水清ければ魚すまず
【漢字】水清ければ魚すまず
【読み】みずきよければうおすまず
【意味】あまりにも清々しい水の中には餌がなく魚が棲みつかないことから、誠実でまじめすぎると逆に敬遠されるもの。
【例文1】水清ければ魚すまずで、まじめすぎて冗談も通じない。
【例文2】水清ければ魚すまずで、場を盛り下げる。
【例文3】水清ければ魚すまずで、融通が利かない。
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水清ければ魚すまず
水清ければ魚すまずに対しては初め、綺麗な川や海にこそ活き活きと魚が泳いでるイメージだったのでどういう意味なのか興味が持てました。意味としてはあまりにも綺麗で透き通っている水には隠れる所が無いから魚が住めない、人もあまりにも美しく清廉過ぎると他人は近寄りづらいと知りました。実際にも水が綺麗過ぎて微生物等のエサが無いために魚が住んでいない水辺があると聞きなる程でした。清流で生活するアユでさえも純水では生きられないのかと思うと自然の奥深さを感じられます。清い場所というと綺麗と神秘がつかず離れずな気がしますし、どこか厳粛な印象があります。絶景スポットなんかに足を踏み入れると礼儀正しくしないといけないというか背筋がしゃんとなる経験があります。人に対しても同じ感覚を持つと砕けた関係を築きにくいという事なんだろうなと思いました。私にとってはマザーテレサさんや神父様とか神様と共に命を過ごしてる方に対しては清廉潔白に一番近いイメージがあります。お寺でお坊さんとすれ違った時もやはり身が引き締まる感じがしました。綺麗過ぎて自分が近づいて良いものかと躊躇う感覚になるんだと思います。そういう聖域も大切で思い出しつつ日常ではそれこそ清濁併せてる生きてるのだと教えられました。