旅は道連れ世は情け

【漢字】旅は道連れ世は情け
【読み】たびはみちづれよはなさけ
【意味】旅をする時に同行者がいれば楽しく心強いものであり、同じように世の中でもお互いに助け合いが大事という意味。
【例文1】旅は道連れ世は情けだから困った時は遠慮なく言ってね。
【例文2】老後も旅は道連れ世は情けで助け合う。
【例文3】旅は道連れ世は情けに助けられた。

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「旅は道連れ世は情け」を実感できる世の中であってほしい

私は「旅は道連れ世は情け」という言葉を聞くと、江戸時代の旅を想像してしまいます。
昔から東海道五十三次の絵が好きで、そこに描かれている人物の様々な動きに注目してきました。

旅人の様子が細かく描かれていて、今の時代に見ても旅に出かけたくなってしまいます。
旅は一人でするよりも、誰かと一緒の方が心強いですし、また楽しみも増えます。

私は今まで何度も旅をしてきました。
中でも海外旅行はやはり誰かと一緒の方が心強いです。

誰かと一緒の旅はハプニングが起こっても、一人では頭が真っ白になってしまうような出来事でも何とか対処できます。

また、世の中は情けがあるからこそ、上手く回っていけるのだとも思います。
「渡る世間に鬼はなし」とも言いますが、まさにそうであってほしいですし、今後もそうであり続けることを願いたいものです。

物騒な世の中になってくると、信じられるものがなくなっていきそうで怖いです。
世の中が悪い方へ進んでしまうと、情けも少なくなってしまうような気がします。

いつでもどこへでも旅を楽しめるような世の中であってほしいと切に願わずにはいられません。
また海外旅行へ行きたい気持ちはありますが、未来が自然に「旅は道連れ世は情け」だと思えるようにならないと難しいような気がします。

「旅は道連れ世は情け」の反対は「我が道を往く情けは無用」とかでしょうか

「旅は道連れ世は情け」とは、江戸時代17世紀なかごろ浅井了意によって書かれた東海道名所記に語源をもつことわざです。
一般庶民にも分りやすいように書かれた仮名草子で、名所に立ち寄りながら旅をする様子が書かれていて東海道中膝栗毛にも影響を与えたようです。
「江戸いろはがるた」にも使われていて、こちらの方で広く認知されるようになったのかもしれません。
江戸時代の旅行事情は、情報量も少なく予期せぬ危険や問題が発生することも多分に考えられたため、道中を共にする仲間の存在は非常に重要なものがあったことでしょう。
世知辛い世の中を生きていくには人情を大切にして助け合い仲良くやっていこう、というのが後半分の「世は情け」の意味するところです。
実際、人間関係を軽んじたり無視していては碌な結果にならないので「世は情け」の部分は現代にも当てはまります。
対して、「旅は道連れ」の方はどうでしょうか。
現代社会においては余程山奥や秘境へ向かうのでなければ、わざわざ道連れを用意しなくとも良いように思えます。
気楽なひとり旅も日常から離れることが出来て楽しいものです。
問題があるとすれば、一人で旅行していると態々道連れになろうとする見知らぬ人に出くわすことでしょうか。
出会いなどという魅力的なイベントで済めばよいのですが、無用なアクシデントが発生する予感がしてなりません。