生き馬の目を抜く

【漢字】生き馬の目を抜く
【読み】いきうまのめをぬく
【意味】生きている馬の目を抜くほど素早いとう比喩から、他人を押しのけて利益を得る。行動が早い。
【例文1】生き馬の目を抜く勢いで事業を始めてもうまくはいかないだろう。
【例文2】生き馬の目を抜いて事業に失敗した。
【例文3】バーゲンセールは生き馬の目を抜いての争奪戦。

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「生き馬の目を抜く」は罰や拷問ではない

「生き馬の目を抜く」という言葉を聞くと、とても重く苦しい痛い罰を与えるという意味だと思っていました。高校の部活時代にバスケ部顧問の先生に「遅い、もっと生き馬の目を抜くようにやってみろ」と言われたときには、私は(相手に怪我をさせるぐらいの気持ちで頑張れば良いのか)という勘違いを続けていて、大学受験時に勉強するまでずっとその勘違いに気づくことはありませんでした。今思うとその勘違いを言葉に出さなくて本当に良かったです。
「生き馬の目を抜く」という言葉の本当の意味は「生きた馬の目ですら抜き取ってしまう」ほど素早い、油断も隙もない、他人を出し抜いて利益を得るです。あのときの顧問の先生は「もっと素早く行け。」という意味でこの言葉を使っていたんだな、ということを理解して一人恥ずかしい思いをしていた高校3年生の冬の夜。今でも時々思い出しては言葉の意味はしっかり確認しようと心に誓っています。

生き馬の目を抜く江戸の町

「生き馬の目を抜く」とは生きた馬の目を抜き取るほど素早く物事を行うことやすばしっこく他人を出し抜き利益を得ること、抜け目がなく油断も隙もないことの例えです。故事などから生じたものではなく生きた馬の目を抜き取ってしまうほど素早い様子を例えた表現です。馬の目に例えられたのは類似句に「生き牛の目を抜く」がありますが、馬の方が人間との関わりがより深い動物だったからと考えられています。馬の方が牛より足が速く目を抜くことが困難であることから「生き牛の目を抜く」より「生き馬の目を抜く」が広く一般に使われることに使われるようになったそうです。同様の句には「生き馬の目を抉る」や「生き牛の目を抉る」があります。「抉る」とはえぐり出すと言う意味です。油断ならないことの類似句には「尻毛を抜く」があります。英語では「Water sieeps, the enemy wakes.」と表現し、日本語訳は水は眠っても敵は眠らずで油断も隙もない問いう意味です。昔のんびりした田舎から江戸のに出てきたら江戸には田舎では考えられないほどの早業の人がいてその素早さが生き馬の目を抜いてしまうようだったので江戸の町は「生き馬の目を抜く江戸の町」と言われるようになったそうです。