九牛の一毛

【漢字】九牛の一毛
【読み】きゅうぎゅうのいちもう
【意味】数多くの中の牛の毛1本というたとえで比較にならない程ごくわずかである。些細な事である。
【例文1】ロングヘアーを1cm切ったくらいでは九牛の一毛で気付かない。
【例文2】10円差の商品なんて九牛の一毛だ。
【例文3】君の悩みに比べたら九牛の一毛だ。

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我もまた、九牛の一毛なり

現在私は、二児の母、そして主婦を謳歌しています。
大学卒業後から5年前まで、「これが私の天職」と思える仕事にそれこそ没頭していました。
中堅の総合通販のバイヤーだったが、小さい会社の良いところ(悪いところと裏腹ではあるが・・・)で、商品開発、広告制作から、クレームまでそれなりに一貫して携わることができ、「生み」の苦しみ、そこから成し得られる喜びで、毎日が充実していました。スポーツメーカーと共同開発した、オリジナルウォーキングシューズが、100万足のヒットとなり、入社も15年を迎え、部下も10人を抱える地位まで来た頃、会社自体が大きな負債を抱え、全く異業種にM&Aされることに。トップバイヤーでもありながら、給与はそこそこの若手でもあったので、リストラ者が多く出る中、とりあえず同職種として残れることになりました。そこからが苦難の始まりでした。
若く、自己に過信があり、周囲も意見が通らないことがなかった環境から、全く異業種の上司に日々出される方向違いの指示が日増しにストレスになっていったのです。M&Aから自主退社するまで、2年足らずでした。
「大手は、人材をなんだと思っているんだ」「数で私の商品販売センスに太刀打ちできるか」と何度も思ったこともありました。
時が過ぎ、あの頃が今は昔と思えるようになって、久しぶりにその当時M&Aの交渉の矢面に立っていた、社長と食事する機会がありました。壮絶なやり取りを聞かされ、いかに自分達平社員が、当時の上司らに守られていたかを知りました。井の中の蛙でした。自分では、ジャンヌダルクのように戦っていても、大手から見たら、九牛の一毛だったのです。本当に幼かったなと今なら思えます。
「九牛の一毛」の語源となった司馬遷のように友人を守るという高尚な叫びではないが、人生の半分を迎えようとしている区切りに自分の小ささを知るというのは悪くないなと今では思えます。