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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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断末魔

【漢字】断末魔 【読み】だんまつま 【意味】人の死に際の苦痛。 【例文1】交通事故で死にかけている人を見かけた。断末魔で見ていられない。 【例文2】断末魔は耐えられない。 【例文3】断末魔より安楽死を願う。 断末魔って文字からして、なんだか怖い感じですね。 確か、仏教由来の言葉で死に際という意味です。 今の日本はどちらかというと宗教に無関心になっています。 それがいいのか悪いのかは分からないですが、死というのがちょっとどこか遠いもので怖いものになっているかもしれません。 大昔はもっと死は身近なものだったかもしれないです。 でも、やっぱり死に際を想像するのは怖いですね。安らかに眠るように逝けたらというのが望みですが、こればっかりは自分の意志でどうこうできるものでもないです。 苦しんで苦しんで、死にそうで死ねないというのは避けたいです。 きっと死んだ後は楽になるから、できればサッと息を引き取りたいです。 どの宗教も死後の世界というのがあり、天国だったり地獄とか、極楽浄土とか色々な世界観はありますが、苦しみもなく穏やかで幸せな世界なんだろうなと私は思っています。 なので、自分が死んだら後のことはどうでもよくてお葬式とかしてくれなくてもいいなと思っています。メソメソされても困っちゃいます。 そういえば、どこかの地方のお葬式はどんちゃん騒ぎで明るく宴会みたいな所があると聞いたことがあります。 そんな明るいものだったら、嬉しいかもしれないです。

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第六感

【漢字】第六感 【読み】だいろっかん 【意味】人間の5官 (視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚) 以外を超える鋭く働く感覚。直感。 【例文1】女の第六感は当たる。 【例文2】妻の第六感は鋭い。 【例文3】第六感を信じる。 人間には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感というものがあり、それに属さない心の働きを第六感と呼んでいます。 具体的に言うと、勘やインスピレーションなど誰もが少なからず感じているものから、予知能力や霊感などもこの部類に入ると言われています。 シックスセンス、というナイト・シャマラン監督の洋画はまさにタイトル通り第六感をモチーフにしたものですが、大ヒットしましたよね。 女の勘は怖いとも言われていますが、これも第六感によって、無意識のうちに感じているものだと言えます。 また、この第六感は、トレーニングによって鍛えることができるとも言われています。 その方法は極めてシンプルです。 五感をフルに感じて、神経細胞を研ぎ澄ます、これがベストな方法と言えます。 現代では、テレビやスマートフォンなどに熱中する人が多くなり、五感を研ぎ澄まして自然を感じるという機会がめっきり少なくなりました。 雨の匂いや動物の鳴き声など、些細なことでいいので、鼻を耳を、研ぎ澄ませてみましょう。 普段は意識しなかったことを感じてきたら、それは五感が研ぎ澄まされているサインです。 宝くじは数字を吟味して選ぶよりも、直感で選んだ方が当たるという説もあるくらいなので、第六感の力はバカにできないと私は思います。 人に備わっている五感意外に、先を見通せたり事前に何かを予知出来る感覚を「第六感」が働くと言います。虫の知らせや予知夢などもその類であり、何かがその人に入って来るみたいなのです。そういう人が競馬や競艇などをやれば、どれが一位になるかを当てる確率が高くなり、いざという時その恩恵に預かる事が出来る人です。科学や医学などに携わる人達に言わせれば、只の偶然でしかなく根拠はないと言われますが、必ずしもそういうものだけが世の理と決めつけるのは、早計ではと思えてなりません。そうであるなら家に仏壇を飾る必要などありませんし、神も仏もデタラメになったしまいます。人智を越えた感覚が存在する事で、何かしらの問題が解決する場合もある筈ですから、頭ごなしの否定はするものではないと思うのです。感が働く人の御蔭で窮地を救われたケースも多々聞いていますので、そう見くびってものでもないでしょう。「その先で事故が起こる予感がしたから、手前の信号で右折したら本当にそこで事故が起きた」という話をたまに聞きますが、そういう方にはきっと凡人にない「第六感」が備わっているのだと思うのです。基本的な体内構造というか、仕上がりが違う気がするので双方に見解の相違が出来るのは、無理からぬ事と言えます。誰かの台詞で「信じる信じないは貴方次第」と言っていますが、ある人にはあって無い人には全然ない感覚が「第六感」なのでしょう。

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大団円

【漢字】大団円 【読み】だいだんえん 【意味】演劇や小説の結末が円満に終わる。 【例文1】ハラハラした場面だったが、ラストは大団円でよかった。 【例文2】最終回は大団円がお決まりのパターンだ。 【例文3】大団円で終える。 私は映画やドラマの作品では、全てが丸く収まる大団円で締めくくられる作品が好きです。 大団円で終わる作品が一番、見て良かったと思えるからです。 ところが最近の映画やドラマは、このような大団円で終わる作品が少なくなったような気がします。 主人公が死んでしまって、感動してくださいと言わんばかりの作品があります。 全てが丸く収まって、大団円で終わるのかと思っていたら、最後に主人公が不慮の死を遂げて、大団円が不意になってしまう事があるのです。 私はこのような展開の作品を見ると、消化不良を起こしてしまいます。 何も無理やり主人公を死なせて、観ている人を感動させる必要はないと思うのです。 また続編を作りたいがために、わざわざ尻切れトンボ状態で終わってしまう作品もあります。 映画やドラマを制作している方々は、お金儲けも必要ですから、続編を作りたいと言うのも分からないではありません。 ですがこのように尻切れトンボ状態で終わってしまうと、お金儲けを優先させているような気がして、白けてしまうのです。 この様なお金儲けを優先したような作品ばかり作っていれば、いつか視聴者から見放されてしまうと思います。 それではお金儲けどころではなくなってしまいますから、きちんと大団円なりで終わらせるべきです。 当たり前ですが、大団円のほうが正解で、大円団は間違いなので変換でも出てきません。 「大円団って、なんだその珍妙な『団』は」と思い当たれば間違えることもなくなるでしょう。 大団円の意味は、ハッピーエンド、ハッピーエンディング、すべての問題がまるく収まりめでたしめでたしという状況を指します。 勧善懲悪な物語であれば、悪人は悉く捕縛か成敗されて被害を受けた人達も新しい生活に踏み出す姿が見られます。 下手な結末だと丸く収まったというよりは、圧倒的な力でなぎ払って整地作業でもしたかの如く真っ平らにしたようなお話もあります。 そもそも行く先々に悪代官や悪徳商人が配置されているというのも不自然ですが、物語の王道としては安定感があって喜ばれるのはどうにもなりません。 後腐れもなく万事解決、後味すっきりなので気楽に視聴するにはよいメディアです。 そして喜劇よりも悲劇のほうが心に残ってしまうというのも歴然とした事実だったりします。 最初の導入部分は能天気な日常を演出しておいて3話あたりで悲惨な事件が勃発、というのが手法として既に定番化しつつあります。 そして結末は問題提起というより問題丸投げ放置や、酷いのになると続きは映画を見てね的な終わり方をすることすらあるのです。 こう営業根性丸出しなストーリー展開をされると、大団円エンドは殊更ありがたいものに思えてくるから不思議なものです。 小説を買うときは「できればハッピーエンドを迎えるものが良いな」と思いながら買っています。ときにはバッドエンドの小説も読むのですが、後味が良いのは、やはりハッピーエンドのように感じますね。大団円のときには誰もが幸せになっている、という内容が良いです。 しかしそうはいっても、物語というのはメリハリがないとつまらないと感じます。そのため小説の中盤あたりで、登場人物の誰かが苦しい目に遭うことがあっても「きっとこの後は救われるはずだ」と思いながら読んでいます。 ですがよく考えてみれば、苦しいことがあるからこそ、ハッピーエンドというものが栄えるのかもしれません。物語というのは起承転結があるからこそ成り立っています。つまりハッピーエンドを迎えるためには、大変な展開が訪れるのは当然のことなのかもしれません。それに「あんなに大変なことがあったのに、無事にハッピーエンドを迎えられて良かった」と感じる小説だってたくさんあったように思います。 楽しいことがあれば、苦しいこともあるというのは、仕方ないのかもしれません。それは小説だけでなく、人生だって同じであるように思えます。苦しいことがあるからこそ、楽しいことを楽しいと感じられるのかもしれませんね。大変なことがあっても、その先には良いことがあるだろうと思いながら日々を過ごしたいです。

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大根役者

【漢字】大根役者 【読み】だいこんやくしゃ 【意味】演技が下手な役者。 【例文1】大根役者だが、顔で視聴率を取る。 【例文2】タレントや芸人の大根役者が多い。 【例文3】大根役者でつまらない。 私はドラマや映画をよく見るのですが、気になる事があります。 それはタダ人気があるだけで、演技が下手な大根役者を起用する事です。 芸能界はちょっとしたことがきっかけとなり、それまで無名だった人が一瞬にして大ブレイクする事があります。 大ブレイクして人気が出ると、ドラマや映画に起用されることが多くあります。 しかし演技が上手い人を起用するなら良いのですが、タダ人気があるだけと言うだけで、演技のえの字も分からないような大根役者を起用するのはやめてほしいと思っているのです。 周りの役者さんたちは、演技が上手いことが多く、尚の事大根役者が目立ってしまうのです。 作品自体良くても、大根役者が一人いるだけで、作品全体が陳腐なものに思えて来てしまいます。 小説などの原作を愛している人で、それがドラマや映画化された場合、大根役者に因って作品を汚されると、腹が立たずにはいられないはずです。 そうなればドラマでは視聴率が振るわず、映画だったら興行成績が悲惨な物となりかねません。 これでは何のために、ドラマ化や映画化したか分からなくなってしまいます。 人気があると言うだけで、安易に大根役者をドラマや映画に起用すると、このような結果になる恐れがありますから、製作者はよく考えてからキャスティングして欲しい物です。

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醍醐味

【漢字】醍醐味 【読み】だいごみ 【意味】本当の楽しさ。 【例文1】旅の醍醐味は人と人の出会いである。 【例文2】スポーツしたあとの醍醐味は食べる事だ。 【例文3】ご当地グルメの醍醐味。 私が考える旅の醍醐味、それはその土地の『うまいものめぐり』をすることではないかと思います。 以前、北海道に住む私が九州熊本を旅した時のこと。 地域が違えば、食材や食べ方も違い、新しい発見もあります。 特に、北から南。未知の食べ物に興味津津だった私は、駅前の居酒屋さんにふらりと入りました。 メニューを見ると、知識としては聞いたことはあるけれど、食べたことのないメニューがずらり。 有名な熊本馬刺しに高菜めし、そして辛子れんこん。 初めて見るカサゴの唐揚げ・・・、どこからかぶりついていいのか、躊躇しました。 そんな中で、特に心を奪われたのが辛子れんこんです。 ピリッとした辛子の刺激がありつつ、辛すぎない。大人の味です。 そして、お酒にも合う。 れんこんと辛子がこんなに合うとは驚きです。 あまりにもおいしかったので、思わずお店の女将にテイクアウトできないか聞いたほどです。 普段はテイクアウトに対応していないそうでしたが、北海道からわざわざ来ているという話を聞いた 女将のはからいで、特別に小さめの辛子れんこんをテイクアウトさせていただけることになりました。 そのおかげで、北海道に戻ってからもしばらく熊本の味を堪能することができたのでした。 この地域はこれがおいしい、あちらの地域はこれといった風に、その土地イチオシのうまいものを知ることができるというのが、やはり旅の醍醐味だと思います。

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大黒柱

【漢字】大黒柱 【読み】だいこくばしら 【意味】家族や集団の中心となって支えている人。 【例文1】結婚して一家の大黒柱となる。 【例文2】子どもにも恵まれて大黒柱としての責任がある。 【例文3】離婚して母が大黒柱となる。 私は妻一人子ども二人を支える一家の大黒柱です。私自身、大黒柱となって家族を支えていく義務がありますし、そのような心構えは持っていると思います。一家の大黒柱は昔はお父さんが一番風呂、食事も一品多いというのが常でした。子どもたちはお父さんを敬いました。昭和の時代まではそれが続いたのではないでしょうか?私も子どもの頃は父親という存在がとても大きかった。時に怖い存在であり、時に頼もしい存在である父親怒られるときはビンタの一つは必ずされたように覚えています。しかし、私だけでしょうか?私の今の家庭は私が大黒柱なのに帰ってきても、おかえりなさいの一言も言いません。 夕食は私が帰ってきたころには皆淡っている状態。これも一家の大黒柱が折れてしまう寸前です。最近はどこの家でもそうなのでしょうか?良き昭和の時代のお父さん像が消えつつあるのでしょうか。涙が出てきます。外での私の苦労。会社でがむしゃらに働いて時には失敗もし、汗水流しながら懸命に家族を守って行く為に仕事をしています。そのような中でお父さんとして一家の大黒柱としてちょっと舐められているのではないかと思ったりします。少なくとも、安月給ですが、お金だけは家庭に入れています。もう少ししっかりした大黒柱でありたいです。 家族の稼ぎ頭とも言える父親のことを、俗に『一家の大黒柱』と言いますね。一昔前であれば、父親が働き、母親が家で家事を行うといったのが、よくある家庭の光景だったでしょう。おそらく高度経済成長期から1990年代までは、共働き夫婦の家庭よりも、こうした家庭の方が多かったのではないでしょうか。 ですがこれからは『一家の大黒柱』という言葉も、使われなくなる時代が来るかもしれません。というのも家庭の形態が、最近と昔では変わってきているからです。なにせ2000年代に入ってから『主夫』という言葉も出てきたくらいです。主夫だなんて言葉は、昭和では考えられなかったのではありませんか。 それに最近では、子を持たない共働きの夫婦も増えてきていますよね。つまり稼ぐのは、夫だけだとは言えないわけです。また共働きということは、もしかすると妻の方が稼いでいる可能性だってあります。主夫の場合もそうですが、家庭で最も稼いでいるのが『妻』である家も、おそらく少なくはないのでしょう。 時代とともに、家族の在り方も変わってきています。そのため『一家の大黒柱』という言葉も、使われなくなる時代が来てもおかしくないでしょう。ですが反対に、家族の在り方が昔のようになれば、再び『一家の大黒柱』という言葉が頻繁に使われる時代が来るかもしれませんね。

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端を発する

【漢字】端を発する 【読み】たんをはっする 【意味】何かがきっかけで始まる。 【例文1】目撃情報から容疑者が端を発する。 【例文2】嘘がバレて喧嘩が端を発する。 【例文3】一人旅が端を発してお付き合いが始まる。 今、人間関係で悩んでいます。上司が私に叱責をしたのが端を発することになって朝会社に行く時に緊張感とイライラとうつ状態になってしまいました。 それもこれも上司が端を発することによったことがきっかけとなったわけです。電車通勤していますが、とてもイライラして落ち着かず、気分はうつ的状態で、緊張感が取れません。そのまま我慢して会社に行くわけです。精神的なものなので長期の休みも欲しいとは思いますが、何せ家族を支えて行かなければなりませんので、休めない状態です。私はこれは上司が端を発した叱責が原因と考えています。どうしてこんなに精神的に苦しまなければならないのかと思うと泣きたい気持ち、逃げだしたい気持ちになります。でも収入を得なければならないので何とか死ぬ思いで会社にたどり着きます。会社では私を叱責した上司と1日顔を合わせていなければなりません。端を発した上司は神経質でなにかあると自分に対して叱責や罵倒をしてきます。自分は叱られて育つタイプではなく褒められて大きくなるタイプです。こんな毎日がずっと続くかと思うとやるせない気持ちになります。誰か助けてほしいです。 何かの出来事が機転となり、一つの流れを形成する事を「端を発する」と言います。「事の発端は」という言い方をしたりもし、バリエーションは様々です。「彼の余計な一言に端を発し、二人の関係が壊れた」や「好景気に端を発し、株価が上昇した」という具合に良きに付け悪しきに付け、使用される言葉であります。何かのきっかけで思わぬ方向へと状況が進んで行き、それが好転なのか暗転なのかは当事者にしか判りません。何気なく発した言葉から、誰も思いもしなかった結果になる事があり、1989年のプロ野球・日本シリーズに於いてもそれは起こり、第3戦で勝利した近鉄(現・オリックスバファローズ)の加藤哲郎投手(当時)が勝利者インタビューで「ロッテ(当時の最下位)より弱い」という発言が相手チームを刺激し、ジャイアンツは3連敗した後4連勝を飾り、終わってみれば巨人がその年の日本一になったのです。加藤氏の何気ない一言がまさに端を発した訳です。言った本人もそこまでシリーズの流れが変わるなんて思っても見なかったでしょうし、後年お亡くなりになってる仰木監督(当時)も「選手には迂闊な発言はしない様にと言っておいたのだが」と加藤氏の発言に言及されていました。何が災いするか、或いは幸いするかは後になってみないと判らないものですが、結果がどちらになるにせよ必ず起点になる出来事があり、そこから派生した流れは一度動き出せば、もう誰にも止められないのです。

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暖を取る

【漢字】暖を取る 【読み】だんをとる 【意味】体を暖める。 【例文1】鍋を囲んで暖を取る。 【例文2】焚火で暖を取る。 【例文3】体を動かして暖を取る。 今の時代は勝手にたき火はしてはいけません。その昔、昭和の頃はたき火で暖を取ることは当たり前でした。たき火で暖を取り身体を暖めるのは当然のこと、魚を焼いたり、時には煮物をしたり、さつまいもをたき火に埋めて暖を取りながら楽しみに焼き芋が出来上がるのを待っていました。たき火は今ではどうでしょう。たき火をしていると警察に通報されるのではないでしょうか?変な世の中になったと思います。たき火で暖を取ることが平成の時代は他人に迷惑をかけるとか、火事になるとか、法的にも規制がかかりました。たき火と言うのは日本の伝統です。人間は遠い原始時代からたき火で暖を取る習慣がありました。もちろん今はストーブやエアコン、温風ヒーターなどの様々な暖房器具がありますが、たき火は悪いことのように捕えられています。今の子どもたちは焚き火などはした事がないのではないでしょうか?悲しいことです。火を扱うこと、たき火をすることで色々なことを覚えます。いいことも、悪いこともたき火が教えてくれるような気がします。世の中色々なことで規制がかかるようになりました。せめて子どもだけでもたき火の体験をするのは私は賛成ですし、経験をして欲しいです。

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単刀直入

【漢字】単刀直入 【読み】たんとうちょくにゅう 【意味】遠回しな言い方をせず、すぐに本題に入る。 【例文1】単刀直入に聞くけど年収はいくら? 【例文2】単刀直入に言うが、無理。 【例文3】彼氏はいるの?と単刀直入に聞く。 わたしは比較的言いたいことを言っている方だと思います。 たぶんみんなが言いにくいであろうこともわたしは比較的言えているように思います。 それでも単刀直入に物申したいところですが、かなりオブラートに包み、言葉を選んで言うように心掛けています。 しかし、オブラートに包みすぎると単刀直入に伝えたかったことの半分も伝わらないことが多いのもまた事実です。 人生の中で人間関係は特に面倒でややこしく疲れます。 でも人間関係が崩壊してしまうと、更に面倒でややこしくへとへとに疲れてしまうことになります。 単刀直入に物申せたらどんなにストレスフリーになるか、と時々思います。 ですが、よく考えると単刀直入に物申せてスッキリするのはその時だけで、後々やっぱりかなり面倒なことになることも予想できます。 同じ価値観の人ばかりだといいのに、と思うけどそれもまたつまらないのだろうし人間って難しいとつくづく感じます。 単刀直入に物を申して結果オーライになるのはドラマの中だけです。それはとても羨ましく思います。 同じ人間で、相手もたぶん自分なりに人間関係に多少なりとも気をつけているはずなのに上手くいかないこともあるのが人間関係。 単刀直入にめんどくさいです。

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大魚は小池に棲まず

【漢字】大魚は小池に棲まず 【読み】たいぎょはしょうちにすまず 【意味】 【例文】 「大魚は小池に棲まず」ということわざのように、人にはそれぞれ適材適所があると思いました。 優れて有能な人はやはりそれに見合う場所で活躍するのが良いと思います。 世の中には何らかのしがらみの影響で、大魚でも小池で我慢して生きている人もいるのかもしれません。 そういう人は自分の本当の実力を過小評価しすぎているとも言えるので、それは非常にもったいない話です。 自分の価値を過大評価しすぎるのも、これはこれで問題ですが、その逆になって、小さいところで甘んじてしまい、満足しないように気をつけたいものです。 どんなに優秀な人でも失敗をすることがあり、その時は大魚でも大河に出て行く勇気はないかもしれません。 そんな時は小池で十分に英気を養い、再び大河に出ていけば良いと思います。 仮に大業が小池に住むことがあったとしても、それは一時のことです。 やはりそこは本来、住むべき場所ではなく、いずれ大河に出ていかなくてはならないでしょう。 もし、今の生活がぬるま湯に浸かっているようであれば、やはり少し上を目指して大魚に近づいていきたいものです。 同じ所にとどまらず、また甘んじることなく、今自分ができることを精一杯やっていき、自分に合った世界に繰り出していきたいと思います。 大魚は小池に棲まず、真に能力のある物は小さな環境で満足しない、という意である。 僕は最初この言葉を知った時、傲慢な魚もいるものだ、と感じた。 自らを大魚と称し、自らの棲む池を小さいなどと宣うなんて大それた魚だなあ、と。 しかし、今の日本社会に必要とされているのはこの精神性なのではないかと最近思い直すようになった。 日本は自殺大国である。 人間関係、仕事、金銭問題などその理由は様々であろうが、自分の生に価値を見出せずに、自らの命を絶ってしまう人が多い。 また、過労死という極めて特殊な死因が、それを示す言語が一般に認められている国でもある。 病気や事故など肉体的な理由ではなく、精神的な理由で多くの日本人は日々亡くなる。 「逃げればいいのに」「辞めればいいのに」 外から見た人がそういった思いを抱くのは当然である。僕もそう思ったことがある。 しかし、彼らは逃げない。逃げられない。 その最たる原因は偏に「自己評価の低さ」であるのではないか、と僕は思う。 「僕が逃げたら周りに迷惑がかかってしまう」「今の仕事を辞めたら次の仕事なんて簡単には見つからない」 そういった考えが彼らの脳中には渦巻いているのだろう。 その考えこそが何よりも自分を追い詰めているのだ、ということには彼らは決して気づかない。 だからこそ、今この日本社会において、「大魚は小池に棲まず」の精神性が重要なのだ。 例え本心でなくとも、自らを大魚と称し、今の環境を小池と言い切るだけの図太さが重要なのだ。 「こんなところは僕がいるべき場所じゃない、もっとふさわしい場所が必ず僕にはある」 そう自ら嘯いて、自分の生きる道を都度、修正していく生き方こそが、今この日本において最も必要とされるべき精神性なのだろう。

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断腸の思い

【漢字】断腸の思い 【読み】だんちょうのおもい 【意味】腸が切れるくらい辛い思いをする。 【例文1】引っ越し先が狭く断腸の思いで家財道具を処分した。 【例文2】断腸の思いで店を畳む。 【例文3】お見合いで断られ断腸の思い。 私の男友達に、学生のときに大失恋をした子がいます。あまりにもすごい玉砕ぶりだったので、数日後にはクラス中に知れ渡ってしまいましたが、そのときのエピソードをお話しします。 その男の子は一学年上の女性に恋をしていました。見た目に惚れてしまったようで、何度もアピールしたりと頑張っていたみたいです。彼自身もけっこう容姿がいいので、その子を好きだと言う女子も何人かいたのですが、彼は先輩にゾッコンという感じでした。 そこであるとき思い切って告白してみたところ…あっさり振られてしまいました。彼はその後、学校の近所のラーメン屋で大泣き。その場面を目撃したクラスメイトや先生がたくさんいて、すごい噂になってしまいました。彼と一番仲がいい友達たちも、笑いながら話していたくらいです。 恋していた先輩のことを諦めるのは、「断腸の思い」だったそうですが、あとで話をきいたら「まあ、相手には悪いけれど、見た目が好きだっただけなのかも…」と一応割り切れたようだったので安心しました。彼はあまり意識していませんが、男友達からもかっこいいと言われているし、かなりモテているようなので、今後の恋愛はうまくいくのではないかと思っています。

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短気は損気

【漢字】短気は損気 【読み】たんきはそんき 【意味】短気になると結局は自分が損する羽目になる。 【例文1】イライラして物を壊しても、後で出費がかさむだけで短気は損気だ。 【例文2】イライラすると短気は損気でミスをする。 【例文3】一旦落ち着いて、短気は損気だよ。 以前、美術を教える学校で事務員として働いていたことがあります。生徒からはいろいろな話を聴くのですが、そこでちょっとこの先生はどうなんだろうと思うような方がいました。 その先生は、他の美術系の学校でも教師をしている、比較的ベテランの男性でした。ふだんはあまり表情をかえることはないのですが、穏やかなイメージの方です。自分のことを名前で呼んでいるので、生徒がそれを面白がってものまねしていることもありました。ですから、一見人気があるユニークな先生という感じがしたのです。 でも、あるできごとを生徒から聞いて驚きました。その生徒は、課題で出ていた作品に色を塗るときに画材の選び方を間違えてしまって、塗りがぐちゃぐちゃになってしまったみたいなんです。締め切りが来てしまい、みんなの前で作品を提出したときに、例の男の先生は最初周りの生徒と一緒にその失敗を笑っていたそうなのですが、突然表情が真顔に変わって、「こういうことをしていると、夢が叶わずに夢で終わることになるぞ」と怒ったように言い放ったそうなのです。 その先生はそうやって急に怒ることがあるそうなので、生徒たちからは「情緒不安定」と陰口を叩かれていました(笑)。短気は損気ですね。

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啖呵を切る

【漢字】啖呵を切る 【読み】たんかをきる 【意味】勢いよく言い放つ。 【例文1】試験で1位になると啖呵を切る。 【例文2】絶対に負けないと啖呵を切る。 【例文3】年内に彼女を作ると啖呵を切る。 気に入らない相手からの挑発や、引くに引けない状況になった時に威勢よく発する言葉を「啖呵を切る」と言います。気持ちは高ぶり、乗せられているとわっていても応じるしかなく、後は出た所勝負でどうにでもなれと少しヤケクソになっている事もあります。元々は商品を売る時の軽快な売り言葉を指し、お客にあれこれ考える暇を与えない程言葉で畳み掛ける事だったようです。どうしても許せない相手には、遠慮なく思いのたけを述べてやりたいですし、気後れしてはますます相手に調子付かれる恐れがあります。勢いよくまくしたてて、相手が怯めばうまく啖呵を切れている証拠で、そうでないならよほど相手が上手か、上手く啖呵が切れていないかのどちらかです。多少おおげさな言葉で相手気持ちを揺さぶり、自分が主導権を持てればしめたものです。ガマの油売りやバナナの叩き売りなどは、気風の良さもさることながら軽快なトークでお客の関心を引けなければいけません。口ごもった物言いは誰の注意も引く事は出来ませんし、オーバーな所も一つの手なのです。威勢の良さが時に相手から誤解を招く事態になりますが、そういう事すら気に止めず自分の考えに相手を巻き込めたら、それこそ上手い啖呵を切れていると思って良いのです。

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他力本願

【漢字】他力本願 【読み】たりきほんがん 【意味】他人の力に期待を込める。 【例文1】他力本願では成長しない。 【例文2】不得意分野を他力本願。 【例文3】他力本願で人任せ。 他力本願とは他人任せにすることです。 私がいつも他力本願でした。失敗を極端に恐れる性格で面倒なことが嫌いな私は誰かがやってくれるだろうという思いで他人任せにしてきました。興味がないということもありますが、一番は自分の言葉で責任を持ちたくないというのが理由です。 得意分野不得意分野がありまして、できるところまではしますが、不得意分野を時間をかけて克服するよりは得意分野の方に任せるのが効率よくないですか? 飲み会を開きたいと話題が出れば言いだしっぺが幹事をしろというので、時間・日時・場所決めるじゃないですか?いざ集まって場所が気に食わないと不満を言う、なら初めからリクエストしてくれればいいじゃないかと言いたくなります。 だから、私は面倒な行事などは口を出さずにリクエストだけ言ってあとは他力本願に従うようになりました。幸い同じ部署に世話好きな事務員さんがいます。世話好きというよりはなんでも仕切りたがり屋という感じですが、それでもさっさと決めてくれるので助かっています。いつも他力本願ですが、感謝しております。

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たらい回し

【漢字】たらい回し 【読み】たらいまわし 【意味】面倒な物事の処理を他人に押し付ける。 【例文1】救急患者が病院をたらい回しされる。 【例文2】担当医不在で病院をたらい回しされる。 【例文3】電話での取り次ぎでたらい回しされる。 社会で生きていると、役所に行く機会が色々とあるものです。 その役所で嫌だなと思うのが、あちこちの場所にたらい回しされる事です。 こちらは役所の手続きに慣れていませんから、違う場所に行ってしまう事があります。 そうすると、どこそこの部署に行ってくれと言われます。 それでその部署に行ってみると、一部の手続きしかできず、それ以外の手続きはまた別の部署に行ってくれと言われる事があるのです。 この様にあちこちにたらい回しされて、手続きが完了するまでに時間と体力を消費してしまいます。 また手続きが完了しても、書類に不備があるとかで、再び役所に赴く事があります。 そしてまた、あちこちに部署をたらい回しされる事があるのです。 昔は役所の人の対応が悪く、あちこちたらい回しされるのが常でした。 しかしここ最近は、役所の人の対応も大分改善されて来ていて、昔の様にたらい回しされる事も少なくなりました。 一か所で様々な手続きが完了されるようになっていて、昔の様にあちこちの部署にたらい回しされる事が無くなってきています。 ですから昔ほど、役所に行く事が嫌でなくなりました。 しかし役所の手続きがややこしいのは昔と変わっていないので、出来る事なら役所には行きたくありません。 以前契約していた会社は、何かトラブルがあるとすぐに責任をたらい回しにするようなところがありました。例えば納期なのに商品が届かないとか。担当者に聞いてみると、違う部署の担当者と連絡が取れない、向こうの方でチェックしていなかったみたいだ、などと必ず自分ではなく他の誰かが悪いと言うんです。何回も担当者が変わりましたが、みんな同じことを言うんですよね。それこそ、何かマニュアルがあってそうしているのかと思いました。 こういうことが続くので、毎回何かあった時に話が進みません。人間のやることですから時には失敗もあると思います。しかし、失敗がわかってからもその対策が進まないというのには困りました。それだけではなく、誰に聞いても自分は悪くないからと他の人に責任をなすりつけるので、正直それが困りましたね。結局、この会社とは取引をしなくなってしまいました。 誰だって責任を負うのは怖いです。個人的には責任の取りやすさも問題なのかなと思いました。例えば、何かトラブルがあった時に異常に怒ったり査定を下げるような上司がいたら責任を取ることを考えてしまいます。あそこまでみんながみんな責任をたらい回しにするということは、そういう環境が出来上がってしまっているのだと思いました。 たらい回しは悪い意味で使われますが、元々はそういう曲芸があったようです。 まず体を一度寝かせてから両足を思い切り上げ、リズムを取りながら足の裏でたらいを回し、次の人に渡していくという何とも面白そうな芸です。 今時どこに行ったらそんな芸が見れるのか知りませんが、悪い意味で使われるたらい回しは、自分の身に起こると本当に迷惑なものです。 問い合わせにしても苦情にしても、電話や窓口で次々によそに回されると、本当に嫌気が指します。 最初は単なる問い合わせのつもりでも、最後は怒り爆発、苦情を言いたくなる気持ちもよく分かります。 しかし悲しいことに、逆の立場を経験したことがあるのです。 銀行に勤めていた頃、定期預金の係だったのですが、回ってきた電話を受けると既にお客様がご立腹です。 まだこちらはもしもしという途中だったのですが、思い切り遮られ、とにかく怒号が響いていたのはよく覚えています。 どうやら最初に普通預金の係につながり、次に為替係、そこで終わらずなぜか融資係に回され、最後に回ってきたのが私の所属する定期預金係でした。 話にならないほどの怒号が続くので、結局私も上司に回してしまうという落ちが付くのですが、本当に怖い一件でした。 ところでそのお客様、そもそも何の用で電話をかけてきたかは今となっては覚えていないのですが、たらい回しはされるほうはもちろん、後半になるほど受ける方も迷惑で困ったものです。 一番最初の対応がいかに大事かを教えられた出来事でした。

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便りのないのは良い便り

【漢字】便りのないのは良い便り 【読み】たよりのないたよりはよいたより 【意味】訃報はすぐに情報が回ってくるもので、それが回ってこないというのは無事に暮らしている証拠である。 【例文1】遠く離れてしまった旧友はどうしているだろうか。便りのないのは良い便りだ。 【例文2】遠く離れて暮らす息子は元気にしてるだろうか?便りのないのは良い便りだ。 【例文3】連絡がないということは便りのないのは良い便りだと思う。 「便りのないのは良い便り」とは、平穏で無事な時は人はなかなか手紙を書かないものだから手紙が来ないという事は何事もなく無事に暮らしているということだから心配しなくていいという意味です。 特に遠方に家族が離れて住んでいると心配事も多くなりますが、何か悪い知らせや良くない事が起これば必ず連絡は来るものです。 昔は便りといえば手紙や電話などになりますが、最近ではメールなどの連絡手段が増え簡単になり、遠方にいてもすぐに連絡する事ができるようになりはしました。しかし何事もないとあまり連絡はしないものです。私も就職した事で両親や兄弟とは離れて暮らしていますが、何事もないとなかなか連絡しません。逆に急に親に電話すると一言めに「なにかあった?」と言われ、「なにもないよ。ただ電話しただけ」との言葉の交わしを毎回のようにしています。便りがないのはいい便りとはまさにこの事で離れて暮らしていると心配にはなりますが、便りがないのは何事もなく暮らしているからだと両親は思っているようです。 しかし親というものは子の声は聞きたいものだと言いますので、平穏に暮らしていてもたまには連絡して声を聞かせるのも親の声を聞くのも必要だと思います。

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袂を分かつ

【漢字】袂を分かつ 【読み】たもとをわかつ 【意味】考え方が違ったり仲が悪くなったりして違う道に進む。長い関係を絶つ。 【例文1】40年連れ添った伴侶と袂を分かつ。 【例文2】経営方針を巡って袂を分かつ。 【例文3】独立して袂を分かつ。 袂を分かつという言葉は長く行動を共にしてきた親しい人と別れるという意味ですが、これはどういった由来があるのでしょうか?元々は着物の袖の部分を指しているのが袂という言葉で、これは手元という言葉が語源とされています。この袂は着物の袖の中の垂れ下がっている部分、隙間の部分のことで、この袂の部分を好意を持っている相手に振ると、相手の気持ちを呼び寄せることができると考えられていました。したがって、好きな相手と一緒になるために袂を振るという行為が行われていたわけですが、見事結婚をすることができたならば、着物の袂の部分は短く留め直して、隙間が生まれないように、垂れ下がらないようにしていたのです。そして、結婚をすると親元を離れて暮らすようになることから、親と別れることを指す言葉となり、そこから長く一緒に暮らしてきた、行動してきた人たちと別れることを袂を分かつということになったのです。現代においては袂を分かつという言葉を使うケースはそんなに多くないかもしれませんが、親しい人や長く一緒に過ごしてきた人と別れないといけないときには、まさに袂を分かつという表現を使うということがしっくりくるような状況と言えると思うのです。

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駄目を押す

【漢字】駄目を押す 【読み】だめをおす 【意味】ほとんど勝ちが決まっている状態で勝ちを決定的にする。または念のために確認する。 【例文1】追加点をあげて駄目を押す。 【例文2】忘れ物はないか駄目を押す。 【例文3】記入漏れがないか駄目を押す。 念には念を入れること、念のためによく確かめることを「駄目を押す」と言います。この言葉が囲碁から来ていることは、比較的よく知られているのではないでしょうか。 何かの打ち合わせをしている時に、相手の話を復唱して、その内容を確かめるときなど、日常的にも使われます。 この言葉はもともと囲碁から来ているだけに、勝負事やスポーツでも使われることが少なくありません。 たとえば、野球の試合である程度点差がついて、勝敗がほぼ見えている段階で、リードしている選手がホームランを打った時、アナウンサーは「駄目押しのホームランが出ました」などとアナウンスすることがあります。この場合は念を押すというよりも、勝負を決定的にするという意味で、駄目を押すという言葉が使われていると考えていいでしょう。 ところで、大相撲の世界では駄目を押すのはNG行為。たとえば、相手を土俵の外に押し出して、勝負が決した後で、さらに相手を強く押すのは、危険な行為でもあり、好ましくないとされています。 それで思い出すのが、平成20年5月場所の千秋楽で、朝青龍と白鵬が対戦した一番。朝青龍が引き落としで白鵬を破ったのですが、土俵に倒れた白鵬を朝青龍がさらに両手で突いて駄目を押したところ、それに腹を立てた白鵬が、立ち上がりながら朝青龍に肩をわざとぶつけたのです。 両者、一触即発の険悪なムードに。後日、二人とも相撲協会から厳重注意を受けたようですが、その発端は、朝青龍の駄目押しにありました。 念には念を入れること、念のためによく確かめることを「駄目を押す」と言います。この言葉が囲碁から来ていることは、比較的よく知られているのではないでしょうか。 何かの打ち合わせをしている時に、相手の話を復唱して、その内容を確かめるときなど、日常的にも使われます。 この言葉はもともと囲碁から来ているだけに、勝負事やスポーツでも使われることが少なくありません。 たとえば、野球の試合である程度点差がついて、勝敗がほぼ見えている段階で、リードしている選手がホームランを打った時、アナウンサーは「駄目押しのホームランが出ました」などとアナウンスすることがあります。この場合は念を押すというよりも、勝負を決定的にするという意味で、駄目を押すという言葉が使われていると考えていいでしょう。 ところで、大相撲の世界では駄目を押すのはNG行為。たとえば、相手を土俵の外に押し出して、勝負が決した後で、さらに相手を強く押すのは、危険な行為でもあり、好ましくないとされています。 それで思い出すのが、平成20年5月場所の千秋楽で、朝青龍と白鵬が対戦した一番。朝青龍が引き落としで白鵬を破ったのですが、土俵に倒れた白鵬を朝青龍がさらに両手で突いて駄目を押したところ、それに腹を立てた白鵬が、立ち上がりながら朝青龍に肩をわざとぶつけたのです。 両者、一触即発の険悪なムードに。後日、二人とも相撲協会から厳重注意を受けたようですが、その発端は、朝青龍の駄目押しにありました。 元々は相撲のルールで土俵を出た相手を更に押す行為がマナー違反とされ「駄目な押し」が駄目押しとなり、勝負が着いている所に更なる一撃を放つ事を「駄目を押す」となりました。「駄目押しの1点」や「駄目押しの勝ち点3」と勝っている相手との差をもっと引き離す程のアドバンテージを得た時の表現と言えます。それをされた対戦相手にはこれ程のダメージはなく、殆ど戦意喪失に陥ります。傍目には既に勝負が着いているのに、まだ追い打ちを放つのは少々やり過ぎではと、劣勢の方をつい応援したくなるものです。本来は相手が降参してくれればそこで勝負ありとなり、勝っている方も余分な労力を使用せずともよくなります。しかし、特にスポーツのルール上どうしてもここまではやらないとゲームオーバーにならないとなれば、どちらも続けるしかなく力の差が歴然な勝負でもやるしかなくなります。プロ野球の公式戦では9回までやるのがルールですので、8回までの間に100対0の大差となっても審判はおろかやっているチーム同士にも止める事は出来ず9回まで行くしかありません。これが高校野球の地方予選であれば5回コールドというルールが適用されるのですが。戦意を失くした相手と戦うのは勝っている方も本当はやり難いですし、そういう時に限って手抜きの攻撃が決まってしまうおかしな状況が生じ益々差が開く一方となります。国際試合であればアドバンテージはどれだけあっても心強いですが、あまり調子に乗って勝ち過ぎると後で反感を買うかもしれないので、そういう駄目の押し方は出来れば控えたいものです。

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矯めつ眇めつ

【漢字】矯めつ眇めつ 【読み】ためつすがめつ 【意味】いろいろな方向からよく見る。 【例文1】婚活パーティで矯めつ眇めつ慎重に見定める。 【例文2】結婚相手を矯めつ眇めつ洞察する。 【例文3】矯めつ眇めつ見極める。 テレビのドラマに「やすらぎの里」というのがあります。 これはテレビ朝日のドラマで、毎日月曜から金曜までお昼の12時半からやっています。 脚本家の倉本聰さんが、団塊の世代のために書いたということで出演者の平均年齢はたいへん高いというドラマです。 主人公は石坂浩二さんで、彼を中心にして芸能界で昔活躍したという人達が老後を過ごす場所でさまざまな出来事があり、それを毎日けっこうたくさんの人が視聴しています。 ドラマの中では、高齢の石坂浩二さんが演じる脚本家が、昔まだ奥さんが元気だったころに、別に愛してしまった女性がいたこと。 その女性が震災で亡くなったこと。 その女性の孫から連絡があり、会ってみるとまるで亡くなった女性に瓜二つであったことがドラマティックに描かれていました。 石坂浩二さんは「矯めつ眇めつ」その孫を見つめて、かつて自分が愛した女性を想います。 そして、また会えるとなるとワクワクしてしまうのでした。 この「やすらぎの里」には、まだまだ恋の現役という人がけっこういるということだそうです。 高齢者が抱える問題が次々と提示されるドラマですが、高齢者も恋をするという点は重要なようで、石坂浩二さんだけでなく高齢者の恋が描かれています。 資格の勉強をするとき一種類のテキストだけだと偏ることがあるので、矯めつ眇めつのように学習していくと受かりやすくなってきます。矯めつ眇めつは(ためつすがめつ)と読みます。展示会などで美術品が通路の真ん中に置いてあるときは、矯めつ眇めつしやすいようになっています。全部の角度から見ることで、作品の魅力を伝えるようにしてあるのです。資格の勉強をするときも、何種類かのテキストを矯めつ眇めつしていくことで、傾向がわかってくるので全体像を把握しやすくなってきます。ある程度学習が進んできたら過去問題集に取り組むと合格率が上がってきます。受験しても落ちてしまう人というのは、矯めつ眇めつが足りないように感じます。一夜漬けの人もいれば、一週間ぐらい前から始めて運試しのような感じで試験を受ける人もたまにいます。簡単な資格でも一ヶ月ぐらいは勉強する時間を設けて、矯めつ眇めつしながらいろんな方面から知識を蓄えることで、難題が出ても解けるようになってきます。矯めつ眇めつしていけば、過去問もスラスラ解けるようになりますし、模擬試験でも自信が付くようになってきます。どの資格試験にもいえることですが、矯めつ眇めつをしながら学習を進めていけば、合格率の低い資格でも受かるようになります。

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玉磨かざれば光なし

【漢字】玉磨かざれば光なし 【読み】たまみがかざればひかりなし 【意味】どんなに有能でも人格を高めないと立派な人間にはなれない。 【例文1】利益ばかり追求しても玉磨かざれば光なしだ。 【例文2】お客様の意見を取り入れてこそ玉磨かざれば光なし。 【例文3】学歴はあっても玉磨かざれば光なし。 「玉磨かざれば光なし」とは「どんなに立派な玉であろうとそのままにしていては光らない」という意味から派生し、「人はどんなに素晴らしい才能や資質があろうと、実際に日々の努力や鍛錬なくして立派な人間にはならない」という意味です。 このことわざは私たちが日々生活する上で常に頭の片隅に意識して置いておきたい言葉ではないでしょうか。「玉磨かざれば光なし」とはよくいったもので、どの道においてもトップをきっている人というのは、必ずそこ(=光)にたどり着くまでに相当苦労や努力を積み重ねてきた人なんだと思います。どうしても人間は楽なほうへと逃げてしまう傾向がありますから、私たちが自分のもっている玉(=精神)を磨いて、努力と鍛錬を積み重ねて立派な人間になるためには強靭な精神力と時間が要求されるでしょう。 今や日本代表のテニスプレーヤーとして大活躍している錦織選手はまさにこのことわざにピッタリ当てはまるような存在だと思います。彼は幼少期から自分磨きを怠ることなく磨きに磨きをかけてようやく今の地位にまで昇りつめた選手です。そしてその光となった今でさえ、なお玉を磨いている姿は誰が見ても頭が上がらないのではないでしょうか。 頭だけで理解するのは簡単ですが、行動に実際移して実践するのがどれほど難しいか、ということを物語っている言葉そのものだと思います。 「玉磨かざれば光なし」は「たまみがかざればひかりなし」と読みます。 玉とは玉石(ぎょくせき)のことで優れた才能を持つ人材を指します。 つまり、優れた才能を持つ人材であってもそのまま通用するものではなく、鍛錬や修学することで立派な人物となるという主張です。 これに対して「瑠璃も玻璃も磨けば光る」は、世の中には優れた人材はどこにでもいるという意味です。 しかるべき教官をつけて才能を伸ばすべく教育すれば大抵の人はそれなりに使い物になるので、まず間違ってはいないでしょう。 しかし現代において瑠璃(るり)は宝石の一種ラピスラズリ、かたや玻璃(はり)はガラス、窓やらコップに使われるガラスです。 あまりにも価値がありすぎて言葉を表記通りに受け取ると、光を反射する程度にはなるという後ろ向きな意味にもなりそうです。 実際、同じ時間をかけて同じだけの修練をさせても才能のあるなしは如実に現れてしまいます。 生まれが全てとはいいませんが、個人差というものは残酷なまでに結果に出てしまうものです。 才能に溺れて失敗する例もありますが、才能がある人間がさらに努力を重ねた場合、平凡な人間には到底追いつけないように思えます。 とりあえず究極超人には人並み以上に働いてもらい、平凡な人間はそれなりの努力でそれなりの働きをするのが無難なようです。

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玉の輿に乗る

【漢字】玉の輿に乗る 【読み】たまのこしにのる 【意味】一般庶民の女性が大金持ちと結婚する。 【例文1】女性はみんな玉の輿に乗るのに憧れている。 【例文2】御曹司と結婚して玉の輿に乗る。 【例文3】大富豪と結婚して玉の輿に乗る。 幼い頃、我が家は超貧乏でした。 父親は仕事嫌いで朝、起きれず仕事を休みがちでした。 朝、起きれず母親に暴力を振るう父親を見るのが大嫌いでした。 我が家はいつもお金がなく、電気が止まる、ガスが止まる、水道が止まる・・・がいつも隣り合わせでした。 クリスマスはあめが3つぐらい入っている小さなブーツが枕元に置いてありました。 家にはお風呂がなく、近くの爺ちゃんちにお風呂を借りに行っていました。 トイレはぼっとんで、いつも悪臭がしました。 ご飯のおかずは二度炊きしたご飯とふりかけでした。 見かねて近所のおじさんがそこらへんで拾った残飯を持ってきてくれていました。 幼いながらもその状況を情けなく感じ、大きくなったらお金持ちになりたいと思っていました。 豪邸に住んでいた友達を羨み、友達のお父さんみたいな人と結婚しよう!といつも言っていました。いつか玉の輿に乗るんだと。 しかし、現実はそううまくはいきませんでした。 でもわたしにはもったいない夫さんと結婚をして、可愛い子ども達にも恵まれ、あの時の友達みたいな豪邸ではないけれど悪臭がしない家で笑いの絶えない生活をしています。 とても幸せだし、わたしにはもったいない生活です。 玉の輿には乗れなかったけど幸せです。

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玉に瑕

【漢字】玉に瑕 【読み】たまにきず 【意味】ほとんど完璧なのにわずかの欠点がある。 【例文1】可愛いけどおっちょこちょいが玉に瑕なんだよな。 【例文2】住まいは良いが、交通量の多さが玉に瑕だ。 【例文3】イケメンだけど背が低いのが玉に瑕。 私は子どもの頃にこの歌で「玉に瑕」という言葉を知りました。玉に瑕とはほとんど完全に近いのにわずかに欠点があることです。 例えばレストランに玉に瑕があるのは、困る。せっかく美味しいのにねぇ…などとなっては2回目からは食べに行かないでしょう。不動産物件を見に行って玉に瑕を見つけてしまっても、残念。駅から近いし治安も良さそうだし、収納もばっちり、なのに日当たりだけが悪い、とか隣の人がうるさそうだ、とか気づいてしまうとなかったことにするのは難しいものです。 人ならばどうでしょう。容姿端麗に加えて聡明で秀才、親切で性格も温厚、非の打ち所がない人物をあなたの恋人候補として友人から紹介されたとします。人として完璧だけどもちょっと怖い。もしかしたらお酒を飲むと人格が変わるのではないだろうか、それとも返せないような借金があるとか…などと悪い想像を膨らませてしまうのです。

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旅は道連れ世は情け

【漢字】旅は道連れ世は情け 【読み】たびはみちづれよはなさけ 【意味】旅をする時に同行者がいれば楽しく心強いものであり、同じように世の中でもお互いに助け合いが大事という意味。 【例文1】旅は道連れ世は情けだから困った時は遠慮なく言ってね。 【例文2】老後も旅は道連れ世は情けで助け合う。 【例文3】旅は道連れ世は情けに助けられた。 私は「旅は道連れ世は情け」という言葉を聞くと、江戸時代の旅を想像してしまいます。 昔から東海道五十三次の絵が好きで、そこに描かれている人物の様々な動きに注目してきました。 旅人の様子が細かく描かれていて、今の時代に見ても旅に出かけたくなってしまいます。 旅は一人でするよりも、誰かと一緒の方が心強いですし、また楽しみも増えます。 私は今まで何度も旅をしてきました。 中でも海外旅行はやはり誰かと一緒の方が心強いです。 誰かと一緒の旅はハプニングが起こっても、一人では頭が真っ白になってしまうような出来事でも何とか対処できます。 また、世の中は情けがあるからこそ、上手く回っていけるのだとも思います。 「渡る世間に鬼はなし」とも言いますが、まさにそうであってほしいですし、今後もそうであり続けることを願いたいものです。 物騒な世の中になってくると、信じられるものがなくなっていきそうで怖いです。 世の中が悪い方へ進んでしまうと、情けも少なくなってしまうような気がします。 いつでもどこへでも旅を楽しめるような世の中であってほしいと切に願わずにはいられません。 また海外旅行へ行きたい気持ちはありますが、未来が自然に「旅は道連れ世は情け」だと思えるようにならないと難しいような気がします。 「旅は道連れ世は情け」とは、江戸時代17世紀なかごろ浅井了意によって書かれた東海道名所記に語源をもつことわざです。 一般庶民にも分りやすいように書かれた仮名草子で、名所に立ち寄りながら旅をする様子が書かれていて東海道中膝栗毛にも影響を与えたようです。 「江戸いろはがるた」にも使われていて、こちらの方で広く認知されるようになったのかもしれません。 江戸時代の旅行事情は、情報量も少なく予期せぬ危険や問題が発生することも多分に考えられたため、道中を共にする仲間の存在は非常に重要なものがあったことでしょう。 世知辛い世の中を生きていくには人情を大切にして助け合い仲良くやっていこう、というのが後半分の「世は情け」の意味するところです。 実際、人間関係を軽んじたり無視していては碌な結果にならないので「世は情け」の部分は現代にも当てはまります。 対して、「旅は道連れ」の方はどうでしょうか。 現代社会においては余程山奥や秘境へ向かうのでなければ、わざわざ道連れを用意しなくとも良いように思えます。 気楽なひとり旅も日常から離れることが出来て楽しいものです。 問題があるとすれば、一人で旅行していると態々道連れになろうとする見知らぬ人に出くわすことでしょうか。 出会いなどという魅力的なイベントで済めばよいのですが、無用なアクシデントが発生する予感がしてなりません。

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旅の恥はかき捨て

【漢字】旅の恥はかき捨て 【読み】たびのはじはかきすて 【意味】旅先では知り合いもおらず、恥をかいてもその場限りである。 【例文1】旅の恥はかき捨てだから、気に入った女性に片っ端から声をかける。 【例文2】旅の恥はかき捨てで太った体系でも堂々温泉に入る。 【例文3】旅の恥はかき捨てで酔っ払う。 以前、勤務していた職場の旅行で、旅の恥はかき捨てを絵に描いたような人がいました。 評判は聞いていたのですが、予想通りというか予想以上に困った状況になってしまいました。 私はその時旅行の幹事の一人でした。 幹事でなければただ笑って過ごせたかもしれないことも、バスやバスガイドさんに多大な迷惑をかけたことが本当に申し訳ないと思いました。 困った行動を起こした本人は完全に酔っ払っていたので、その記憶がまったくありません。 それもまた困ったものですが、旅行のような非日常の場面になると、ハメを外しすぎる人がいるものです。 特に普段、さまざまな抑圧に押されて我慢している人が、お酒と場所の力を借りて暴走してしまうのかもしれません。 私からすれば、普段から少しずつ毒を吐いておけば、こんな醜態にはならないと思うのですが、酔って記憶がない人に言っても効果はありません。 それにしても、旅行関係者はこういう困った人を扱っていかないといけないので、本当に大変だと思います。 私も学生時代はツアコンの仕事に興味を持ったことがありましたが、果たしてやっていけたかどうかはかなり怪しいところです。 「人のふり見てわがふり直せ」ではないですが、旅行とは言え、ハメを外しすぎないように気をつけて楽しく旅をしたいです。 『旅の恥はかき捨て』ということわざがあります。これは『旅先では自分を知る人もいないうえに、ずっとその土地に居座るわけでもないから、恥をかいてもその場限り』という意味です。ですがこの言葉には、続きがあるようにも思えます。 たとえば旅行をしに行って「旅の恥はかき捨てという言葉があるくらいだから」という気持ちで、旅行先でトラブルを起こしてしまったとしましょう。けれどトラブルを起こしても「どうせこの場限りだからどうでもいい」と考えてしまう人もいるかもしれませんね。ですが世の中には、不思議な巡り合わせがあるときだってあります。 旅行から帰ってきてまたいつもの生活に戻り、会社で仕事をするとします。 ある大企業と契約を結べたと喜んでいたら、その大企業の執行役員が、かつて自分が旅行先でトラブルを起こして怒らせてしまった相手だった、ということも有り得るでしょう。もし相手が自分の存在に気付き、「あのときトラブルを起こした人だ」と分かってしまったなら、契約を破棄されてしまうことだって可能性としてはあるに違いありません。 確かに『旅先で恥をかいてもその場限り』かもしれません。しかし『旅先で起こった問題はずっと残る』とは考えられませんか。いくら旅行で開放的な気分になったとしても、他人に迷惑をかける行為は慎むべきでしょう。

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束になって掛かる

【漢字】束になって掛かる 【読み】たばになってかかる 【意味】大勢の者が一緒になってひとつの事に取り組む。 【例文1】国体選手に束になって掛かって練習する。 【例文2】束になって掛かって署名する。 【例文3】地元住民が束になって掛かる。 中学生の時野球部に入っていて、髪は坊主にする決まりとなっていました。 私は、坊主にすることへの不満は一切ありませんでしたが、坊主にするのが嫌で退部していく人間も数人いました。 私が3年になって、夏の大会が終わったら部活を引退する時期に、部活の仲間達が坊主制度を廃止して引退を迎えようと言い出しました。 仲間達の考えは、自分達が嫌だという伝統を後の世代に残さないで引退したい、という思いがあったみたいです。 私は、それ程興味はありませんでしたが、仲間達が坊主制度廃止に向けて熱くなっていたので、一緒に協力することになりました。 部長と副部長が、野球部の顧問に坊主制度廃止について話しをしたら、即答で却下されたみたいです。今度は、部員全員で顧問に提案しましたが、伝統を変える必要はない!と言われ、取り合ってもらえませんでした。 仲間達の坊主制度廃止への熱意は凄く、保護者や生徒会にまで働きかけて、坊主制度廃止運動を開始しました。 その結果、開校から10年続いていた坊主制度は廃止となり、長くなければ大丈夫という決まりになりました。この時私が感じたのは、束になって掛かる力の凄さです。 小さな規模だと変わらない事でも、束になって掛かると変えられる、ということを身をもって経験しました。

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頼みの綱

【漢字】頼みの綱 【読み】たのみのつな 【意味】頼りにしてすがる物や人。 【例文1】人付き合いがなく頼みの綱が全部切れた。 【例文2】人脈がなく頼みの綱がない。 【例文3】頼みの綱は親だけになった。 頼みの綱という言葉の意味はどのようなものでしょうか。 これは一般的にもよく使う言葉ですが、手がかりとして頼れるかもしれない知人のこと、またはいざという時の一手のことを言います。 企業に勤めている中で上司や後輩との関係において、頼みの綱となる人物が周りにどれくらいいらっしゃいますでしょうか。 私も頼みの綱となる人物は多くなりますが、危険なこともあります。 例えば、必要な時にその頼みの綱が不在で、連絡がつかない場合や多忙で捕まらない場合などあります。 つまり危険なことは多くあります。 このように、頼みの綱ばかりを頼っていると、ろくなことはありません。 自分で武装して、自分で対応する能力も必要であると思います。 最近は、頼みの綱ばかりに頼りすぎて、その頼みの綱が疲弊し、やがて心身が弱ってしまうケースが多く見られます。 頼みの綱の業務負荷が高くなり、休息もできないまま、仕事を続けてしまうと、必然的に心身に異常をきたすことになります。 さらに頼みの綱に頼る人物は自分の仕事を丸投げする性質があります。 自分で何も考えずに頼みの綱がやってくれるだろうという意識があるものと思いますが、最近はこのような人材がますます増え続けているような気がしてなりません。

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種をまく

【漢字】種をまく 【読み】たねをまく 【意味】花を咲かせるためには種をまくように何かのきっかけを与えること。 【例文1】商品が売れるように折り込み広告に種をまく。 【例文2】子どもの将来のために習い事の種をまく。 【例文3】試食品で種をまく。 私が行っていた高校に、オープンキャンパスのときから印象に残っていた生徒がいました。自分が海外生活をしていたこと、親が外国人であることなどを先生たちの前でべらべらしゃべりまくり、「ただ家が近かったからこの学校を選んだんですー」とか「このハンコ、カタカナで作ってもらったんです」などと同じような話をずっと繰り返していたので、聞いている先生方も「ふーん、そうだったんですねえ」と言うばかりで、きっと困ってるんだろうなって思ってました。 私と彼女は晴れて合格し、学部も一緒になったのですが、彼女は授業中に先生からよく指名されていました。彼女は顔を上げて先生の目をしっかり見ていたし、よくしゃべる人なので先生も答えてくれるだろうと思って指していたんです。 でも、彼女はそれが不満だったらしく、「なんで先生たちはみんな私を指すの??」といつも愚痴を言っていました。実際にしょっちゅう彼女を指名する先生に尋ねているところを見かけたのですが、先生は「いつも目が合うし、名簿を見るとカタカナだから目立つのよねー」と答えていました。 しかし指名されたくないなら、あんまり機関銃のようにしゃべるのはやめたほうがいいんじゃないか、と思ってしまったのも事実です。自分で種をまくような行為だと思います。

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種を明かす

【漢字】種を明かす 【読み】たねをあかす 【意味】手品の仕掛けを明らかにする。これまでの経緯を話す。 【例文1】ドッキリだと種を明かす。 【例文2】手品師が種を明かす。 【例文3】種を明かすと簡単だな。 種を明かすと聞けば手品に関するワードとしてイメージしてます。種明かしと使う方が多いと思いますが、からくり、仕掛けを見せ明かにするとか事情の説明という意味で解釈しています。種という言葉は果実の核だけでなく話の材料、物事の原因という意味もあると辞書に記載されていてまさに種、根本であるなと感じます。 子どもの頃は種を明かされてショックだった出来事がありました。当時もの凄く好きで観ていたヒーロー系アニメのイベントがあり本物のキャラクターに会えるのだとワクワクしながら行ったら、そのキャラクターが頭部分だけアニメキャラの被り物をしていて、体は生身の人間がコスチュームを着てただただ頭が大きく、イメージしてたのと似ても似つかずだったので子ども心にキャラクターは存在しないんだと夢が壊れていくのを感じました。成長すれば自然に分かる事ではありますが、本当に居るんだと思ってた当時の自分にとっては衝撃的な種明かしでした。そうともあれば錯覚トリックは同じ色なのに違う濃淡に見えたり、視覚位置を変えると絵が変わったりして種を明かされているにも関わらず不思議で興味深いです。また手品にハマって自分で考えたのを友達に見せた時はすぐにバレてしまい種を明かす側になるには中々難しいなと感じさせられました。

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狸寝入り

【漢字】狸寝入り 【読み】たぬきねいり 【意味】寝たフリをしている様子。 【例文1】バスの中で狸寝入りする。 【例文2】疲れて狸寝入りをする。 【例文3】口うるさくて狸寝入りをする。 幼い頃我が家は貧しく二間のボロい文化住宅に家族四人で暮らしていました。 お風呂もなく、すぐ近くに住むおじいちゃんの豪邸でサウナ付きの大理石のお風呂を借りるか、近くの銭湯に通うのが常でした。 リビングにお布団を敷き詰めて家族四人で雑魚寝をする日々でした。 夜の9時には寝るように両親に促されるのですが、寝室はリビングも兼ねており電気もあかあかと点いていて、目を閉じてもテレビの音は聞こえてきます。 元々テレビっ子でチャンネルと番組事情には詳しいかった私は周りの大人から「テレビ博士」と呼ばれており、「このチャンネルはテレビ朝日系列で東京では〇チャンネルやねん」などと口にしていたそうです。 そんな「テレビ博士」が深夜番組が気にならないわけがありません。 昼間遊びすぎてよっぽど疲れている時はすんなり眠りにつけますが、ほとんど毎日深夜番組が気になります。 狸寝入りで目を閉じて、映像は見えなくとも音声だけで両親が見ているであろう「11PM」や「トゥナイト」をラジオ感覚で楽しんでいました。 が、そんな日々が続くとなんとか映像を見たくなるのがテレビ博士の性。 しかし、テレビの前には父親の大きな背中が邪魔をして結局子どもは見てはいけない、大人のみぞ知る深夜番組の全貌なのでした。

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他人の飯を食う

【漢字】他人の飯を食う 【読み】たにんのめしをくう 【意味】親元を離れて社会の経験を積む。 【例文1】大学4年間、実家を離れ他人の飯を食って親のありがたみを知る。 【例文2】他人の飯を食って社会勉強ができた。 【例文3】他人の飯を食う事で成長する。 私は24歳まで実家で暮らしていた為、生活や金銭面で苦労知らずでした。 25歳で親元を離れ、独身寮で生活をすることになり、他人の飯を食う生活になりました。実家で暮らしていた時は、洗濯や食事面などで困ったことはありませんでしたが、1人暮らしてからは大変さを知り親の有り難みを知りました。 人生の中で他人の飯を食う経験は、一人前の大人になるには大切な事だなと実感しました。 実家で暮らしていても、社会に出ていれば色々な責任を任せられたり、経験を積み一人前になれるので、1人暮らしが立派になる為の全てとは限りませんが、自立するには近道かなと思います。 私の子どもはもうすぐ大学生になりますが、早くも1人暮らしをしたいと言っています。女の子なので、安全の為にもなるべく自分の目が届く所にいて欲しいですが、良い人生経験になるので、1人暮らしをどうしてもしたいと言ったら許可するつもりです。 テレビで時代劇を観ていると、小さな子が問屋などに住み込みで働いているシーンがあり、それを見ると昔の人は早くから、他人の飯を食う経験をしていたんだなと思い、現代との違いを感じます。 早くから親元を離れるのも、あまり賛成できることではないので、今が丁度良い時代かなと思います。

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他人の空似

【漢字】他人の空似 【読み】たにんのそらに 【意味】血の繋がりはないのに顔や姿がよく似ている者にいう言葉。 【例文1】あれ?ここにはいないはずなのに。他人の空似だったかな? 【例文2】私じゃないよ。他人の空似だね。 【例文3】他人の空似だと勘違いをする。 世の中には自分と良く似た人が3人いるというのを聞いたことがあります。 それはまさに他人の空似なのですが、まったく血縁関係がないのに、自分と非常によく似ていて、人に間違えられることが多いのは不思議なことです。 私も若い頃に私とそっくりの赤の他人がいました。 実際に私はその人に会ったことがないのですが、いろいろな場所で私を見かけたという人がいました。 数多くの話から私なりに分析すると、その人は最初の頃は新婚さんのようでした。 それから数年経つと、旦那さんと出かけている所を目撃されていることが多くなりました。 私は独身だったので旦那さんと一緒にいるわけがなく、誰かが見かけたお店にも行ったことがありません。 しかも、だいたい同じような場所でその人を見かけたという人が多かったので、私と似た人が住んでいる場所も大体把握することができました。 私が年齢を重ねていくうちに、私の印象も徐々に変わってしまったこともあり、その似ている人と間違われることも少なくなりました。 その為、それを言われることもなくなりました。 もしかしたら、私に似ている人がどこかへ引っ越ししてしまったのかもしれません。 おそらく相手も私と同じような経験をしていたかもしれません。 今思えば、その人に会って見たかったような気もします。 私は先日、母親のそっくりさんに出会いました。 私の実家は熊本県で、私は今愛知県に住んでいます。 ですので、そのへんを歩いていてばったりと母親に会うなんてことはありません。 ですが、ショッピングモールにいったとき、母親に本当にそっくりに人を見かけたのです。顔だけじゃなく髪型や服装までそっくりでした。 私は何度もその人を見てはそっくりだけどここは愛知だしちがうよね?と思いながら母親に今愛知に来てるなんてことないよね?と連絡をしました。 すると母親からは何言ってるの?熊本に決まってるじゃない、愛知に行くときは連絡するしーときました。 やっぱり母親じゃなくてそっくりさんだったみたいです。 でも、もし母親が近くに住んでいたのなら間違いなく母親と勘違いして話し掛けてしまうくらい母親と似ていました。 本当に他人の空似ってあるんだなぁと実感しました。 実家に帰った時に母親にこの話をすると、私もその人、見てみたかったわーと言っていました。 話し掛けて友達になってくれれば良かったのにとも言われました。 自分のそっくりさんとっても興味津々でした。 その後、また会えるといいなぁなんて思っていましたが、母親のそっくりさんに遭遇したことはありません。

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他人行儀

【漢字】他人行儀 【読み】たにんぎょうぎ 【意味】親しい間柄なのによそよそしい態度を取る。 【例文1】他人行儀だな。言ってくれれば貸してやったのに。 【例文2】おいおい他人行儀な言い方はよせよ。 【例文3】申し訳けなくて他人行儀な態度を取る。 私は子どもの頃から電話での話し方は、どんなに親しい間柄でも他人行儀な挨拶をしてきました。 それは自分では自然なことなのですが、周りの人からすると不自然に感じてしまうようです。 家族との電話でも丁寧語を使います。 「よろしくね」ではなく、「よろしくお願います」などです。 これが当たり前だという人も中にはいますが、多くの人は「子どもが家族に対して丁寧語を使うのはおかしい」と言いました。 確かに子どものうちから家族に丁寧語で話すのは違和感を覚える人もいるかもしれません。 家では家族に対して、よほどの何かがない限りは丁寧語で会話をすることはありません。 しかし、電話に限っては家族でもつい丁寧語を使ってしまいます。 その傾向は手紙やメールなどでも同じことです。 面と向かって会話をする以外では、なぜか丁寧語を使ってしまうのです。 今は大人になったので、家族間での丁寧語でのやり取りは不自然ではなくなったと思います。 しかし、子どものうちはやはり他人行儀に思われても仕方がないのかもしれません。 私の知るところで子どもが家族に丁寧語で話しているのは、上流家庭の裕福なお子様くらいです。 どんな間柄でも丁寧語で話すことは、たとえ他人行儀にとられても良いことだと思います。 逆に汚い言葉使いはできるだけ避けたいものです。 自分と親しい間柄の人なのに、なんとなく他人行儀な関係の人はいませんか。今はそういう相手がいなくとも、もしかすると過去にそう関係の人がいた、という人もいると思います。もしくは反対に、相手は自分に親しくしてくれるし親密な関係として接してくれているのに、自分は他人行儀な態度をとってしまう場合があるかもしれません。ですが他人行儀な態度をとることも、仕方ないことだと思います。 人と人との関係性というのは、とても繊細なものです。自分にとっては仲良くしたい人であっても、相手にとっての自分は、あまり親密になりたくない人間の可能性だってあるでしょう。意外と人間というのは、相手の気持ちを汲み取れないときだってあるのです。ですから『自分が仲良いと感じている人』だとしても、相手も同様の仲だと感じていると断定できないのです。けれど自分がそれを察することができない場合、「相手はなぜ他人行儀なのだろう」と感じてしまうこともあるでしょう。もしくは自分はあえて他人行儀で接しているのに、やたら相手が自分と関わりたがる場合、相手も「なぜこんなに他人行儀なのだろう」と疑問に思っているかもしれません。 他人行儀になるということは、どこかしらで距離感を計り損ねている可能性があるとも考えられます。人間関係とはそれくらい繊細で、なおかつ複雑だと言えるのではないでしょうか。

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棚に上げる

【漢字】棚に上げる 【読み】たなにあげる 【意味】自分の言動はさて置き、他人にはあれこれ指図する。 【例文1】自分の事は棚に上げて説教をする。 【例文2】自分の事は棚に上げて悪口を言う。 【例文3】自分の事は棚に上げて命令する。 私は集合住宅に住んでいるのですが、同じ住宅の中に、やたらと人の悪口を言う人がいます。 この人は通行人を捕まえては、ある事ない事人のうわさ話しをします。 町内会の清掃でサボっていたとか時には子どもの泣き声があまりのも毎日するので虐待をしているのではないかと民生委員さんに通報したそうです。話を盛りすぎてびっくりして確認をすると、赤ちゃんがぐずって食事をいつまでたっても準備できないので心を鬼にして泣かせていたとお母さんは話しました。よそのお宅の騒音には敏感だけど自分たちの騒音は気にしていないようです。自分の行いは棚に上げて発言する人だから相手にしない方がいいと言われました。 ですからなるべくこの人に出くわさないように、ゴミだしの時間帯を変えたりしています。 会社にも自分の事は棚に上げて説教ばかり言う上司にうんざりです。社員に指導する前にまず自分のデスクの上を片付けて身なりを整えてから注意してほしいものです。 私の職場の上司に自分のことは棚に上げる変な人間がいます。ある時、お客様の約束をそっちのけにしていました。お客様からお怒りの電話がかかって来ました。そうすると多弁な上司は自分の都合の良いふうに話を持っていきました。つまり逃げたのです。私はこの上司信じられない。いつもこのような事例が多いのです。そしていつも自分のことは棚に上げる悪い癖、どうしようもない奴だと思いました。この棚に上げる悪い癖は仕事の節々に見受けられるのです。そして部下を罵倒する。散々です。こんな上司と付き合っていくのは先々持ちません。人には度々怒鳴りつける癖があって自分のことは棚に上げる。懲り懲りです。だから周りの同僚も分かっています。上手に付き合っている同僚もいますが自分はそんなお調子者はしきれないのです。そしてもっと嫌なことはこの自分のことを棚に上げる癖があるのに、この上司のまた上の上司にはいつもお調子者でおべっかを使っているのです。世渡りってこんなものなのでしょうか。本当にあきれてしまいます。サラリーマンだとこんな対応をして行かなくてはならないのでしょうか?本当にあきれてしまいます。また、サラリーマンが嫌になりますが、家族の為に仕事を頑張って生きます。

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棚からぼた餅

【漢字】棚からぼた餅 【読み】たなからぼたもち 【意味】神棚からぼた餅が落ちたところ運良く口の中に入ったというたとえから、思いがけない幸運が巡って来る。 【例文1】一人寂しく飲んでいたら相席に美女が来た。意気投合してこれこそ棚からぼた餅だ。 【例文2】優勝こそ逃したが、スマイル賞受賞でブレイクして棚からぼた餅だ。 【例文3】フラれて焼け酒をしていたら素敵な男性と出会い、棚からぼた餅だ。 昨年の年末に引越しをしたのですが、何故年末だったかという理由は、急に転勤が決まりその転勤先は引越しをしないと通えない地域だったからです。 急な話だったので、物件探しに時間をかけることができず、予算内に収まる家を見つけ契約しました。 その物件は、築年数が経っているのでとても古い建物で、部屋のリフォームも行われていない為、劣化している部分がほとんどでした。 しかし、とりあえず入居して落ち着いたら、他の家を探せば良いかなと思っていると、不動産屋から連絡があり、入居予定の物件の上の階から水漏れが起きて入居できない状態になったと言われました。 引越し業者の手配など、全て予定が決まっていたので、不動産屋になんとかしてくれないと困る!と強く文句を言いました。 その後、入居予定だった物件より新しくて、家賃も高い所を2ヶ月間家賃無料で、敷金礼金なしにするからという対応をしてもらい、更に家賃も6000円下げるという好条件の待遇を受けられるようになりました。 棚からぼた餅とはこのことだ!と思いました。 最悪の状況から一転して、おしゃれできれいなマンションにお得な価格で入居でき、充実した生活を送っています。 家賃を値下げしてもらいましたが、少し高い物件なので会社からの住居手当では足りず、自腹を切っている部分が多いですが、住みやすい家なので気に入っています。

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盾(楯)を突く

【漢字】盾(楯)を突く 【読み】たてをつく 【意味】文句を言って反論する。反抗する。 【例文1】親に盾を突く。 【例文2】先輩に盾を突く。 【例文3】子どもが盾を突く。 「親に盾つく」という言葉は良く聞きますが、その語源が盾を突くから来ているとは知りませんでした。 今は実際に盾を持って突くことは、ほぼありませんが、それでもそのくらいの反抗心という意味なのだと思います。 子どもの反抗期では、子どもが親に盾つくようになります。 しかし、反抗期は親離れをする大切な時期です。 中にはずっと反抗期がない子どもいるようですが、これはこれで心配になってきます。 また、早くから反抗期が来る子もいれば、後になってから反抗期になる子もいるようです。 盾を突くのは親だけではなく、職場の上司や先輩などにもあります。 それだけ元気が良いという証拠かもしれません。 刑事ドラマなどを見ていると、元気いっぱいの新人刑事が上司や先輩刑事に盾を突いている場面が良く出てきます。 たいてい、新人は元気が良くて、時には無鉄砲なことをやりかねないというようなキャラが多いような気がします。 若い時には誰でも何かに対して盾を突いているのかもしれません。 それが年齢を重ねて、いろいろなことを経験していくうちに、角が取れて性格も丸くなっていくのだと思います。 そのうち、盾を突く大人がいなくなる年代になると、逆にそれが寂しくなってしまうのかもしれません。 人工知能が私たちの身の回りの色々なところに関わってくるようになりました。ユーチューブを見ていても自分の好きそうな動画をあなたへお薦めの動画としてどんどん薦めてくれます。なのでいったんユーチューブを見出すと次から次へとお薦めの動画をみてしまいきりがなくなってしまいます。ユーチューブを見るのは無料なので良いのですが問題はネットでのお買い物です。いったんAmazonなどのホームページで何か商品を検索すると、自分が他のホームページを見た時にその商品の広告が色々なところにちりばめられます。クリック一つでお買い物が出来る時代これをやられると欲しくない商品にもついつい手を出してしまいそうになります。 全てこういったことは人工知能がディープラーニングで自分でどんどん学習して相手の好みに合わせた商品やユーチューブを探しだしているのです。人工知能恐るべしです。人工知能が自分で勉強するとなると将来の大学入試では学生と一緒に人工知能を搭載したロボットが受験しているかもしれません。そして仕事場でも同じように自分の上司が人工知能搭載のロボットになる時代が来ると思います。人間の上司なら盾を突くことも出来ますが、人工知能の上司にはとてもじゃないけれど勝ち目はないし、盾突くことは出来ないと思います。上司が人間のうちに色々と上司に盾を突いておこうかなと思っています。

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立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

【漢字】立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 【読み】たてばしゃくやくすわればぼたんあるくすがたはゆりのはな 【意味】綺麗な女性の容姿や振る舞いを花に見立てて表す言葉。 【例文1】立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花でひと際目立つ。 【例文2】振袖姿が立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だ。 【例文3】浴衣姿が立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だ。 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とは、日本人女性の振る舞いを美しい花に表した言葉です。 このシーンにもっともお目にかかる時といえば夏の浴衣や成人式の振袖姿や花嫁姿ではないでしょうか。着物を着るという素晴らしい日本の文化にとても感謝しています。 浴衣を初めて着たのは高校3年の夏の花火大会の日でした。お母さんに浴衣を着せてもらい帯をしめて女の子らしく振舞いました。着物を着る機会はそうそうないので、20歳の成人式で初めて袖を通した時は、これまた浴衣とは雰囲気も違って活発な私でもさすがにおしとやかになった気分だったのを思い出します。わたしだけではありません。会場にいた振袖姿の同級生は立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花のように明るく振る舞っていました。 外国人から見ると日本人女性は出しゃばらず、夫を蔭ながら支えるというイメージが根付いているのもわかる気がしました。

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縦の物を横にもしない

【漢字】縦の物を横にもしない 【読み】たてのものをよこにもしない 【意味】本来の姿を直そうともしない面倒くさり屋。 【例文1】彼は怠け者で、縦の物を横にもしない。 【例文2】縦の物を横にもしないで服は脱ぎっぱなし。 【例文3】縦の物を横にもしないから部屋が散らかる。 「縦の物を横にもしない」という表現は、そういう状況にピッタリ合った言葉だと思います。 家では何もしない旦那さんに対して、奥さんが良く使う言葉のようです。 今の若い夫婦よりも、中高年世代の旦那さんにはこうした「縦の物を横にもしない」というような人が多いのかもしれません。 昔はこれが当たり前で、家の中のことは奥さんが全てやるべきだという考えの人もいると思います。 専業主婦ならばまだしも、夫婦共働き世代では旦那さんが「縦の物を横にもしない」ような人では、生活が成り立っていかないでしょう。 それでも、ワンオペという言葉が浸透しているように、たとえ奥さんが仕事をしていても、旦那さんは相変わらず家の中では「縦の物を横にもしない」人もいるのかもしれません。 確かに一家に主婦は、二人は必要ないのかもしれませんが、それでもやはり家事は分担して行うべきだと思います。 おそらく今後はこうした夫婦像や家庭像が変わっていくのかもしれません。 どのような立場でも「縦の物を横にもしない」ような人ではなく、フットワークが軽い人の方が良いと思います。 自分もできるだけフットワークの軽い人でありたいと思っています。 そのためにも、何事も面倒に感じないためにも、まずは太らないことが大切だと感じています。

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伊達の薄着

【漢字】伊達の薄着 【読み】だてのうすぎ 【意味】着膨れした格好を嫌がり、寒い時も我慢して薄着でいる。 【例文1】女性はファッションのためなら伊達の薄着もへっちゃら。 【例文2】スリムに見せたいので伊達の薄着で我慢する。 【例文3】太って見えるから伊達の薄着にする。 私は10代の頃は特に伊達の薄着をしていたと思います。 私が住んでいる地域は冬になるとかなり雪が積もり、気温も下がって寒くなります。 しかし、そんな中でも厚着をすると格好が悪いと思い、寒くても我慢して薄着で過ごしました。 それでもそれほど風邪を引かなかったのですが、年齢を重ねるうちにオシャレよりも寒さ対策の方が優先になってきました。 子どもの頃は親にもっと厚着をしなさい、とよく注意をされました。 大人にとって薄着は体に良くないことがわかっているので、口うるさく言ったのだと思います。 ですが、私はそれを言われてもあまり実行に移しませんでした。 周りの友達もみな薄着だったので、自分だけ厚着をするのが嫌だったというのもあります。 暑くもないのにお腹を出していたり、ノースリーブの服を着ている人を見ると、寒そうに思ってしまいます。 確かにその方がオシャレですし、格好いいのだと思います。 しかし、暑い場所にいるならともかく、そうでないならばやはり体のことを第一に考えたいものです。 テレビを見ていると真冬でも多くの女性タレントさんがノースリーブの服装をしています。 服の素材はモコモコしていて暖かそうなのですが、やはり肩から腕が全部出ているのを見ると、体が冷えるのではないかと思ってしまいます。

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盾(楯)に取る

【漢字】盾(楯)に取る 【読み】たてにとる 【意味】理由にする。口実にする。 【例文1】強盗犯が人質を盾に取って身代金を強要する。 【例文2】社長の座を盾に取って経費で豪遊する。 【例文3】持病を盾に取って欠席する。 盾に取るとはある事柄にもっともらしい理由をつけることです。 テレビでのワンシーンに人質を楯にとって金品を要求すると見ることがあります。 私の周りにも上司の立場を利用してプライベートでの接待やタクシーチケットを経費で落としています。羨ましい限りですよ。。会社のお金で堂々とゴルフや飲食ができるんですから。 私は正々堂々出るところに出て離婚に応じ、元の旦那から養育費を請求してやっと交渉が成立しました。これから女手ひとつで育てていかなければならないので旦那とは関わりたくなかったのですが、自分たちの生活のためだと親権を楯にとって養育費を請求したのです。稼ぎが少ないからと言って養育費を請求しないシングルのママさんはいませんか? 私たちのケースもそうでしたが、養育費はあくまでも子どもに支払われる当然の主張です。 差し押さえも給料引き落としでもできますから諦めないで主張してください。

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蓼食う虫も好き好き

【漢字】蓼食う虫も好き好き 【読み】たでくうむしもすきずき 【意味】苦いタデを好む虫がいるように、人の好みは様々である。 【例文1】こんなグロいのが好きなの?蓼食う虫も好き好きだよね。 【例文2】蓼食う虫も好き好きでB専だ。 【例文3】変わり者で蓼食う虫も好き好きだ。 蓼とは難しい漢字ですね。蓼とは植物の一種で葉と茎に辛みがあります。辛みを好む人もいるわけでして食う虫も好き好きとは人の好みは様々であるということです。 私の友人は女優の川口春奈に似ていてとても可愛くスタイルもよく、性格は明るくいい男はほっとかないタイプです。ですが、そんないい男には見向きもせず、なぜか付き合う男はダメンズばかり。彼女のお金をあてにして働かない、既婚者という身分を隠して交際を迫る、二股は平気でかけるダメンズばかりなのです。彼女は育ちが良く勉強も出来ていました。それなのになぜそんな男ばかりを選ぶのか心配です。彼女は頼られている感じがいいと言っていますが、単に都合がいい女ではないですか。本当に蓼食う虫も好き好きとはこのことを言います。一度私の地元の知り合いを彼女に紹介したことがあります。仕事まじめで3歳年上で27歳です。もちろん考え方もしっかりしています。しかし、彼女にはしっくりこなかったようでお付き合いには発展しませんでしたが、彼女にはきちんとした男性と付き合ってもらいたいので、今後もグループ交際を交えて月一ご飯食べに行っています。いつか気が変わってくれたらなという想いも込めて。

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立て板に水

【漢字】立て板に水 【読み】たていたにみず 【意味】立て続けによく喋る様子。 【例文1】井戸端会議で立て板に水だ。 【例文2】ママ友のランチ会は立て板に水だ。 【例文3】よくもまぁ話題が立て板に水だ。 私は子どもの頃から、おしゃべりです。 人とおしゃべりをするのが大好きです。もちろん人の話を聞くこともできますよ。しかし、いやだなと思う人にでも話しを合わせる事もできますが、そんな時はうまく切り上げてその場を離れます。 これまでも学校や職場でも友達と楽しく過ごしてきました。 30歳で結婚して子どもも2人できました。 子どもが小さい時からよく話しかけています。 幼稚園に行くようになるとお迎えのバスを待つことになります。同じ境遇もママさん達と仲良くなって子ども達を見送った後でも立て板に水状態です。 どうしても悩みや行事についての話しがでると話題は尽きません。気がつくと2時間も立ち話しをしております。話をしたり、共感を得るとその日はすっきりして一日を迎えることができます。ママさん友達にはとても感謝しています。 私の周りには立て板に水のような人がたくさんいますので、ストレスなく過ごせています。

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手綱を締める

【漢字】手綱を締める 【読み】たづなをしめる 【意味】勝手な言動を取らないように制御する。 【例文1】生徒の行動に手綱を締める。 【例文2】自分勝手な言動に手綱を締める。 【例文3】GPSで手綱を締める。 時には手綱を締めるときというのは必要だと思います。 手綱を引き締めるとは勝手な行動をしたり気を緩めたりしないように他人を制御するという意味がありますが、一歩間違うと独裁者になってしまうことがあります。 そうならないためにも、皆がどこに向かいたいのかという意思を確認しあう必要があります。 確認を怠って、違う目標同士のものが集まってしまったらまとまらないし、独裁者がいたら苦しくなるばかりです。 それで学校の部活の話になりますが、部活といっても全国優勝を目指す人たちもいれば、勝ち負けではなく体を動かしてリフレッシュしたりスポーツを通して友達と交流したいという人たちもいるのですが、それがごちゃ混ぜになっているなと思います。 楽しむ程度の運動でいいという考えの人が、長時間の厳しい練習を強いられたりするのはどうかなと思うのです。 ただ、何も考えずに決められた練習をやらされていると感じれば上手くならないし、時間が無駄です。 しかも、絶対にどこかの部活に入らないといけないという学校もあったりして、それは生徒の負担になっているのではないかと思うのです。 また、学校の先生も部活の付き添いで土日も学校にやってきたり時間を割かれることも多いです。 もう少し、部活動を見直したほうがいいなと感じますね。

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立つ鳥跡を濁さず

【漢字】立つ鳥跡を濁さず 【読み】たつとりあとをにごさず 【意味】水鳥が飛び立った跡は濁ることなく澄んだままの様子から、立ち去る時は見苦しくないように綺麗にしておくべきだという教え。 【例文1】お世話になった感謝の気持ちを表すため、立つ鳥跡を濁さずで来た時よりもきれいにして寮を出る。 【例文2】立つ鳥跡を濁さずでグラウンドを整備する。 【例文3】練習後は立つ鳥跡を濁さずだ。 立ち振る舞いの美しい人は、去り際も美しいものです。立つ鳥跡を濁さずという言葉があるように、去るときに美しい人は素敵です。 この言葉には、見た目だけでなく内面の所作も表現されているように思います。日常的な例では、後の人のことを考えた場所や物の使い方に関して、よく使われる言葉です。きれいな状態のままで引き渡せると、後で使う人も気持ちがいいものですよね。鳥はお風呂の場面で例えられていますが、お風呂だけでなくお店のテーブルだったり、宿泊した部屋だったり、様々な場所において散らかしてしまったらある程度片づけてから立ち去ると気持ちのいいものです。 そのような物理的なものだけでなく、例えば別れ際なんかも同じことが言えます。別れ際はサラッと笑顔で明るく立ち去りたい。跡を濁さずな去り方をしたいものです。男女の別れなどでは、もつれて泥沼化してしまうこともありますが、あとから考えるとみっともないことです。あのとき、サラッと別れることができていたらどんなによかっただろうと思うこともあります。日常生活の些細な場面から、人生の分岐になるような場面まで、立つ鳥跡を濁さずという言葉のように、スマートに立ち振る舞えると素敵ですね。 「立つ鳥跡を濁さず」とは立ち去る者は、その場所が見苦しくないようきれいに始末をしていくべきということ。または引き際は美しくあるべきだということのたとえです。 例えばカラスは生ゴミなどのゴミ場をあさってぐちゃぐちゃに散らかしたまま去っていきます。それに比べ水鳥が飛び立った後の水辺は濁ることもなく澄んだままです。「立つ」とは、水鳥が飛び立つ、飛び立って去っていくという意味です。このような様子が由来となっています。 何かをし、その場所を去る際は以前と同じようにきちんと後始末をしておきなさいという教えですね。 類義語は飛ぶ鳥跡を濁さず、鷺は立ちての跡を濁さず、鳥は立てども跡を濁さず、があります。 例文は、立つ鳥跡を濁さずというように退社の際は仕事の引き継ぎは全部やるようにしましょう。や、立つ鳥跡を濁さずというので卒業までに教室はしっかり綺麗にしておこう。などがあります。 私も以前、長年働いた会社を退職することになった際に私が去った後、会社に遺恨を残さないように、残された同僚やお世話になった上司に顔向けできないような辞め方はしないようにと思いながら退社を決意した日から最終日まで働き無事跡を濁さずに退社しました。 このように立つ鳥跡を濁さずというようにどんな時も去り際は水鳥のように綺麗でありたいものですね。

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脱兎のごとく

【漢字】脱兎のごとく 【読み】だっとのごとく 【意味】逃げる兎のように、とても速い動きをいう。 【例文1】学校から帰宅すると、宿題もせずに脱兎のごとく遊びに出た。 【例文2】脱兎のごとく万引き犯が逃げた。 【例文3】ゴキブリが脱兎のごとく逃げた。 中学生のころ、『不審者が出没するので気をつけるように』という連絡が。外が薄暗くなりはじめて、怖いなと思っていたら、後ろから足音がします。 振り返るのも恐ろしくて、早歩きしても足音も合わせて早くなる。赤信号で止まったら、後ろの足音も止まる。どうしょう、先に行ってもらった方が良いのかな。でも、変に思われるかなと思ったけど、青信号になった途端、脱兎のごとくダッシュしました。いっさい後ろを振り向かないように。結局、その人は追いかけては来ませんでした。 不審者でもなんでもなく、ただ同じ方面に向かって歩いていただけでしょうね。いきなり逃げて、失礼なことしてしまいました。でも当時は本気で怖かったんです。さすがに振り向いて、「すみません。あなたは不審者ですか?」なんて言えない。 それこそ失礼ですからね。いちどでも「怪しい人かも知れない」と疑ってしまうと、何気ない行動でも怪しく見えてしまうんですよね。今回の場合、たまたま帰り道が同じだっただけなのに「なんで後をつけてくるんだろう。ストーカー?」と思ってしまいました。 もしかしたら、わたしも同じように思われているかもしれません。昼間に人とすれ違っても、そんなに怖くないのですが、暗くなってくると、どんなに優しそうな人でも不審者に見えてしまいます。 怖いと感じたら失礼を承知で逃げることも、自分の安全を守るためには必要ですよね。

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立っている者は親でも使え

【漢字】立っている者は親でも使え 【読み】たっているものはおやでもつかえ 【意味】急ぐ時、そこに立っている人が親でも遠慮なく用事を頼む。 【例文1】車に忘れ物をした。ちょうど母が出かけるので、立っている者は親でも使えでついでに持ってきてもらう。 【例文2】先輩が出先だというので、立っている者は親でも使えで用事を頼む。 【例文3】申し訳ないが、立っている者は親でも使え。 立っている者は親でも使えという諺は、できた当時はまだ親に威厳がある時代だったと思うのです。 困っていたり急いでいる時は、たとえ崇めたてるべき存在の親にさえ用事を頼んでいいという意味だと思うのですが、今の時代、親に威厳なんてありません。 もちろん他の家のことまで分かりませんが、少なくとも我が家では、当の親である私は二人の子どもから全く崇めたてられていません。 母親とは家政婦のセカンドネームくらいにしか思っていないようです。 だから子ども二人にしてみたら、立っている者は親でも使えではなく、立っている者は親なら使え、といったところです。 それならばと、こちらも次の一手です。 我が家は一年中こたつの台をちゃぶ台にしているのですが、座り込んでいる時に、一々立ち上がって物を取りに行くのは面倒なものです。 そんな時、子ども部屋から出てきた子どもにむかって、「立ってるものは子どもでも使えだ、台拭きを持ってきて、お願い」と言うわけです。 もちろん子どもはムッとしますが、結局用事をしてくれます。 夫が通りかかった時も、ちょうど良かったとばかりに「立ってる者は旦那でも使えだ」と言ってお願いごとをします。 そうこうするうちに、立ってる者はシリーズが我が家で流行し、案の定、私もお見舞いされてます。 立ってる者は母さんでも使え、のようにです。 諺は為になるだけでなく、変化をつけると日常が楽しくなるかも?でした。

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立つ瀬がない

【漢字】立つ瀬がない 【読み】たつせがない 【意味】自分の立場がない。 【例文1】経験者よりも初心者が先に出来て立つ瀬がない。 【例文2】部下に指摘され立つ瀬がない。 【例文3】年下が出世して立つ瀬がない。 社会的立場に相応な威厳が保てなくなることを指して、立つ瀬がないと表現します。 問題の解決や仲裁などに入ってうまくいかなかった場合などによく使用されます。 瀬とは川などで流れが緩やかになっている部分で、川の深さや流れの強さにもよりますが、足がつくことで直立状態を保てるのが一般的です。 立つ瀬が無いということは、流れが思った以上にきつかったか川底が深かった、つまり当人に解決できるほど問題は簡単でなかったことになります。 立つ瀬が無いの同義語として面目が潰れるという表現がありますが、偉い人ほど自分の誇りが傷つけられることに敏感です。 「それでは私の立つ瀬がない」というセリフはよく聞かれますが、これは「私の立場を考慮して貴方は我慢しなさい」と言っているのです。 問題の解決とは程遠く、立場を利用して威圧していることを当人は自覚しているのでしょうか。 しぶしぶ従ったことなど次の瞬間にはすっきり忘れて、「問題を解決し丸く治めることができた」と得意満面に語られるとイラッ来ること請け合いです。 いっそのこと面目丸潰れにして、立つ瀬が無い状態でどこまでも流れていくがいいなどと思うこともあります。 それで事が済むならそうするのですが、恨みや怒りを買うことを避けて平穏無事に済む選択をしてしまうのが小市民の無難でいじましい処世術です。

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太刀打ちできない

【漢字】太刀打ちできない 【読み】たちうちできない 【意味】力の差が大きく競争相手にもならない。 【例文1】彼女の学力には誰も太刀打ちできない。 【例文2】まだまだ父のようには太刀打ちできない。 【例文3】年収の差が太刀打ちできない。 自分の見の周りを見回してみて本当に太刀打ちできないなと思う人がいます。とにかく文句のつけようがないいい人がごくごくたまに存在します。相手のことを考えて行動できるし、相手の立場に立って「あの人だったらこういう風に考えるだろうな、こういったものが好きだろうな」と自然に考えられる人です。 私自身はそれがとても苦手です。とにかく自分の目線からでしか物事を考えることが出来ません。相手の立場に立って考えているように見えてもやっぱりどこかで自分の思考が入ってしまいます。自分の都合のよいように解釈して他人の気持ちを考えてしまいます。 また職場などでも「今日は周りに気配りをきちんとしよう!」と自分にスイッチを入れないと、本当にどうしようもないくらいに自分のことしか考えられない、気配りが出来ない人になってしまいます。 なのでそういった相手の立場になって考えて気配りが出来る人、しかもそれが身に付いていてごく自然な感じで出来る人をみると「まいったな~あの人にはとても太刀打ちできないな」と思ってしまいます。そういう人をいい人と呼ぶのだと思います。自分が親になって子どもを育てる立場になった時に、どうやって育てればそういういい人に育つのだろうかと思います。 大学受験の勉強をしていた頃はほぼ毎日、約8時間ほど勉強をしていました。高校3年生の4月は、まだ自分の偏差値もそれほど高くなかったため、果たして本当に第一志望の大学に受かるかどうか不安でしたが、とにかくやるしかないと思い、一生懸命勉強を続けました。 勉強をしていくうちに、今まで分からなかったところが理解できるようになったときの喜びを感じたり、どんどん次のステップに進みたいといった、勉強への意欲も湧いてきました。4月ごろの偏差値は40前半程度しかなかったのですが、10月にもなると偏差値は50前半程度にまで上がっていました。このまま勉強を続けていけば、もしかすると第一志望の大学にも受かるかもしれない、と自分でも感じましたし、塾の先生たちもあくまで「もしかしたら」といった気持ちで、私の勉強を見守ってくれていました。 しかし第一志望の大学の入試当日、問題を開いてみて一気に気持ちが急降下しました。というのも問題があまりにも難しく、太刀打ちできないレベルだと感じてしまったからです。無論、第一志望の大学は落ちてしまいました。ただ第二志望の大学が受かっていたので、そこに入学することに決めました。第一志望の大学には受かりませんでしたが、きちんと勉強して少なくとも第二志望の大学にいけたのは、自分の努力の証だなと感じており、今では受験生時代のことも良い思い出の1つになっています。

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駄々をこねる

【漢字】駄々をこねる 【読み】だだをこねる 【意味】子どもが親に無理を言って困らせる様子。 【例文1】これが欲しいと子どもみたいに駄々をこねる。 【例文2】子どもが駄々をこねると対処に困る。 【例文3】泣いて駄々をこねる。 駄々をこねるとは相手がおとなしいことを良いことにわがままを言う事です。よく小さな子どもがおもちゃ屋さんやスーパーマーケットで「これ買って!」と駄々をこねている姿を見かけることがあります。これってはたから見ていると駄々をこねて泣いて可愛いな~と思うのですが、立場が変わって親の立場になるともう大変です。何を言い聞かせてもいうことを聞かない子ども相手に本当に腸が煮えくり返る思いがします。でも全く駄々をこねない子どももそれはそれで心配なのである程度は自己主張してこれだけは欲しい!という思いを表現してほしいなと親としては思います。 最近のお母さんを見ていて子どもの叱り方が「何かおかしいんじゃないの?」と思うことがあります。例えば電車やバスの中で騒いで迷惑をかけている自分の子どもに対して最近のお母さんは「そんなにうるさいとバスの運転手さんに叱られるよ!」などといったしかり方をします。これって言われた子どもにとってはとても理解しづらいですよね。この先色々なことに対して誰かに叱られるからやっちゃいけないんだってことになってしまい、善悪の区別を他人に委ねることになってしまいます。そうではなくて自分の中でやっていいこととダメなことの線引きをしっかりもって善悪を判断できるような叱り方を大人はする必要があると思うのです。 そういったしかり方が浮かばない時は、「何でダメなの~」と駄々をこねて泣き叫ぶ子どもに「だめなものはダメ!」と問答無用に切り捨てるのもありかと思います。

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ただより高いものはない

【漢字】ただより高いものはない 【読み】ただよりたかいものはない 【意味】ただで物をもらうとお礼代がかさんで、かえって高くつく。 【例文1】友人から車を譲ってもらったが、修理代がかさみ、ただより高いものはない。 【例文2】昼食込みのセミナーなんてただより高いものはないと警戒する。 【例文3】儲け話にはただより高いものはない。 ただより高いものはないとはなにか物をもらうとお礼をしなくてはならず結果お礼代の方が高くつくという意味です。まさにその通りだと思います。 私は高校時代の友人から久しぶりにご飯のお誘いが来ました。なんとグランドホテルで話を聞いてもらうだけで豪華料理がただだというおいしい話に飛びつきました。私はまったく疑う余地もなくおめかしして出かけました。会場入りして目に飛び込んだのはバイキング方式でした。おいしい海の幸を堪能して休憩が入りアナウンスが流れました。お偉いさんみたいな方が挨拶をしてなにか物々しい雰囲気に包まれました。会場を離れて移動した先はなんと羽毛布団やじゅうたんの販売です。最初私は高い値段に驚いてただただ友人について回るだけでした。その友人が上司と何やら話しこんでいるときに私に勧誘の手が伸びました。そんな高額買えませんよ・・と小さな声で言い返しましたが、ローンの話になり組む気もなかったので、無理です・・と断っても食いついてきます。10万円で買った婚礼布団でも十分です。40万なんて誰が買うもんですか。豪華な料理をただで食べたばっかりにと悔みましたが、一刻もその場を離れたかったので、ちょうど買い換えようとしたホームセンターなら5千円もしないであろうじゅうたんを1万円で購入して、友人にはお迎えがあるといいその場を去ってこの友人とは一切連絡を絶ちました。ただより高いものはないとはこうゆうことです。これから気をつけます。

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畳の上の水練

【漢字】畳の上の水練 【読み】たたみのうえのすいれん 【意味】畳の上で水泳の練習をしても状況が違うため泳げないことから、知識を知っていても実践しないと役に立たない。 【例文1】料理教室に通っているのならば作ってくれよ。畳の上の水練じゃないか。 【例文2】職に就かない資格ばかり取っても畳の上の水練だ。 【例文3】ダイエット器具ばかり買って三日坊主で畳の上の水練だ。 たとえば逆上がりが出来ない子どもがいるとします。その子どもは逆上がりが出来るようになるため、逆上がりをするにはどのような筋肉を使うのか、足をどう振り上げれば良いのか、腕にはどのように力を込めれば良いのかなどを、学校の先生や親から聞いて学んだとしましょう。そしてこれらの情報を繰り返しノートに書き、子どもは内容をきちんと覚えたとします。これだけ学んだのですから、その子どもは逆上がりは出来て当然だ、と言いたいところですが、現実はそこまで甘くないことでしょう。何せいくら方法だけ知っていても、逆上がりをするときに使う筋肉がきちんと発達していなければなりませんし、特に筋肉の使い方なんて実際にやってみないと分からないことが多いです。 人生においてこのように、方法や理論だけ知っていても、実際には役に立たないというときはあります。むしろこうした畳の上の水練になることの方が、世の中は多いかもしれません。 義務教育で学んだことを全て活用しているという大人は、恐らくいないでしょう。これは決して義務教育が無駄だということではありません。ただいくら理論を知っていても、それを全て活かせる場があるかと言えば、それは無いと思います。しかし逆に理論を知っていたからこそ、それを活かせる場面というのもあるでしょう。知識は畳の上の水練になることも多いですが、多いだけであって、ちゃんと役に立つ場面だってどこかにあると思えます。

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叩けよ、さらば開かれん

【漢字】叩けよ、さらば開かれん 【読み】たたけよ、さらばひらかれん 【意味】聖書の言葉。先に進まなければ、迷っていては道は切り開かれない。つまり、自分が信じた道を突き進めばおのずと道は開かれるという意味。 【例文1】叩けよ、さらば開かれんと言うから、信念を貫く。 【例文2】叩けよ、さらば開かれんで想い続けた意中の子に告白する。 【例文3】叩けよ、さらば開かれんで思い切って起業する。 私は女性との交際があまりない、自慢になってしまうが女性にはそこそこモテるタイプの外見ではあります。 男性によくイケメンと言われて、よくモテるやろと僻まれる事が多いので外見はそこそこモテるのやろうなと自分の顔を見ています。 しかし、人見知りするので女性に対して「付き合いたい、けど自信がない(ほら、女性と交際って外見だけしゃないし、甲斐性もいるし)」といって自己否定をしているのです。 数少ない交際した女性は向こうが積極的によって来て気が付けば付き合いをしていた感じなので自分から交際を申し込んだ事はない、と友達に言ってると「勿体無いなー」とよく言われます。 で、最近私、気になっているので人ができました。元々とある縁で行動を共にしていたのではあるけど互いに違う職場になり数年間出会う事も無く・・。 行動を共にしていた時から付き合いたい、とか思っていたけど自分に自信が無くてそんな感情を否定して日々を過ごしていました。 で、久しぶりに会うとその子は前より垢抜けて可愛くなっていました。困った、可愛い・・。 その事を友達に言うと「叩けよ、さらば開かれんやで、いつまでも悶々とするたけやとあかんで」 ・・決めた、次あったら玉砕覚悟で好きでした、と言おう。

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叩けばほこりが出る

【漢字】叩けばほこりが出る 【読み】たたけばほこりがでる 【意味】細かく調べたり、追いつめれば悪事が次々と出てくる。 【例文1】叩けばほこりがまだまだ出ると犯人を問い詰める。 【例文2】叩けばほこりが出ると余罪を調べる。 【例文3】初犯ではないはずだ。叩けばほこりが出る。 「叩けばほこりが出る」とは「穿鑿(せんさく)すれば何かしら欠点や弱みが見つかる」という意味です。これで思い出される逸話は、豊臣秀吉と千利休の対立です。千利休はもとは堺の魚やの息子でしたが、16歳の時から作法を身に着けるためにお茶を学び始めます。そして作法を教えるためのものでしかなかったお茶を茶道にまで作り上げた人です。千利休と豊臣秀吉は茶道を通して、良い関係を長年にわたり築いてきました。秀吉の弟の秀長との懇ろになり、秀吉政権の表を秀長が、裏を千利休が回しているという時代もありました。ところが、秀長が亡くなり後ろ盾がいなくなると、千利休の立場が微妙になります。生まれ育った堺の土地の利益を守るために、ある程度の自治を認めて欲しい千利休と、利という利はすべて自分のものにしたい秀吉が対立したのも仕方がないことだったかもしれません。利休が京都大徳寺の山門を私費で修復した際に、門の上に木像の利休像を置いたことが罪に問われ(利休の寄付の御礼に大徳寺側が勝手に置いたのですが)、秀吉もくぐる山門の上から自分を見下ろすとは無礼極まりないというのが理由でしたが、千利休は自分の非でないことを謝るのは茶道をも否定することだと、勝手に堺に帰ってしまいます。激怒した秀吉は利休に切腹させてしまいます。「叩けばほこりが出る」というのはまさにこういうことなのでしょう。千利休は気の毒な生涯を閉じました。

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蛇足

【漢字】蛇足 【読み】だそく 【意味】蛇の絵に足はいらないことから、不要なもの。付け加える必要がない。 【例文1】彼女は帰国子女なので、通訳は蛇足。 【例文2】最近の車は蛇足機能が多い。 【例文3】スマホのアプリのおかげで蛇足が増えた。 最近、色々なコラムで「蛇足として・・」と書き足してある文章がある。 例えば、カレーのレシピのコラムで「蛇足として、カレーの残りを利用してグラタンを作りました」という記事がありました。 なんとなく蛇足って書き足して、為になる事を言ったりするものと思い込んでいました。 しかし、蛇足とは蛇に足をつけたら・・全く意味がない。というか蛇に足を足すと邪魔なものではないのかという意味では? と疑問を抱いたので、蛇足の本来の意味を調べました。 蛇足とは余計なものを付け足した為に物事の価値を下げたり、駄目にしてしまう事である。 これが蛇足の本来の意味であります。 つまり、先程のカレーの記事のグラタンのくだりは本来の蛇足としての意味ではないのかな?と個人的に思っています。 カレーをグラタンにして、もし美味しかったら為になるのでその記事の価値を上げるし、もし不味くてもこのカレーはグラタンに合わないという知識が入って為になります、と思っています。 だから、本来なら蛇足としての意味なら。 「このカレーを私の彼氏にご馳走したら・・キャッ(照)」とか足したら本当に蛇足やわ!とか思います。 最近、蛇足って意味を勘違いしてしまってる人が増えてるって事だと思います。 蛇足とはあっても役に立たないもの、無駄とか不要にあたるものに対して使われる言葉ですが私はどうも人に何かをプレゼントする際に相手にとってこの蛇足的なものを選んでしまいがちで、いわゆるセンスがない人間なので耳に痛い言葉です。以前に父の日に甚平をあげた事がありました。6月というこれから夏に入る時期で服装から涼しくしたらどうだろうとか、自分が甚平を着て過ごしやすく気に入ってたのもあって選んだのですが、一回も着てる姿を見ることがありませんでした。その後だいぶ月日が経ってから祖父母に会いに行く機会に祖父の誕生日と重なった事があり出掛ける時仕事で行けない父が「じゃぁ、これもあげたら喜ぶんじゃないか」と差し出されたのが私のあげた甚平でした。そこで父から自分はこういうの着ないからと聞けて捨てるよりは良いかと前向きに思う気持ちと何だか切ないような複雑な心境に陥った記憶があります。また昔友人に目覚まし時計を贈った時は、携帯でアラーム機能で起きてるから必要ない的なニュアンスでバッサリと斬られ確かにそうだと納得しつつ自分のセンスの無さにガックリした事もありました。そう自覚してからは家族でも友人でも何が欲しいのか聞く事にしました。サプライズ感は無くなりますが、大体こんなのが欲しいというジャンルの中で選ぶとやっぱり失敗が少なくてあげた後罪悪感に襲われなくなったので良かったと思っています。

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多勢に無勢

【漢字】多勢に無勢 【読み】たぜいにぶぜい 【意味】大勢いるため少人数では勝ち目がない。 【例文1】卒業旅行は海外に決まった。多数決で多勢に無勢だ。 【例文2】おばちゃん達の意見は勢いあってまさに多勢に無勢だ。 【例文3】彼女には信頼・人脈があり多勢に無勢だ。 最近の政治は民主主義と多数決を取り間違えているように思えます。 皆で話し合い納得できる結果を導き出すための会議であるはずが、党や派閥の都合だけで物事が決められていく光景はなんとも醜いとしか表現できません。 そもそも多数決で選出された人間がそれほど秀でた判断力を持っているのでしょうか。 最近の投票率の低さと、立候補者が多数いた場合の票の割れからすれば、全体の3割程度でも楽々と当選出来てしまいます。 所属派閥がある程度大きくて、他の派閥を取り込めれば党のトップ、国のトップになる事が出来るのはいつもの話です。 どれほど支持率が落ちようとも一度その座についてしまえば引きずり落とされることなどまずありません。 下手をすれば諸共に奈落の底へ落ちるのですから、誰も積極的に動くものではないからです。 民主主義は、自分たちのことは自分たちで決めるという覚悟だったはずですが、いつからこのような票集め作業になってしまったのでしょう。 選んでしまった有権者が悪いと言われればそのような気もしますが、社会システム自体も問題を抱えているように思えます。 投票可能な年齢を下げるという、最近のことなかれな政治にしては思い切ったことをしたものですがどう転がるか見当もつきません。 ろくな判断力を持たない多勢に無勢の良識人が駆逐されなければよいのですが、こればかりは願おうと祈ろうとどうにもならないでしょう。

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出しに使う

【漢字】出しに使う 【読み】だしにつかう 【意味】他人を利用して利益を得る。 【例文1】子どもを出しに使い芸能人のサインをもらう。 【例文2】同期を出しに使って出世する。 【例文3】卑怯な手口で出しに使う。 自分の利益のためだけに、誰かを出しに使う人に出会ったことがある人もいるでしょう。そういう人は学校や会社、どこにだっています。しかしそういう人は、特定の1人だけではなく、複数人を利用している可能性があるのではないでしょうか。なぜかというと、誰か1人だけではなくて何人かを使った方が、より利益を得やすいと考えられるためです。 ですがそういう人は、そのうち周りから見放されていってしまいます。無論どんなに優しい人であっても、その行動原理を突き詰めていけば『自分の利益のため』と言えるかもしれません。しかし誰かを出しに使う人は、その行動原理をわざわざ突き詰めなくても『自分の利益のため』にやっているのが目に見えるわけです。こういう人と一緒にいると、周りはどんどん疲れていってしまいますから、余程の事情がない限りは段々と距離が離れていきます。 もちろん場合によっては、自分の利益のためだけに誰かを出しに使いたくなることもあるかもしれません。そういうときは予め、きちんと相手に断りを入れてから、自分のやってほしいことを頼むのが良いと思います。それで相手が自分の頼みごとを受け入れてくれた場合は、ちゃんと感謝の言葉を述べれば、以降も良い人間関係が築けるのではないでしょうか。

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多事多難

【漢字】多事多難 【読み】たじたなん 【意味】事件や災難が多い。 【例文1】多事多難だったね。お祓いに行った方がいいよ。 【例文2】会社倒産に追い込まれ多事多難だ。 【例文3】治安が悪く多事多難だ。 多事多難とは困難が多いことです。 できれば避けたいことですが、こればかりはどうにもならない私の人生がまさに多事多難です。 2年付き合った恋人と別れました。あと1年付き合って同棲もしたいなと結婚も視野に入れていただけにとてもショックでした。食事ものどを通らす5キロ痩せました。別れた理由は他に好きな人ができたから。あるんですね、こんなこと。ドラマの中でのセリフだと思っていました。しかもですよ、その他に好きな人って私の後輩です。付き合うのか付き合わないのかはわかりませんが、仮に付きあったとしても同じ社内で目にするのはつらいです。 もうすぐ身内の法要があり翌月には高校時代の友人が結婚します。5万は飛びそうです。この半年内で冠婚葬祭がたて続きでふところも厳しいです。 さらに今年5月に車検がやってきます。タイヤの交換どきなので5万はみとかないといけないみたいです。その前に車の税金約4万円も必要です。このお金はどこから捻出したらいいのか・・人生初金融会社に行く羽目になりそうです。

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他山の石

【漢字】他山の石 【読み】たざんのいし 【意味】他人の失敗は自分を向上させるのに役に立つ。 【例文1】事業拡張の失敗を他山の石とする。 【例文2】他山の石を教訓とする。 【例文3】他山の石からヒントを得る。 『他山の石』とは他人の大きな失敗を他人事として傍観せず、それを自らの教訓として今後の仕事や人生に生かしていく事を意味します。似たような表現に反面教師という言葉もあります。 私達は仕事や日々の生活の中で、事あるごとに何かに失敗し、そして壁にぶつかります。失敗を糧としなさいと経験のある大人に言われたり、哲学書や経営書にもそう記してあるのですが、余程の強靭な精神の持ち主でない限り、やはり自分の犯した失敗にまずは打ちのめされ、その精神を回復させるのに相当な時間を費やしてしまうでしょう。つまり自分の経験による教訓というのは、それなりの精神エネルギーを必要とし、なかなか骨の折れる思いをします。 一方で私達は周りの人々の失敗もしばしば目にします。その際に私達は他人事として無関心を決め込んだり、内心その人の事をバカにしていたりして、何かしらの優越感を感じている事でしょう。 しかし他人の失敗を他人事として片付けるのは余りに勿体ないと思います。なぜなら、自分の意識次第で自分自身が何も傷つかずに物事の勉強をできる機会となるからです。ただ個人的に強く思うのは、他人の失敗を他山の石とする際には、その失敗した人に敬意を払う事を忘れてはいけないと思います。 最近、芸能人に限らず、色々な世界の有名人が過去の過ちや失敗について語る番組が大好評ですよね。ついつい、そういう番組にテレビのチャンネルを合わせてしまう自分がいます。 他人の失敗や不祥事に関することをご本人が詳しく説明し、それを観ている視聴者が自分自身の戒めにするというコンテンツであり、すごく評判の良い番組です。 ふと、この番組内容から連想する言葉や慣用句があります。それは「他山の石」(たざんのいし)という慣用句です。この慣用句の意味は、たとえ劣ったり、誤っている他人の言動の場合であっても、自分の反省材料になったり、知恵を磨いたりすることができるという意味です。この番組内容はまさに「他山の石」ではないでしょうか。「他山の石」よりポピュラーな言葉で「反面教師」や「人の振り見て我が振り直せ」という「他山の石」の類義語があります。 そもそも人間自体がミスする生き物であり、芸能人や有名人であっても人間なので、失敗や不祥事は付き物ではないでしょうか。そういう理由で、芸能人や有名人が過去にしてしまった失敗や不祥事をご本人の口で語ったり、説明する番組が増えてきたり、取り上げているのかもしれませんね。また、人間の深層心理で他人の失敗を喜んでしまう悪い習性がこういった番組の人気を呼んでいるのかもしれません。

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竹を割ったよう

【漢字】竹を割ったよう 【読み】たけをわったよう 【意味】竹は曲がることなく一直線に割れることから、曲がった事はしない、まっすぐでサッパリした性格。 【例文1】彼女は竹を割ったような性格で男女ともに友達が多い。 【例文2】伴侶にするなら竹を割ったような女性がいい。 【例文3】竹を割ったような性格と付き合う。 世の中には色々な性格の人がいます。私は会社員で、職場では人間関係が難しく皆が敵のような気がします。しかし高校野球の球児のインタビューなどを聞いていると竹を割ったような性格の若者の姿を目にします。私のような性格から見るとこのような男らしい竹を割ったような性格の若者がやがて社会に出て社会の荒波にのまれて嫌な性格になりはしないかなどの心配までしてしまいます。そんな中でも稀に竹を割ったような得意先の郵便配達員がいます。とても好感が持てます。挨拶は大きな声ではっきりと言うし、気遣いも天下一品で、今日の集配はいかがなものでしょうかと、お客さまの大事な郵便物を本当に丁寧に取り扱って、仕事がとても丁寧です。見るからに容姿も竹を割ったような性格だと一目で分かるほどです。私もこの郵便配達の若者のようになりたいと思うのですが、社会に染まっているのもしかり、自分の性格もしかりでこんな好青年とは比べものに為らないくらいの性格です。こう言う竹を割ったような性格の人と付き合うのも自分を成長させる上で大事なことではないでしょうか。そういう人と付き合っていると自分も教えられるところがたくさんあります。自分を成長させてくれるのです。そういう交友をつくっていくように心掛けたいと思います。

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多芸は無芸

【漢字】多芸は無芸 【読み】たげいはむげい 【意味】多くの芸を持とうとすると、どれも中途半端で無芸に等くなるもの。 【例文1】多芸は無芸だから、ひとつに絞って技術を高める。 【例文2】多芸は無芸をもう一度極めなおす。 【例文3】飽きやすく多芸は無芸だ。 どんなことでも少し努力すればできてしまう、という人もいることだと思います。そういった人たちは傍目から見たら、とても器用な人に見えることでしょう。しかし裏を返せば特定の一芸に秀でているわけではないため、結局はその特定の一芸に秀でている人に、仕事のオファーが回ってきたりします。色々なことができるのも良いですが、そのため何か一芸を極めることが難しくなるため、つまるところあまり意味がないものとなります。まさに多芸は無芸と言えると思います。 かといって何か一芸だけを極めることにだってリスクはあります。もしその芸の需要がなくなった場合、仕事のオファーが来なくなってしまう恐れがあるからですね。ですが何か一芸にきちんと精通していると、少なくともその芸の需要がある限りは、仕事には困らないのではないでしょうか。何よりも多芸の人よりは、仕事が回ってきやすいことが考えられるでしょう。 もしも色々な芸に手を広げ過ぎてどれも中途半端になってしまっている場合は、思い切ってその中から1つだけ選んで、その道に進んでみるのも良いかもしれません。幅広い知識や芸を持つのも大事ですが、その内容が浅いのであれば、結果として無意味なものになってしまいますから。

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多岐亡羊

【漢字】多岐亡羊 【読み】たきぼうよう 【意味】逃げた羊を追いかけたが、分かれ道が多くどっちに行こうか迷うことから、進路が多すぎて悩む。 【例文1】多岐亡羊だが、好奇心旺盛でなんでもこなす。 【例文2】どの分野にも視野が広がるようにあえて多岐亡羊の道を行く。 【例文3】多岐亡羊を切り開く。 何かの学問について勉強をするとき、他にも興味が湧いてきてしまって、色々と手を広げ過ぎてしまうことはありませんか。たとえば英語の勉強をしているうちに、もっとたくさんの国の言葉が話せるようになりたいからと、英語を勉強する傍ら、同時に中国語やフランス語を勉強してしまうといったようなことです。もしかすると他国の言語ではなく、歴史について勉強しだすこともあるかもしれません。 ですがこのように多くの学問を一度にこなそうとすると、どれをどのように勉強すれば良いのかが分からなくなってしまい、結局はどの学問も中途半端で終わってしまうことでしょう。ときには「結局自分は何がしたかったのか」と疑問に感じてしまうかもしれません。学ぼうとする学問に色々と手をつけすぎて、挙句の果てに何をすればいいのか迷ってしまうことを、多岐亡羊と言います。こうした状況になってしまうと、広く浅くの知識しか残らず、何かに応用できる力が身に着かない恐れがあります。 もしあなたが何かの学問について勉強したいときは、まずは「どこまで勉強するか」のゴールを決めて、そのゴールに到達してから他の学問の勉強に移りましょう。そうすることで、学んだことが1つ1つ着実に身に着きます。くれぐれも他のことに手をつけだし、やりたいことが色々と迷ってしまって、中途半端で終わらないようにしましょう。

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高を括る

【漢字】高を括る 【読み】たかをくくる 【意味】大したことはないと軽く思う。 【例文1】格下の相手チームだからと言って高を括るな。 【例文2】ハンバーグくらい作れると高を括る。 【例文3】高を括ると失敗する。 今日、料理を失敗してしまいました。 私は日常結構料理をしています。一人暮らしなので・・。 今日は特売で玉ねぎが安かったので4玉を購入しました。この玉ねぎでザクザクと切ってかき揚げにでもしようかなと思っていました。 あんまり揚げ物はしませんけど、タマネギやし何とかなると高を括る自分がいました。 玉ねぎを切って、さて小麦粉をまぶそうかと小麦粉を見つけたのですが、なんと小麦粉がほとんどなかったので残った分量で水を解いて玉ねぎを和えました。 本来なら、小麦粉が少ない時点で他の料理をしようと言う自分がいないといけないのにまた高を括る自分…。 少ない小麦粉と玉ねぎでなんとなくかき揚げ風にはなったのですがいざそれを上げると生地がやはり少なくてバラバラになりました。かき揚げでよくある失敗例のバラバラ揚げになっています。 あげながらひっつくやろうと記事をまとめてはいるのですが触れば触るほど余計にバラバラにやってしまいおはようかき揚げどころかバラバラ揚げです。 仕方がないので、とりあえずバラバラになった玉ねぎを返しをして油を切って1切れを味見したらとにかく油っぽい…。 仕方がないので、油をきっちり切ってお味噌汁に入れましたイメージとしては玉ねぎと天かすのお味噌汁ですが、そこそこ美味しかったです。

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宝の持ち腐れ

【漢字】宝の持ち腐れ 【読み】たからのもちぐされ 【意味】せっかくの才能や技術があるのに使わないでいること。 【例文1】そんなにたくさんのブランド品、しまってるだけなんて宝の持ち腐れだ。 【例文2】最新の調理道具を揃えたのに外食ばかりで宝の持ち腐れだ。 【例文3】買ってばかりで使わなければ宝の持ち腐れだ。 「宝の持ち腐れ」とは「役に立つものを持っていて利用しないこと、才能を持ちながらこれを活用しないこと」という意味です。「長岡の花火」のちぎり紙細工で有名な山下清は自身のもつ宝が活かされた人のひとりです。山下清は幼少の頃の病で軽い言語障害と知的障害を負います。離婚した母と共に母子家庭を保護する施設に入所して小学校に通いますが、学校の勉強についていくことができず、千葉県市川市の知的障がい者施設、八幡学園に預けられ、そこでちぎり紙細工に出会います。彼のちぎり紙細工への才能を見出した、学園職員は学園の顧問医であった精神病理学者の指導を受けさせて、その手腕を磨いていくこととなりました。彼は兵役を逃れるために放浪の旅に出ますが、知的障害のために兵役免除となります。各地を旅して見た風景は、心に留めておき、八幡学園に戻ってきてから作品にするというスタイルを貫いていました。彼の作品は大胆な色遣いと、丁寧な描写で独自の境地を開いていますが、もちろん相応の努力なくしては出来上がらない作品です。今でこそ「サヴァン症候群」という言葉も市民権を得て、障害を持ちながらも才能を発揮される方がたくさんおられることがわかってきましたが、山下清の才能を見出した職員は素晴らしい目を持っていたとしか言い表せません。「宝の持ち腐れ」にならずに本当に良かったと、彼に携わった全ての方に感謝です。

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高みの見物

【漢字】高みの見物 【読み】たかみのけんぶつ 【意味】他人の騒ぎを興味本位で見物する様子。 【例文1】カップルのケンカを高みの見物といこう。 【例文2】酔っ払い同士のケンカを高みの見物とする。 【例文3】巻き込まれるのは面倒なので高みの見物とする。 安全な場所から余裕をもって物事を見物することを「高みの見物」と言います。主に何かの戦いを強者や権力の高い方が安全な場所でくつろいで戦火を見守る様子がイメージされますね。高みの見物は誰でもできることではありません。多くの方が、高みから見られる側の人間だと思いますし、権力や相当の実力者ではないと高みにはいけないと思います。 また、プロスポーツ観戦などもある意味では高みですが、観戦する側は料金を払って観戦しているので高みとは言えません。高みの見物は料金を払わず、そして気持ちに余裕をもつことが条件ではないでしょうか。 現代で高みの見学ができるのは、社会の中で矢面に立つ立場の方と考えています。例えば会社の社長や重役などは、企業の視察などで高みの席から見学できたり落ち着いた環境の場所で仕事ができると思うのです。 高みの見物をする方は、それなりに人生経験があって周りを見渡せる広い視野が必要なのでしょう。教育者もそれに当てはまるので、学校の教師なども仕事は大変ですが、生徒の行動を高い場所で傍観できる立場にいます。 二次創作では良く聞く言葉ですが、立場の存在が薄くなった現代では、この言葉を使用する機会が減ったと考えています。

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高飛車に出る

【漢字】高飛車に出る 【読み】たかびしゃにでる 【意味】高圧的な態度を取る。 【例文1】社長の息子だからと言って高飛車に出る。 【例文2】デキる女は高飛車に出る。 【例文3】芸能人ぶって高飛車に出る。 将棋において飛車は強力な駒なので近づかれるとかなりの脅威です。 しかし、自陣から援護もなしに高く突出する無謀な戦法はあっさりと破綻する危険性も含みます。 無策で高飛車に出ると進路退路を封じられて身動き一つ取れなくなることすらあります。 飛車や角行の大駒は、序盤のうちは自陣にどっしり構えて睨みを利かせつつ相手の陣まで狙うのが効果的という説もあるくらいです。 これは人間社会においても当てはまることで、権力を笠にきて横暴な振る舞いをしていると足元を掬われることになります。 あちらこちらで反感を買えば小さな失敗すら目ざとく追及されることになるでしょう。 自業自得というより、恨みを買えばそのような機会を皆で虎視眈々と狙うのですから当然の結末です。 実生活で好き勝手に我侭し放題をすれば恨み辛みを買うのは必然です。 いくら強大な権力を背景としていても人間ならば弱点は存在しますし隙も出来ます。 特にゴシップニュース大好きな民衆は権力者や金持ちの凋落は望ましいご馳走です。 虐げられていた人たちは、それ見たことかとばかりに拍手喝采、情け容赦のない罵声が浴びせられます。 独裁国家の元首となって近衛に厳重警備されることを望んでいないならば、社会的な地位を得たなら相応の謙虚さも持ち合わせることが必要ということです。 高飛車に出るという言葉、これ将棋が語源の言葉です。将棋で飛車を使った攻撃で相手に攻撃的、威圧的なダメージを与える戦法です。将棋界というとはやり連勝は途切れたとはいえ注目の的になっているのが藤井聡太4段です。14歳ですが、大人顔負けの言葉使いと落ち着いた振る舞いで、自分が中学生の頃と比べると本当に恥ずかしくなります。あんなしっかりとした中学生がいるのですね。14歳ということで何か母親のような目線で彼を応援したくなります。将棋の対局ではお昼ご飯を注文するということでリュックの中から藤井君もお財布を出していました。マジックテープがついたいかにも中学生が使いそうなお財布でとても好感が持てました。これがブランドもののお財布だったらびっくりしますけれどね。その前にお昼ご飯が自腹だということにも驚きです。竜王戦など賞金が何千万にもなるのに、その予算があるのなら棋士さんや関係者の食事代くらい経費で落ちないのかなと思ってしまいます。 対局が終わった後のインタビューでも一言一言とても丁寧に質問に答えている藤井聡太君は高飛車とは正反対の性格だと思います。これからも勝を積み上げたとしても決して高飛車な物言いをしないで今のままの藤井君でいて欲しいと思います。

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高嶺(根)の花

【漢字】高嶺(根)の花 【読み】たかねのはな 【意味】遠くから見ているだけで憧れの存在をいう。高価な物や美しい人に対して使うことが多い。 【例文1】彼女に告白するなんて高根の花だよ。 【例文2】高根の花的存在。 【例文3】別荘なんて高根の花だ。 私は昔から、例えば小学生の時なら学校の先生とか、中学校の時は部活の顧問の先生とかに憧れがあり、お付き合いしたいなーとませていたガキでした。 私は精神の病気を患っていて、昔から自立した生活が出来なくて、今でもアルバイトで生活しています。 生徒なら先生に恋して、病院に通っていたら看護師やスタッフに恋して・・まぁ普通の人でもある感情と思います。 おそらく、普通の人生を送っていたらそういうシチュエーションなら告白したりしてると思いますが、やはり自分に自信がないので、自分には高嶺の花と思い、諦めます。 スタッフって表面では優しく接してても私生活には患者には関与されたくないと思ってると考えてます。 しかし、自分の性格?なのかそういう人ばかり気になります。 いま、アルバイトは通院してる病院の施設の設備の修理をしていますが、スタッフさんばかり目がいきます。高嶺の花なのに。 みんな曰く、「〇〇さん(私の事)は高嶺の花を求めなかったら普通に彼女できるのに・・」とよく言われます。 精神の病気で長期入院していたのにアルバイトまでできるぐらいの人なら、普通なら彼女ぐらいはできるのにと言われますが、私は何故か高嶺の花を求めます。 今日も年下のあのスタッフさんとお話したいなーとか考えてアルバイトに通っています。 私が住んでいるのは田舎で、中学もその田舎の学校に通っていました。 田舎なだけに通っている生徒はみな田舎丸出しの顔をしていて、私もその中の一人でした。時期外れのこんな田舎の学校に、場違い的な女の子が転校してきたのです。彼女は私たち田舎者とは違い、高貴な顔立ちをしていて、都会のオーラを振りまいていました。 全校生徒の話題が転校生のことばかりです。 彼女が転校して来てから彼女の周りには女子全員が興味津津で話をしています。男子生徒にも、全然気取った感じはなく、誰にでも笑顔で答えてくれたのです。 外見も性格も良い彼女でしたから、男子生徒からの憧れの的となりました。 男性生徒は他の女子生徒なんかには目もくれませんでした。 こうなると誰か彼女に告白をする者が出てきそうですが、私の知る限りではそのような男子生徒は一人もいなかったです。 高根の花的存在である彼女のオーラがあったので、告白する勇気が誰も出せなかったようです。 結局彼女が卒業するまで告白する者はおらず、彼女は卒業してまたどこかへ行ってしまいました。 高嶺の花の高嶺は高い山の峰の事でその花という事から、ただ眺めているだけで手に取る事が出来ない、自分の手の届かない人や地位だったり物事に対して羨望と諦めの交えた気持ちを表現した言葉です。若い頃は人に感じる事が多かったです。世の中には本当にお世辞抜きで綺麗だと思う人がいます。初めてそういう経験をしたのは他校の女の子でした。部活動の共同練習で話かけてくれたのですが、可愛い過ぎてずっと顔を見続けてしまったのを覚えています。また街を歩いてるだけでも綺麗だなぁと思う女性が多いと思います。同性ですがそういう方とすれ違うと身構えるというか1歩引きたくなる感覚に陥ります。異性に対してはあまり感じないので、やはり自分の欲望の中に綺麗になりたいという想いがあるから高嶺の花の対象になってるのかなと感じます。とは言え、段々と年を重ねると心に思う望みも変わってくるものです。穏やかに暮らしたいとか皆が無事に今日を過ごせるようにとか自分以外への関心が強くなってからは綺麗な人を見ても、ああ綺麗だなー位でそれ以上に羨ましいとかの感情が遠ざかっていきました。でも綺麗事という訳でもなく、今は安定の収入を求めるようになったので、テレビで豪邸に住んでいるのを観たりすると培ってきた苦労があったんだろうと思いつつ羨ましいなと思ってしまいます。

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絶対絶命

【漢字】高く付く 【読み】たかくつく 【意味】安いものを買うと、のちに当初以上の出費となるもの。 【例文1】中古のバイクを買ったが、すぐ壊れて修理代で高く付く。 【例文2】安物を買って壊れて買いなおすので結局高く付く。 【例文3】エコ車に乗らないとガソリン代が高く付く。 想像以上に出費が出てしまうことを意味する言葉ですが、私たちが生活するうえで高く付くことを恐れながらだと疲れてしまいますよね。予定通りに行かないことなんでザラにありますし、節約生活を送る方にとっても身近に感じる言葉ではないでしょうか。 戦争映画や時代劇などでも多く使われる印象があります。何かの争いの時に、仲間の無駄死にや、防ぐことができたのではないかと思われる「死」に対しても「高く付いた」などと用いられますね。 歴史を見ても多くの「高く付く」ことが起きていたと思います。歴史を動かす出来事の多くは戦争ですが、誰かの犠牲があったから私たちの生活が豊かになったのかもしれません。その事実からも、無駄なことも無駄だったとわかるからこそ次に繋がるのではと気づきましたね。 生活していく中でも次第に「無駄は悪だ」という風習が出来つつありますね。最初から無駄を経験しなければ、その無駄が本当に無駄なのかが理解するのは難しいと思います。要は「高く付く」ことを恐れて私たちが生きているのだと感じるのです。 私は別に高く付いてしまっても次から改善すれば良いと思いますし、本当に恐ろしいのは失敗を恐れて行動できない状態になることだと考えます。

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高く買う

【漢字】高く買う 【読み】たかくかう 【意味】高い評価を得る。 【例文1】真面目な仕事ぶりを高く買う。 【例文2】経験者を高く買う。 【例文3】トーク術を高く買う。 経験を高く買う企業 高く買うというのは価値のある、評価が高いという意味です。この場合買うのは評価、価値なのです。 私の知り合いは大学卒でかたやもう一人は中卒です。学力の差は断然あります。大卒の方はえり好みしすぎて内定はまだもらえてないようです。 しかし、学歴がない彼はそうは言ってられません。過去に就職した彼には経験という武器があります。経験が高く買われ学歴がなくとも転職にも役に立ったようです。 今の時代、転職は当たり前のように行われています。実際転職を繰り返した自分も思うのですが、職種は変えられないので資格がなくともそうゆう企業増えて欲しいものですね。 実生活では物が多すぎてリサイクルショップに持ち込んだ事もあります。きれいな保存状態を高く買って高額な値段が付けられた時は嬉しいものですね。そのお金でまた買いたくなる衝動にも困りものですが、大切に扱う事が大事だと思います。

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たがが緩む

【漢字】たがが緩む 【読み】たががゆるむ 【意味】緊張が緩む。 【例文1】今日は上司が休みでたがが緩む。 【例文2】受験が終わりたかが緩む。 【例文2】初舞台が成功に終わりたかが緩む。 人間は緊張状態になると、どうしても失敗しやすくなります。大事な試験の直前や、重役がいる場でプレゼンを行う直前など、非常に緊張してしまい、いつもなら絶対にしないようなミスを本番でしてしまうこともあるでしょう。人間ですから失敗することがあるのは仕方ありません。とはいえ大切な場面での失敗は、出来るだけ避けたいものですよね。そんなときは、たがが緩むくらい自分を休ませることも必要ではないでしょうか。 単に「たがが緩む」とだけ聞くと、マイナスイメージを持たれる人もいるかもしれません。けれど普段よりも数倍緊張しているのであれば、たがが緩むくらいの気持ちで自身を休ませないと、いい具合に緊張がほぐれないようにも思えます。 緊張のほぐし方ですが、手軽に出来るのは深呼吸です。深呼吸をすると体内に多くの酸素を取り入れるため、吐く息の量も必然的に多くなります。人は息を吐くと、心身をリラックスさせる副交感神経が働きます。そのため、深呼吸をすれば緊張状態をほぐすことが出来るというわけです。 もちろん深呼吸だけで、緊張状態が完全にほぐれるわけではありません。ですが緊張したときは、ためしに深呼吸を行ってみてはどうでしょうか。深呼吸をする前よりも、気持ちが楽になるかもしれませんから。

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高が知れる

【漢字】高が知れる 【読み】たかがしれる 【意味】大したことない。 【例文1】50円差なんて高が知れる。 【例文2】高が知れると油断する。 【例文3】高が知れたもんだ。 恥ずかしながら、最近になってたかが知れるの「たか」が、高であることを初めて知りました。 この高によって、意味も納得します。 高という漢字の意味に、数字的な程度を示すことがあります。 例えば高を使った言葉では、銀行の預金残高、売り上げ高、山の標高、物の生産高といったものは数字的な程度を示していることがわかります。 高が知れる、という意味はその程度を知っていることであり、何となく軽くみているという印象があります。 よく似た言葉としては、高をくくる、というものがあります。 このように相手や事実に対して軽くみた感じや、楽勝ムードを漂わせる印象がある言葉ですが、実際には楽勝ムードではいかないことや、かえって苦労しなければならないことがたくさんあります。 例えば、試験やスポーツの試合です。 試験の場合、過去に行われた問題が軽く解けていたとき、その難易度も高が知れると思っていたら、本番では解けない問題が続出したという経験はあるのではないでしょうか。 私もこの試験の体験には随分泣かされました。 そしてスポーツの場合、野球で強豪校が、中堅や弱小チームに負けてしまう、と言った場面です。 余裕や楽勝ムードを出してプレーをすると気持ちも緩みますね。 高が知れるという反面、油断は禁物であることも自覚しましょう。

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大は小を兼ねる

【漢字】大は小を兼ねる 【読み】だいはしょうをかねる 【意味】大きいものであれば、小さいものの役割も果たせること。 【例文1】大は小を兼ねるように大きめのキャリーバッグを買った。 【例文2】子ども服は大は小を兼ねる。 【例文3】大は小を兼ねるから入らないよりはマシだ。 大は小を兼ねるということわざはよく使われますが、おさらいの意味を込めて意味を確認して見ましょう。意味は、大きいものは小さいものをその内側に含んでいるので小さいものの代わりを務めることができるが、小さいものは大きいものを含んでいないので代わりが務まらない、となります。 この大は小を兼ねるという言葉は色々なケースに当てはめて使用可能ですね。 例えば高くて値が張るけれど高性能で多様な使い方が可能な電子レンジと、安くて買いやすいけれど機能性に乏しくただ温めることしかできない電子レンジがあるとしましょう。後者は買い求めやすいけれど、使い方はレンジの基本性能である温めることのみです。 しかし、前者を選べばただ温めるだけでなくて「焼き」や「蒸し」機能が使えたり電源がオートで切れたり便利な機能が使えたりします。 この場合を考えて見ても、前者が「大は小を兼ねる」状態であることがわかります。 要するにこの言葉は他よりも大きくて優れている事・ものはそれだけ、小さくて劣っている事・ものよりも便利なんだ、ということを表していると言えるでしょう。 迷ったときはこの大は小を兼ねるという言葉を思い浮かべて、大胆な選択をするのも一興かも知れないですね。 私は大きすぎるものを使う時、大は小を兼ねるという言葉で表現することがあります。 実際は大き過ぎでブカブカなので、入るという点を除いては、あまり用を兼ねてはいないのかもしれません。 しかし、小さい所に大きいものを入れようとしても、それは物理的に不可能なことです。 そのため、逆の場合は無理なので、やはり大きい方が役立つことが多いということなのかもしれません。 今はあまり見かけなくなりましたが、一昔前は兄弟の下に行くほど、洋服のお下がりを着ている子どもを多く見かけました。 デザインも少し古い感じがしますし、大きさも決して合ってはいないのですが、それでも洋服が入るというだけで、下の子は着せられていたようです。 私もたくさんのお下がりの洋服をもらいましたが、デザインが個性的で古い感じがしたので、あまり着なかったような気がします。 子どもは成長が早いので、最初は大き過ぎても、すぐに服に合う体型になっていきます。 そのため、最初は少し大きすぎるくらいのものがちょうど良いのかもしれません。 まさに子ども服は「大は小を兼ねる」ことが多いような気がします。 今ではあまり見られなくなったお下がりの服も、もっと小さい子どもたちが着られるように、リサイクルして上手に活用していきたいものです。

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大の虫を生かして小の虫を殺す

【漢字】大の虫を生かして小の虫を殺す 【読み】だいのむしをいかしてしょうのむしをころす 【意味】大事なことを守るためには、一部を切り捨てる事も仕方ない。 【例文1】狩りに出たら熊が襲ってきたので、大の虫を生かして小の虫を殺して獲物を置いて逃げた。 【例文2】大の虫を生かして小の虫を殺して不祥事をもみ消す。 【例文3】大金を積んで大の虫を生かして小の虫を殺す。 大の虫を生かして小の虫を殺すとは重要な事を守り抜くには多少切り捨てても構わないという意味です。簡単に言えば不要なものは切り捨て必要なものを助けるということです。 たとえばテレビで見かける内部組織の不祥事を隠すために上層部が圧力をかけるシーンや、大物有名人が交通事故を起こした身代りに部下が出頭する、余命いくばくもない人やホームレスに罪をなすりつけるというシーンが思い浮かばれます。どちらも現実にあってはならない事ですが、絶対にないとは言いきれないようですね。 実生活ではそれに似た経験があります。 知り合いから持ちかけられた合コンで女性陣に気に入った人がいました。男性の中でも一番人気でした。わたしは彼女に気に入られたい一心で年収をアピールしました。男性陣の中では断トツで女性陣が食いついてきました。2歳年下の妹がいるので女性の心理を細かく聞いた作戦が大成功でした。

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大なり小なり

【漢字】大なり小なり 【読み】だいなりしょうなり 【意味】大小の程度は問わず、いくらかはという意味。 【例文1】人は誰しも大なり小なり欠点がある。 【例文2】中古物件の妥協は大なり小なり仕方ない。 【例文3】大なり小なり誤差が出る。 最近テレビのニュースなどで、2世タレント達の不祥事が放送されています。その時、必ず取り出さされるのが親の方ですが、その辺りの流れに疑問を感じています。 子どもが成人していたら、不祥事を起こしたからとはいえ親が責任をとる必要は無いと思います。今迄の流れだと、2世が不祥事を起こした後その親が、大なり小なり責任をとり番組降板や出演自粛など何かしらの行動をしています。 不祥事の内容にもよりますが、凶悪な事件を起こしたなどでなければ親は今迄通り行動するべきだと思います。 子どもが小さい時は、何かあれば親が責任を取るというのは当然だと思います。先日子どもが学校で体育の授業中に、友達にケガをさせてしまいその後友達の両親に謝りに行きました。このようなケースなら、親が責任を取るの普通の流れだと私は思い、これが30歳になった子どもだったら謝りには行かないと思います。 芸能人の場合、2世タレントが不祥事をすることで、親が長年積み重ねていた地位や名誉など大なり小なり失う形になるので、ある意味可哀想だなとも思います。 以前テレビに出演していた2世タレントが、昔から親の名を汚さないようにしている、と言っていて有名になると子どもにも大変な事があるのだなと思いました。

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大同小異

【漢字】大同小異 【読み】だいどうしょうい 【意味】小さな違いはあるが、だいたい同じである。 【例文1】このコピー品は大同小異で見分けがつきにくい。 【例文2】私の目は大同小異でもごまかせない。 【例文3】新作が大同小異でオリジナル性がない。 少しだけの違いはあるものの大体が同じであり、差がほとんどないという意味の大同小異。人の意見に大差無い時などに使われるようですが、私の場合は服に関して言えます。いつも欲しいと思う色がカーキ色なのでクローゼットやタンスの色の割合が暗めです。デザインも単調で無地が好みなのでどうしても似通ったのばかり選んでしまいます。私の中ではちゃんと違いがあるのですが、周りから見ると分かりにくいそうで家族と服を選ぶ際はその色好きねーとよく言われます。 服に限ってだけなので不思議ですが、ある日洗濯物が間に合わず上下の色が丸かぶりする事がありました。更にジャケットもカーキ色だったので鏡で確かめた所、さすがにないなと思い改めました。それからは違う色のトップスやズボンを敢えて買うようにして全身カーキになる事は無くなりましたが、今でもついカーキ色に目がいってしまうのは直りません。また声フェチでもあるのでテレビで俳優や声優の声を聞き分けるのが楽しいのですが、一緒に観ている家族からすると、大同小異に感じる事が多く声だけでは誰が喋ってるのか分からないと言います。きっと関心があるかないかで大同小異に感じるのも人それぞれなんじゃないかと思いました。

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大胆不敵

【漢字】大胆不敵 【読み】だいたんふてき 【意味】敵を敵とも思わず、何も恐れずに立ち向かう様子。 【例文1】大胆不敵にも昼中堂々、泥棒に入られた。 【例文2】ドライブレコーダーがあるにも関わらず、大胆不敵に暴力を振るう。 【例文3】大胆不敵にストーカー行為に出る。 大胆不敵とは、積極的で敵知らずということで頼もしい様を表しています。 例文として、あの謎の転校生は大胆不敵でかっこいい。僕のおじいちゃんは怖いもの知らず、大胆不敵だ。など褒め称える意味合いを持ちます。漫画の主人公などこの様であることが多く、怖いもの知らずということは他の人から見るとすごいと感じることが多いです。逆の意味合いとして世間知らずとしても捉えることができるので皮肉を言う際にも使われることがあります。敵がないと言うことなので、とても凛々しくてっぺんである様も伺えます。四文字で響きがよく、かつ意味が伝わりやすいため至る所で用いられている言葉です。ライオンやクマなど凶暴動物で怖いと思う生き物さえも怖くなかったり度胸が据わっている人に称える言葉でもあります。大胆不敵な人はかっこいいですが、打たれ弱いところもあります。大胆不敵な人になるには、勇気を持ち、様々な面にも惜しまず挑戦するなど、前向きな行動を心がける必要があります。ですが大胆不敵な人と一緒にいることで中には疲れてしまうことがあるため相性の問題でもあります。大胆で敵が無いということは生きやすいですが、そこを嫉妬して恨むひともまた存在するのが事実です。

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泰然自若

【漢字】泰然自若 【読み】たいぜんじじゃく 【意味】何があってもどんな事があっても落ち着いている様子。 【例文1】格闘家の彼女はひったくりに遭っても泰然自若だった。 【例文2】強盗犯の目撃情報を泰然自若に話す。 【例文3】彼女にフラれて泰然自若を装う。 どうも普段から自分の言動は周囲から軽んじられているように思えます。 自分の人間としての軽さが、周囲の同僚をしてそのように判断させるのでしょうか。 そこで何事にも動じない落ち着いた雰囲気を演出してみようと考えました。 まずは泰山の如くどっしりと構えて、努めてそれが自然体であるかのように振舞おうとします。 動きを少なくしても仕事量が減らないように効率化を図りますが、そんな器用なことが出来るなら既にやっています。 仕事を急いでは失敗して二度手間になったりの粗忽なうっかり者が本来の姿なのです。 失敗した状態で平常心を保つのはことのほか難しく、ショックで呆然としている様子にすら見えそうです。 あわてて修正作業に入る方が、よほど気が楽になれそうです。 何か喋ると言葉の軽さからぼろが出そうなので言葉少なになるのはどうしようもありません。 あまりに喋らないので体調が悪いのかと心配される有様です。 うん、実際にやってみて分りましたよ。 泰然自若なんてことは本当に偉い大人物が、ちょろちょろと動き回って部下に迷惑かけないためにすればよいのです。 半端に泰然自若を目指してもブレーキになるだけなので止めました。 気取らずに全身全霊をかけて一所懸命に働く方がよっぽど楽で性に合っていることに気がついた次第です。

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大事を取る

【漢字】大事を取る 【読み】だいじをとる 【意味】用心した措置を取る。 【例文1】風邪かもしれないが、インフルエンザが流行っているので、大事を取って学校を休む。 【例文2】膝に違和感があるから今日の試合は大事を取って欠場する。 【例文3】1日で治るように大事を取って会社を休む。 大事を取る、という言葉の意味について紹介します。 私もこの言葉をよく使います。 用心深く、慎重に考えることを言います。 例えば、スポーツの世界においては大会に無理をして出場するか、怪我が悪化しないように大事を取って棄権するか、の判断が難しいことがあります。 それが世界大会への出場切符をかけた試合であれば、尚更です。 このように、大事を取るという言葉は重要な判断において使われる場合が多いと感じます。 一方、冬にインフルエンザが流行する季節においては、体調によって会社へ行くか、学校へ行くかの判断に迷う場合があります。 最近では学校からの便りやメールにおいては、インフルエンザかどうか疑わしい場合には、大事を取ってお休みするような内容を目にします。 確かに周囲へのインフルエンザ蔓延を予防する措置としては適切であると思います。 一方で、慎重になりすぎてしまうこともよいことではないと考えます。 チャレンジして、失敗をすることも大事であると思います。 スポーツの試合においても、多少の痛みは我慢して出場することも必要な場合があります。 特に団体競技については、1人が欠けると出場ができなくなる場合もあります。 このように、大事を取ることに対する判断は難しいのです。 大事を取る、という言葉の意味について紹介します。 私もこの言葉をよく使います。 用心深く、慎重に考えることを言います。 例えば、スポーツの世界においては大会に無理をして出場するか、怪我が悪化しないように大事を取って棄権するか、の判断が難しいことがあります。 それが世界大会への出場切符をかけた試合であれば、尚更です。 このように、大事を取るという言葉は重要な判断において使われる場合が多いと感じます。 一方、冬にインフルエンザが流行する季節においては、体調によって会社へ行くか、学校へ行くかの判断に迷う場合があります。 最近では学校からの便りやメールにおいては、インフルエンザかどうか疑わしい場合には、大事を取ってお休みするような内容を目にします。 確かに周囲へのインフルエンザ蔓延を予防する措置としては適切であると思います。 一方で、慎重になりすぎてしまうこともよいことではないと考えます。 チャレンジして、失敗をすることも大事であると思います。 スポーツの試合においても、多少の痛みは我慢して出場することも必要な場合があります。 特に団体競技については、1人が欠けると出場ができなくなる場合もあります。 このように、大事を取ることに対する判断は難しいのです。

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大事の前の小事

【漢字】大事の前の小事 【読み】だいじのまえのしょうじ 【意味】大きな事をなし遂げようとする前に小さな事でも注意深くしなければ、油断から失敗するという戒め。 【例文1】大事の前の小事だから、自動車学校の授業は真剣に聞く。 【例文2】初めて作る料理のレシピは大事の前の小事で確認する。 【例文3】運転の前に点検は大事の前の小事。 「大事の前の小事じゃ、捨て置けい」などというセリフは時代劇で結構聞きます。 悪代官が悪巧みをしていて、主人公側の密偵が発見されあわや捕縛されるかという状況が思い起こされます。 そして高確率でこのことが原因となり悪代官の悪事は露見して成敗されます。 実はこの諺には二つの意味がありまして、一つは「大きな計画の最中に小さな問題には構っていられない」です。 もう一つの意味は、これとは全く逆で「大きな事業を成し遂げるには小さな問題も放置してはいけない」です。 どちらの意味も納得がいくものですが、選択する行動は全く逆なので困ります。 時と場合に応じて状況を判断し臨機応変に対応すればよい、というアドバイスは正解に思えます。 しかしそれは実のところ、「俺は知らん、自分で勝手に判断して失敗しろ」という意味にも受け取れます。 そこまで底意地の悪い助言をする人も少ないのでしょうけれど、諺ですら真逆の意味を持っているのです。 真意を隠して逆の意味を言葉に潜ませるなど、物語やドラマだけですむ話ではありません。 言われたその場では気がつかず、言葉の真意に気づいて愕然とする間抜け者はしっかりここに実在します。 ひねくれ者の戯言かもしれませんが、それなりに失敗を積み重ねた経験によるものなので御一考ください。

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大山鳴動して鼠一匹

【漢字】大山鳴動して鼠一匹 【読み】たいざんめいどうしてねずみいっぴき 【意味】大きい山が揺れ動くので、大噴火でもするのかと思ったら、出できたのはネズミ一匹だったというたとえから、大きい騒ぎの割には実際の結果が小さいこと。 【例文1】離れている息子と連絡が取れず心配したが、携帯が壊れていただけだった。大山鳴動して鼠一匹で良かった。 【例文2】母が財布を盗られたと大騒ぎしたが、ポケットに入れっ放しだった。まったく大山鳴動して鼠一匹だ。 【例文3】転んで骨折したと大山鳴動して鼠一匹だったが、打撲ですんだ。 大山鳴動して鼠一匹とは大騒ぎしたわりには、実際には結果が小さいことのたとえを意味します。 大きな山が鳴り響き、揺れ動いたので「なにか不吉な事が起きるのではないか」と恐れて慌てていると、出てきたのは鼠一匹だったという由来から出来たことわざです。 元々の由来は、古代ローマ時代の南イタリアの詩人ホラティウスの言葉から作られた西洋のことわざが元になっています「大山」は「泰山」「太山」とも書きます。 このことわざの使い方の例えとして、 「上の部屋から物音が聞こえたので強盗ではないかと慌てて大声を出したが、ただの兄弟喧嘩だった。まさに大山鳴動して鼠一匹だね。」です。 最近では東京五輪の会場見直し問題について、記者から小池都知事に目指した案すべてが実現しなかった場合、大山鳴動して鼠一匹に終わるのじゃないかという指摘に小池都知事が「それは当てはまりませんね」と言い返したニュースがありました。 確かに当初の予定よりコストを削減し、歯止めをかけた点では、小さな結果ではないかもしれません。 このように政治のニュースなどを見てるとこういった聞いた事ないことわざなどを使われる時が多々ありますので、知っていると少し得した気分になります。 中国の故事によく使用されそうな泰山という語から中国の故事かとおもいきや西洋の諺でした。 大きな騒ぎになった割には、結果はそれに見合う程のものにならなかったという意味です。 現実問題として騒ぎになれば、騒ぎに巻き込まれること自体が大問題であり大勢の人々が無駄な苦労を強いられます。 炎上商法などもこれに近い迷惑さがあります。 才能が枯渇したクリエイターが残された知名度だけを頼みの綱にスキャンダルで食いつなごうとする様子も最近では珍しくありません。 視聴者を巻き込んで報道関係が昔の誼で暇つぶしにニュースにしているだけなのですが、報道の姿勢としては如何なものでしょう。 芸能人の醜聞などより優先して報道すべき問題は常に山積みされているのに、バラエティーに混ぜて面白おかしく適当に報道されるに留まります。 スポンサー企業関連やそれに癒着する政治家などの大醜聞はそっと見逃す体たらくは、圧力を受けているというより既に降参した感じです。 鳴動すべきときに知らぬふりで黙り込み、虎や熊なみの有害獣を群れで見逃している現状は許しがたいものがあります。 解決が難しい問題にこそ真正面から取り組もうとする姿勢を忘れないように心がけて欲しいものです。 大山(泰山)鳴動して鼠一匹、意味は、前ぶれが大きいわりに、実際の結果は小さい事のたとえです。古代ローマの詩人ホラティウスの言葉のラテン語の英訳The mountain is in labor and brings forth a mouse 山が産気づいて一匹の鼠を生むからきてます。大山は泰山とも書きますが、泰山北斗の泰山ではありません。 使い方は、政界をあれほどゆるがした汚職事件も、大山鳴動して鼠一匹、逮捕者は企業側の役員だけだった。 一時は政界浄化とか政界改革とかいう議論がかまびすしかったが、結局は大山鳴動して一匹鼠、政界は旧態依然だ。 大山鳴動して買収の攻防は一体なんだったのか。 最近の天気予報は、大山鳴動するにはたいして起こらない。 類義語は、蛇が出そうで蚊も出ぬ。蛇が出そうで蚊も出ぬという意味は、大きいことがおきそうで、実際にはなにもおきない例えです。蛇のような恐ろしいものが出そうと予感していたが、蚊のような小さいものさえ出ないとう意味です。 最近では、東京オリンピック施設施設見直し問題をめぐり、小池百合子知事が記者に「大山鳴動して鼠一匹といいますが・・」と言われ小池知事が記者に失礼じゃないかとムッとする場面が見られました。

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太鼓判を捺す

【漢字】太鼓判を捺す 【読み】たいばんをおす 【意味】人柄や品物の質などが確実に良いものであると保証する。 【例文1】仲人さんがこちらの息子さんは大変人柄が良いと太鼓判を捺す。 【例文2】彼は性格も良く経済力もあると見合い相手に太鼓判を捺す。 【例文3】好青年だと太鼓判を捺して紹介する。 太鼓判を捺すとは良いもであると言い切ることです。 人や物に使います。たとえば 「仕事が真面目だと太鼓判押して社長に仕事の紹介する」 「この人は私が信頼している人だから太鼓判を捺す」 「このショッピングサイトは本物だと太鼓判を捺す」などと使います。 私は結構お節介なので、友人同士をくっつけたり言わばキュウービッド役をよくします。これまで5組付き合って、そのうち3組のカップルが結婚に至り友人代表を務めさせていただきました。本当にいい物は熱く語って周囲にお勧めしますので相手の方は信頼してくださいます。実際に見て聞いて使って感想を述べることが太鼓判を捺すポイントになります。 しかし、太鼓判を捺される側となるとわたしは用心深いので、いったんよく調べ考え検討します。それもそれで失敗はしません。 太鼓判を押す、という言葉の意味は、非常に強い意味が込められていますが、使い方に誤りがあることがあります。 まず太鼓判とは、太鼓のような大きい判のことをさしますが、同時に大きい太鼓は誰でも確実にたたくことができるという意味合いもあります。 従いまして、太鼓判を押すという意味は、絶対に確実なものという確証性が極めて高いことをさしますので、あまり無下に使うと大変なことになります。 例えば、営業トーク的に商品の説明や、人物の紹介などで太鼓判を押すという言葉が出てくると、あまり信用にならない場合が多く、私も聞き流すことがあります。 この商品が売れることに太鼓判を押します、と言われたとしても、なかなか信用をすることができないかもしれません。 ただ、本来の意味合いとしては、絶対に、100パーセント問題ないこと、確証性があるという場面で使う言葉になります。商品が売れるのは確証性が極めて高い、絶対であるという意味です。 従いまして、この太鼓判を押すという言葉の使い方には注意しなければならないと思います。 特に、年配の方は本来の意味をご存知であるため、仮に太鼓判を押されて失敗したり、期待通りにならなかった場合には逆鱗に触れることになります。

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太公望

【漢字】太公望 【読み】たいこうぼう 【意味】太公望(のちの称号)は中国の紀元前11世紀ころの人物。大公が望んだ人物を探していると、釣り人の呂尚(りょしょう)が賢者だと周の文王に見出され天下統一を助けた。釣りをする人・釣り好きな人をいう。 【例文1】太公望の仲間で釣り大会を開催する。 【例文2】太公望で知り合ったおじさんに釣りを教わる。 【例文3】老若男女で太公望を楽しむ。 河口付近に人がいるのを見たとき太公望で賑わっていました。平日でも太公望が集って魚釣りを楽しんでいたので何が釣れるのか聞いてみたところ、そのときは鯉とウナギの稚魚でした。鯉は大きいのになると60センチぐらいのが釣れるようで長い竿を出して、練りエサで釣れるのをじっと見つめていました。網を持っているだけの太公望もいて夜になるのを待っていました。暗くなってから河口付近で明かりを灯すとウナギの稚魚が寄ってくるとのことで、それを網ですくってはクーラーボックスの中へ入れていました。稚魚なんか食べるところがないのにどうして取っているのか聞いたところ、ウナギを扱っている業者に売ると言っていました。かなりの人が集まってきているので、網を持っているのがほとんどウナギの稚魚狙いでした。鯉釣りをしていた太公望は日が暮れるとともにいなくなってしまい、ウナギ狙いの人だけが残っていました。ウナギは卵から育てるのはまだ出来ないようで、稚魚を取ってきて養殖をしています。そのため市場に持っていくとキロ単位で売れるようで、冬から春にかけて稚魚が集まるスポットになると、例年たくさんの人が車で来て明け方まで網で取っている姿が見られます。 太公望というと釣りをしているおじいさんというイメージが強いのではないでしょうか。 太公望は、紀元前11世紀、古代の中国「周」という国の軍師でした。本名は呂尚ですが、一般的には太公望と呼ばれることが多いです。 学校で歴史を学習した方なら一度は耳にしたことがある太公望ですが、とても歴史的に有名な人物にも関わらず、経歴などがあまり分からず今でも数多くの説が飛び交っています。 太公望というと、中国の小説「封神演義」が有名ですね。日本でも同タイトルのマンガが20年前くらいに週刊少年ジャンプにて連載されていました。 封神演義内で太公望はいわゆる主人公のポジション。実際に起こった殷と周の戦いを舞台に仙人や妖怪などの架空の存在も交え人間界での戦争、仙界での戦争を描いた物語です。 封神演義内で太公望は姜子牙という名前で登場します。殷と周との戦争における周側の軍師として、さらには仙界の崑崙山側の仙人の弟子、道士として活躍します。 太公望は天命により人間界に降り立つ妖怪達を封神、わかりやすく言うと妖怪をやっつけることで人間界から妖怪を退治し殷を討ち滅ぼし、周の時代を築くというストーリー。 太公望は策士としてとても有名で太公望の緻密で巧妙な策略によって殷を滅ぼすことに成功しました。

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大言壮語

【漢字】大言壮語 【読み】たいげんそうご 【意味】威勢よく大袈裟に言う。 【例文1】彼は大言壮語だから本気にしない方がいい。 【例文2】大言壮語のわりには先輩を前にするとへっぴり腰だな。 【例文3】大言壮語の手前、失敗はできない。 大言壮語とは出来そうにもない事を大袈裟に言う時に使います。 ホラを吹くと似ていますね。 わたしもたまに大袈裟に言う時があります。 例えば帝王切開で子どもを産んだ時の事です。若かったものですから、お腹を切るのが痛い、術後も痛いと聞かされていたので、初めての事で不安でいっぱいで嬉しさよりも前日は個室で泣いていました。(今更ながらわが子の誕生なのにごめん)麻酔が切れた時はまさに聞いていた通り本当に痛かったです。寝返りもできませんでした。二日目も前かがみになって点滴スタンドに寄りかかって 1歩歩くのが精いっぱいで時間をかけて歩きました。 見舞客にはこの麻酔なしで切られたみたいでものすごく痛いとみんなに言っていました。他人が聞けば大袈裟だと思うかもしれませんが、私にはそんな感じに思いました。平成10年あたりから術後の緩和がされたと聞きましたが、私は二度とあの痛みは味わいたくなかったので、二人目は自然分娩で産みました。 大言壮語を吐いては、穴があったら入りたいほど恥ずかしい負け方を晒し、ネットでもその当時の事が笑い者にされる例をあげるとドラゴンボールの有名キャラベジータです。説明不要なほど有名なフリーザと戦う前に、ベジータは不老不死にならないと絶対に勝てない!!と悟飯とクリリンを脅しまくっておいて、省略しますが不老不死になれなかったベジータ、悟飯、クリリンはフリーザと戦う事になります。戦闘力3万を超えたレベルのベジータと怒りでブチ切れると戦闘力2万以上の悟飯、この2人が1回パワーアップしただけでかなり強さを増していますが、戦闘力53万にプラスして変身するフリーザに、厳しいが勝てると自信満々に喧嘩を売ります。さっきまで目を血走らせてフリーザのヤバさを怒り心頭で喚き散らしていたのは一体なんだったのでしょうか。 そして目論見が外れて変身後フリーザに狼狽しまくるのですが、いろいろあってベジータはさらに信じられないほどパワーアップして、フリーザが後2回変身して真の姿を見せても、ベジータは先程までの怯えが嘘のように調子に乗りまくってネットで語り草になる大言壮語を長々と喋ります。いくら超強くなっても先ほどの醜態と狼狽ぶりがベジータ本人の中で無かった事にでもなっているのかと思いました。 ここからベジータはまたしても心が折られるわけですが、そこまでの台詞が笑うしかありません。噛ませ犬になるための前準備とも言える大言壮語がポンポン連発される部分は必見です。

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大義名分

【漢字】大義名分 【読み】たいぎめいぶん 【意味】自分が悪い事をしようとしていても、相手はもっと悪い事しているからと、自分の行動を正当化する理由。 【例文1】取引先との接待という名の大義名分でスナック通い。 【例文2】皆がやっているからと大義名分の負の連鎖。 【例文3】大義名分だと開き直る。 大義名分とは、何かをする時に、取って付けたようでもなにか「大層な理由」を付けることを言います。どちらかと言えば、あまりいい言葉ではなく、「言い訳」や、「建前」、「便宜上」などが近い言葉となります。 元々は儒教に端を発し、本来は臣下(部下)としての在り方や、自身の身の振り方などの根拠などを指していたのですが、時代が下ると正当な理由付け、特に“自身にとって”正当な理由付けといった意味に使われるようになりました。本来の意味での「確信犯」は正に「大義名分」を持っていて、「正義」を主張するわけです。 例えば、ゲームなどでよくある「世界を救う」ために戦うのは本来の「大義名分」と言えるでしょう。しかし、そのために「人の家のタンスを漁る」ことは正義なのか、と問われれば疑問が残るはずです。ですが、それを「世界平和の為だからしかたない」とするのも「大義名分」と言われます。 まるで「免罪符」のように使われる「大義名分」ですが、必ずしもそれが有効とは限りません。どちらかと言えば認められないことの方が多くなっていると思います。それは個人的なうかがった思想などによるものが根底にあるからだと思われます。 何か行動を起こす時に理由付けは大切です。しかし、それが自分にとって都合の良いことや、他者から見て本来の主張から離れた物になると、それをダシにしていいように言っている、と捉えられかねません。この言葉は人に向けて発信するのではなく、本来は自身に向ける言葉であることを理解して、「大義名分」を持って行動していきたいですね。

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大器晩成

【漢字】大器晩成 【読み】たいきばんせい 【意味】大きな器は完成するまでに時間がかかることから、才能が開花するには時間がかかるものという意味。 【例文1】30才まで専業主婦だったが、35歳で始めた商売が大器晩成で大成功した。 【例文2】口ベタでおとなしかった我が子が大器晩成型で社会人になって能力を発揮した。 【例文3】大器晩成に年齢は関係ない。 うちの息子は一人っ子で、周りの大人達におりこうさんだねと甘やかされて育ったので、競争心がなくてのんびりとした性格に育ってしまいました。私は小さい頃から両親に1番になりなさい!と言われて、誰にも負けたくないと思いながら育ったタイプなので、息子を見ていると、もっと欲張って頑張って欲しい!と歯がゆく思う事が時々あります。私がガミガミ言っても、おじいちゃん達の所に行けばいいと思っているので、さっぱり効果がありません。 そんな息子なので、成績も飛び抜けていいわけでもなく、スポーツができるわけでもなく、特に目立つ事なく普通に学校生活を送っているのですが、先日、遊び半分で手相を見てもらったらビックリする事を言われました。息子の手相は、とても珍しい両手ますかけ線だそうです。この手相は織田信長をはじめ歴史に名を残す人が多いから、きっと成功しますよ!との事。ちょっと信じられないような感じなのですが、今は平凡でも大器晩成のタイプなのでしょうか? そう言われてから、何となくうちの子は何があっても大丈夫なんじゃないかなと思えるようになりました。そういう手相に産んであげた私は、いい仕事をしたんですよね!大器晩成型だと信じて、これからも息子の成長を見守っていきたいと思います。 「あなたは大器晩成型」なんて誰かに言われたことはないでしょうか。 これはどうゆう意味なのでしょうか。 大器晩成の文字で解釈すると、「大きな器は完成するのが晩い」と読み取れます。 大きな器を作るには、小さな器を作るより時間がかかるということですね。 人の心の寛大さ、心の広さを「器」に例えて表現することがあります。 器が小さい人とは心が狭かったり、度胸がなかったり、お金に細かかったり、 直ぐに感情を表に出したりと、どちらかと言えばマイナスなイメージの時に使います。 逆に器の大きい人は心が寛大で、余裕があり、気前もよく、小さなことには動揺などしない プラスのイメージ、立派だと思われていたり、尊敬されている人に対して使います。 器の大きな大物になる人物とは、すぐには生まれない。世の中に出てくるには 時間がかかるといった意味となります。 もし、「あなたは大器晩成型」と他人に言われたとしたら、 それはあなたは今はまだ大物にはなっていないけれども、将来は大物になる器をもっている。 大物というのすぐにはなれず、時間がかかるものだ。 といったプラスのイメージを持ってもらえている、期待されているととらえて 前向きに受け取っていいでしょう。

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対岸の火事

【漢字】対岸の火事 【読み】たいがんのかじ 【意味】海の向こう側で起きている火事はこちらまで燃え移る事はないから、非常事態が起きてはいるが、自分には関係ないという考え。 【例文1】外国で大地震が起きたが、対岸の火事とは思えないので自分にできることは募金をすることだ。 【例文2】彼は対岸の火事だという態度を取る。 【例文3】対岸の火事で責任転嫁する。 対岸の火事という言葉を良く聞きますが、意味としては、他人にとっては大変なことであっても自分には影響ない、ということを表現した内容です。 ただ、対岸の火事といえども、火の粉が来るとたちまち自分にも影響が発生します。 例えば、企業ぐるみの不正疑惑です。 今年は有名な企業により、品質の不正処理が明らかになり、品質大国の日本と言われた時代からは程遠い状況でした。 例えば、自動車のエアバックを製造する会社や、鉄鋼メーカー、自動車の品質を担保しなければならない部署による不正は後を絶ちません。 これはひと言でいうと、対岸の火事だとしか思っていない証拠です。 目の前にある利益のために、繰り返し不正がなされている企業体質は、改めなければなりません。 ただ、長年に渡り、同じような事象が色々な会社で発生している状況は、消費者にとってみても、不安になるどころか、憤りさえ感じてしまう事案ばかりです。 特に不正によって、不幸にもお亡くなりになられた事案を見るたびに、日本の安全神話や、ジャパンクオリティと呼ばれているものが崩れ始めているとしか言いようがありません。 対岸の火事という意識から、人のふり見て我がふり直せ、という意識改革が必要です。 対岸の火、或いは対岸の火事、という言葉があります。言葉からイメージできると思いますが、これは遠くで起きている事件とか事故のことになります。恐慌なんかもそうです。さて、最近では対岸、或いはそれこそ、海の先の話であろうと自らに降りかかってくることがあったりします。実際のところ、世界は必ず繋がっているといえます。例えば世界最強国家であったスペインの凋落のひとつが当時、まったく統一もされていなかった日本の銀山にあったりとどこかしら、国家などは繋がりがあるといえます。特に経済というのは太いか細いかというのはともかく繋がっていることが多いのです。近いところでいえばリーマンショックなどがそうでしょう。間違いなく直接的に関係している人なんて殆どいなかったはずです。アメリカのサブプライム層の住宅債権であり、そんなものを持っている人なんて日本には一般労働者においてはまずいなかったのにも関わらず、破綻したお蔭でそれこそ派遣村なんてものまで作らないといけないような状態になりました。特に金融にいえることですが、もう複雑に絡み合っているので対岸の火事を決め込み、眺めているような状態にならないようになっているといえるのです。

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大願成就

【漢字】大願成就 【読み】たいがんじょうじゅ 【意味】大きな願いが叶えられること。 【例文1】大願成就のお参りに行き志望大学に合格する事ができた。 【例文2】20代で独立する夢があり、大願成就させるためにお金を貯める。 【例文3】想い続けた彼女と結婚できて大願成就だ。 人は皆、生まれてからいろいろな願いがあると思います。小さな願い、例えばパソコンがほしいなんていうものは誰もがかなえてしまうものですが、大きな願い、大願成就できる人はいったいどのような人なのでしょうか。大願成就とは大きな望みがが神仏のご加護でかなえられることです。そういえば世の中の大物、会社の経営者、テレビに出てくる著名人は神様を信じ、毎年決まった神社に参拝する方が多いようです。本当に神様はいるのでしょうか。それは?ですね。しかし、スピチュアルな世界ではわれわれの日常は天界とつながっているといいます。この世は天の思いが反映しているものとも言います。何か悪いことをすると天につばをかけるようなものだともいいますよね。それは自分に帰ってくるものです。このように考えると大願成就する人は常に品行方正であるのかも知れませんね。また、すまた大願成就する人は目標を定めて、それに向かってわき目も振らずに努力できる精神力を持ち合わせているのでしょう。何事も諦めずに努力していたら天界につながることができるのかもしれません。また大願成就する人はすべてのものに感謝できる心を持っているのかも知れません。すべてのものに感謝できたら心の平穏が保てますので物事がスムーズに行くことができます。このように考えたら健全で目標を定めてそれを懸命に努力した場合、誰もが大願成就できるのかもしれません。 

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