【漢字】目が肥える 【読み】めがこえる 【意味】良いものに見慣れて良し悪しの区別ができる。 【例文1】彼女はブランド物には目が肥えている。 【例文2】長年面接官をやっていると人を見る目が肥える。 何かを胸を張って評論する場合に、上手く評論するためあらゆる作品を鑑賞して知識を身につける「目が肥える」ことが大切です。美術品の評論や映画評論でも、他作品の良さなど特徴を理解していないと、作者の制作意図や、どんな思いで作品を作ったのかが理解できません。 目が肥えていれば、「この作品はあの作品のオマージュだ」とか「これは良く見ると本物のようだが偽物だ」など作品の本質が自ずと見えてきます。プロの評論家の方々は、たくさんの作品を鑑賞し、美術品や映画を心から愛しているたちが多い印象を受けます。「目が肥える」条件には、そうした好きで好きでたまらない気持ちも大切になるのではないでしょうか。 その作品のルーツや、興味の無い方にも分かりやすく説明できる評論家が優秀なプロです。闇雲に「この作品が気に入らない」や「あの作家の作品だから見る価値はない」と最初から決めつけるような評価は、私たちのような専門知識のない人間でもできます。目が肥えていないから、表面的なことしか評論できないのでしょう。 上手く他者に作品の評価を伝えるためや、物事の本質を捉えて説明するためには、多くの作品を鑑賞して、評論家の方も勉強しなければいけませんね。 芸能界には美男美女が揃っているので、そういう世界で生きている人は目が肥えてしまうと思います。 そのため、美男美女が当たり前になってしまい、一般人でもそこそこの美男美女でも満足できなくなってしまうかもしれません。 それは人に対してだけではなく、物に対しても同じようなことが言えます。 普段から高級なものに接していると、目が肥えてしまいます。 美術品や芸術品などもそうです。 目が肥えて鍛えられるので、良いものを見分ける力が自然に付くのかもしれません。 私はデザインや美術が好きで、たまに美術館へ行ったりします。 もちろん、そこには高級品しか置いてないので、何度も行くたびにやはり目が肥えてしまいます。 そのような美術品は目の保養に行くだけであって、決して手に入れようとは思いません。 しかし、世の中にはかなりの高級品を手に入れようとする人たちがたくさんいるようです。 私はそれほど物欲がありませんが、目は十分に肥やしていきたいと思っています。 高級なものをなるべく多く見る機会を持つことで、それが絵を描く時に参考になるからです。 以前、ある人から私は目が肥えているということを言われて、少し嬉しかったことを覚えています。 これからもさらにいろんな意味で目の肥えた人になっていきたいです。 目が肥えるとは良いものを沢山みて良し悪しを判断できる人のことを言います。「お目が高い!」とか「目が利く」といった言葉と同じ意味で使われます。要はセンスの良い人ということです。 私の祖父は陶芸品を買い集めるのが大好きでした。お気に入りの作家さんがいてその人の作品を沢山買っていました。子どもの頃の私からみるとなんでこれがそんな高い値段なの?と思うような土の塊ばかり部屋に並んでいました。祖母も同じ感想だったと思います。いつも「この器のどこがそんなに良いのかね?」なんて愚痴っていましたね。 そんな祖父が高校生だった私に言ってくれた一言が今でも頭の中に残っています。「これからは良いものも、悪いもの、沢山みて聞いて勉強せなあかんで。おじいちゃんの言っている勉強っていうのは何も学校の勉強だけとちゃうで。」という言葉です。そして祖父は「これが今おじいちゃんの一番のお気に入りや~」といってテイクファイブのジャズのレコードをかけてくれました。 目が肥えている人、センスの良い人になるために良いものを沢山見るのは分かるのだけど、悪いものを見る必要があるのかな?ずっと疑問に思っています。そしてそれは今も答えが出せていません。 太るという意味もありますが、この場合の「肥える」は経験を重ねた結果、評価する能力が上がったということです。 目が肥えることで視覚から、舌が肥えることで味覚から、耳が肥えることで聴覚から、それぞれの手段から得た情報により対象を評価します。 舌ならば料理、耳ならば音楽がその評価対象となるのは明らかですが、目の場合は対象となる物の幅が格段に広くなります。 目利きという言葉だけでは、何が専門なのかまでは全く分りません。 刀剣・茶器・古美術品などの目利きが一番に連想されますが、素材や道具、果ては人間性にまで及びそうです。 様々な分野が世の中にはあり、各分野にその道の目利きが存在することでしょう。 年をとれば自然と経験も積み重ねられて目が肥える、などと期待してはダメです。 物の良し悪しを判別するには、本物を知ることで良い物とは何かを学ぶことが必要だからです。 値段相応な安物の粗悪な品質を日常的に触れていては、高価な本物の良さをうかがい知ることは到底出来ないでしょう。 逆に値段が高ければ品が良いとも限らず、目が肥える前の万集家は多額の授業料を支払う羽目になっています。 痛くなければ覚えないという考え方も有りますが、素人が好き好んで大火傷をしても全く成長できないということも真実です。
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