手練手管
【漢字】手練手管
【読み】てれんてくだ
【意味】人を自分の思うままに操る手段。
【例文1】政治家は手練手管のような図太さも必要だ。
【例文2】妻は手練手管のように夫を操る。
【例文3】秘書を練手管のように操る。
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「手練手管」は戦国時代の常套手段
「手練手管」は「手練手管はいつわりごまかすこと。ひとを操る手段のこと」です。戦国時代には調略をはじめとしていろいろな「手練手管」が使われたことは知られています。なかでも、北条家と真田家の争いは最たるものです。当時、北条家と真田家は沼田領の覇権争いをしていました。それを間に入って取り持ったのが、時の権力者である豊臣秀吉でした。北条家が沼田領の3分の2、真田家が真田の墓所のある名胡桃城を含む3分の1を所領と決めたのですが、北条家はその案に不満を持つ家臣が多くおりました。北条家の沼田城主・猪俣邦憲が、真田昌幸の家臣・鈴木重則が守る名胡桃城に対して、鈴木家の家臣を買収した挙句、偽手紙によって鈴木重則を城外へと誘き出し、その間にその家臣に城を乗っ取らせるという謀略によって奪取すると言う事件が起こります。それに激怒したのが豊臣秀吉です。自分に断りのない天下泰平のために武家同志の争いを禁止していたからです。そして小田原攻めが始まります。ここで秀吉は物凄い手を使います。有名な秀吉の石垣山一夜城です。小田原城の西にある笠懸山に小田原城からは見えないように城を築き、完成後に周囲の木を伐採して一夜のうちに城を築いたように見せかけたのです。これは効果抜群でした。北条氏側の将兵の戦闘意欲を喪失させたのです。北条氏も籠城して頑張りますが、秀吉の力は絶大。小田原城は落城するのです。