人間到る所青山有り

【漢字】人間到る所青山有り
【読み】じんかんいたるところせいざんあり
【意味】青山は墓地。人はどこにいても自分の力を発揮する場所があるもの。
【例文1】人間到る所青山有りだと言って世界一周旅行に出かけた。
【例文2】人付き合いがあればどこ行っても人間到る所青山有りだ。
【例文3】いざ一人になると人間到る所青山有りだ。

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転勤で知った「人間到る所青山有り」

結婚してしばらくして転勤になりました。
関西で生まれ育った私にとって、それは初めて自分の住む場所を移動するということでした。
というのも、私の実家はサラリーマン家庭ではなくて、父が商売をしていたので生まれた時から同じ場所で育ったからです。
とても不安でしたが、夫の転勤は結婚するときに将来は転勤もあり得ると聞いていたので、ある程度の覚悟はできていました。
関東への転勤でしたが、まだ子どもも小さくて毎日が大変でした。
最初実家の母が一緒に来てくれて、子育てしながら買い物などの手伝いをしてくれて、1ヶ月くらい頼ることができました。
母が帰ってからは自分で頑張らなくてはならなかったのですが、近所の人などが温かく、思ったよりも困ることはありませんでした。
その後海外へも転勤で移動しましたが、最初の転勤で身に着いた「人間到る所青山有り」という感覚が役に立ちました。
全くできなかった英会話も少しずつ覚えて、子どもと一緒に現地での生活に慣れていくと現地での友人もできて楽しく過ごすことができました。
どんなところで暮らしても、そこでどんなふうに生きて行くかによって幸せは違ってくるのではないかと思います。
自分がいるその場所を青山として生きるとき、人は幸せになれるのでしょう。
場所だけでなく、地位や身体能力についても同じように今を受け入れる時、幸せを感じる心が目覚めるのではないでしょうか。

「人間至る所青山有り」の「人間」は「にんげん」ではない?

「人間至る所青山有り」の「人間」を、私は長いこと「にんげん」と読んでいました。おそらく、多くの人は私と同じように読んでいるのではないでしょうか。
ところが、これは「にんげん」ではないです。
そもそもこの言葉は、幕末の僧、釈月性の作った漢詩、「男児志を立てて郷関を出ずれば、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地のみならんや、人間到る処青山あり」の一節を取ったものです。
詩の意味は、「自分で志を立てて故郷を離れたら、志した学問を成し遂げられないうちは、決して戻らない。骨をうずめる場所は、故郷に限ったものではない。世の中のいたるところに墓所はあるのだ」ということでしょう。
今、意味を説明するときに、「世の中」という言葉を使いました。「人間」を一人の「にんげん」ではなく、「世間」と解釈したわけです。そう、この詩の中の「人間」は「世間」とか「人の世の中」という意味なのです。
そして、「じんかん」と読みます。「人と人との間」という意味なのです。
ところで、この詩は釈月性が自分自身を鼓舞するために詠んだものです。「けっして途中であきらめず、必ず志を果たすぞ」という決意表明と考えていいでしょう。そのため「青山(骨を埋める場所という意味)」という言葉を使ったのです。
今では、人に対する餞(はなむけ)の言葉として使われることが多いですが、死に関連する意味の言葉が使われているのですから、使い方には気を使った方がいいでしょう。