待てば海路の日和あり
【漢字】待てば海路の日和あり
【読み】まてばかいろのひよりあり
【意味】今は困難な状況であるが、焦らずに待てば好機がやってくるもの。
【例文1】売り上げが落ち込んでいるが、待てば海路の日和ありで連休の客足に期待する。
【例文2】待てば海路の日和ありで婚活する。
【例文3】会社再建は待てば海路の日和ありだ。
待てば海路の日和ありをテーマにした記事
待てば海路の日和あり、つまり無理をすれば失敗します
現在は気象衛星やレーダー観測などで大きな天候の崩れを事前にある程度知ることが可能となりました。
そのような科学技術がなかった時代には、頼りになるのは経験と勘だけですから危険と思われる状況はとにかく避けるしかありません。
特に帆船が主流の時代では嵐で遭難・転覆する船は多かったはずです。
天候の怪しいときに出向するなど持っての他、愚直に天候の回復を待つのが正しい判断というものです。
そのような考え方から出来た言葉が「待てば海路の日和あり」で、良い機会が巡ってくるまで待つべきという意味です。
似たような言葉に「果報は寝て待て」や「人事を尽くして天命を待つ」などがあります。
どちらにせよ、その時点の状況が個人の力や人間の力で覆すことの出来ないならば、状況が好転するまで変化をじっと待つしかないということです。
しびれを切らして攻勢に出て返り討ちに遭って大敗北などという例は、枚挙に暇がないくらいです。
それもこれも、時は金なりという対極的な事実が更に人の心を急かすからでしょうか。
成功を望めば望むほど、功に逸って失敗するのは多くの先達によって繰り返された人類の歴史でもあります。
時期が早すぎても失敗、遅すぎても失敗、天の時を見極めて成功にたどり着くのは難しいことなのです。
待てば海路の日和あり?
待てば海路の日和あり。今は良くない状況でも待っていれば必ず良いことがあるという慣用句です。
人生禍福は糾える縄の如しで良いことと悪いことは交互にやってきて、結果プラスマイナスでいうとゼロになるような気がします。逆に言うとゼロからいくらでもプラスマイナスの要素を生み出せるという事です。
宇宙が何もない無の状態から生まれたように無、ゼロでも何かを生み出せるのだと思います。そして私は良いことと悪いことの振れ幅が出来るだけ小さい方がいいなと思って日々を過ごしています。
大好きなブルーハーツの歌「情熱の薔薇」にもそんな歌詞がありました。なるべく小さな幸せと、なるべく小さな不幸せ、なるべくいっぱい集めよう、そんな気持ち分かるでしょう?私はこの歌詞が大好きです。あまり大きな幸せが来ると逆に次は大きな不幸せがきてしまいそうで怖いからです。人生プラマイゼロの法則があるとすればそういうことになりますからね。
待てば海路の日和ありでじっと良いことを待っている時もありますが、ただ待っているだけではだめなのかな?と思います。何か自分で少しでもアクションをとってよい方へ向かう努力も必要だと思います。チャンスは準備した人に訪れる!それを信じたいと思います。
努力するのはつらいけど待てば海路の日和あり
何か目標を立てて、それに向かって努力をするのはエネルギーがいります。小さな目標であれば数日で済む場合もあるかもしれませんが、大きな目標であれば数年もかかることもあるかもしれません。とはいえ努力と一言でいっても、その結果が現れるのは時間がかかることでしょう。もしかすると努力の途中で、目標に向かうことを諦めてしまいたくなるときもあるかもしれませんね。ですが待てば海路の日和ありといったように、辛抱強く待っていれば、きちんと結果として現れることだってあります。
そうはいっても中には、努力しても求めていた結果が現れなかったという人もいると思います。しかし努力を始めない限りは、求めている目標に到達できるわけがありません。それに努力の結果が出たときに、それがもし求めていた目標とは異なるものであっても、それはそれであなたの大事な力になるのではないでしょうか。簡単な例を挙げるとすれば、足が遅い子が徒競走で1位になるために毎日走る練習をしていて、運動会の徒競走での結果が2位だったとしても『走るのが速い』という力を得たことには変わりありません。努力するのは大変ですが、辛抱強く努力を続けることで、何かを得られることは確かでしょう。