俎板の鯉
【漢字】俎板の鯉
【読み】まないたのこい
【意味】鯉は捕まえてもバタバタするが、まな板に乗せて包丁で横腹の器官をなでると動かなくなる。逃げ場がなく観念せざるを得ない状況をいう。
【例文1】ひったくり犯が防犯カメラに気づいて俎板の鯉で自首してきた。
【例文2】挟み撃ちされ俎板の鯉だ。
【例文3】証拠写真を撮られ俎板の鯉だ。
俎板の鯉をテーマにした記事
たいていの人が「俎板の鯉」
テレビを見ていると、いろいろな事件や事故など世間がざわついたことがあると記者会見が開かれ、その様子がニュースやバラエティ番組で放送されます。
問題が起きたことを報告したりそのお詫びのための記者会見では、たいていの人が「俎板の鯉」という風情で神妙にしています。
顔は決して笑顔ではなく、それよりも真顔で血の気が引いているということもよくあります。
記者会見が始まると登場した当事者は、まず深々と頭を下げて反省の態度を表すというのが最近のスタイル。
涙を流して話をする人もいれば、おっしゃる通りと質問者に対して言い訳をしない人も結構います。
中にはちょっと変わった人がいて、反省しつつもせっかくお集まりいただいたんだからと、サービスで言わなくても良いことをペラペラしゃべってしまって後の祭りということもあります。
不倫や離婚についての記者会見では、結婚当時の夫婦がにこやかに二人そろって映っている動画を流されたりとさんざんです。
見ているこちらが楽しい気分になるものはなかなかありません。
と言って、そうした反省の記者会見が無いなら無いで、いつになったら記者会見をするのでしょうというバラエティ番組の司会者の言葉に頷いたりしてしまいます。
自分では自分をどうすることもできない状態「俎板の鯉」
「こんな状況に置かれて、もう自分ではどうあがいてもどうにもならないよ。まさに俎板の鯉だ」などという言い方をした人は、多いかもしれません。
「俎板の鯉」-よく聞く言葉ですが、これは皆さんよく知るとおり、まな板の上に置かれた鯉のように、自分で自分のことをどうすることもできず、ただ状況に左右されるのに身を任せるしかない状態のことを言います。
まな板の上に乗せられ後は調理されるだけ・・・ぞっとしますが、人は往々にしてこのような状況に自らを置いてしまうことがあるものです。
手術を控えた患者さんが、手術台の上で手術を待つだけの状態になることをたとえて「俎板の鯉」と表現することも、非常によく聞くものですね。
「明日はいよいよ手術だ。ここまで来たら、俎板の鯉と覚悟を決めることにするよ」などとよく言われますが、緊張感と悲壮感の漂う、なんとも言えない差し迫った気持ちを良く表しています。
また、ただ受け身の状態でいるしかない状態を指すのではなく、抜き差しならない状態の下で腹を括る、覚悟をしっかりと決める、という意味で使われることもあるようです。
自分でどうにもならない状況に追い込まれるのは嫌なものですが、もしそうなったら俎板の鯉のごとく腹を括り、運命を受け入れる潔さを持ちたいものですね。