を分かるようになり、隙間を見つけては食べに行っています。 人気が高くなると、飲食店などで長蛇の列になる事がありますが、暑い中並ぶ人達は凄いと思います。私は並んだり待つ事が苦手なので、仕事中お昼を食べる時には、飲食店に行かないでコンビニで簡単な物を購入して食べています。 しかし、、長蛇の列が出来るようなお店には、大変興味があるので、行列が出来ているお店に並んでみようと思います。

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帳尻を合わせる

【漢字】帳尻を合わせる 【読み】ちょうじりをあわせる 【意味】マイナスが出て収入と支出が合うように調整する。物事に矛盾がないようにつじつまを合わせる。 【例文1】監査が入る前に帳尻を合わせる。 【例文2】接待費と偽って帳尻を合わせる。 【例文3】帳尻を合わせるために自腹で出す。 帳尻を合わせるっていうのは、収入と支出が合うようにするという意味と最終的につじつまが合うようにするという意味があります。 収入と支出がきっちり管理できる人というのは凄いなと思います。 私は数字に弱く家計簿すらつけれず、うっかり支出が多くなってしまうこともあるので、会計士さんとか税理士さんとか数字のプロには頭が下がります。 話はちょっと変わりますが最近、政治でよくわからないことがありますよね。 記憶がないとか、その人とは会っていませんとか言いつつも証拠が出てくると話が二転三転しているのをテレビで見ます。 帳尻が全然あっていなくて、それってつまり嘘に嘘を重ねているということですよね。 幼稚園児でも、嘘に嘘を重ねることはよくないですよと知っているのに、立派な大人がどういうことなんでしょうと首をかしげてしまいます。 やはり、つじつまが合わない話というのは聞いていても不自然さや、何かわからないけど気持ち悪さがありますよね。 もっと、見ていて気持ちがいい大人であったり応援したいとか、この人に大事な仕事を任せたいと思えるような大人が増えればいいですよね。 私も大人の一人として、醜くないように頑張らなくちゃいけないなと思います。 収入と支出が合うようにすること、つじつまをあわせることの意。 どちらかといえば、ネガティブなイメージを持つ言葉です。支出に対して収入が合っていないあときに、無理やり合わせるといったところ、強引なつじつま合わせが必要となります。その強引さは本来であれば避けたいものです。帳尻合わせをするはめにならないように注意をしましょう。 しかし、帳尻を合わせることは何も悪いことばかりではないはずです。帳尻を合わせることができたということは、その物事の問題を解消できたということ。多少強引な解釈ではありますが、そのようにポジティブに捉えてもいいのではないでしょうか。 このように、同じ意味でも言葉には正と負の両面の意味が垣間見えます。時と場合によって使い分けるべきですが、どちらかというと、ポジティブな意で使いたいものです。他を咎める言葉ばかり使っても気持ちよくありませんからね。言葉は人と人の間で成り立つもの、嘘や世事に塗れた言葉の応酬も空虚なものですが、悪意に塗れた言葉の応酬も悲しいものです。必要なのはバランスではないでしょうか。ポジティブとネガティブ、正と負、そのよきバランスが人の会話には必要なものなのだと思います。

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長所は短所

【漢字】長所は短所 【読み】ちょうしょはたんしょ 【意味】長所は見かたを変えれば短所にもなる。 【例文1】まっすぐ突き進む性格だが、長所は短所でむちゃをしすぎるのが難点だ。 【例文2】おひとよし過ぎるのが長所は短所で騙される可能性もある。 【例文3】世話好き過ぎて長所は短所に変わる。 私の性格はよく人からは優しいと言われます。これが自分の長所は短所になっています。まず職場で他人を指摘することや怒ったり、ケンカしたりすることがないと言うことです。確かに優しさは持っていると思いますが、時には優しい振りをして、心の中では立腹していることもたくさんあります。よく人からはもっと怒った方がいいと言われることもあり、時には優しいだけが男ではないぞと上司から叱咤激励されることもあります。自分でもよく分かっています。優しいことで損をしていることは多々あるのです。優しいことが長所であるならば、職場の輪をかき乱したりしない平和主義者ということになるでしょうか。しかし、優しさが全面に出て時には優しい振りをして自分の主張ができない、それが自分のストレスになっていることも多々あります。結局そのことが短所になっているのではないでしょうか。これらの優しさとの長所と短所をうまく組み合わせてバランスの取れた人間に成長していきたいと思うのですが、そうそう上手くいきません。またそれが自分のストレスになって、仕事が終わるとドッと疲れています。優しさもほどほどに怒りたいときは怒るこう言う新しい自分に目指すべく答えの出ない日々を過ごしています。 学生のサークルや会社の懇親会などで、誰とも喋れずに1人でいる人に話しかけにいくような、いわゆる「世話好きな人」はいませんか。もしも1人でいた人が、誰とも話ができないことに対して不安を感じているときに話しかけてもらえたら、その「世話好きな人」は「親切な人」に見えることでしょう。ですが人によっては違う印象を受けることもありますね。もしも1人でいた人が、懇親会に疲れたため敢えて誰とも口をきかないでいたのに、そこに「世話好きな人」が訪れてしまったら、話しかけられた側としてはあまり嬉しくないでしょう。おそらく「世話好きな人」を「お節介な人」だと感じるのではないでしょうか。 このように長所は短所とも言えるのは、おそらく多くの人が人生の中で痛感していると思います。「性格が明るい人」だって、別の人にとっては「うるさい人」だと思われていることもあるでしょう。ここは人それぞれで考え方が違うため、相手への印象が変わってしまうのは致し方ないことです。しかし裏を返せば、短所は長所にもなり得ると言えるでしょう。もし自分に何か短所があると感じているのであれば、それは実は長所でもあります。その短所をどのように長所にしていくかが大事なのではないでしょうか。なかなか大変ですが、長所は短所で、短所も長所ですよ。

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朝三暮四

【漢字】朝三暮四 【読み】ちょうさんぼし 【意味】猿に与えるトチの実が無くなりかけた時、明日から朝3個、夕暮れに4個にすると言ったら怒ったため朝4個、夕暮れ3個にしたら、気づかなかった例えから、結果は同じであっても気づかない愚か者という意味。 【例文1】一時給付金が支給されても手当てが減ったのでは、素直に朝三暮四で喜べない。 【例文2】パチンコで昨日10万負けたが、今日は10万勝って喜んで朝三暮四だ。 【例文3】古い車をただでもらって朝三暮四だ。 故事成語の中でも、「朝三暮四」というのはおもしろい使い方をされる言葉と言っていいでしょう。 その話をする前に、この言葉の由来をかんたんに説明しておきます。中国の春秋時代のこと、宋の国に狙公と言うおじいさんが住んでいました。このおじいさん、大変に猿好きで、たくさんの猿を飼っていたと言います。 ところが、猿の数が増えすぎてエサ代がかさみ、家計にまで悪い影響を与えることに。このままにはしておけないと思ったおじいさん、エサを減らすことにしました。 そして、猿たちに「今後はトチの実を、朝に3個、夕方に4個あげることにする」と伝えたところ、エサを減らされた猿たちは激怒。 そこで、おじいさんは「じゃあ、朝に4個、夕方に3個にする」と言い換えると、猿たちは納得したのでした。 「朝、4個もらえるならいいや」と考えた、猿ならではの浅知恵ということになるでしょう。 そこから「朝三暮四」という言葉が生まれたわけです。 さて、では、どうしてこの故事成語がおもしろいのかと言うと、この言葉は「おじいさんサイド」と「猿サイド」の2つの別の意味で使われているのです。 この故事成語の1つめの意味は、「相手をうまく言いくるめてごまかす」。これは、「おじいさんサイド」に立った意味です。 もう1つの「目先の得にこだわり、結局は得になっていないことに気づかない」という意味は、「猿サイド」に立ったものということになるでしょう。 「朝三暮四」を「する側」と「される側」の2つの意味があるところに、この言葉のおもしろさがあるのです。

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昼夜兼行

【漢字】昼夜兼行 【読み】ちゅうやけんこう 【意味】休みなく一日中仕事する。 【例文1】昼夜兼行で働いたから、休日は寝て過ごす。 【例文2】昼夜兼行で原稿を仕上げる。 【例文3】再建のため昼夜兼行で働く。 仕事をしていると、大抵のことに期日がついてまわるでしょう。それは顧客相手でもそうですし、社内で使うプレゼン資料といったものにも、期日はあると考えられます。逆に期日がないということは、ほとんど無いのではないでしょうか。 スケジュール管理が上手な人であれば、期日に追われることなくむしろ余裕を持って、納品できることだと思います。ですが仕事というのはハプニングがあると、どうしてもスケジュール通りにいかないこともあったりしますし、元々スケジュール管理が苦手な人であれば、期日との戦いになってしまいがちです。何とかして期日までに間に合わせないといけない案件がある場合、昼夜兼行せざるをえないこともあるでしょう。しかし昼も夜も働き詰めになってしまうと、体を壊してしまうのは明白ですね。どんなに体が丈夫な人であっても、昼夜兼行する日々が続いてしまったら倒れてしまいます。 しかし先にも述べましたが、仕事とはハプニングがあるとスケジュール通りにいかないことが多々あります。そのせいで終日働き詰めになってしまうこともあるかもしれません。ですが体のためにも、きちんと休みをとることが大切です。仕事も大事ですが体は一生ものなので、体を大事にすることも忘れないで下さい。 残業や休日出勤は時給が割り増しされるので体力が十分にあれば結構おいしいですが、それが連日連週つづくのは勘弁して欲しいものです。 昼夜兼行の24時間体制とまでは言いませんが、朝は日の出と競うように出勤し夜は日が暮れてから帰宅するでは身が持ちません。 大企業でそのような形態での勤務状況が知れれば、ブラック企業だと騒がれることは間違いないのですが、下請け零細子会社ではそれほど珍しいことではないようです。 名前だけは有名で実質は個人経営のコンビニなどのように、バイトの人数が揃わなければ経営者本人が店番になるケースすらあります。 寝る間を惜しんで働くことがさも立派なことに言われる時代もありましたが、実際には人を雇って給料以上に働かせるのが最も簡単な仕組みです。 安く仕入れて高く売りつけるのは商売の基本ですから、人件費の割合が低く抑えられるように少人数で長時間働かせようとする経営方針は冷酷なまでに現実的です。 昔の偉い殿様は農民を生かさぬよう殺さぬように働かせることを目標としていたようですが、数百年経過した現在でも大して変わりがないように思えます。 日本人の特徴として勤勉な国民性が挙げられた時期がありましたが、実際にはそこまで働かないと生活できないというのが実情だったようです。 社会構造や科学技術が十分に発達した現代ならば、労働時間をもっと短く済むようにして文化的な生活ができるように工夫するべきだと思うのですがいかがでしょう。

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注文を付ける

【漢字】注文を付ける 【読み】ちゅうもんをつける 【意味】細かいところまで条件をつける。 【例文1】デザイナーに注文を付ける。 【例文2】イチイチ注文を付ける。 【例文3】注文を付けるのが多い。 「注文を付ける」の意味、使われ方では悪いイメージがあります。「クレームを付ける」や「文句を付ける」など、無理難題を突き付けたり想像と違った事柄だった場合に使用されることわざではないでしょうか。 日常生活よりは、サービス業に勤める方がこの言葉を付けられることが多いと思います。販売する商品やサービスに対して「注文を付ける」方は必ずいますし、中には従業員に非が無いのにも関わらず、細かいことでクレームを付ける方もゼロではありません。 そのような方はどういった心理状態か考えると「余裕が無い」人だと思うのです。注文を付けることには労力を使いますし、過激な行動に出てしまえば警察のお世話になるでしょう。多くの方に迷惑を掛けてまで注文を付けるメリットは少ないのです。 瞬間的にキレてしまう方もいますが、「何故そこまで固執するのか」と疑問に思う注文も存在します。従業員に対して嫌がらせをしているとしか思えない状況です。何かしら心に闇がある方が多い印象も受けます。 注文を付けて良い方向に行く場合もありますが、やりすぎも問題だと感じますね。心に余裕を持つことが難しい時代ですが、そういった心理が少なからず働いていると思います。

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忠言耳に逆らう

【漢字】忠言耳に逆らう 【読み】ちゅうげんみみにさからう 【意味】他人からの忠告は聞きたくないもので、素直に受け入れにくい。 【例文1】彼は弱点をつかれ忠言耳に逆らう。 【例文2】ごう慢で忠言耳に逆らう。 【例文3】意地っ張りで忠言耳に逆らう。 「忠言耳に逆らう」とは孔子の言葉で「忠言はとかく人の心に逆らってなかなか素直には聞き入れられない」という意味です。耳の痛い思いの方もあるのではないでしょうか。 「やって見せ 説いて聞かせて やらせてみ 讃めてやらねば人は動かぬ」の言葉で知られる、山本五十六はご存知でしょうか。真珠湾攻撃の時、連合艦隊司令長官として指揮をした山本五十六は、実は戦争に反対していました。時流に反して和平を唱え続けた五十六は、越後長岡藩で代々儒学を教えていた高野家に生まれています。儒学では仁、和の心について学びますから、それが彼の根底にあったとしても不思議ではありません。海軍兵学校に進んだ五十六はその後、山本家の跡継ぎとなります。米国駐在武官としてアメリカに赴任し、アメリカの国力を肌身に感じた彼は日本とアメリカの戦争への道筋に繋がる日独伊三国同盟に強く反対していました。それでも彼の忠言は聞き入れられることはなく、2・26事件が起こり、坂を転げ落ちるかのように開戦へ向かっていきます。そして山本五十六は開戦しても早期講話へ繋がることを願い、真珠湾攻撃という賭けに出ます。彼は昭和18年4月、最前線の将兵を激励するために載っていた飛行機が撃墜されて戦死します。あの時、若き将校や幹部たちが彼の忠言に耳を傾けていれば、第2次世界大戦は回避できたでしょう。戦争は悲惨です。2度と同じ過ちは繰り返してはなりません。

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茶々を入れる

【漢字】茶々を入れる 【読み】ちゃちゃをいれる 【意味】邪魔をする。話の途中でひやかし混じりの冗談を言う。 【例文1】友人がデートしていたので茶々を入れる。 【例文2】嫉妬して茶々を入れる。 【例文3】恋人ができた友人に茶々を入れる。 よく、冷やかしや邪魔をすることを、茶々を入れるといいますよね。 しかし茶々という言葉自体、あまり日常の中で使うことは少ないと思います。 茶々の由来ですが、二つの諸説があります。 まずは、豊臣秀吉の側室であった茶々という方の名前からとった説です。 茶々は織田信長の姪にあたる方なのです。 秀吉は茶々の母である市に憧れていて、その娘の中でも母の面影を最も感じさせる茶々を気に入っていたそうです。 これなら、秀吉が茶々を側室に迎え入れるのも納得ですよね。 噂では長身の美人だったそうです。 まさに美女と野獣といった構図ですよね。 そして、茶々が秀吉にあれこれ指図をして水を差す姿が目に浮かび、これが茶々を入れるという意味に繋がったそうです。 もう一つは邪邪を入れるの言葉が変化をした説です。 邪魔をするという意味である邪邪が茶々へ変化していきました。 なぜ変化をしたのかは明らかになってないものの、なんとなく噂話と似ていますね。 噂話も巡りに巡って変化することがあります。 最初に伝えた人の言葉が色々な人に伝わって途中で変化して、最後に聞いた人は別の言葉に変化しているということはよくあります。 もしかしたら、その要領で邪邪を入れるが茶々を入れるに変わったのかもしれませんね。

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血も涙もない

【漢字】血も涙もない 【読み】ちもなみだもない 【意味】人に対して冷たく思いやりも何もない。 【例文1】彼ほど血も涙もない人はいない。 【例文2】子どもを虐待する親は血も涙もない。 【例文3】殺人犯は血も涙もない。 「血も涙もない」という言葉を聞くとまず一番に思いつくのが子どもの虐待の事件です。肉体的であれ精神的であれ、虐待関連のニュースを聞くとどうしてそんなにひどいことが出来てしまうのだろういつも不思議に思います。もちろん私たちは自分たちが赤ちゃんだったときの記憶はありません。せいぜい一番初めの記憶でも3歳くらいだと思います。それでも親になったり小さい子を連れているのをみると、他の哺乳類に比べて人間の赤ちゃんは最初はとても未熟で親や周りの大人たちのサポートがない限り生きていけないんだなとか、小さい子の親は大変だねと思います。「血も涙もない」人たちはそういったことは全く思わないのでしょうか?またそういった人たちは小さい子たちをいったいどのような存在だと思っているんでしょうか。虐待されて命を落としてしまった子どもたちは加害者のことをいったいどう思っているのでしょうか?「血も涙もない」人たちが改心することはあるのでしょうか?もしそういう人たちが仮に小さいころの記憶がしっかりあったとしたら、そういった虐待はおこらないのでしょうか?などといろいろな考えや思いが駆け巡ります。ただ思うことは、虐待のニュースを聞くたびにもう二度と起こらないように願うだけです。 「血も涙もない」とは人間関係や人情などが一切無く、残酷で冷徹な様を意味することわざです。「容赦がない」とも意味が通じる言葉だと思いますし、イメージとしては最初に「残酷」という言葉が頭をよぎりました。 慈悲が通じない世界とはどんな世界なのでしょうか。一番考えられるのは戦争でしょう。戦争によって秩序が乱されることで「血も涙もない」行為が横行する可能性があります。また誰かに何か恨みを持つ方が、その誰かに対して「血も涙もない」仕返しをするなど、映画やドラマで頻繁に使用される描写ですね。 現実世界では残酷で血も涙もない事件がニュースで毎日のように報道されています。残念ですが、そういった残酷なニュースに私たちは慣れてしまい、「可哀想だな~」と呑気に思うだけではないでしょうか。よく考えると非常に恐ろしい世界だと感じます。私たちは戦争のない平和な国で生きていますが、世界の何処かでは今でも戦争をしていますし、人権を無視する残虐な行為が平気で行われている真実があるのです。 出来ることは限られていますが「血も涙もない世界になってほしくない!」と思うことはできるので、少しづつ問題が解決される世の中になってほしいですね。 世の中には血も涙もない人がいます。そう言う人に限って自分のことしか考えていなく他人に対して凄く冷たいところがあります。 自分の職場にも血も涙もない人がいてその上管理職です。血も涙もないほど、訳の分からないいらだちを自分に向けてきます。管理職というのは人間的にもできた人が多いのですが血も涙もなくわめき散らす。このような人が上司にいる職場は潰れてしまってもおかしくありません。自分はこの管理職にとても困っています。腹立たしく思うのですが、どうしても弱者の部下ですからどうしようもありません我慢ガマンの毎日で気が狂いそうになります。会社にも行きたくなくなります。誰が助けて欲しいし、こんな上司消えてくれたらなぁと思うことも多々あります。こんな時はどうすればよいのでしょうか。労働基準監督署に駆け込むか、それとも我慢するしかないのか、本当にどうにかならないかなぁと頭を悩ませています。得てして血も涙もない人は性格的にもとても冷たい。人のことを思いやれない。自分勝手であると思います。そこで思いました。先ずは自分はこのような血も涙もない人にはならないと、自分がしっかりと思いやりの心を持って人間らしく生きていこうと決意しました。

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血道を上げる

【漢字】血道を上げる 【読み】ちみちをあげる 【意味】頭に血がのぼるように熱くほど、色恋や娯楽に夢中になる。 【例文1】彼らは合コンに血道を上げる。 【例文2】女に血道を上げる。 【例文3】競馬に血道を上げる。 何かに熱中することを「血道を上げる」と表現することがあります。この言葉からは、周りの意見や意思に聞く耳を持たずに、ひたすら何かに熱中する様がイメージできるでしょう。 よく「恋は盲目」という表現がありますが、まさしく「血道を上げる」とはそのような状態を指す言葉だと思います。何だか夢中になることや熱中することで、他者に迷惑が掛かっている様子も表していると思うのです。 例えば夫が浪費グセがあり家計が火の車だったり、周りの迷惑を考えずにイチャイチャするカップルは、血道を上げるの意味合いに近いと考えられますね。自分一人で誰にも迷惑を掛けずに熱中するのであれば、「血道を上げる」という言葉は使われないのではとも思います。 物事を真剣に取り組むことは悪いことではありません。しかし、分別なく熱中することで生活が破綻したり、人間関係が崩壊する危険も存在するのです。オンラインゲームはその類に入りやすく、熱中しすぎて死亡する事故も海外で問題になりました。死亡するまで熱中するなんて、ある意味で本望だったのかもしれません。ですが、自分の体調変化にさえ気づかないほどに人間は物事に熱中できる生き物ですから気をつけましょう。

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血眼になる

【漢字】血眼になる 【読み】ちまなこになる 【意味】眼の色変えて、必死になる様子。 【例文1】血眼になって犯人を捜す。 【例文2】30過ぎて婚活に血眼になる。 【例文3】落とした指輪を血眼になって探す。 プラモデルを作ったり、改造するのが趣味なのですが、時折部品をなくしてしまう事態になります。その時はまさしく血眼になってなくした部品を探します。そのなくした部品と言うのは300円もあれば注文が可能であるケースが大半なのに対して、数時間かけてどんなに疲れて体調が悪くなってしまおうがなんだろうが探し続けてしまう傾向があります。部品注文は届くのに時間がかかるというデメリットがありますが、部品をなくしてしまったものと同じプラモデルを買って解決しようかとすら思うほど周りが見えていない状態になってしまうことすらあります。実際には一つの部品のために別のプラモデルを買うと大量の部品が余ってしまうこともあり、一つの部品のために大変なことをしたという気にもなってしまうため、その手だけはなんとか使わないで済んでいます。部品が見つかるときは最初になくしたと思った場所の近くにあったりしたケースも割と多く、血眼になって探しものをしているのは確かなのですが、血眼になるという言葉通り冷静になって広い視野でものを見ることができなくなっている事が多いです。プラモデルの部品がどこかへ飛んでいった瞬間などの血の気の引き方と血眼になることが比例しているようにも思います。

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血祭りに上げる

【漢字】血祭りに上げる 【読み】ちまつりにあげる 【意味】相手をひどく打ちのめす。 【例文1】全員血祭りに上げてやる。 【例文2】言い逃れできないよう血祭りに上げる。 【例文3】いじめた奴らを血祭りに上げる。 血祭りに上げるとは、戦いにおいて初めに敵を殺して指揮を上げるなどの意味があるそうです。正直言って恐ろしいですね。 しかし世界の歴史を見てみると、そうしたことが当たり前に行われた時代が残念ですが存在するのも事実です。宗教や風習によって行われたり、戦争の見せしめによってまさに祭りのように実施されたり、想像するだけでゾッとします。 もっとゾッとすることは、現代でも血祭りに上げることは実は行われているのではないかと思うのです。表面的な暴力でなく、精神的に攻撃して追い詰めていく手段に変化しているのではないでしょうか。 例えばブラック企業なんかがその例で、社員を鼓舞するために見せしめで一人の社員を攻撃する(パワハラ)が存在します。また、引きこもりやニートといった方たちを社会不適合者として排除しようとする方もいますから、どんなに歴史を積み重ねても、過去に血祭りが当たり前の時代と本質が変わらないのではないでしょうか。 もちろん過去よりも平和な世界になったと思いますし、皆が暴力を簡単に使う人間ばかりではありません。ですが、私は時々凶悪事件のニュースや、肉体的以外にも精神的に追い詰めてくる方に遭遇すると、恐怖でいっぱいになってしまいますね。

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血は水よりも濃い

【漢字】血は水よりも濃い 【読み】ちはみずよりもこい 【意味】他人より血の繋がった身内が信用できるもの。 【例文1】やっぱり親身になってくれるのは、血は水よりも濃い家族だ。 【例文2】いくら勘当したとは言えやはり血は水よりも濃いものだ。 【例文3】頼りになるのは血は水よりも濃い家族だ。 6年前に父が急死しました。父は持病を持ってはいましたが、当日も車を運転して外出していました。そんな父が外出先で倒れたことを携帯の留守電で聞かされ、病院に駆け付けた時には亡くなっていました。 私のショックと悲しみは図り知れず、他人にその辛さを分かってもらおうと思ってもきっと分かり合えない感情であることを察しました。そんな感情も私は母と妹とは共有することが出来ました。私は父とはよく喧嘩もして反目もしてきましたが、内心はとても尊敬していました。しかし、感謝や尊敬の念を言葉に出すことはほとんどありませんでした。永久にそうした言葉を父本人に伝える機会が失われ、後悔の念に押し潰されそうになりました。 父も10代の頃からの私との接し方に不器用だったと思います。父の親しかった友人から、私との接し方で父が悩んでいたことを打ち明けられました。血は水よりも濃いことを実感しました。反目したりすれ違った時期もありましたが、互いが血を分けた親子であることの重みがいかなる時も消えるわけではありません。 父の死後数年間は大変でしたが、妹と助け合い母を支えることで立ち直ることが出来ました。この経験により肉親、兄弟の有り難さを以前以上に強く実感するようになりました。亡き父の分も含め、母に対する親孝行を意識して行動に移しています。 ひと昔前は、家族の縁は何が何でも切れない。そう。まさに血は水よりも濃い、という言葉通りの言葉が身の周りに存在したと思います。しかしながら、ここ最近に関しては、友人と共謀して親から身代金を巻き上げたり、保険金をかけて殺害したと言った普通では考えられない出来事を耳にしたりする。当然、そういった事件は、異常とも言える事なので、一般人には考えれれないと言われる事もある。しかしながら、ちょっと事件性のある話から遠ざかって考えてみたいと思います。各個人にはもちろん実家があったり、故郷が存在したりします。よくある話としては実家には何年も帰っていないと言った話を聞いたりする事もあります。実際にではなぜ帰っていないかというと、仲間といる方が居心地がいいという理由や、実家に帰っても親は老人ホームに入っており、生活を手伝ってくれている人がいるから帰る必要がないという話まで聞きます。そういった話を聞くと、家族とは何なんだろうと思います。親とのつながりを避けるでもなく、生きているという情報だけで満足しているような、むしろその情報すらどうでもいいような、ここに家族の繋がりは存在しないと言っても過言ではないと思います。遠く離れていても家族は繋がっている。まさに血は水より濃い。という状況とは違うとひしひし感じます。ここ最近の傾向としては、日本人自体も欧米化してきて、どんどんフロンティア精神を持って、新しい場所を開拓して、新しい場所で新しい家族を探して生活するようになってきたのではないかと思います。少し寂しい情報なのかなと感じる事もありますが、時代が変わるとは、こう言った事も普通だと認識されるになってくるのかなと感じます。

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地の利を得る

【漢字】地の利を得る 【読み】ちのりをえる 【意味】地形や土地の形状が有利な条件を兼ね備えている。 【例文1】ここはマンション建設に地の利を得る。 【例文2】早朝から開店する事で地の利を得る。 【例文3】駅近のテナントで商売の地の利を得る。 地の利を得るとは、戦いにおいても重要になります。戦力を有しても天候た地形を考えずに相手陣地に攻め入ると自滅の道を辿ることになるでしょう。 スポーツでも地元開催が有利となるのは、声援や練習してきた土地で慣れているので、まさに「地の利を得る」で優位に勝負ができます。ホームとアウェーでは、ホームの方が味方が多いですし、雰囲気に惑わされることは少ないでしょう。 ただ地の利を得たから必ず勝てる見込みはありません。地の利に甘えすぎて相手の力を軽く見ていると痛い目に合うこともあり、戦う環境が揃うことと、それに見合った戦力も必要になります。 第二次世界大戦時にまさに地の利を得て防衛に成功した国が存在します。北欧のフィンランドで、少ない戦力と物資をやり繰りしながら絶望的までの戦力差にも関わらず、何十倍もの兵力のソ連と対等以上に戦いました。 極寒の地で雪を隠れみのにすることによる奇襲戦術や、ファンランドの森に誘い込むことで相手の兵力を奪っていきます。中には激戦区の防衛ラインを30名程度で守った史実もあり、まさにホームにおける地の利を得て戦っていました。しっかり環境や知識、戦力が合致して初めて優位に戦うことができるので奥が深いですね。

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血のにじむよう

【漢字】血のにじむよう 【読み】ちのにじむよう 【意味】人の何倍も努力すること。 【例文1】彼女は血のにじむような努力で学年トップになる。 【例文2】血のにじむような努力でプロの世界に入った。 【例文3】血のにじむよう努力の結果、優勝した。 血のにじむようなで考えついたことは、血のにじむような努力についてです。 高校生の頃、剣道の素振りを3,000回やっていたことです。竹刀を持たないと意欲がなく、勉強もきらいで、学生時代は面白くなかったです。そんなとき頑張ろうと思ったのが、剣道の素振りです。毎日やっていて、手に豆ができてそれがつぶれて、血が出てきても素振りをやめないで頑張っていたことを思い出します。当時はギネス記録とは無縁でしたが、今でいうなら素振りのギネス記録みたいなものを少しねらっていて、努力した実感を味わいたかったという自己満足みたいなものです。 高校時代は、剣道も低迷してブランクが続きましたが、後で大分に引っ越して評判の良い剣士になりました。それから熊本に帰って来てブランクがあってそこでも血のにじむような努力をして、毎日素振りをかかさず行い、良い道場がみつかり、いろんなところにドライブがてら稽古をしに行きました。山鹿、鹿本、玉名、熊本武道館、浜線振武館のほうで稽古に全部行ってた経験があります。警察官や優秀剣士と汗を流し、稽古会で血のにじむような努力をしていました。三段から五段へ成長して、山鹿市で日本剣道形で有名になり、県体予選会で2回、県体の選手候補に選ばれました。 そして現在、今度は30歳からいろんな民間資格にチャレンジして、トリマーで血のにじむような努力をして実寸モデル犬を数回カットして、トリマー1級になったり、その後スイングの練習もしていました。14資格新しく合格して、資格の虫になった後、たまたまパソコンのA型就労に合格して、A型で新しい人生がはじまりました。

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血の気が多い

【漢字】血の気が多い 【読み】ちのけがおおい 【意味】すぐカッとなって怒る人。 【例文1】部長は血の気が多い。 【例文2】ヲタクは意外と血の気が多い。 【例文3】負けず嫌いで血の気が多い。 私は軽度の引きこもりです。ネット中毒でもあるかもしれません。 自宅でインターネットをし続け、最近はネトゲと呼ばれるものにも手を出しました。 多くの人がオンラインで集まり、対人ゲームや戦略ゲーム、カードゲームなど様々やってきました。 最近のオンラインゲームはチャット機能がほぼほぼついています。 私もいろいろな人とチャットをして、そのおかげで少しタイピングなども早くなった気がします。 女の子とも友達になれました。友達といっていいのかはわかりませんけど。 そんな中私が弱気なのか思うところがあります。 ネットゲーマーは血の気が多いということです。 普通の女の子だと思っていた子でさえ対人ゲームで負けてしまうと「くそっ」とか「はぁ」と不快感をあらわにした言葉を表したり、 男性に限っては極端なレベルになると「お前リアル割り出してぜってー殺してやるから」などとのたまう人も出てくる次第です。 気の弱い私は警察に電話して脅迫罪にならないか聞くほどでした。 また最近はVCと呼ばれる音声付きのチャット、ボイスチャットなるものが流行ってきました。 今まで文字のみの罵詈雑言が今度は音声付きで流れてくるようになったのです。 私は戦慄恐々としながらそれでも毎日ネトゲをやっています。 今日も「くそかよ」と相手を罵倒しました。 どうやら私も血の気が多いようです。

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血の気が失せる

【漢字】血の気が失せる 【読み】ちのけがうせる 【意味】恐怖や驚きで血の気が失くなる様子。 【例文1】友人が交通事故に遭ったと聞いて血の気が失せる。 【例文2】山で遭難して電波も届かず血の気が失せる。 【例文3】森をさまよい暗い中、血の気が失せる。 圧倒的な恐怖にさらされると人間の顔から比喩表現でなく血の気が失せるのを観察できます。 緊急事態にあたって何のために顔面の血流が悪化するのかよく分かりませんが、顔が真っ青になるのです。 度が過ぎればそのまま気絶して昏倒し、事態はますます悪化の一途をたどります。 精神衛生上も肉体健康上も良いことはないので、速やかにその場から逃走するのが正解です。 しかし逃れられない悪状況にわざわざ飛び込む愚かな所業をする人間も結構いるものです。 怖いもの見たさやスリルとサスペンスを求めて、ジェットコースターに乗る、幽霊屋敷に入る、ホラー映画を見るなどがそれに当たるでしょう。 ジェットコースターは乗ったら最後まで止まりませんし、幽霊屋敷は最後までキッチリ料金分をサービスしてくれます。 ホラー映画は人によっては最悪な選択肢といえるでしょう。 映画館ならば途中退場も許されず、家で見ていれば鑑賞している場から離れれば一人きりで恐怖を味わい続けることになります。 さらに話を中途半端に終わらせると人間の逞しい想像力は既に知った情報から恐怖を増幅させようとします。 恐怖によって、背筋が凍り、血の気が失せ、歯の根が合わなくなり、腰が抜けるに至っては逃げることもままなりません。 精神が肉体を支配していることを、小心者ゆえに他人よりも深く痛感する次第です。

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血の雨を降らす

【漢字】血の雨を降らす 【読み】ちのあめをふらす 【意味】戦争や殺傷事件などで人がケガをして血を流すこと。 【例文1】通り魔殺傷事件で多くの人が血の雨を降らす。 【例文2】事故現場が血の雨を降らす。 【例文3】血の雨を降らす核兵器をなくす。 血の雨を降らすとは、その名の通り誰かを殺して血を流させたり、争いを比喩している意味合いが多いです。現代では戦争や大量殺人に使われることが多く後ろ向きな言葉であることもわかります。危害は加えないものとして、恋愛に対しても使うことがあり、三角関係などドロドロとしたものにも血の雨を降らす、降らしているなどの言葉が使われます。 例文として、朝のニュースで殺人犯が子どもを殺したものが流れていて血の雨が降る。 三角関係に収集がつかずいつも血の雨が降っているなど、修羅場のようなドロドロとした感じが伝わって来ます。雨が血となり降っているわけではなく、血が雨のようにたくさん出ている様、雰囲気のドロドロを血で表しています。雨は太陽を隠し延々と降ります。雨はどこか憂鬱になることが多く、雨の成分が血となればその傾向と後味の悪さは引き立ちます。普通のケンカにも大げさな比喩として使うことも出来、壮絶な出来事だったという事を相手に伝えられます。殺人事件を描いた文芸小説の中の一節としても書かれることがあります。どちらにしても気持ちを沈む出来事に使われることが多く、なまめかしいものとして受け取りやすいです。怪我をして血が止まらない様にも使われることもあります。

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地に落ちる

【漢字】地に落ちる 【読み】ちにおちる 【意味】権威や評判が衰える。 【例文1】芸能界は一回のスキャンダルで地に落ちる世界だ。 【例文2】会社の信用を失い地に落ちる。 【例文3】不祥事を起こし地に落ちる。 地に落ちるとは権威や名声が失われることです。 SNSの普及率が高まり、不名誉なことはあっという間に拡散され地に落ちていきます。 芸能人のスキャンダルなら一層の事件簿です。 最悪、大物芸能人以外はお茶の間から消えてしまうことだってあります。 一般人だって油断はできませんよね。ネットの拡散の威力はすざましいものであり、本人確定も時間の問題です。安易な投稿は控えたいものですね。 わたしの知り合いにも万引きした事がばれてネットでの誹謗中傷被害に遭った人がいます。 小さな田舎町ですので、学校名も名前も特定され退学してアカウントも閉鎖しました。 両親は自営業でしたので、店にも少なからず影響はあったようです。 評判は一気につきますが、一度ついた評判を回復されるのはとても大変なことだと思います。逆境に負けず、乗り越えてほしいと願っています。

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血となり肉となる

【漢字】血となり肉となる 【読み】ちとなりにくとなる 【意味】学んだ経験や知識が将来役に立つ。 【例文1】留学経験が血となり肉となって良かった。 【例文2】父母からの教えが血となり肉となる。 【例文3】弟子入り経験が血となり肉となる。 私がダイエットを始めたのはまだ10代の頃でした。 10代は成長期だから、活動量が多い分お腹がすいたらどんどん食べた方が良い!と親にも言われていたので、私はモリモリ食べて育っていたわけですが、 ある日鏡の前で気づいたのです。「食べたものすべてが、私の血となり肉となっているのではないか」と。 元々、吸収は良い方でした。背もぐんぐん伸びたし、食べれば食べた分だけ太るのも早かったです。 よく、摂取した栄養は自分の血となり肉となるなんて言われているけど、まさにその分配が人より多いのではないか? 軽い気持ちでウォーキングとカロリー制限をしてみましたが、効果はいまひとつでした。 友達の中には「食べても食べても太らない」なんて人もいました。 私はそんな友人をうらやましいと思う反面で、「食べた栄養が自分の実にならないなんてどこか異常があるのではないか」「健康な体であるなら栄養をちゃんと蓄えようとするはずなので、私はすごく健康なんだ」と思っていました。 今考えると恐ろしい考えだとわかります。 むしろ、食べた栄養が消費されずどんどん体に蓄積されてしまうことのほうが異常だということになぜ気が付かなかったのか・・・。 30代を目前に控えた今、私は改めて自分の食べたものすべてが血となり肉となるのを阻止しようと動き出しています。 言葉のままに食べた栄養素が血肉となることを示す場合もありますが、獲得した知識や経験が身につくことを比喩的に表現するのが一般的です。 人間はそれまで得てきた知識と経験によって構成され活動すると言っても過言ではないでしょう。 その人の思考パターンすらそれまでの生活環境や人生経験・人間関係に大きく影響を受けているはずです。 極論すれば世界の全ての事象によって個人が作り上げられているとも考えられそうです。 受ける影響の代将はあれども全く影響を受けないなどということは有り得ません。 そのようにして様々な人物や事件に影響を受け続けるわけですが、すべてが益あるものとは限りません。 毒にも薬にもならない無意味なものもあれば、害悪にしかならない受け入れがたい不幸も存在します。 身体や人生にとって良いものだけを取捨選択して摂り続けることが出来れば理想的ですが、そのようなことは現実問題として不可能です。 さまざまなものが混ざった形で、時には理不尽なまでに酷いものすら目の前に出され続けるのが人生です。 毒であろうと皿であろうと噛み砕き、全ての経験が血となり肉となることを望むくらいの心意気が欲しいです。 口当たりの良いものばかり選んで食べているとメタボリックな病人が出来上がってしまいかねませんよ。

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血で血を洗う

【漢字】血で血を洗う 【読み】ちでちをあらう 【意味】悪事は悪事をもって対処する。または血の繋がっている者どうしの争い事。 【例文1】血で血を洗わないように身内で話し合いをする。 【例文2】遺産相続問題で血で血を洗う。 【例文3】遺言がないと血で血を洗う事になる。 血で血を洗うって言葉がありますが、もう言葉の意味を知らない人でもこの字面をみるとおどろおどろしい感じだなというのは伝わりますね。 意味としては殺傷に対して、殺傷で応じることだったり肉親同士の争いのことです。 現代ではそこまで血縁や家というものにこだわりや、プライドは少なくなったと感じますが昔は血縁に重きを置いていたり家柄を大事にするがために関係がこじれると命に係わることも多かったんでしょうね。 歴史を見ても源義経だって兄弟である源頼朝に命を狙われていたし、戦国時代など本当に激しく血を血で洗ってたんですよね。 昔は権力者には奥さんや側室がたくさんいたからそれだけ子供もたくさんいて後継ぎを誰にするかで競っていたりしたから親兄弟や親せき同士が戦い、殺しあっていたんでしょうね。 そうはいっても現代でも血を血で洗うってこともありますね。 親が子どもを殺したり孫が祖父母を殺害したりと、いたたまれないですが血が流れる事件も報道されますね。 そして、実際に血を流すような事件ではないですが、血を血で洗うようなことって意外と身近にあるのかなとも思います。 昔の跡継ぎ問題じゃないですが、相続問題っていうのはよく聞きますよね。 それで、相続問題で親族間の仲が悪くなって絶縁したようなケースも聞きますよね。 たいてい今の時代はお金が絡むと争いになりやすいですよね。 お互いを思いやって争いにならないように気をつけなくちゃいけないですね。

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父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し

【漢字】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し 【読み】ちちのおんはやまよりもたかくははのおんはうみよりもふかし 【意味】父親と母親の愛情というものは、計り知れない程大きく深いものである。 【例文1】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで、感謝している家族に初任給で焼き肉をご馳走する。 【例文2】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで結婚記念日に温泉旅行をプレセントする。 【例文3】父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深いものはない。 父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しとは、「父親や母親の愛情は計り知れないほど大きく深いものであるという意味」とされています。 また、「母の恩」は「母の徳」とも言います。 父が与えてくれた愛情を高い山を表し、母が与えてくれた愛情を深い海に表しています。 父親と母親へのありがたさは計り知れないもので、上は目に見える一番高い山を例えとして、下は目に見えないほどの深い海を例えとすることで、その恩の大きさを表しているんですね。 「自分が大人になってわかったけど、父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深しで、両親にはどれだけ感謝しても足りないだろうな」といった場合で使えます。 山は目に見えるし高さの限度もありますが、海は底が見えないし深さもどこまであるか測ることも出来ないからわからないとも解釈できます。こう考えると微妙に変わってきますよね。「父よりお腹を痛めて産んでくれた母」だとはよく言いますが、目に見える父親への恩より、目に見えない母親への恩の方が大きいということになります。どちらも大きいということにはちがいありませんが。 解釈は人それぞれですが、どう解釈したとしても、両親には感謝してもしきれないというところは変わりませんね。

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 竹馬の友

【漢字】竹馬の友 【読み】ちくばのとも 【意味】子どもの頃、竹馬で遊んだ幼なじみをいう。 【例文1】彼女とは30年来の竹馬の友で、今でも月一で会っている。 【例文2】竹馬の友とはずっとこれからも大切な仲間だ。 【例文3】竹馬の友は死ぬまで一緒だ。 竹馬の友という故事があります。 これは、竹馬に乗って遊んでいた頃からの友達ということで、いわゆる幼馴染みの友達のことをいいます。 幼馴染みの友人はどれくらいいるでしょうか。 私の場合、近所に住んでいた友人と幼稚園の時から知っており、40歳になった今でも連絡を取り合っています。 小さい頃から知っていることもあり、お互い何を考えているのかもわかります。だからたまに会うと自然と会話が進み、心地の良い時間を過ごすことができます。 また、途中音信不通になったのですが、同窓会やSNSでたまたま繋がったこともあり、そのような場面に遭遇すると驚きと、嬉しさが溢れます。 最近では竹馬の友のような人を持つ子ども達や大人達がどれくらいいるか、想像し難い社会になりつつあります。 例えば、隣に誰が住んでいるのかがわからないアパート暮らし、マンション暮らしでは子ども達を含めた近所付き合いは無くなるのは当然です。 また地域ぐるみの活動がない、または活動があっても参加しないとなると、コミュニティーの形成が難しくなります。 竹馬の友に話を戻しますが、竹馬の友はライバルでもあります。お互いに切磋琢磨しながら力をつけていけるような友人は必要ですし、未来ある子ども達には竹馬の友ができる環境を作ることが大人の役目であると思います。 「竹馬の友」という言葉の意味は、幼い頃からの友達、幼馴染みという意味であるが、竹馬(ちくば)とはなんであるか、私はこれは読み方は違うもののずっと竹馬(たけうま)の事であると思っていた。言葉から想像した風景も竹馬(たけうま)に乗って遊んでいた頃、日本の昔話のような光景を想像していた。だが、実際の竹馬(ちくば)とは先端にたてがみをつけて馬に見立てた竹の棒の事であり、それに跨がって馬に乗った様にして遊ぶ、いわゆるごっこ遊びに用いられたおもちゃである。つまり馬に乗った様に駆け回っていた頃からの友人であるということだ。こういう風に見てみると竹馬(たけうま)より、竹馬(ちくば)のほうが幼い、やんちゃなときから一緒であるというイメージを持つことができる。 実は私は竹馬(ちくば)が竹馬(たけうま)であるということを知ったのは20代になってからだった。文学を専攻する友人との世間話のなかで竹馬の友の事を竹馬(たけうま)で遊んだなかであると行ったときの友人の大爆笑は今でもよく覚えているくらいには恥ずかしかった。今思えばその時にきちんと意味を聞いておいて良かったと思う。その時には友人一人に対して恥をかいただけですんだが、これが社会人になってからの間違いであったなら恥ずかしいだけではすまなかったなと今では思う。

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力を落とす

【漢字】力を落とす 【読み】ちからをおとす 【意味】やる気がなくなる。ガッカリする。 【例文1】何度も司法受験に落ちて力を落とす。 【例文2】経営難に陥り力を落とす。 【例文3】会社が倒産して力を落とす。 力を落とすとは気力がなくなることです。がっかりして力を落とすと使うことができます。 10年の付き合いの友人が最近彼女と別れて力を落としていました。 なんでも聞けば他に気になる人が出来てその彼と飲みに行ったそうです。 そこの居酒屋で友人の知り合いがばったり会って他の男と会ったことが発覚したのです。 友人は別れを告げられ落ち込みました。まだ好きになっていないんだろ?と元彼女に聞いてみたが、自分にはもう気持ちはなく新しい彼に気持が向いているとまで告げられちゃー仕方ないよ・・今日はとことん付き合うから飲もうと慰めました。こんな様子を隣のテーブルに座っていた女性3人が私たち2人をじっと見ているではありませんか?これはチャンスだと思い、一緒に飲みませんか? こいつ今日つらい事があったんで忘れるためにもカラオケ行きませんか?と誘ってみました。するとあっさりOKいただきました。その日友人は記憶が無くなるまで飲んでいましたが、しっかりと彼女たちの連絡先は聞いときました。また休みが合えば今度はご飯でも一緒に行きたいです。

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力に余る

【漢字】力に余る 【読み】ちからにあまる 【意味】自分の力ではどうする事もできない手に負えない様子。 【例文1】彼にいくら言っても言う事を聞かないので力に余る。 【例文2】力に余るやんちゃな子どもを預かる。 【例文3】力に余るので助けを求める。 私たちは人生における様々な局面で、自分の力に余る事に出くわします。 私は常々思っているのですが、人は仕事やプライベートにおいて順風満帆な時よりもむしろ力に余る出来事に遭遇した時、つまりピンチの時にこそ、その真価が問われるのではないでしょうか。 誰しも余裕がある時は人に優しく出来ますし、うまくいっている時は輝いています。 しかし困難に直面した時はどうでしょう。無様にうろたえるのではないでしょうか。 かくいう私もその一人で、ちょっとでも力に余る仕事を振られると、情けなく右往左往してしまい、しまいにはヒステリーを起こしてしまうのです。 力に余る出来事に遭遇しても決してうろたえない人、窮地の中に活路を見出せる人は、本当に格好良いと思いますし、素直に尊敬します。 ましてや窮地をも楽しめる心の強さなどを見せられてしまったら、その人が男性であろうと女性であろうと絶対に惚れてしまう自信があります。 私は今子育て中ですが、子育ては仕事以上に力に余る事の連続です。 その度に焦ったり怒ったり落ち込んだりしています。しかし私の子育ても仕事もまだまだ長く続きます。 これから何度も力に余る出来事に直面するでしょう。それを一つ一つ乗り越える度に、私も逆境に負けない強さを身につけていければ、と思いながら日々を過ごしています。

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血が上る

【漢字】血が上る 【読み】ちがのぼる 【意味】カーッとなる。激怒する。興奮する。 【例文1】彼は反論する時、興奮して頭に血が上る。 【例文2】彼は血が上ると何をしでかすかわからない。 【例文3】頭に血が上ると危険だ。 家族仲がとても悪くて、家族の1人から私は狐つきだと言われて霊能者のような人に相談に連れて行かれるほど、私は自分の殻に閉じこもる偏屈な性格で昔からクラスメイトと言い争いになる事ばかりでした。人生で何も上手くいかない事ばかりが積み重なっていたせいか、私は非常に短気でイライラして頭に血が上る事が多かったです。クラスメイトにも家族にも私の理屈は通っていても屁理屈だからと言われて苦しかった。学校でも相手が私の態度にイライラするというので真剣に考えて理屈で言い返しても相手は私の話が長すぎて要点を得ないし覚えられないと返答されたり、屁理屈だと怒鳴りつけられたり、お互いに憎みあい、頭に血を上らせているせいで話が噛み合わなくなるばかりでした。 私が素直に言う事を聞かないので先生に私が悪いという部分だけを抜き出して説明されては、私が先生に「相手が私の言い分を省略して事情説明しています」と激高して、相手に自分の話を聞きもせずに無効にされたり屁理屈だという理由を全部味あわせて恨みを晴らしてからでないと、先生が仲裁してくれても相手の言い分は聞かないと主張して、仕方なく相手が先生の前でだけ私の話を聞かなかった事を謝っては、私は嘘の謝罪だと疑って罵るので、先生が時間が無いので仲裁を打ち切っても、またしても言い争いになり、私がいつまでも屁理屈よわばりされた事を根に持つのです。相手は過去の事は忘れたから持ち出すなと言うので、話がいつまでたっても解決しない。という負の無限ループを形成し続けるばかりで辛かったです。

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血が騒ぐ

【漢字】血が騒ぐ 【読み】ちがさわぐ 【意味】気持が高ぶってウズウズする気持ちをいう。 【例文1】甲子園の時期になると、元高校球児の血が騒ぐ。 【例文2】お祭りになると血が騒いでワクワクする。 【例文3】バイク音を聞くと昔の血が騒ぐ。 ケンカは嫌いですが格闘技は見てしまう自分がいます。 「血が騒ぐ」と言いますが格闘技はまさにそれで、ボクシングや大晦日の格闘技番組など、格闘技の番組はゴールデンタイムでも放送され高視聴率を獲得しています。 人間同士の戦いが非日常的なことであるということもありますが、どこか自分の内面で忘れられた闘争本能のようなものが呼び起されている気もするのです。 また、テレビの企画などで面白い番組を見つけたときにも血が騒ぎます。 「K-1」に代表される格闘技ブームは落ち着きを見せていますが、最近では「亀田興毅に勝ったら1000万円」という番組が放送されることを知り、久しぶりに私の中で、血が騒いでいるのを感じています。 元ボクシング世界チャンピオンが一般公募から選ばれた人々とボクシングで対決するというハチャメチャな企画で、もしも勝利することができれば挑戦者に1000万円が支払われます。 地上波ではなくネット番組での放送ということですが、素人と元プロボクサーの対決が一体どのようになるのか結末がわからない面白さがあります。 地上波ではあまり見られなくなりましたが、このようなむちゃくちゃな企画や、くだらないけど面白そうな「血が騒ぐ」番組をもっと見てみたいです。 毎年夏になると近所の神社でお祭りがあり、一般の屋台や自治会が行う、安いお店などが出店されてそこそこ賑わいます。イベントは幾つかあって、愛好家の人達が太鼓や笛で演奏をしたり、子供達が喜ぶ宝探しなどがあります。 このお祭りのメインイベントは、町内の道路を通行止めにして行なう、お神輿です。中型のお神輿を子供や大人30人位で、引きながら町内を一周するというものです。 毎年このお祭りに子供を連れて行き、一緒にお神輿を引いていますが、頑張って引き過ぎて筋肉痛になるので、子供だけ参加させるつもりでいました。引くお神輿の上では、2人の大人が太鼓と笛でリズムを奏で、子供が1人小さい太鼓を叩きます。そのリズムを聞いていると、お神輿を引く大変さを感じません。 いよいよお神輿が出発して、子供が一生懸命に引っ張りながら進み出したので、写真を撮りながら後を追いかけました。見学していたらお神輿から聞こえて来る音楽に、血が騒ぐようになり結局一緒に引き始めていました。 参加しないつもりが、張り切って引いてしまいその夜から手足が痛みだし、翌日起きたら全身筋肉痛になりました。しかし、最近血が騒ぐようなことがないので、参加して良かったと思います。

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血が通う

【漢字】血が通う 【読み】ちがかよう 【意味】生身の人間には血が通っている。形式的でなく人間味が感じられること。 【例文1】血が通う人間ならばそんな悪徳な事はできまい。 【例文2】彼は血が通っていないような冷たい人間だ。 【例文3】凶悪殺人犯には血が通っていないも同然だ。 「血が通った社会福祉」や「血が通う仕事」などに使われる言葉です。 ここで言う「血」とは血液そのものを指すのではなく、人の思いや感情、思いやりなどを意味します。つまり、事務的ではない、情けのあるといった意味で使われます。 人間を含む動物の身体に血が流れているように、体温、温かみを感じる政策や人の行動を称賛する場合に使われる事が多い表現です。「冷血」の言葉があるように、「血」には人の情けや温かい感情を示す時に使われる単語です。同じケースで使われる単語に「涙」があります。「血も涙もない」という表現は耳にした事があると思います。「血が通う」は文字通り、生きた人間の体に血が巡っているように、融通の利く、柔軟性のある様を表現する際に使われます。 「血が通う」は形式的ではない事ですが、ルールを拡大解釈してもいいという意味ではありません。目的さえ間違わなければ、少々の寄り道や回り道には時には目を瞑りましょうという大局観を大切にする事を説いています。脱線や脱法を前提とした言葉ではないので、「血が通う」を拡大解釈して多用するのは賢明とは言えません。あくまでもルールはルールとして意識しつつ、目的達成のためにルールの運用を柔軟に対応しましょう、という融通を利かせる事を説いています。

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知恵を付ける

【漢字】知恵を付ける 【読み】ちえをつける 【意味】第三者が方法を教える。 【例文1】中学生の兄が小学生の弟に知恵を付けて言い訳けばかりするので困っている。 【例文2】知恵を付けてどんな対応にもにうまくかわす。 【例文3】まったく、どこで知恵を付けてきたんだか。 「知恵を付ける」は「傍から入れ知恵をすること、知恵や策略を教えること」です。この言葉にぴったりの落語があります。「牛ほめ」です。ある家に悪い子ではないのですが、おつむの弱い息子がおりました。その息子が叔父の新築祝いに出向くことになり、心配した父親は息子に知恵を付けます。『家は全体は檜づくりですね。畳は備後の五分べりで、左右の壁は砂摺り(土壁を作った上にさらに装飾のために砂を摺りつけて撫で上げた壁)で、天井は薩摩の鶉杢(うずらもく、ウズラの羽色のような木目、屋久杉もこう呼びます)で。結構なお庭。お庭は総体御影づくり(御影石と飾りに置いてある日本庭園)でございますな』と教えるのに、復唱させてみると、「家はへノコづくり、畳は貧乏でボロボロで、佐兵衛のカカアはひきずりで、天井は薩摩芋とウズラ豆、お庭は見かけ倒しで」とここまで間違えるか!と言うくらいの出来です。その上、買ったばかりの牛まで褒めるようにと知恵を付けますが、どうも無理そうです。そこでメモにセリフを書いて読むようにと渡します。ついでに「台所の大黒柱に穴があってそれを叔父さんは気にしているから、その穴に火の神様の秋葉神社のお札をお張りなさいと伝えるように」と送り出します。最初、息子はぼろを出しそうになりますが、メモのお陰で牛まで済んだところ、叔父さんが「牛が糞をして困る」と言った途端、したり顔で「秋葉様のお札をお貼りなさい」と言ってしまうというオチです。親心で「知恵を付けた」ものの仇になるというお話でした。

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知恵を絞る

【漢字】知恵を絞る 【読み】ちえをしぼる 【意味】あれこれ一生懸命考える。 【例文1】知恵を絞って考えた作品が完成した。 【例文2】意中の彼女を落とすためにあれこれ知恵を絞る。 【例文3】デートプランを知恵を絞って考える。 知恵を絞るとは真剣にアイディアを出すことです。 私も知恵を絞って毎日マイホーム貯金のために節約しています。 夫と結婚して3年。子どもはまだ2歳です。教育資金がかからないうちにマイホームを持つのが目標です。35~40坪くらいでもかまいません。とにかく子どもが伸び伸び暮らせるマイホームがほしいのです。元気いっぱいの男の子ですから、駐車場1台分の横の小さなスペースにブランコを設置して遊ばせたいのです。 日常生活ではお風呂の残り湯は洗濯に回すのは基本のこと、知恵を絞ってラインポイントをためてコンビニカードに移行する、スーパーへは18時以降の値引きセールはもちろん、5倍10倍の時が狙い目です。冬はエアコンからコタツに切り替えリビングで過ごす。夏は就寝時間は快適に過ごすため、クーラーを付けたり消したりしない。これは1時間不在だからといって消してしまうと逆効果だと知恵を付けたからです。こうして1年で80万貯めました。乗用車から維持費が安い軽自動車に乗り換えたのが一番の節約でした。頭金まであと220万がんばります。 知恵を絞るということばありますが、どうせ絞るならば、良いことのために絞りたいものです。人生というものは、生きるほどに、感動と共に、避けられない、悲しみにも遭遇するものです。最愛の親族との永遠の別れなども、そのうちの一つです。その悲しみに、あまりに深く捉えられてしまうと、つい、ネガティブなことを考える習慣がついてしまって、良いことのために知恵を絞るということを、つい、だんだんと忘れがちになるものです。 さて、では、良いこととは何でしょうか。それはあなたの近くいる人を笑顔にするためには何ができるだろう。ということがあると思います。 これは、誰にでもできる、楽しく知恵の絞る一つ目的となるでしょう。例えばあなたには仲の良い友人はいますか。その人に貸してあげたり薦めてあげると大変に喜ばれる本や、音楽を、もしかしてあなたは持ってはいないでしょうか。また、例えば、あなたには仲の良い親戚はいますか。年上であっても、年下であっても構いません。その親戚が、何かに困っているという話を最近、聞いたことはありませんか。例えば、自転車に乗りづらくなってきた、とか、太ってきて困っているとか。それを解決するために、知恵を絞ることもまた、素晴らしい知恵の絞り方です。 よく、面白おかしく、「ない知恵を絞る」などど言われますが、人にはその人その人に、オリジナルな知恵があるものです。 あなただけの知恵を絞ることで、誰かときっと、今よりよい関係が築けますよ。

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