鳩が豆鉄砲を食ったよう

【漢字】鳩が豆鉄砲を食ったよう
【読み】はとがまめでっぽうをくったよう
【意味】突然の出来事に目を大きくして驚く様子。
【例文1】大女優の突然の引退宣言に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。
【例文2】突然の再婚宣言に鳩が豆鉄砲を食ったようだ。
【例文3】会社を辞め鳩が豆鉄砲を食ったようだ。

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「鳩が豆鉄砲を食ったよう」の鉄砲は鉄砲ではないという説

私は東京浅草で生まれましたので、鳩というと浅草寺のことを思い出します。浅草寺境内にはたくさんの鳩がいて、子どもの頃、エサをやった記憶があるのです。確か、エサは豆だったように記憶しています。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう」という言葉からも、やはり浅草寺の鳩を思い出すのですが、ふと、こんなことを考えました。「『鳩が豆鉄砲を食ったよう』という表現の鉄砲は、喩えなのであって、ほんとうの鉄砲ではないのかもしれない」ということです。
この言葉は、「鳩が豆鉄砲を食った時のように、思いがけないことや突然のできごとにきょとんとした顔をする」という意味に解釈されています。私もこれまでその解釈をしていました。
昔、豆を弾にしたおもちゃの豆鉄砲があったことは事実のようですから、その意味でも、この解釈には正当性があるように思われます。
「でも・・・」と私が首をかしげたのは、「おもちゃの豆鉄砲の弾を当てられた鳩は、果たして『鳩が豆鉄砲を食ったような顔』をするだろうか」と思ったからなのです。
おもちゃとは言え、豆鉄砲の豆を当てられれば、痛いにちがいありません。鳩はおそらく鳴き声を上げて痛がるか、慌てて飛び立つのではないでしょうか。少なくても「きょとんとした表情」にはならないような気がします。
そこで私が考えたのは、「豆鉄砲と言うのは、エサの豆を鳩にやっていた人が、突然鳩に豆をぶつける行為を鉄砲に喩えた」という説。「肘鉄砲」という言葉がありますが、「肘鉄砲」という鉄砲があるわけではありません。あくまでも喩えです。
「鳩が豆鉄砲を食ったよう」の鉄砲も喩えだと解釈すれば、「きょとんとした顔」という意味に無理がないように思うのですが、いかがでしょうか。

人間、本当に驚いたときに使う「鳩が豆鉄砲を食ったよう」

「鳩が豆鉄砲を食ったよう」よく聞く言葉ですね。突然の出来事に驚いて目を丸くしている様子を指します。「食った」というのは食べるという意味ではなく、攻撃を受ける「食らう」の意味です。鳩がおもちゃの鉄砲で撃たれて、驚いている様子から生まれた言葉です。
よく聞く言葉ですが、驚いた時の表現としてはしっくりこない、と感じる方も多いと思います。
鳩に代表される鳥類は、例えば犬や猫などの動物と比べても表情が豊かなイメージはありません。むしろ無表情と言えるのではないでしょうか。
驚くときは感情が大きく動きます。そんな感情のときに、無表情な鳥のような顔はしないんじゃないかと考えませんか?
私自身、子どもの頃にこの言葉を習っても、いまいちピンときませんでした。驚くときは、鳥みたいな顔にはならないのに、と。目は丸くするかもしれないけど、口も大きく開けて、もっと表情豊かな顔をするのに、と思っていました。
今でいうところの、テレビで見られる「ワイプ芸」のような、驚くときは大げさに顔を動かすイメージでした。
それから年齢を重ねていろいろな人生経験をするにつれて、人間、本当に驚くときは、リアクションなんか取れない、ただ呆然とするしかないんだということがわかりました。
やはり昔からある言葉には説得力があるんだなと実感しますね。