泥を被る

【漢字】泥を被る
【読み】どろをかぶる
【意味】他人の失敗を引き受ける。
【例文1】主犯格の泥を被る。
【例文2】我が子の不始末の泥を被る。
【例文3】社員のミスの泥を被る。

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泥を被ることで人間関係がうまくいき仕事でも評価されてきます

泥を被るというと車が通ったときに水溜りの泥を被ったような印象がありますが、諺では自ら犠牲になることを意味しています。子どもの頃に泥を被ることといえば、野球のボールでガラスを割ってしまったとき、他の子がやっても自分がやったと名乗りでることで、周りの友達からは感謝される子もいました。
社会人になってからは泥を被ることは少なくなってきましたが先日、通勤しているときに掃除会社の社長の本を読みました。社長は誰よりも早く出勤して、トイレ掃除を行っていたといわれています。本来なら部下がやる仕事を社長自らが泥を被ることで、社員が見習うようになり掃除会社が大きく成長をしていったという話です。人が嫌がる仕事はビジネスチャンスでもあるのです。やりたくないからお金を払って誰かにやってもらう。
こうした泥を被る会社というのは、最近ではハウスクリーニングなどの会社が成長してきています。一般のサラリーマンなら朝早く来てトイレ掃除するなんてことはあまりないでしょうから、泥を被るのであれば、朝早く出社して身の回りの掃除をしたり、みんなよりも仕事をたくさんすることだと思います。残業してまで仕事をするとなると賛否両論がありますけど、泥を被るつもりで他人の仕事が遅れているようなら、手伝ってあげることも大切ではないかと思います。

泥を被る事も正義?

泥を被るという表現があります。私のイメージでは例えば自分の部下の発注ミスや、子供の起こした不祥事などでその責任を部下や子供のせいにするのでは無く、それは自分が悪い(自分の管理責任とか、指導不足を理由にして)のですのでこっちに苦情を・・。というイメージではあるけど、友達がいうには若干違うらしいです。
上記の例に例えると発注ミスとか不祥事を起こしたのは部下、子供ではなく自分にある。というのが本来の意味という事を言われました。子供の不祥事を自分のせいにするのは無理な設定ですが泥を被るという表現はそういう事らしいです。
意見が食い違うので、調べました。やはり友達の表現の方が正しいらしく、間違って覚えていたのだなぁと呆れています。
刑事ドラマで自分が犯人です、と犯人は他の人(だいたい自分の恋人や家族、とか知り合った期間が短くても実は想いをよせていた人で。その人をかばってその人の幸せん願うとか・・)なのに徹底的にかばう人が泥を被っている人の例えとして正しいみたいです。
自分は職場では比較的泥を被せる人で結構同僚にミスを被せて自分は楽してる節もあるのでその被せた人にたまには償い(食事奢ったり)しないといけないなぁ、と思いながら仕事しています。