正直者が馬鹿を見る
【漢字】正直者が馬鹿を見る
【読み】しょうじきものがばかをみる
【意味】ズル賢い者はうまく言い訳をして逃れるが、正直者は規律を守るために、かえって損をする事が多いものである。
【例文1】イジメを注意したらターゲットにされた。正直者が馬鹿を見るとはこの事か。
【例文2】正直者が馬鹿を見る世の中だ。
【例文3】正直者が馬鹿を見ると躊躇する。
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「正直者が馬鹿を見る」
全うに生きている者が、割に合わない憂き目にあう境遇を「正直者が馬鹿を見る」と言います。正直であるが故にどんな時でも卑怯な事が出来ず、結果的に損と言える状態しか待っていないのです。世渡り上手に生きている人達は、自分にとって必要な嘘をその時々に応じ付く事を厭いませんし、それに対し決して罪悪感を感じたりはしません。それは最低限の謂わば必要悪の範囲内で行っていると何処かで割り切っているからです。しかしそれに嫌悪感を拭えない人には、どうしてもその必要な嘘を付けず親切が親切として機能しなかったり、良かれと思った正直さが仇となるケースも起こるのです。それはその人自身が純粋であるが故に招く事であり、悲運としか言い様がありません。運というものが時に作用し、清廉潔白さが人間関係をおかしくするのは何とも皮肉な話です。だからと言ってその人の持つ気質は簡単に変えられはしませんし、不慣れな事をすれば余計に空回りを起こす可能性が出て来ます。確かに純粋な生き方が結果に反映されないのは、到底納得がいくものではありません。しかし世の中は良い事も悪い事も半分ずつで人生が成り立っていると聞きますから、だとすれば先の未来でその正直さが報われる時が来ると信じ、それを貫くしかないのではと思うのです。例え誰かに揶揄されようと自分の生き方を信じて行けば、きっと何処かで運が反転すると思いますしそう信じたいものです。