目には青葉山ほととぎす初がつお

【漢字】目には青葉山ほととぎす初がつお
【読み】めにはあおばやまほととぎすはつがつお
【意味】山口素堂(やまぐち・そどう)が初夏の季節を視覚・聴覚・味覚でとらえた俳句である。
【例文1】目には青葉山ほととぎす初がつおで、初夏は過ごしやすく楽しみがたくさんある。
【例文2】目には青葉山ほととぎす初がつおの食べ物がうまい。
【例文3】目には青葉山ほととぎす初がつおが待ち遠しい。

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どれひとつ欠けても味気ない生活

「目には青葉山ほととぎす初がつお」とは江戸時代に作られた、山口 素堂という俳人が作ったものです。
江戸時代には初がつおはかかぁを質に入れてでも喰うのが江戸っ子ってもんだ、と粋がって食べたものだと言われていますが、本当のところはどうだったのでしょう。
それくらい高いけれど初物だからという初物に対する思い入れがあったのかもしれません。
四季のある日本ならではの食のサークルがあります。
今ほど楽しみが多くなかった時代には、食べ物は大きな楽しみや喜びだったのでしょう。
「目には青葉山ほととぎす初がつお」には視覚、聴覚、味覚が盛り込まれています。
どれひとつ欠けても味気ない生活になってしまうのではないでしょうか。
この三つの感覚がすべて満たされているという俳句には、幸福感が感じられます。
人間にとっては、いろいろな価値観があるのですが、健康であるということは幸福を語る上でのベースにもなるものではないかと思われます。
この俳句はただその季節の事柄を淡々と詠んでいるようでいて、その時代の人々にとっての幸せが案外身近な感覚を満足させることだと言っているのかもしれません。

目には青葉山ほととぎす初がつお、つまり花より団子です

「目には青葉山ほととぎす初がつお」は今から300年くらい前、江戸の中ごろに山口素堂という俳人が詠んだ俳句です。
青葉・ほととぎす・初鰹という三つの単語に、五感から感じられた初夏が凝縮された作品です。
視覚で青葉、聴覚でほととぎすを感じたところで、初鰹の季節だなと思い至ったのでしょう。
生きている人間、動物にとっては食べることは命に関わる大問題なので思い至って当然です。
当然ではあるのですが、食べ物がオチというあたりに文化的な高尚さとはかけ離れた親近感がもてます。
正月・節分・ひな祭り・花見・端午の節句・田植え・七夕・お盆・台風・運動会・クリスマス、究極的には何もなくても酒飲みは酒を飲むようです。
さらには日本全国各県の美味しいものを酒を飲む理由にする歌があるらしいです。
季節の旬の食べ物を食べることは、江戸時代の江戸っ子の粋にその根拠があるようです。
しかし、嫁さんを質に入れてまで初鰹を求めるという心には流石に共感できません。
江戸時代の漁業や輸送方法では、新鮮な鰹はそれなりに高価な代物だったそうです。
つまり見栄をはって無理して贅沢をしようとしていたのでしょうか。
とりあえず現代では生産地が離れていても優良な刺身が適正な価格で購入できる分だけ幸せに感じます。