的を射る

【漢字】的を射る
【読み】まとをいる
【意味】物事の要点を抑えている。
【例文1】的を射る発言をする。
【例文2】的を射る講義だ。
【例文3】的を射て説得させる。

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子ども達の的を射る 

これは僕が剣道の教育をしていた時の話です。人数も少なく、ぜんぜん勝てませんでした。そのとき教えた僕の初心者の生徒たちの顔を今でも覚えています。その当時、仕事の都合上、僕がメインをすることが多く、僕の先輩は少しサブメインでした。子どもたちの教育を変えて少し進化した教育をしたいと思うようになったんです。その教育がその当時の子どもたちに評判がよかったんです。僕を先生と慕ってくれたし、いわゆる魔法と少し近い教え方だったと思います。
その教育でやる気があって飽きない教育だったり、試合も活躍もそこそこだったり、子どもたちのやる気の出るような教育にしました。否定もそこそこで流動的な説明で子どもたちを引き出していい剣道をさせるという目的というのがしっかりできていたんだと当時を振り返ります。僕は教育上、暴力や体罰は全くない先生でした。剣道界ではそれを否定する先生が多かったんですが、そういわれても僕はそれでよかったと思うんです。
僕に体罰ふるって嫌われる先生はむいてないとそう思うわけです。人柄教育もあって仲間意識をしているので子どもの暴力があったときはそのときはしかったりもしていました。しかし僕が教育する時はそういった子どものケンカも少なかったと思います。割とやる気がある子どもたちじゃないかと思うことが多かったです。

的を射るとは

的を射るとは、うまく目標に当てることから、転じて、うまく要点を掴むことを言います。うまく目標に当てるという状況としては、弓道で遠くにある的の真ん中に矢を射込む事を想像すれば良いでしょう。つまり、何事もその要点を的確に掴むことを言い表す言葉になりました。
例えば、ある学生が教授にずばりと的を射た質問をしたなどと使います。また、あの会社が開発した車は現代の人たちの必要とする的を射た物だというようにも使うことでしょう。しかし、好きな人のハートを射貫くことは的を射たとは言わないようです。ですが、プレゼントに関しては、的を射た物と言う言い方ができます。同じような言葉としては、正鵠を射るというものがあります。正鵠とは的のど真ん中を表しますから、同じ意味になります。
しかし、時々的を得るという言葉が使われることがあります。つまり、的の中心を射ているのだから、的を手に入れた、つまり得たのだという意見もありますが、これはまだ一般には認められていない言葉のようです。いくら、理由を述べて正解だと主張しても、受け入れられていない言葉なので、使わないことをオススメします。会社などで使った場合、問答無用で物知らずと判断されるかもしれませんから。