孟母断機の教え
【漢字】孟母断機の教え
【読み】もうぼだんきのおしえ
【意味】孟子が学業を途中で投げ出したた時、孟母が織り機を断つという事は生計を立てられないというたとえから、どんな状況でもやり遂げなければならないという教え。
【例文1】経営難に陥っているが、孟母断機の教えでふんばるしかない。
【例文2】両親の教育方針は孟母断機の教えだ。
【例文3】諦めない精神が身に付いたのは、孟母断機の教えのお蔭だ。
孟母断機の教えをテーマにした記事
孟母断機の教えに気付いた
孟母断機の教えとは、中国の「烈女伝」にある故事からできた言葉です。
孟子が学業が嫌になって、勉強を投げ出して家に帰ってきたことがあります。孟子の母は尋ねました。
「勉強は、どこまで進みましたか」孟子は「進んでいない」と答えました。
そのとき、孟子の母は、織っていた布を断ち切って、
「あなたが、学業を途中で止めてしまうのは、私がこの織物を断ち切ってしまうようなもので生計が立ちません。」と言いました。孟子はその母の言葉改心してに勉学に励み、やがて、すばらしい儒学者になりました。
私も苦労することが嫌でいやな事があるとすぐに投げ出して別のことに取り掛かっている学生時代を過ごしてきました。しかし、わたしのために女手ひとつで育ててくれた母は受験でイライラしたり不安な私を怒りもせずに、塾の送迎や合宿台を工面してくれました。母はここ何年も洋服など買っておりません。化粧なんて100均も口紅を使っています。私は恩返しのためにも公立に行って母の負担を減らしてバイトもしてお化粧品を買ってやりたいです。
「孟母断機の教え」に見る「親の真剣な姿は子に伝わる」ということ。
「孟母断機の教え」(もうぼだんきのおしえ)は、中国の「烈女伝」にある故事からできた言葉です。
中国の戦国時代の思想家、孟子の名はご存じの方が多いと思います。孟子がまだ学生だったころ、学業が嫌になって、勉強を投げ出して家に帰ってきたことがあります。母は尋ねました。「勉強は、どこまで進みましたか」孟子は答えます。「相変わらずです」
そのとき、孟子の母親は、織っていた布を刀で断ち切って、「あなたが、学業を途中で止めてしまうのは、私がこの織物を断ち切ってしまうようなものなのです」と言ったのです。孟子はその母の姿に恐れをなし、その後は熱心に勉学に励み、やがて、すばらしい儒学者になりました。
布を織るのは、時間も手間もかかるものです。織っていた布を断ち切ると、それまでかけた時間と労力をムダにしてしまいます。そればかりでなく、布を織って生活している人がそれを止めると、生活できなくなります。いったん学業を志した者が学業を放棄するというのは、それほど、してはいけない選択なのだ、と孟子の母は我が子に教えたのです。
孟子の母といえば「孟母三遷の教え」も有名です。孟子の教育のために環境を改善しようと引っ越しをした故事です。口でああしなさい、こうしなさいと言うのは簡単です。でも孟子の母は、まず行いました。犠牲を払って、引っ越しをし織っている布を切りました。大変な負担をモノともせず、本気で子と向き合う母の姿が、孟子を変え後世に名を残す偉人としました。親の真剣さは、子に伝わるのです。
今の時代の私たちは、どうでしょうか。子に真剣な姿を見せているでしょうか。反省させられます。
孟母断機の教えとは
孟母断機の教えとは、一度始めたことを、途中で投げ出してはいけないという教えです。孟母は孟子(中国戦国時代の儒学者)の母親であり、子供の教育にいろいろと考え実践した人です。この教えもそのひとつです。このことわざが生まれてのは、孟子が学問の修業半ばにして帰省したとき、孟子の母親は織りかけの機(はた=織機のことです)の糸を断ち切って学問の半ばで放棄することは、この糸を切ったように、今までの努力が無駄になってしまうのですよ、と戒めたということからです。つまり、ずっと織り続けていた織物の糸を切ってしまうと、それまで織ってきた物が駄目になってしまいます。学問も途中で投げ出してしまっては、今まで一生懸命頑張ってきたこと全てが無駄になってしますという教えなのです。
例えば、このように使います。司法試験を受けた人が不合格になってしましました。そのとき、友人がこう言ったのです。「一度くらい不合格だったからと言って、あきらめては駄目だよ。孟母断機の教えというだろう。もう一度挑戦してみようよ」。こんな、使い方をします。最近の人たちはあきらめるのが早いような気がします。孟母断機の教えをちょっと実践してみませんか。きっと自分に自信が持てるようになりますよ。