三人寄れば文殊の知恵

【漢字】三人寄れば文殊の知恵
【読み】さんにんよればもんじゅのちえ
【意味】凡人であっても三人片寄ればいい案が浮かぶもの。
【例文1】三人寄れば文殊の知恵でいいアイディアを出そう。
【例文2】三人寄れば文殊の知恵ですぐ解決した。
【例文3】三人寄れば文殊の知恵で何とかしよう。

三人寄れば文殊の知恵をテーマにした記事

三人寄れば文殊の知恵はあくまで理想

多くの人が正しい答えを出せる問題であれば、三人で相談することで正答率は高くなります。
正しい答えを知る人が少ない場合でも、三人の内のひとりでも答えを知っていれば正しい選択は出来るはずです。
しかし、実際の社会ではそう簡単に物事は決まりません。
全員が納得するまで話し合えることなど稀で、多数決によるゴリ押しか偉い人が鶴の一声で決定されるのが世の常です。
数こそ力、力が正義と言ってはばからず、そのくせ失敗すれば責任の擦り合いが始まり下手をすれば連帯責任に巻き込まれます。
どうにも思考が後ろ向きですが、これまでの人生経験から得られた結論なのです。
文殊(もんじゅ)という言葉からナトリウム漏れとか放射能を連想してしまうのが不味いのでしょうか。
三人寄れば文殊の知恵より、三人寄れば姦しい(かしましい)の方が先に思いついてしまいます。
話し合う前に説得と根回し、粗探しをされる前に思考ミスを潰し、相手が考え始める前に用意した正解を提示してしまう。
既に話し合いの寄り合いですらありませんが、己の意を通したいならば地道に苦労するより他に手はありません。

三人の子供の心に響かせたい「三本の矢の教え」と「三人寄れば文殊の知恵」

我が家には三人の息子がいます。小学校2年生の長男と年長の双子の次男三男という構成です。年が近いこともありいつも一緒に遊んでいますが、性格は三者三様で慎重派でリーダー気質の長男、長男がいないときには長男の座を虎視眈々と狙う次男、誰にでも合わせて遊び何事にも一生懸命な三男です。総じて内弁慶で外では引っ込み思案ですが、家の中では勇ましく戦いごっこをしています。今のところはお兄ちゃんに憧れる次男三男ですが、長男と三男が非常に仲が良く二人だけで遊ぶ時間も多くなっています。その間次男は一人の世界で黙々と工作などをしています。次男は除け者にされているというわけではなく、次男の好きな遊びの時には輪に加わり、好きではない遊びの時には一人遊びをしているというようにみえます。大きくなってもこのままずっと三人仲良くいてほしいというのが親の願いですが、やはり心配は尽きません。最近では毛利元就の「三本の矢の教え」を話したり、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざの話をしたりして、いかに三人で協力することが大切なのかを説いています。子供達が思春期に入り、個人を尊重するようになって、そして独り立ちして家をでていくまで、「三本の矢の教え」「三人寄れば文殊の知恵」は話し続けていこうと思っています。