藻くずとなる

【漢字】藻くずとなる
【読み】もくずとなる
【意味】海藻が細かく砕けた藻くずになるというたとえから、人が海の事故で亡くなって遺体も上がらないこと。
【例文1】海戦で多くの兵士が藻くずとなった。
【例文2】藻くずとなっていった方を思うと無念でならない。
【例文3】藻くずとなる慰霊碑を建てる。

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「藻くずとなる」と「水屑になる」

「藻くずとなる」の藻くずとは海の中の藻などのくずのことで「海で死ぬことのたとえ」として使われます。「藻くず」という言葉は平安時代に書かれた源氏物語の第29帖「行幸」に「あまも尋ねぬ藻くずとぞ見し」と出てきますが、中世、鎌倉時代中期に出来上がった平家物語では安徳天皇のご入水の場面で「いまだ十歳の内にして、底の水屑とならせ給う(いまだ10歳にもならずに、海の底の水屑(みくず)となりました。)」と藻屑ではなく、水屑という言葉になっています。水屑も水の中の屑のことですし「水屑となる」は「水死する」の意味ですからどちらも同じ意味なのですが。

さらに時代は下って、江戸時代前期までに作られたポルトガル語と日本語の辞書、日葡辞書には「海底の藻屑となる」が載っています。日葡辞書は文語を訳すことが目的で作られ、京ことばを標準語として書かれています。平家物語は京都を拠点に琵琶法師が語りながら各地を回り語り継がれた軍記物語で、のちに読み本として成立した経緯があります。その読み本も昔はコピー機などありませんから、紙に筆で写本して回し読みします。つまり写し間違うことは多々あったと考えられます。今、伝わっている平家物語の記述が水屑になっているとはいえ、藻屑と書いたものが他に出回った可能性は否定できません。まあその真偽は別にしても、江戸時代には水屑よりも藻屑のほうが一般的に使われていたことを日葡辞書は教えてくれます。