血は水よりも濃い

【漢字】血は水よりも濃い
【読み】ちはみずよりもこい
【意味】他人より血の繋がった身内が信用できるもの。
【例文1】やっぱり親身になってくれるのは、血は水よりも濃い家族だ。
【例文2】いくら勘当したとは言えやはり血は水よりも濃いものだ。
【例文3】頼りになるのは血は水よりも濃い家族だ。

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血は水よりも濃いことを実感した父との別れ

6年前に父が急死しました。父は持病を持ってはいましたが、当日も車を運転して外出していました。そんな父が外出先で倒れたことを携帯の留守電で聞かされ、病院に駆け付けた時には亡くなっていました。

私のショックと悲しみは図り知れず、他人にその辛さを分かってもらおうと思ってもきっと分かり合えない感情であることを察しました。そんな感情も私は母と妹とは共有することが出来ました。私は父とはよく喧嘩もして反目もしてきましたが、内心はとても尊敬していました。しかし、感謝や尊敬の念を言葉に出すことはほとんどありませんでした。永久にそうした言葉を父本人に伝える機会が失われ、後悔の念に押し潰されそうになりました。

父も10代の頃からの私との接し方に不器用だったと思います。父の親しかった友人から、私との接し方で父が悩んでいたことを打ち明けられました。血は水よりも濃いことを実感しました。反目したりすれ違った時期もありましたが、互いが血を分けた親子であることの重みがいかなる時も消えるわけではありません。

父の死後数年間は大変でしたが、妹と助け合い母を支えることで立ち直ることが出来ました。この経験により肉親、兄弟の有り難さを以前以上に強く実感するようになりました。亡き父の分も含め、母に対する親孝行を意識して行動に移しています。

血は水よりも濃いとは少し古い情報なのか

ひと昔前は、家族の縁は何が何でも切れない。そう。まさに血は水よりも濃い、という言葉通りの言葉が身の周りに存在したと思います。しかしながら、ここ最近に関しては、友人と共謀して親から身代金を巻き上げたり、保険金をかけて殺害したと言った普通では考えられない出来事を耳にしたりする。当然、そういった事件は、異常とも言える事なので、一般人には考えれれないと言われる事もある。しかしながら、ちょっと事件性のある話から遠ざかって考えてみたいと思います。各個人にはもちろん実家があったり、故郷が存在したりします。よくある話としては実家には何年も帰っていないと言った話を聞いたりする事もあります。実際にではなぜ帰っていないかというと、仲間といる方が居心地がいいという理由や、実家に帰っても親は老人ホームに入っており、生活を手伝ってくれている人がいるから帰る必要がないという話まで聞きます。そういった話を聞くと、家族とは何なんだろうと思います。親とのつながりを避けるでもなく、生きているという情報だけで満足しているような、むしろその情報すらどうでもいいような、ここに家族の繋がりは存在しないと言っても過言ではないと思います。遠く離れていても家族は繋がっている。まさに血は水より濃い。という状況とは違うとひしひし感じます。ここ最近の傾向としては、日本人自体も欧米化してきて、どんどんフロンティア精神を持って、新しい場所を開拓して、新しい場所で新しい家族を探して生活するようになってきたのではないかと思います。少し寂しい情報なのかなと感じる事もありますが、時代が変わるとは、こう言った事も普通だと認識されるになってくるのかなと感じます。