気が滅入る
【漢字】気が滅入る
【読み】きがめいる
【意味】気持ちが落ち込む。
【例文1】気が滅入る時こそ友人とおしゃべりする。
【例文2】商売がうまくいかず気が滅入る。
【例文3】雨が続くと気が滅入る。
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どんな人でも気が滅入る時はある
年がら年中楽しい気分になっている人はそうそういないでしょう。どんなに楽しそうな人生を送っていそうな人だって、たまには気が滅入るときがあります。人間は喜怒哀楽の感情がありますから、マイナスの感情を持ってしまうことがあるのは、よく考えてみれば当たり前ですね。しかしなぜか「自分はこんなにも苦しんでいるのに、なぜあの人はあんなにも楽しそうなのか」と妬んでしまうときはないでしょうか。
妬んでしまうこと自体も仕方ありません。では嫉妬心を持ってしまったとき、どのようにその気持ちを解消すればよいのでしょうか。これも難しいことですが「相手だって誰かに嫉妬心やマイナスの感情を抱くときがある」と考えることです。たとえば自分は悲しんでいるときに、SNS上で楽しそうにしている人がいたら「どうして自分だけ悲しんでいるんだ」と思ってしまうかもしれません。ですがそれはあなたの思い込みであって、SNS上で楽しそうにしている人はただ単に「自分に悲しいことがあってもそれを表面上に見せたくない」と考えて、SNS上では楽しそうに振る舞っている可能性だってあるのです。
自分がマイナスの感情に支配されているときは、周りの人を羨んでしまうこともありますよね。ですが周りの人だって、絶対にどこかでマイナスの感情に支配されていることがあるのです。羨まないようにするのは難しいですが、これから自分がどのように行動すれば良いのかを考える方が建設的です。気が滅入るときがあるのは、どんな人でも同じですよ。
私の気が滅入る教科
私は幼い頃からおっとりとした性格で、どんくさく運動が苦手でした。小学生になった私が何より嫌いだった教科は体育で、週に数時間あるこの教科の名前を時間割りで見るたび、気が滅入りました。体育のある日の前日はなかなか寝られず、憂鬱な気分で朝を迎えていたのを今でも覚えています。スポーツ万能な友達は「一日中体育の時間割りならいいのに」などと、とんでもない冗談を平気で言ってのけていました。通常の体育の授業も苦手でしたが、更に嫌だったのは運動会がある月と、マラソン大会がある月の授業でした。運動会が迫る頃の授業は、通常よりも授業時間が拡大され、一日の半分が体育の時間割りという日もありました。暑い中で何時間も運動し、先生に動きの注意などをされながらひたすら時間が経過するのを待つのは、私にとっては地獄のようでした。逆にマラソン大会がある月は冬の寒い時期で、雪が舞い散る中ひたすらゴールまで走らされる日々は、いっそ雪崩でも起きて、学校が無くなってしまえばいいのにと思ったくらいでした。私はほとんどと言っていいくらい成績は最下位で、先生に毎回叱咤激励されながら必死に走っていました。今考えると良く逃げ出さなかったなあと思いますが、まだ幼い私はその場から逃げ出すことなんて、頭の中になかったんだなと気付きました。あの頃の純粋な私のほうが、今よりももしかすると忍耐強かったかも知れないなと感じています。