無我夢中

【漢字】無我夢中
【読み】むがむちゅう
【意味】物事に熱中しすぎて周りが見えない様子。
【例文1】時間も忘れ無我夢中でパズルを完成させた。
【例文2】婚期が近づき無我夢中で婚活サイトを見る。
【例文3】犬に追いかけられ無我夢中で走る。

無我夢中をテーマにした記事

無我夢中だった子育て時代

無我夢中とは、何かに心を奪われ、我を忘れること・集中することです。
日常的によく使いますね。
「山でイノシシと遭遇して、無我夢中で下山した」「かけっこで無我夢中で走る」などあると思います。
私には子どもが2人いて今でこそ成人して立派な社会人として働いていますが、本当、子育て中は無我夢中でした。
子どもが熱を出せば早退して小児科に連れて行き、それでも二番目のお世話もしなければなりません。一生懸命看病してやっと仕事復帰と思いきや次は二男の熱。急すぎて職場にも迷惑かけ続けていられないので、実家の母に40分かけて預けに行き出勤したこともありました。
学校の行事ごとにはほとんど参加して学級の役員や地区の町内役員もこなしてきました。子どもたちがやっと巣立って旅行や夜遅くまでカラオケに行ったり楽しんでいますが、思ったことは少し寂しい気もするけれど二度と子育て時代には戻りたくないと第二の人生をかみしめています。

無我夢中の「無我」には深い意味があった

四文字熟語「無我夢中」とは、ひとつの物事に心を奪われ、我を忘れるほど熱中することです。またはその行動を指しますね。仏教語の「無我」と、他のことが考えられないほど物事に熱中した状態を意味する「夢中」が組み合わさってできましたよ。

「無我」とは、仏教においてとても重要な意味があって、全ての存在は「無我」であると説かれています。なぜ重要なのかを説明しますね。

生まれ変わりをくり返すことを「輪廻転生」と呼びますよね。この時、過去世から現在世へ、現在世から未来世へと転生するためには、肉体が死滅した後も存在し続ける「何か」が必要となります。その何かとは、消滅することがない霊的実在です。霊的実在を梵語では「anatman(アートマン)」と呼びます。この「アートマン」が漢訳されたとき「我」になったのですね。

そしてここからが重要です。仏教は、この「輪廻転生」から人間を解放するために「アートマン」の存在を否定したのです。それ以降、「無我」は仏教の根本的思想でもある重要な言葉となったのです。

「無我」の類語として、私心をなくす・私利私欲を捨てる「滅私」や、心にこだわりをもたず素直でいる「虚心」がありますよ。

「無我夢中」の類語としては、「没我」「忘我」「一心」「専念」「熱烈」「必死」「没頭」「一生懸命」「一心不乱」「取り憑かれる」「心血を注ぐ」などがありますね。