去る者は日々に疎し

【漢字】去る者は日々に疎し
【読み】さるものはひびにうとし
【意味】亡くなった人や遠く離れてしまい交友関係が薄れていく。
【例文1】遠く離れて去る者は日々に疎し。
【例文2】去る者は日々に疎し者に同窓会の招待状を送る。
【例文3】それぞれ家庭が大事になり、去る者は日々に疎し。

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去る者は日々に疎しとなるのは必然です

去る者は日々に疎しという言葉から、人間の薄情さを感じてしまうのは当然なことかと思われます。
どれほど恩義があろうと目の前にいない人について思考する時間は少なくなりがちです。
日々の生活に四苦八苦している身であれば、毎日のように顔を合わせる人との対人関係だけで精一杯というのが正直なところでしょう。
別れてしまった人との関係は時と共に希薄になり最期には全く思い出しもしなくなるという経験は誰にでも多かれ少なかれあるものです。
小学校・中学校・高等学校のクラスメイト全員をフルネームで覚えている人など存在自体が稀であり、いたとしたら変人扱いされそうです。
逆に何の理由から覚えているのかと不思議がられることでしょう。
死別した人や遠くにいる知人に思い出すのも大切なことかもしれませんが、目の前にいる人を粗雑に扱ってよい理由にはなりません。
ひたすらに自分の知人についての話題を繰り広げる人がいますが、会った事もない相手について延々と聞かされる方としてはよい迷惑です。
自分にとっては大切な思い出なのかも知れませんが、終始そればかりなのは困ります。
目の前の相手をそっちのけで、興味をもてない話題についてクドクドと話すのは失礼なことになるでしょう。
思い出の人は自分の心に大事にしまっておいて、目の前にいる人に対して相応の態度で接することが大切だと思います。

去る者は日々に疎し

去る者は日々に疎しの意味は、親しかった友人でも遠く離れてしまえば段々と気持ちが薄れ次第に忘れがちになるとか、亡くなった方に対しても月日の経過につれ忘れられるという言葉で寂しい感じがしますが、例えば失った哀しみが時間と共に和らいでいくとも私は意味してる気がします。あれだけ仲が良かったのになと友人と別れてしまっても今を生きていかなくてはならない人間にとっては疎くなることも大事ですよね。そう思うと脳の作りというか忘れるように出来ているのは引きずらないようにと本能の知恵ではないかと勝手に考えています。西洋にも目から遠ざかれば心からも遠ざかるとあるくらい、やはり目の前の事を重視するのは仕方ないのかもしれません。でも忘れきらないように思い出せるようにお盆だったり仏壇があってその時に日常から亡くなった人を想える方法が世にあるのも有り難い風習だと思います。離れた友人も目の前にはいなくても今は連絡手段が多々あって電話だけでも繋がってるとやはり近くに感じれる部分があると思います。忘れていても忘れ去ってる訳じゃなくて心には思ってる筈で、それが月日が経って何となく思い返した時に有り難さや会いたいと恋しくなる感情に繋がるんだと思います。